第18話 過去最低最悪の状況

 悪魔王ダイモンの居城に近付くにつれ、徐々に悪魔の強さも上がってきた。最初に戦った下級悪魔との明らかなレベルの違いに、傭兵達の顔から笑みが消えていった。既に何人か死者も出ている状況だ。戦闘不能になった重傷者も、その場に置いていくしかない……つまり死も同然。こんな所に病院はないし、救急隊も来れるわけがないからだ。俺達カラット団も、さすがに無傷というわけにはいかない。常に戦闘に立つオルパーは、浅いとはいえ全身傷だらけ。エメラは左腕を傷めた。利き腕じゃないのが幸いだ。サフィアは悪魔の魔術を避けきれず、火傷を負った。目立った外傷がないのは、俺とリドットだけだ。


「また来たよ。今度はそれほど数は多くないけど、また中級悪魔だ」


「……よし、行くぞ」


 重い腰を上げるように、オルパーが車から降りた。俺達もそれに続く。最初の頃の覇気はだいぶ薄れている。この連戦で、さすがのオルパーも疲れを隠しきれない。戦車部隊は既に弾切れだ。自分達の力だけで切り抜けるしかない。


 何度目かの悪魔共との戦闘が始まった。今回は最初から明らかに押され気味だ。一人、また一人と命を落としていく。やはり人間が悪魔に挑むのは無謀だったのではないか。どうする…………そろそろ逃げる準備をした方がいいか?


「うおらああああ!!」


 野獣の咆吼のような声に鼓膜が激しく揺れた。その声の方を見ると、一人の男が獅子奮迅の活躍を見せていた。その様は、まるで一匹の熊が野犬の群れを、次々と張り倒しているようだった。ドニクス……敵だった時は恐ろしい奴だったが、味方ならここまで頼もしいとは。


「てめえらやる気あんのか! 特にオルパー! ヘタレてるんだったら聖剣は俺が使うぞ!」


「……ああ!? 誰がヘタレだコラァ!」


 オルパーが一際強く聖剣を振り上げると、火山の噴火のように地面から火柱が上がり、複数の悪魔を一瞬で灰にした。それを見た他の傭兵達にも士気が戻り、一気に形勢逆転した。今度こそ駄目だと思ったが、何とか切り抜けることが出来た。


「何だよ、やれば出来んじゃねえか。最初からそうしてくれりゃあ、余計な体力を使わずに済んだのによ」


「傷だらけのツラで偉そうなこと言ってんじゃねえよ。俺以外で誰が聖剣をここまで扱えるってんだよ」


 悪魔との戦いは一時終わったが、オルパーとドニクスの戦いはまだ続くようだ。まあ、勝手にやらせておこう。俺はざっと全体を見渡した。生存者は全体の半分以下といったところか。戦闘不能というほどではないが、重傷者も多数だ。確実にこちらの戦力は削られつつある。俺の盾になりそうな者がどんどん減っていくことに、俺は不安を抑えきれない。だが、ダイモンの居城まであと少しだ。早ければ明日には到着するだろう。いよいよ始まるのだ…………人類最大の敵である、悪魔の王との戦いが。


 今からでも遅くはない、早く逃げるんだ。この残りの戦力では敗色は濃厚だ。死んでしまっては全てが無になってしまうんだぞ。そんな臆病者の声をかき消した。俺は死なん。今まで何度も命の危険に曝され、その度に持ち前の悪運の強さで奇跡を起こし、今日まで生き延びてきたんだ。現に、これだけの猛者達が死んでいても、俺は生き残っている。決してずっと逃げ回っていたわけではないのにも関わらずだ。それなら、もう一度奇跡を起こすことなど造作も無いこと。ならばやってやる。明日もしくは明後日、悪魔王ダイモンはこの世から滅びることになるだろう。



 *



 翌朝。俺達はサフィアの振る舞った朝食を口に入れていた。食料は、そのままでも食べられる物しか持ってきていないが、最終決戦の前に力をつけるためにと、サフィアが言い出して作り始めたのだ。久しぶりの、それも抜群に美味い手料理に、傭兵達の間から歓喜の声が上がった。殺風景な荒野は、ちょっとした宴会場になった。各々が地べたや岩に座り、その手料理を口に掻き込んだ。


