第3話 神などいない

 終点、アイアーン国の外れに位置するスチル町。俺は機関車から駅のホームへと、足を強く踏み込み降り立った。これが俺の新たな人生の第一歩となる。それにしてもひどい空気だ。変に蒸し暑いしそれに臭い。いかにクリスタが住みやすい所だったかを実感した。まあいい、ここはあくまで足がかりだ。ここで資金や忠実な下僕を増やし、次のステップへ進むのだ。


「とは言うものの……まずどうすればいいんだ?」


 金……そう、金が無ければ何も始まらない。かといって、庶民の下でコツコツ働くなんてやってられないし、そんなんじゃ建国なんて何年かかるか分からない。一発当てるといったら、やはりギャンブルか。クリスタのカジノで遊んだことはあるからやり方は知っているが、その時はイマイチな結果だった。俺の全財産は八十万ジュール……そうだ、二十万だけ使おう。二十万スッた時点でスパッと止めることを固く決めておけば、最悪六十万は残る。そう決めた俺は、通行人に声をかけ、カジノの場所を教えてもらった。割と近くにあって助かった。アイアーンの中ではかなり大きいカジノだそうだ。


「ここで当てられないようじゃ、建国なんて夢のまた夢だ。大丈夫、勝てる。俺は王子……庶民とは格が違うんだ……!」


 俺は意を決してカジノのドアを潜った。いざ勝負。



 *



 信じられないことが起こっている。俺は泣いても笑っても資金が六十万切った時点で止めると誓った。それどころの話ではない。俺の資金は既に四百万を超えていた。スロットではスリーセブンを二連発。ルーレットでは度重なるダブルアップ成功。ブラックジャックでも全勝。そして今やっているポーカーでは、フラッシュ、フルハウス、ストレートときて、今の手札がクイーンのフォーカード。負ける気がしない。捨てる神あれば拾う神ありということか。俺はこんな所で終わる男ではないと、神が言っているのだ。


 資金は一時的に五百二十万まで膨らんだが、そこから二十万負けて五百万になった。ここだ、ここが引き際だ。馬鹿はここで熱くなって破産するんだ。俺は五つの札束を懐にしまい、一切の未練を残さずカジノを後にした。八十万ジュールが五百万ジュール……なんて簡単なんだ。俺は夜の町を歩き、仕事帰りでクタクタになっている庶民共を見てほくそ笑んだ。ご苦労なことだ。こいつらが何ヶ月もかけて稼ぐ金額を、俺はほんの数時間で手に入れたのだ。やはり格が違う。


「……よう兄ちゃん。ちょっとツラ貸してくれねえか」


 突然二人の男が俺の前に立ち塞がった。後ろにもこいつらの仲間と思わしき男が二人。どいつもこいつも人相が悪く、一目でろくな人種じゃないことが分かる。


「なんだ。俺に何か用か」


「さっきカジノで随分稼いでたみたいじゃねえか。ちいとばかし俺らに恵んでくれねえかなぁ」


「はあ? 何でお前らなんかに俺の金をやらなきゃいけないんだ。アホか」


 俺は二人の間を通り抜けようとすると、いきなり胸ぐらを掴まれて顔面を殴られた。サングラスが吹っ飛び、俺の体は仰向けに倒れた。


「人が下手に出てるからって調子に乗ってんじゃねえぞコラァ!」


 殴られた……親父にも殴られたことないのに。鼻から生温い液体が出てきた。……血!? これは俺の血か!? 初めて見た……なんてことだ。


「おっ、何だこいつ。結構二枚目じゃねえか。ますます気に入らねえ……なあ!」


「うぐっ!」


 男のつま先が俺の横腹に食い込んだ。別の男が俺の懐を漁り、札束を奪い取った。


「おっほ! すげえ! 五百万ぐらいあるぜ!」


「ったく、最初から素直に出しゃあ半分ぐらいで勘弁してやったのによ。馬鹿な野郎だ」


「ま……待て。待ってくれ。その金は……その金だけは」


 俺の懇願もむなしく、男達はゲラゲラ笑いながら去っていく。


「お、おい、誰か……! ご、強盗だ! 誰かあいつらを捕まえろ!」


 しかし、誰一人として動こうとしない。俺と目を合わせようともしない。見て見ぬ振りだ。信じられない……何だこの町は。日が暮れているとはいえ、こんな人通りの多い道で堂々と強盗が起きるなんて、クリスタでは考えられない。こんなに治安の悪い町だったのか? それとも国全体がこうなのか? 入国数時間で資金が何倍にも膨れたと思ったら、一瞬で全てを失った。やはり神などいない。何故……何故俺ばっかりこんな目に……。



