第5話 悪運の強い男

 カラット団アジトでの初めての朝を迎えた。実に清々しい目覚めだ。硬いベッドだが、地べたや公園のベンチ、物置小屋なんかに比べれば遥かに寝心地が良かった。自室の扉を開け、リビングに出る。時計の針は十一時を指していた。まだ誰も起きていないようだ。盗賊の仕事は夜がメインだから、いつも昼まで寝ていると言っていたな。俺は昨日から気になっていた、厳重に守られた鋼鉄の扉の前に立った。最初は何の部屋か分からなかったが、恐らく盗品の倉庫だろう。電子パネルに指を触れた。五桁の数字を入力するようだが、逆に言えば00000から99999までの十万パターン全て試せば必ずヒットするわけだ。ちょっとやってみようか。


「無駄なことは止めときな」


「うわ!」


 心臓が飛び出るかと思った。エメラ……いつの間に俺の後ろに立ってやがったんだ。


「たった五桁の数字だけど、あたしとオルパーとリドットの三人がそれぞれ決めた数字を打たないと開かないからね。まあそれでも百兆回試せば開くけどね。頑張ってみる?」


「やるかそんなこと!」


 三人がそれぞれ決めた数字か……なるほど。裏切り防止というわけか。よく考えてある。それなら扉を開ける時は三人揃っていないと無理だ。


「ん? 待てよ、それじゃ万が一お前らの誰か一人でも死んだら、パスワードが闇に葬られるじゃねえか」


「心配ご無用。パスワードは毎週更新していて、一週間更新しない者のパスワードは消滅するから、もし誰か一人が死んでも、長くとも一週間待てば二人のパスワードだけで開けられるようになるわ。まあ、全員死んだら開かずの扉になっちゃうけどね」


「で、下っ端の俺にはパスワードを決める権利はまだ無い、と」


「正解」


 ちっ、まあいいけどな。はなっからここの盗品を持ち逃げ出来るなんて思ってない。


「そんなことよりさ、ゴルド。早く昼食作った方がいいんじゃないの? 二人とも起きてきちゃうわよ」


「俺が作るのか!?」


「当然でしょ、下っ端なんだから。炊事掃除洗濯、全部やってもらうわ。キッチンの横に料理本あるから、今ある材料でそれ見て作りな」


 そう言ってエメラは自室に戻ってしまった。俺は途方に暮れた。料理なんてやったことあるわけないだろ。そもそも盗賊稼業で荒稼ぎしてるんだから、自炊なんてしないで外食すればいいじゃないか。出来る限り人目につかないようにしてるのか、それとも余程のドケチか。エメラの奴、俺を助けたのはこれが目的だったのか。あいつが俺を助けるなんておかしいと思ったんだ。だめだ、次から次へと文句ばかり出てくる。とにかく作らなくては……オルパーに何を言われるか分からない。いいだろう、やってやろうじゃないか。


「まずは米を炊かなくては……今ある材料はこれとこれと……そうなると作れるのは……。最初にこいつを切って、次に…………あ? 大さじってどのくらいだよ? まあいい、適当にこんなもんだろう。200ccって何のことだ? ああ、水の量か。次にこれを入れてかき混ぜて……ああ、くそっ間違えた!」


 悪戦苦闘しながらの初めての料理。気付くと既に十二時になっており、オルパーとリドットも起きてきた。しかし何とかギリギリ終わらせることが出来た。


「おっ、飯出来てんのか。なかなか美味そうじゃねえか」


「ハンバーグとコンソメスープか。ありがたいね、僕の好物だ」


 確かに、見た目は上手いこと出来た。自分で言うのもなんだが美味そうだ。エメラも戻ってきて、全員が席に着いた。あっ……そういえば味見するのを忘れてた。本当に大丈夫なのかこれは。


「それじゃ、可愛い従弟の作ったランチを頂こうかしらね」


 三人が同時に手を付けた。緊張が走る。どうだ……どうなんだ?