 あれから運良く悪魔と遭遇することはなく、ダイモンの居城に向けて着々と歩を進める事が出来た。既にその城はここから見えている。間違いなく、数時間も走れば着くはずだ。朝日が差しているにも関わらず、そこだけが妙に薄暗く不気味だ。


「ゴルド」


 後ろを振り返ると、エメラが立っていた。俺は頬張っていた物を飲み込んでから口を開いた。


「何か用か」


「ちょっと話があるの」


 そう言ってエメラは俺の隣に座った。


「いよいよ最後の戦いになるわ。泣いても笑っても、あと数時間後にはあたしらか悪魔王か、どちらかが死んでる」


「……そうだな」


「悪魔王に対抗出来るとしたら、オルパーだけよ。だから決戦時にはあたしらその他大勢は、オルパーの援護を最優先に考えなければならないわ」


「んなこたあ分かってるよ。最初からそのつもりだ」


「でも、もし…………オルパーがやられた場合。その時は、あんたが代わりに聖剣を持って、悪魔王と戦ってほしい」


「…………お前、そんな笑えない冗談を言うキャラだったか? 剣士は俺とオルパーだけじゃないだろうが」


「確かに、ここにはあんたより強い剣士なんていくらでもいる。でも、オルパーがやられた時点で、悪魔王ってのは人間の強さでどうこう出来る相手じゃないってことよ。そういう意味では、あんたには結構期待してる。あんたには、強さを超えた何かがある。根拠は上手く説明出来ないけど……」


 言わんとしている事は分かる。要するにエメラも無意識に感じているのだろう。俺と庶民との格の違いという物を。それにしても、普段から見下している俺に対して、こいつがそんな頼み事をしてくるとは。そんなに両親の仇をとりたいのか。


「あたしからはそれだけ。じゃあ、お互い頑張りましょ」


 行ってしまった。無茶苦茶な事言いやがって。まあ、瀕死の悪魔王にトドメを刺すぐらいはやってやってもいいがな。ところで他の奴らはどうしているだろう? サフィアは傭兵達のひっきりなしに続くおかわりに対応している。オルパーは顔見知りと思われる傭兵達と話をしている。リドットは隅っこで一人、食事をしている。不安感のせいか、誰かと話していないと落ち着かない。俺はリドットの所へ歩み寄り、腰を下ろした。


「やあ、ゴルド君。このスープ、甘くて美味しいね。サフィアちゃんどんな隠し味を使ったのかな?」 


 ……甘いか? そのスープ。まあ、そんな事はどうでもいい。俺はさっきエメラと話したことを話した。


「へえ、エメラがそんな事を? 意外だなぁ」


「あんたから見て、どう思う? この戦い、勝算はあるか? 冷静なあんたの意見を聞きたい」


「あるよ」


 即答……仮に冗談だとしても、少しだけ気休めになる。リドットは銃使いで前線にはあまり出ないからか、この中では一番の軽傷だ。現状一番頼れるのはこの男だ。


「途中まであれだけ激しかった悪魔の襲撃も、昨日の昼間を最後にピタリと止んだ。これだけ城に接近しているにも関わらずだ。つまり、ダイモンの手駒が残り少ないということ。今頃手下を全員城に集めて、守りを固めているのかもしれないね。今こちらで生き残っているのも歴戦の強者ばかりだから、皆で力を合わせて押し切ればきっと大丈夫」


 なるほど、そういう見方も出来るか。説得力のある意見に、少しだけ不安が和らぐ。しかし、まだ不安要素はある。


「あの傭兵達が途中で逃げ出すって事もあるんじゃないか? 思った以上に苦戦して、死人も大勢出ているのが現状だ。成功報酬を諦めて、自分の命を優先するのが普通なんじゃないか? 前金は既にいくらか渡しているわけだし」


「うーん……絶対にないとは言い切れないけど、それも多分大丈夫だと思うよ。ここに集まったのは、皆オルパーが一人一人と顔を合わせて本当に信頼できる者と判断された人達の集まりだから。一番の目的は金だけど、純粋に悪魔王を倒したいと思ってるんだよ。動機は僕達と同じ復讐だったり、名誉だったり、腕試しだったり、いろいろだけどね」


