第4話 殺伐とした世の中で
路地裏の小さな空き地。エメラは誰にも見られていないことを確認してから、そこにあった大きめのマンホールの蓋に手をかけた。
「この下にアジトがあるわ」
「この下って、下水道じゃねえか」
「カムフラージュに決まってんでしょ。いいから黙ってついてきな」
梯子を下りていくと、広いスペースに出た。暗くて何も見えないが、確かに下水道ではないことは確かだ。
「待って、今電気つける」
スイッチを押す音が聞こえてからすぐに明かりがついた。三十㎡ぐらいの真四角の部屋。壁や床はコンクリートの打ちっぱなしになっていて何の飾り気もない。中央に長テーブルと椅子が十脚。キッチンもあるところを見ると、ここは食堂というかリビングだろうか。壁にはいくつもの扉があり、一つだけやたら頑丈そうな鋼鉄の扉があった。ドアノブの上には数字付の電子パネル……なるほど、パスワード式か。よほど大事な物が入っているのか。
「食事の用意しといてあげるから、先にシャワー浴びてきなよ。臭くてたまらないから。あの一番左がシャワールームね。あっ、緑色のボトルはあたしのシャンプーとボディーソープだから、それは使うんじゃないわよ」
*
頭から被った湯が、真っ黒になって排水溝に吸い込まれていく。体を擦るたびに面白いように垢がボロボロ出てくる。数ヶ月ぶりのシャワーがこんなに気持ちのいいものだとは知らなかった。まるで生まれ変わったようにスッキリした。脱衣所で体を拭き、エメラに渡された誰の物か分からない服に袖を通した。鏡を見ながら髭を剃り、眉毛を整え、髪も無駄に伸びた分だけを切り落とした。大分やつれてしまったが、そこには間違いなくかつての俺がそこにいる。王子とは程遠いものの、ゴミ同然のホームレスから人間に戻れた気がした。ドアを開けると、エメラは既に料理を終えて座って本を読んでおり、テーブルの上には食事の用意が出来ていた。ライスと肉と卵をごちゃ混ぜにして炒めただけの手抜き料理のようだが、それを見た途端、口の中で唾液が溢れかえってきた。
「……食っていいのか?」
「どーぞ遠慮なく」
俺は散々「待て」をされてようやく飼い主から「よし」の合図を出された犬のように飯をかきこんだ。美味い、美味すぎる。何の味付けもされていないが、空腹に勝るスパイスはないということをとことん思い知った。山盛りになっていたそれは、あっという間に無くなった。
「ふう……」
「大した食べっぷりねぇ。作りがいがあるわ」
こんな手抜き料理でよく言う……と普段なら言いたいところだが、さすがに今回ばかりはこいつに命を救われたことは否定しようがない。この数ヶ月で、あまりにもいろんな事があり過ぎた。勘当され、国を出て、ギャンブルで大当たりして、強盗にあって、慣れない労働をして、死にかけたところを八年ぶりに再会した従姉に救われて……。神は俺を生かしたいのか殺したいのかどっちなんだ?