「…………美味い!」


「うん、確かに美味しいね」


「あらホント。なーんだ、つまんないの。ボロクソに貶してやろうと思ったのに」


 エメラのコメントにはかなり引っかかるものがあるが、ぐっと堪えて俺も自らの料理を口に運んだ。うむ……ライスの炊き加減、ハンバーグの食感、まろやかなソース、コンソメスープの風味、どれを取っても絶品だ。初めてでここまで出来るとは、やはり俺は庶民とは格が違う。


「なんだよゴルド、お前王子なんかよりコックの方がよっぽど向いてんじゃねえか? 今までエメラの手抜き料理ばっかだったから余計にそう思うぜ」


「うっさいわね。文句があるなら自分で作りなさいよ馬鹿」


「あんだと? 団長に向かって馬鹿とはなんだ」


「まあまあ二人とも、せっかくの料理が冷めてしまうよ」


 ……リドットがいなければ、とっくに終わってそうだな、この組織。俺はそんなことを考えながら、一人黙々と食べ進めていった。



 *



「さて、それじゃあ今夜の仕事の作戦会議を始めるぞ」


 先程とは打って変わって張り詰めた空気がリビングに流れていた。仕事……つまり盗みだ。昨日入団したばかりの俺も、何かしら役割を持たされるのだろうか。そうなれば、今夜俺は本当の意味で犯罪者の仲間入りということになる。そう思うと、始まる前から少し緊張してきた。


「先週から俺とリドットで下見している、このスチル町一の大富豪、アミールの館。今夜ここに乗り込む。リドットの掴んだ情報では、こいつは相当な額の税金を誤魔化しているらしい。おそらくだが、自宅に現金を大量に隠し持っているはずだ。それを根こそぎ頂く。他にも金目の物はいくらでもあるだろうが、どうせ持ち出せる量はたかが知れてるからな。頂ける物は頂いていくが、メインはあくまで現金だ」


 町一番の大富豪だと。いきなり大仕事じゃないか。本当に大丈夫なのか。


「警備の方はどんな感じ?」


「さすがにかなり厳重だね。でも、穴はある。そこを突けば、僕達なら不可能ではないさ」


 エメラの質問にリドットが答えた。俺もさっきから思っていた疑問を口に出した。


「俺は何をすればいいんだ? 留守番でもしてればいいのか?」


「馬鹿ね、人手不足って言ったでしょ? かといって、あんたにそんな難しいことが出来るわけないから、せいぜい荷物持ちってとこかしらね」


 いちいち癇に障る言い方だ。だが事実である以上何も言い返せない。まあいい……盗賊稼業は手段であって目的ではない。雑用だろうが荷物持ちだろうが、要は金さえ手に入ればそれでいいのだ。


「侵入するのは、俺とエメラとゴルド。リドットは車内で待機だ。中では二手に分かれる。俺は単独で動くから、エメラとゴルドはコンビで動け」


「はあ!? 何であたしがこいつと!?」


「何でって事は無いだろ。こいつが一人で動けると思うか? それにこいつを連れてきたのはお前だし、従姉弟同士なんだから最初ぐらい面倒見てやれ」


 がなり立てるエメラに、オルパーがもっともな意見を返し、エメラは渋々納得した。俺だってこんな奴と二人きりで行動したくないが、一人よりはマシだ。いざとなったらこいつを盾にして逃げてやる。


「言っとくけど、仮にあんたがとっ捕まっても助けないからね。足だけは引っ張るんじゃないわよ」


「ふん、それはこっちの台詞だ」


 決行は今夜二時。ちょうど十二時間後だ。外に出てもろくな事が無さそうだから、このままここでゆっくり体を休めておくとしよう。



 *



 アミールの館から少し離れた場所で、俺達は車内からその様子を窺っていた。車内といっても二人乗りの軽トラックだから、俺とエメラは荷台に乗っているわけだが。皆が寝静まっているこの時間にも、アミールの館を取り囲む警備兵の数は少なくなかった。辺りは暗く視界は悪いが、侵入者に気付かないほどではない。よく見ると警備兵は誰もが拳銃を携帯している。この町の治安の悪さを考えれば当然と言えば当然か。現にたった今、盗賊団に狙われているわけだしな。


「よし行くぞ。リドット、昼間にも言ったが、四時きっかりになったら出発しろ。欲張って長居してもろくな事にならねえからな。たとえその時間に誰かが戻ってきていなかったとしてもだ」


「了解。出来ればそうしたくないけどね」


 四時を過ぎたら容赦なく置いて行かれる……腕時計を見ながらその事をよく頭に入れた。俺は現金を入れるための麻袋を背負って荷台から降りた。顔を隠すマスクと、護身用のナイフもしっかり装備した。オルパーは東側へ、俺とエメラは西側へまわった。アミールの館は十メートル程の高い塀に囲まれており、門は正面に一つしか無い。当然ながら正面から乗り込むわけにはいかないので、別ルートを使うことになる。オルパーが言うには、西側には塀の近くに一本の高い木が生えている。そこから塀に向かって伸びている枝から、塀に跳び移ることが出来るということらしい。確かに聞いていたとおり、そこには木が生えていたが……実に登りにくそうな木だ。凹凸がほとんど無いし、枝もかなり上の方まで行かないと生えてない。エメラは先行して軽々と登っていったが、俺の方はなかなか上手くいかない。