 俺の価値観では全く理解できない連中だ。どいつもこいつも命知らずの馬鹿共だ。もっとも、その馬鹿共を盾にしてきたおかげで、俺はこうして生き延びているわけだがな。


「それに、エメラが言っていたことに僕も同意見だ。君のことは皆認めているんだよ。もちろんオルパーもね」


「ああそう……」


「あと、さっきオルパーにも提案したんだけどね。もし、城の外でまた悪魔の軍勢と戦うことになったら、他の皆が引きつけている間に、僕らカラット団の五人は城に乗り込み、ダイモンの討伐を優先しよう」


「は!?」


「悪魔っていうのは、群れのボスがやられれば戦意を失う種族だ。手下があとどれぐらい残ってるのかは分からないけど、皆の体力を考えると、さっさと決着をつけた方がいい。かといって、オルパー一人で乗り込むのは危険すぎる。だから、最も連携の取りやすい僕達カラット団で援護をするのさ」


 まあ、確かに理にかなってはいるが……。それじゃあ下手すると、俺もダイモンの攻撃を受ける可能性もあるってことじゃないか。オルパーとダイモンが対峙すれば、それで俺の仕事は終わりだと思っていたのに。


「……分かったよ。でも、あまり無茶はしないからな」


「もちろんだ。自分の命を最優先に考えてくれ」



 *



 朝食を終え、車を城へと走らせる。無人の荒野だ……行く手を阻む障害物は何もない。城はもう目の前だが、依然として静かで、聞こえるのは車の走行音だけだ。まさか本当に手下は全て倒してしまったのか? 中にいるのはダイモンだけ……いや、もしかしたら、そのダイモンも既に撤退しているのかも。それならそれで別にいいのだが。


 そんな甘い考えは、いとも簡単に裏切られた。悪魔共が、城の中から次から次と飛び出してくる。数は多くはないが、これまでに出会ったどの悪魔よりも強そうだ。見るからに獰猛そうで、中には身の丈三メートル近いのもいる。これが上級悪魔って奴か。今までの奴らとは次元が違う。


 他の車が、先頭を走るカラット団の車を次々と追い越していく。リドットの予測が当たったことにより、作戦通りに他の連中が悪魔共を引きつけ、俺達五人が城に突入して悪魔王を倒す事になるようだ。


「頼んだぜお前ら! 俺達はさっさとダイモンの野郎をぶっ倒してくるからよ! それまで死ぬんじゃねえぞ!」


 オルパーが傭兵達に向かって叫んだ。傭兵達は親指を立ててそれに応じる。先頭の方では既に戦いが始まっている。強い……完全に押されている。人間の赤い血が飛び散る……頭から喰われる……内蔵をぶちまけられる……目を覆いたくなるような光景だ。まだ俺達が城に突入してもいないのに、早くも死者が続出している。しかし立ち止まらない。リドットは真っ直ぐに城の正門目掛けて車を走らせる。オルパーが車の屋根に上り、弾を一発だけ残しておいたロケットランチャーを抱え、正門に照準を定めた。


「吹っ飛べえ!」


 撃たれた砲弾は、正門のど真ん中を完璧に捉え、それを粉々に吹き飛ばした。車は煙の中をスピードを緩めることなく走り抜けた。


「……うっ」


 何だ? 妙に空気が重く、吐き気もする。城の中と外で、まるで別世界だ。


「感じるぜ……この先に奴がいる。この嫌な空気はあいつの影響だろう」


「僕も感じる。一度は間近で見たことがあるからね。あの時の感覚にそっくりだ」


「あたしはダイモンを直接見たことはないけど……でも分かるよ。どんどん空気が重く、冷たくなってくる」


 本気で帰りたくなってきた。一刻も早く、ここから逃げ出したい衝動に駆られる。しかしもう遅い。城の外では戦争の真っ最中だ。このまま前に進み、オルパーの勝利を祈るしかない。城の中には幸い悪魔はいない。ダイモン以外は全員外に出てきたのかもしれない。それならば、この機を逃す手はないだろう。


 大広間に出た所で車を止めた。この先は階段だから、車で来れるのはここまでだ。車から降りた直後に、まるで背中に氷を入れられたような感覚に陥った。自然と冷や汗が出てくる。四人共階段の上を見上げている。その視線の先を追った。


 ────────!! 何者かが階段を下りてくる。ゆっくりと、ゆっくりと。奴が悪魔王ダイモンであることは、オルパーの怒りの形相を見て分かった。ぱっと見はそうは見えない。顔だけ見ればまるで人間…………しかも、精々十代半ばぐらいのガキだ。頭の横から生えた山羊のような角や、真紅に染まった眼球、ちらりと見える牙が、奴が人間ではないことを証明していた。奴が階段を下りきり、俺達と同じ高さに並び、こちらをざっと見渡した。俺はまるで金縛りに遭ったかのように動けない。


