第11話 やらない善よりやる偽善

 夕飯を食べ終わった後も、仕事までは数時間の待機。その間にも、俺は自室でサフィアと勉強の続きをやっていた。昔の俺が今の俺の姿を見たら目を疑う光景だろう。決して楽しいわけではない。だが、理解は出来る。あれだけ分厚い本もスラスラと読破していき、お待ちかねのビルーの生涯を読み始めていた。ビルーの洗脳の手口は本当に様々だった。十人十色であるがゆえに、その手口もそれに合わせて変えていかなければならないのだから。しかし、全てに共通して言えるのは、その信者達は救いを求めていたということだ。絶望的な状況に陥っていた信者に手を差し伸べたビルー。巧みな話術と自身の持つカリスマ性によって、次々と信者を増やしていたようだ。時には、ビルーが自ら信者となりそうな者を嵌め、絶望のどん底に追いやってから救う……要するに自作自演までしていたのには目から鱗だった。一人で三万人集めるのは不可能だ。ある程度増やした後は、信者が信者を増やす。そうやってまるでネズミ算式に増えていったのだ。全く大した男だ。


「しかし、こんな都合良くいくか? 人間というのはこうも簡単に騙されるものなのか?」


「普通の人が同じことをやっても無理でしょうね。どんな容姿をしていたかは分かりませんが、ビルーにはやはりカリスマ性があったようです。この人なら私を救ってくれる、信用できると思わせる何かがあったのでしょう」


「俺にそれはあるか?」


「また無礼を承知で正直に申し上げます。今の王子は、昔以上に悪人の顔つきになっています。甘い言葉をかけたところで、自分を騙そうとしていると疑われてもおかしくないでしょう。しかし、王子は本当にハンサムなお方です。カリスマ性だって、贔屓目に見なくても持っています。表情を工夫して身なりを整えれば、ほとんどの女性は虜になることでしょう。後は礼儀作法の本をよく参考にしてください。言葉遣いも大切です。男性相手でも、それプラスお金の力で大抵のことは何とかなると思います」


「ふむ。まあ、物は試しだ。明日ちょっと実践してみるか」


 時計を見ると、そろそろ仕事の時間だ。今夜は隣町の富豪の家を漁る。まあ、今の俺にとっては大した仕事じゃない。ちゃちゃっと片づけてこよう。俺は早いところ試してみたくてうずうずしていた。



 *



 翌日、俺とサフィアはスチル町のスラム街を歩いて回った。人生の敗北者達が自然と集まる場所だ。そこら中に汚らしいホームレス達がいる。この中から国民候補を選別するというわけだ。だから、帰る家がないホームレスの方が都合がいいのだ。


 しかし誰でもいいわけではない。男のことはよく分からないが、女なら星の数ほど見てきた。ここでは今までの経験が生きる。俺は道ばたに座り込む三人の女に目をつけた。髪はボサボサ、汚れて黒ずんだ肌、鼻をつく体臭、痩せこけた体。普通の男ならまず目もくれない。だが、こいつらは泥にまみれたダイヤの原石だ。磨けば必ず光る。俺は女達の前に座り、微笑みながら声をかけた。


「やあ、こんにちは」


 突然俺に話しかけられた女達は驚きを隠せないでいた。明らかに警戒している。


「誰ですか? 私達に何か用ですか?」


「ああ、ごめんね。君たちみたいな若くて綺麗な女性が、何でこんな汚い町にいるのかなと思ってさ」


「……な、何をいきなり」


「からかってるんですか?」


「む、向こうへ行ってください。私達、もう誰の事も信用しませんから!」


 誰の事も信用しない、か。なかなかいい状態だ。そういう奴に限って、いざ信じる事が出来る人間が出来た時の崇拝ぶりは半端じゃないはずだ。それに、今の言葉でこの三人がこの状況になった経緯は大体想像ついた。俺は少し哀れみを持った目で、再び優しく微笑みかけた。


「なるほどね。大方、悪い男にいいように使われて、最後には捨てられたんだろう?」


「な、何でそんな事が……」


「ん~、勘ってやつかな。俺は普通の人よりは多くの女性を見てきたからね。それと、今の君たちをこのまま放っておきたくはない。力になりたいんだ」


「結構です! そうやってまた私達を利用しようとしているんでしょう!?」


 俺は何も言い返さずに、懐から一万ジュール札を数枚取り出し、三人の女それぞれの前に置いた。


「えっ……?」


「俺もあまり裕福じゃないから、たったそれっぽっちしか恵んであげられないんだ。許してほしい。でも、それでもしばらくは飢えを凌げるはずだ。それじゃあ、俺はもう行くよ」


「ちょ、ちょっと待って!」


 引き止める女達を尻目に、俺は立ち上がりサフィアとその場を去った。今はこれでいい。無償の愛……これこそが俺が最も信用しない物であると同時に、人間を忠実な下僕にするための第一ステップだ。


「あんなもんで良かったか?」


「ええ、まだ少し胡散臭さがあったかもしれませんが、初めてにしては上出来だと思います」


 むぅ……言葉遣いというのは難しいもんだな。女ならあれで良かったのだろうが、男はそうはいかないかもしれない。もう少しだけ、騙されやすそうな女で練習していく必要がありそうだな。俺は引き続き物色を始めた。さっきのような原石はそうそういないが、ひとまずそれはあまり重視しないようにしていた。選り好み出来るほどの余裕はまだ無い。