「ちょっと、さっさとしなさいよノロマ」


 上の方からエメラが小声で罵ってくる。くそ、ナメやがって。こんな所でつまづいてたまるかよ。俺はエメラへの憎しみをパワーに変えて登った。しかし、よく見たら枝から塀まで二メートル近く離れている。普通なら二メートルぐらいどうってことない距離だが、この不安定で高さもある場所で二メートル跳ぶのは至難の業だ。そんなことを考えているうちに、エメラは当然のように音一つ立てずに塀に跳び移った。


「なっ……」


「怖けりゃ帰って留守番してな。まあ、当然分け前はゼロだけどね」


 それだけ言うと、エメラは幅三十センチ程しかない塀の上を、身をかがめながらスタスタ走って行ってしまった。分け前ゼロだと……冗談じゃないぞ。俺には莫大な金がいるんだ。跳んでやる……跳べばいいんだろ。俺は意を決し、枝の上を走って思いっきり跳んだ。塀に覆い被さるようにしがみつき、落ちそうになる体を必死に支えた。枝が大きくしなって葉音が立ったせいで、近くの警備兵の視線がこちらに向いた。間一髪、塀の上に俯せになり、警備兵の死角に入った。見つかれば当然射殺される……そう考えると手汗がじっとりと出てきた。このままゆっくりと館に近づく。敷地内にも警備兵がうろうろしているが、幸い敷地が無駄に広いおかげでそう簡単には見つからない。館近くにも木が生えており、今度はこれに跳び移った。今度は足場が安定している分、さっきよりは簡単だった。そのままスルスルと木を滑り降り、館の裏口へ向かうと、エメラが鍵穴を針金でいじくっていた。


「ああ、ついてこれたんだ。なかなかやるじゃない。相当息が上がってるみたいだけどね」


「……う、うるせえな……お前が異常なんだよ」


 膝に両手をついて息を整えている間に、鍵穴からカチャッという音が聞こえた。ピッキング成功だ。ドアの先に誰もいないことを確認してから、俺達は館の中へ侵入した。中も真っ暗だ。


「なあ、入れたのはいいけどよ、こんな広い館の中から二時間以内に金なんか探し出せるのか?」


「そこは経験が物を言うわね。まあ、大体の検討はつくわ。そういう大事な物は、最上階か地下室って相場が決まっているのよ」


 館内にも懐中電灯を持った警備兵がいる。もっとも、懐中電灯のおかげでこちらからは警備兵の位置を確かめやすい。一階をくまなく探したが、地下室への階段らしきものは無かった。ということは最上階だ。他の階には目も暮れず、一気に階段を上がっていった。ご丁寧に館中にカーペットが敷かれているおかげで足音は消しやすい。しかし、この階でも金は見つからない。鍵のかかった部屋もピッキングで開けてみたが、特に何も見つからなかった。腕時計を見ると、既に三時半を過ぎていた。


「おいエメラ……時間がないぞ。そろそろ引き返さないと」


「しっ、ちょっと黙って」


 エメラは壁に耳を当てて、軽くノックした。場所を少しずらしてまたノック。同じ事を何度も繰り返していた。一体何をやっているんだ? すると何かに気付いたエメラが壁を入念に調べ始め、両手で強く押すと、壁の一部が回転した。隠し部屋だ。しかも、そこにはどう見ても金庫と思われる、ダイヤルの付いた鉄の箱がどんと置いてあった。


「ふふ、ビンゴォ」


「な、何で分かったんだ?」


「間取り図で考えると、明らかにここだけ不自然なスペースがあるのよ。一階のこの位置にはちゃんと部屋があったしね。壁を叩く音を聞けば、中が空洞になっているのも簡単に分かるわ」


 そう言いながらエメラは聴診器を取り出し、手際良く金庫に当ててダイヤルを回し始めた。不覚にも俺は素直に感心してしまった。ムカつく女だが、盗賊としての腕前は素人目で見ても一流だ。しかし金庫を破る時間はもう……。


「……よし、開いた」


 早い。まだ一分も経っていない。金庫の扉を開けると、中には予想以上の札束の山が入っていた。驚いている暇はない。早く麻袋に詰め込まないと。俺達は大急ぎで札束を詰め、その場を後にした。


 一階まで下りてくると、廊下の向こうから警備兵が近付いてくるのが見えた。後ろからも来ている……このままでは挟みうちにあう。出口はすぐそこなのに。俺達は柱の陰に隠れてやり過ごそうとした。大丈夫……気付かれるはずがない。それにしてもさっきからずっと思っていたが寒い。この季節の真夜中だ……室内でも寒い。もっと着込んでくれば良かっ…………うっ! ま、まずい! くそっこんな時に……。耐えろ、耐えるんだ!