「…………我が城へようこそ、人間諸君。歓迎するよ」


「会いたかったぜ、ダイモン。この日をどんなに待ったことか。てめえをぶっ殺す、この日をな!」


 オルパーが聖剣を構えていきり立った。ダイモンがそれを一瞥して、不気味な笑みを浮かべた。


「聖剣ブリリアントか。久しぶりに見たなァ。最後に見たのは、大体四百年ぐらい前だったかな。オレの父がその剣で斬られて死んだのを思い出すよ」


 何だと? てことは、まさかダイモンは、俺の先祖が倒したという大魔王の息子なのか?


「あの頃はオレもまだ小さいガキだった。おっと、勘違いしないでくれよ。別に父の仇のために、人間界に攻め入っているわけじゃないんだよ。これはいわゆるゲームだ。不甲斐ない父がクリアー出来なかった世界征服という名のゲームを、オレが代わりにクリアーしてやるだけのことだ」


「…………てめえは……そんなくだらねえ理由で……俺の弟と妹を!!」


 オルパーがかつてない怒りを見せている。今にもダイモンに飛びかかりそうな勢いだ。それを見て、ダイモンはますます愉快そうに笑った。まずいぞ……既に奴のペースにハマりつつある。


「オレは記憶力はいい方でね。お前のことも覚えてるよ。殺すよりも生かしておいた方が面白そうだったから殺さないでおいたんだが、まさかここまで牙を研いで来るとはね。正直驚いているよ。お前、ひょっとして勇者か何かか?」


「知らねえよ。だが、勇者じゃなくてもてめえを殺すことは出来るぜ。この聖剣があればな」


「…………くくく、試してみるか?」


 聖剣が一際大きな光を放ち、オルパーを包み込んだ。もしかすると、聖剣は持ち主の闘争心に呼応するのかもしれない。長年追い求めた仇敵を目の前にした今のオルパーの闘争心は計り知れない。────空気が変わった。最後の戦いが始まる。


「うおおおお!!」


 オルパーがダイモンに向かって突進した。ダイモンは腕を組んだまま避けようともしない。一体どういうつもりだ? その時突然轟音が鳴り、オルパーが後ろから来る何かに気付き、真横に飛び退いた。しかしそれを避けた直後、黒い球体がオルパーにぶつかり、そのままオルパーを取り込んだ。


「くっ! 何だこりゃあ!?」


 球体の中でもがき、聖剣で斬りつけるが、球体はビクともしない。完全に球体の中に閉じ込められている。何だ、何が起こった。ダイモンは何もしていない。じゃあ一体誰がこんな事を……。俺は周りを見渡した。


 ────俺はそれを見て背筋が凍った。事態は把握できたのに、思考が追いつかない。こんな事があるはずがないからだ。あり得ない……意味が分からない。


「……リ、リドット! あんた何やってんの!?」


 エメラが叫んだ。最初にオルパーを襲ったのは、リドットの右手の銃の弾丸。オルパーを捕らえたのは、リドットの左手から放たれた魔術。


「何って…………援護だよ。ダイモン様のね」


 何者かの拍手と笑い声が聞こえる。ダイモンだ…………まるでコメディーショーでも観ているかのように笑っている。


「はっはっは! いやあ、実に面白い見世物だった。長い間、出張ご苦労だったね。リドット」


「ありがとうございます、ダイモン様」


 リドットが胸に手を当て跪いた。何だこれ……何なんだこれは。誰か俺に分かるように説明しろ。


「リドット! てめえ裏切るのか!!」


 球体の中からオルパーが叫んだ。


「人聞きの悪いことを言うなよ。僕は最初から、ダイモン様の忠実なしもべだよ。裏切りなんてとんでもない」


 いつもと何も変わらない口調でリドットが言った。表情も何も変わらない。だからこそ不気味だ。切り札のオルパーは聖剣ごと封じられ、リドットは寝返り、こっちは俺とエメラとサフィアのみ。ようやく俺の中で一つの答えが出た。絶体絶命…………この状況は、間違いなく過去最低最悪の状況だ。

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