「さて……そろそろ聞かせてくれよ。お前一体ここで何やってるんだ?」
「待って。ちょうど帰ってきたみたいだから」
入口の方から誰かが梯子を下りてくる音がする。
「ただいま~」
「うーっす、戻ったぞ。ん? 誰だそいつは」
男が二人。ガタイのいい坊主頭の男と、眼鏡をかけた長身の優男が入ってきた。エメラの仲間か。
「お帰り、オルパー、リドット。紹介するわ。あたしの従弟のゴルドよ」
「ゴルド? ああ、お前が例のクリスタの不良王子か。エメラから話は聞いたことあるぜ。で、その王子が何でこんな所にいるんだ?」
いきなり何だこいつは、無礼な奴だ。俺を王子と知っててそんな口の利き方をするとは。
「それについてはあたしから説明するわ」
エメラはさっき俺が話した内容をそのまま、ガタイのいい男……オルパーに説明した。長身眼鏡のリドットは話を聞きながら、時折チラチラと興味深そうに俺の方を見てきた。
「でさ、こいつを仲間に入れようと思うんだけど、どうかな? 今は人手不足で、猫の手も借りたい状況だし」
「まあ、確かにそうだがよ。使えんのか?」
「分かんない。まあ、使えなかったら雑用係でもいいんじゃない? 身元だけはあたしが保証するから、どこかのスパイって事は絶対ないわ」
何かおかしな方向に話が転がっている。俺は慌てて話に割り込んだ。
「ちょ、ちょっと待て! 何勝手に話進めてんだ。そもそもお前らは何者だ? 俺に何をさせようってんだ?」
「そういえば、あたし達の紹介がまだだったね。あたし達はカラット団って名乗ってる。盗みを生業としている、盗賊団よ。メンバーはここにいる三人だけ。見ての通り少ないから、仲間を探してるの。お分かり?」
盗賊団だと……? 冗談じゃない。誇り高き王族の俺が、こんな犯罪集団に手を貸すなんて出来るわけないだろう。俺は素行が悪くても、犯罪に手を染めたことは一度もないんだ。とりあえず再起出来るぐらいには回復したんだ。こんな所にはもう用はない。
「あんたが今何を考えてるか分かるわ。でも、ここに残ってあたし達の仲間になった方が絶対得策よ」
「なんだと。どういう意味だ」
「あんた、ここに来てすぐに強盗にあったらしいけど、それは別に運が悪かったからじゃない。この国が特別に治安が悪いわけでもない。温室育ちの世間知らずのあんたには想像もつかないでしょうけど、今は世界全体がこうなのよ。悪魔王ダイモンが現れてからね。いつ死ぬか分からない恐怖が人々の心を歪め、弱肉強食の世の中が出来るまで、そう時間はかからなかった。こんな殺伐とした世の中で、あんた一人で生きていけると思う? 現に野垂れ死に寸前だったじゃない」
「そ、それは……」
反論の余地がない。悔しいが、何もかもこいつの言うとおりだ。自分が如何いかに無知で無力で無謀な事をしようとしていたかを思い知らされる。認識が甘かった……全てにおいて。
「……分かった。お前らの仲間になってやる」
俺がそう言うと、オルパーが俺の向かいの椅子に座った。
「一つ、忠告しておいてやろう」
「な、何だよ」
「俺は寛大な男だ。今まで一度も敬語を使ったことのねえ奴に敬語を使えってのも無理な話だ。だからその生意気な口の利き方はこの際大目に見てやろう。だが、お前が王子だろうがなんだろうが、ここでは俺が団長だ。お前は俺の手下だ。お前が俺たちの仲間になってやるんじゃねえ。俺がお前を仲間に加えてやるんだ。そして俺の命令は絶対だ。その事をよく肝に銘じておけ」
オルパーの威圧感に、俺はまるで蛇ににらまれた蛙のように萎縮した。本能が言っている。こいつには逆らうなと。
「わ……分かった」
「まあまあ、いいじゃないかオルパー。多少生意気なぐらいが活気が出て。僕は副団長のリドットだ。よろしく、ゴルド君」
さっきまで黙っていたリドットが爽やかな笑顔を俺に向け、手を差しのべてきた。俺は黙って握手に応じた。オルパーとは正反対の穏やかな男だ。犯罪集団の副団長にはとても見えない。エメラといいオルパーといい、ろくな奴がいないと思っていたが、一人ぐらいはまともなのがいて助かった。
「ちっ、相変わらず甘いなお前はよ。まあいい。だが、まだ正式にこいつを仲間にすると決めたわけじゃねえ。通例どおり面接を行い、俺が判断する。まずは最初の質問だ。お前の特技を言ってみろ。いくら人手不足といっても、何も取り柄のない奴を仲間にする気はねえからな」
特技だと……そんなもの俺にあるだろうか。勉強、運動、武術、魔術、何もかもをサボって遊び続けてきた人生だ。自分に何の才能があるのかも分からない。くそっ、いきなり返答に困る質問しやがって。何か……何かなかったか。こいつらに出来なくて、俺に出来そうなこと。
「……ナ、ナンパ……とか?」