「…………は……は……はっくしょい!!」


「むっ!? 誰だそこにいるのは!」


 し、しまった! 警備兵が前後から走ってこちらに向かってくる。このままでは確実に見つかる。


「この、クソ馬鹿が……!」


 エメラが柱の陰から飛び出し、出口に向かって猛ダッシュした。俺も慌ててそれに続いた。くそ、札束の詰まった麻袋が重い!


「侵入者だ! 侵入者がいるぞ!」


 警備兵が拳銃を撃ってきた。暗いおかげで簡単には当たらないが、この状況はやばい、やばすぎる。エメラが前方の警備兵に真っ直ぐ突っ込んだ。すれ違いざま、エメラのナイフが警備兵の首を切り、一目で致死量と分かる血を吹き出して警備兵が倒れた。死んだ……人が目の前で死んだ。しかも自分の知り合いの手で殺された。改めて俺は、自分が今置かれている状況がいかに常軌を逸しているか再認識した。覚悟していたつもりでも、所詮はゲーム感覚だったのかもしれない。ここは俺が二十年間生きてきた平和な世界とは全くの別物だ。殺らなければ殺られる。そういう世界なのだ。後ろから銃声。俺の顔のすぐ横を弾丸が通過した。


「ひい!」


 何とも情けない声が出たが、格好つけてる場合ではない。死体を跳び越えて裏口から外へ出た。庭の警備兵達も一斉にこちらに向かってくる。俺は先を走るエメラの背中を追った。しかし速すぎて追いつけない。どんどん距離が離される。待て……待ってくれ!


「うわっ!」


 小石に躓いて転び、顔面を強く打った。その拍子に麻袋がごろごろと転がる。鼻血が出ている……視界が揺れている。その間にも警備兵は拳銃を撃ちながらこちらに走ってきていた。すぐ近くの地面が弾丸で抉れた。こ、殺される! 立て……早く立つんだ。しかし顔面を打った衝撃で頭がくらくらして立ち上がれない。エメラが俺の様子に気付き、走って戻ってきた。そうだ助けてくれ、早く! しかしエメラは、転がった麻袋を拾い上げると、すぐさま侵入に使った木に向かって走り出した。あいつ、本当に俺を見捨てやがった……!


「あ、あのクソアマァァァ!!」


 エメラへの怒りが頂点に達し、意識が覚醒した。俺は立ち上がり、かつてないスピードで走りエメラを追った。その間にも四方八方から銃弾が飛んでくる。エメラは札束入りの袋を担いだまま、猿のように木を登ってあっという間に塀に跳び移った。何て奴だ……。しかし俺も先ほどとは打って変わって一気に木を登り、塀に跳び移った。


「ん!? お、おい!」


 乗ってきた軽トラックが既に走り出している。オルパーとエメラも乗っている。腕時計を見た……四時一分。くそったれが! こちらに向かってきてはいるが、止まってくれる気配は全くない。間もなく下を通過する。タイミング良く飛び降りれば、荷台にダイブする事が出来るが、この高さでは誤れば大怪我は免れない。立ち上がることも出来ず、射殺されるか牢屋行きになるか。しかし、どちらにせよこのままでは捕まる。迷っている暇はない。…………今だ! 俺は十メートルの高さの塀の上から、走る軽トラックに向かって飛び下りた。


「うおおおおお!」







 ………………奇跡だ。一瞬どうなったのか自分でも分からなかったが、どうやら荷台の麻袋がクッションになって助かったようだ。それでも体のあちこちが痛いが。


「呆れた……何て悪運の強い男なのかしら」


 隣で嫌味を言うエメラに掴みかかってやりたいが、もはやそんな元気はない。限界を超えて酷使された体からわき上がる疲労感と、無事に生き残ることが出来たという安心感で、俺は何もする気になれなかった。荷台の上で仰向けに寝そべりながら、俺をあざ笑うかのようにキラキラと光を放つ星空を眺めていた。

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