 ホームレスになるような連中は、共通してこの世界に絶望している。恐らく誰からも手を差し伸べられた事などないだろう。そこへ、俺のような若くてハンサムな男に声をかけられれば、どんなに用心深い女でもぐらつく。一応、こいつらを住まわせられそうな空家の目星は、既にサフィアが付けている。だが、俺は今日は敢えて声をかけて金を恵むだけに留めた。ここですぐに、どこかへ連れて行こうとすれば、また警戒心を戻してしまうかもしれないからだ。まず俺には何の企みもない事を信じ込ませねばならない。焦っては逆効果なのだ。



 *



 順調だ……怖いぐらいに。変化が現れ始めたのは、「餌巻き」を始めてから一週間後だ。俺はいつも通りホームレスを物色していると、最初に声をかけた三人組の女達に再会した。相変わらず汚い格好をしていたが、顔色や表情はだいぶ良くなっていた。俺はまるでカウンセラーのように、女達の近況を伺いつつ、しばし談笑した。


「あの時は本当にありがとうございました。あなたの奉仕がなければ、私達今頃は飢え死にしていたかもしれません」


「いや、いいんだよ。人として当然のことをしたまでさ。こんな殺伐とした世の中だけど、それでも希望を失って欲しくないんだ」


 我ながらペラペラとよく口が回る……心にも無いくせに。クリスタでナンパしていた時でさえ、こんな臭い台詞を吐いたことなど無い。


「君達が元気になってくれたのなら俺はそれでいい。おっと、もうこんな時間か。名残惜しいけど、俺はもう行くよ」


 別に予定など無い。だが、俺は敢えてそっけない態度でその場を去ろうとした。ここで本当にこのまま見送られてしまうと、苦労や金が水の泡だ。食いつけ……呼び止めろ……恩返しをするんだ……!


「待って! どうしてもあなたに何かお礼がしたいんです!」


 よし釣れたぁ! 俺は女達に背を向けたまま口角を上げた。そう、その言葉を待っていた。俺から言わせたのでは意味が無い。あくまで自主的に俺に尽くさせるのだ。俺は悪人面の顔を優しい青年の顔に戻してから振り返った。


「でも、君たちもまだまだそんな余裕ないだろう? 気持ちだけで充分だよ」


 更に一歩距離を取る。大丈夫だ……もはや引っかかった針が取れることはない。このまま三匹まとめて釣り上げる。


「でも……何か出来ることは無いでしょうか?」


「………………そうだな。無いことも無いかもしれない」


「というと?」


「笑わないで聞いてくれ。俺には大きな夢があるんだ。君たちのように善人でありながら、理不尽に不幸のどん底に落とされた人達を募って、一つの国を造りたい。俺が国王、君たちは国民だ。国づくりのために、もし君たちが力を貸してくれるのなら……」


「やります!」


 俺が最後まで言う前に三人同時に言葉を発した。俺は、ふうっとため息をついた。やれやれ、何とか上手くいったな。たった三人……されど三人。遂に建国に向けて本格的なスタートを切ったぞ。


「ありがとう。君たちと一緒ならやっていける気がするよ。もちろん今後も仲間を増やしていくつもりだ。一応聞きたいんだけど、君たち住む家は……」


「無いです……」


「そうか。いや、気にする必要は無い。皆が住める場所も実は用意してある。君たちは最初の住人だ」


「ほ、本当ですか!? ……何から何まで、本当にありがとうございます!」


 女達は深々と頭を下げた。カラット団のすぐ傍に、誰も住まなくなった小さなボロマンションがある。そこを丸ごと買い取ったのだ。ボロとはいえ、貯金がほとんど無くなるぐらいの出費だ。先行投資ばかりで、まるで金が貯まる気配がないが仕方ない。こいつらを働かせて、少しずつでも元を取らなくては……。マンションに着くと、サフィアがちょうど廊下掃除をしていた。


「あっ、ゴルド様。お帰りなさい」


 サフィアには、国民候補達の前では王子とは呼ばせないようにしている。元王子と知られるといろいろ面倒だからだ。不良王子としての悪評をどこかで耳にする可能性もある。


「サフィア、今日から彼女達がここに住む事になった。掃除が終わった部屋に案内してやってくれ。君たち、何か困った事があればサフィアに言ってくれ」


「はい!」


 ……あ~疲れた。女達を笑顔で見送ってから、ロビーに置いてあった破れてボロボロのソファーに腰掛けて天を仰いだ。予想以上に上手くいってはいるが、果たしてこんなペースで建国なんて本当に出来るのか? 女達を案内し終えたサフィアが戻ってきて、お茶の入った紙コップを差し出してきた。


「お疲れ様です、王子。さすがですね。彼女達、もうすっかり王子の虜みたいですよ」


「ふん。騙されているとも知らずにな」


「やらない善よりやる偽善、という言葉があります。実際、明日生きられるかどうかも分からない状況よりも、今の状況の方がよほど彼女達にとって良いと思います。それに、建国を目指していることは嘘ではありませんから、騙されているというわけではありません」


「むっ……。別に俺はあいつらのためを思ってやっているわけじゃないぞ。必ず投資した分以上の見返りを回収してやるつもりだからな」


「承知しております。では、アジトの方の掃除もありますので、今日は切り上げます」


 それだけ言うと、サフィアはマンションを後にした。まったく……おかしな事を言いやがって。俺はお茶を一気に飲み干し、渇いた喉を潤した。部屋一つに数人押し込めれば、あと数十人はこのマンションに住める。とにかく今俺がやるべき事は、地道に盗賊稼業で金を貯め、空いた時間に勉強しつつ、国民候補を少しずつ集めていくしかない。大丈夫、今の俺は昔の俺とは違うのだから。

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