場がしーんとなった。エメラが冷たい視線を送ってくる。しまった……いきなりコケた。このままではまた放り出される。
「なるほど。確かに王子なだけあって、なかなかのハンサム顔だ。敵方に女がいれば、使えないこともない特技だな」
おお! 意外と高評価だ。そう、俺ほどの男にナンパされて、ついてこない女はいない。きっと何かの役に立つはずだ。
「次の質問だ。俺達は盗賊団、つまりどんな綺麗事を並べようが、やってることはただの犯罪だ。基本的には窃盗がメインだが、時と場合によっては強盗や殺人を犯すこともある。ボンボンのお前にその覚悟があるか?」
その通りだ。犯罪をやっている以上、一歩間違えれば即御用となる。王族と盗賊、響きは似ているが百八十度違う。さっきも思っていたことだが、不良王子と言われた俺でも法を犯したことは無いのだ。だが、俺は既に学んでいる。クリスタの外では、法もクソもない。強い者が弱い者を虐げる、弱肉強食の世界。食わなければ食われる……ならば、食う方に回るしかない。
「覚悟は出来ている。ここでは、やった方が悪いんじゃない。やられた方が間抜けなんだ。そういうことだろ?」
「ほう、分かってるじゃねえか。じゃあ最後の質問だ。お前、何か目標はあるか?」
「目標?」
「奪った盗品は流さなきゃ金にならねえし、金だって使わなきゃただの紙切れだ。盗賊ってのはリスクがある分、得られる金もその辺の真面目に働いてる一般人とは比べ物にならねえ。その金で、何かやろうとしてる事はあるのか?」
目標か……あるにはある。言ったところで爆笑されるだけだろうがな。実際、一度は諦めかけた。だが、ここで言わなければ、ますますそれが遠ざかっていってしまう気がした。どうせこのままここを出て真面目に働いたところで、正攻法では叶うはずがないのだ。さっきはこんな奴らの仲間になんてと思ったが、よく考えればこれはまたとないチャンスだ。今度こそ逃すわけにはいかない。手段は選んでいる余裕など、もう俺にはない。
「建国……。クリスタよりも強大で、俺の俺による俺のための国を造る事だ。誰も俺に逆らうことなく、俺が指を鳴らすだけで全ての人間が俺のために動く、そんな国をな。その暁には、協力してくれた礼として、あんた達を特別待遇で俺の国の民にしてやってもいい」
またしても場が静まり返った。エメラは呆れ返った顔をしている。リドットの表情は変わらない。オルパーはしばらく俺を真顔で睨み続けた後に、フッと笑った。
「ふふふ……いいだろう、気に入ったぜ。お前を正式にカラット団の一員にしてやろう。俺らは別に王になって大勢の人間の上に立つことに興味はねえ。その特別待遇とやらで、甘い汁さえ吸えればそれでいいんだ。協力してやるよ、お前のその無謀な目標にな。そのためには、お前も精々ここで頑張る事だな」
怒鳴られるのを覚悟で啖呵を切ったが、それが功を成したようだ。しかし有言無実行では夢は夢のまま終わってしまう。今の俺はクリスタの王子ではなく、カラット団の下っ端盗賊。それを受け入れて、ここからのし上がらなければいけないのだ。やってやろうじゃないか。他人の物は全て俺の物。俺の物も俺の物。邪魔する者は全て潰す。このどうしようもないほどのエゴイズムが、クリスタの外で生き残る術なのだ。
「さて、そんじゃ俺は昼寝でもさせてもらうかな」
「僕も部屋で休ませてもらうとしよう」
オルパーとリドットは、それぞれの自室へと戻っていった。エメラはリビングに残って、さっきまで読んでいた本の続きを読み始めた。このガランとしたリビングを見て、俺は改めて疑問に思ったことを口にした。
「なあ、エメラ。カラット団はお前ら三人しかいなかったんだよな? なのに椅子は十脚もあるし、部屋の数も随分多いようだが。てっきり俺は十人ぐらいはここに住んでいると思ったんだがな」
「ああ、多い時にはそれぐらいいたんだけどね。皆死んだよ。あんたが今着てる服も、先月死んだ仲間の服だよ。強盗や殺人を犯すこともあるって、さっきオルパーが言ってたでしょ? そりゃあ殺る時もあるんなら当然殺られる時だってあるさ」
「なっ……」
「あたし達は仲間同士だけど、誰も命までは守ってやれないからね。親戚同士のあたし達でもそれは同様。今回はあんたを救ってやったけど、あたしはあんたのお守じゃないから。死にたくなかったら強くなることだね」
早くも先行きが不安になってきた。しかし、もう引き返すことは出来ない。どちらにせよ、ここを逃げたところで再び野垂れ死にするのがオチだ。何も持たない者が成功するには、もはや命をチップにするしかないのだ。
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