 *



 足が痛い、腰が痛い、手が痛い、腹減った、汗が気持ち悪い。俺はたまらず座り込んだ。


「おい新人! 何サボってんだ!」


「くっ……」


 あの悲劇から三ヶ月。様々な職を転々としてきたが、どれも長続きしなかった。今の俺は建築現場で働いているが、早くも体力の限界にきていた。しかも、こんな底辺の庶民にいいようにこき使われて、プライドも体もズタボロだった。


「ハア、ハア……も、もう駄目だ」


 俺は遂に倒れ、その拍子に一輪台車に積んだ土をぶちまけた。しばらくは起き上がれそうにない。


「ちっ……お前もう明日から来なくていいよ。ほら、今日の分の日当はくれてやるよ。大して役に立たなかったけどな。だからさっさとどけ。仕事の邪魔だ」


 俺の顔に、四枚の千ジュール札がヒラヒラと舞い落ちた。また職を失った。俺の今の全財産、四千二百ジュール……これで次の職を見つけるまで凌がなくてはならない。ようやく息が整うと、俺は札を握りしめてフラフラになりながら建築現場を後にした。



 *



 四千二百ジュールはカジノであっという間に溶けた。分かってはいた……分かってはいたのだ。あんな上手いことが二度も続くはずがないと。だが、もはや正攻法で金を稼ぐのは不可能になっていた。服はボロボロ、髪はボサボサ。だが服を買う金も無い、シャワーを浴びる金も無い。こんな身なりではどこも雇ってくれない。スラム街をゾンビのような歩調で歩く。それにしても寒い……寒すぎる。この季節にこんな薄着で外を出歩くなんて自殺行為だ。しかし腹は減る。レストランの裏にポリバケツを見つけた。迷わず駆け寄り、蓋を開けた。ゴキブリが一匹飛び出してきたが、気にせずにカビの生えたパンに手を伸ばす。


「おい! てめえ何やってんだ!」


 振り向くと、今の俺以上に小汚い格好をしたオヤジが立っていた。どう見てもこのレストランの店員ではない。ただのホームレスだ。


「何だよ……何か用か」


「誰に断ってゴミを漁ってやがるんだ! ここは俺の縄張りだぞ!」


 縄張り……ホームレスにもそんなものがあるのか。殴って黙らせてやりたいところだが、今の俺ではこんなオヤジにも負けそうだ。俺は何も言わずポリバケツの蓋を閉め立ち去った。一国の王子が、いまやホームレス以下か……一体俺はどこまで堕ちていくんだ。遂には歩き疲れ、俺は道端に座り込んだ。もう駄目だ。ここで眠れば、そのまま苦しまずに凍死出来るだろう。あっけない幕切れだったな。死ぬ前にせめてもう一度だけ、美味い飯を食べて、いい女を抱きたかった…………。





「……ゴルド? あんたもしかしてゴルドじゃない?」


 ……? 誰かが俺の名を呼んでいる。目を開けると、見知らぬ女が立っていた。このクソ寒い中、ヘソ出しキャミソールにホットパンツ。髪は緑髪ショートヘア。女を抱きたいとは願ったが、ボーイッシュな女は俺好みじゃない。俺を知っているということはクリスタの人間なんだろうが、俺を呼び捨てにできる女がいるはずがない。


「やっぱりゴルドじゃん! あんたこんなとこで何やってんの?」


「誰だ、お前」


「なによ、忘れたわけ? エメラよ、エメラ」


 エメラ……。エメラ!? 思い出した。八年前にクリスタ城を出て行った、四つ年上の従姉だ。髪型が当時と全然違うので、パッと見分からなかった。親父の弟夫婦の一人娘……夫婦はエメラ出産直後に病死している。その後エメラはクリスタ城で育ったが、活発で自由奔放なエメラは城の窮屈な生活に耐えられず、十六歳の時に「さがすな」と一言だけの書き置きを残して城を飛び出した。親父は弟とは仲が悪く、エメラに対しても手を焼いていたので、本腰を入れて捜索されることもなかった。


「エメラ……なんだよ、随分久しぶりじゃねえか」


「生意気な口の利き方は相変わらずね。昔あたしに散々いじめられたくせに」


 そう、はっきり言ってこいつにはあまり良い思い出がない。出て行かなくても、俺が王になったら追い出してやろうと思っていたぐらいだ。


「で……何で一国の王子のあんたが、こんな汚いスラム街でくたばりかけてるわけ?」


「……うるせえな。追い出されたんだよ」


 俺はこれまでにあったことを話した。エメラはそれをニヤニヤしながら聞いていた。性格の悪さはこいつも俺といい勝負だ。だが、こんな奴でも今の俺にとっては、何も見えない漆黒の闇の中に見えた、小さな希望の光なのだ。


「まったく、どうしようもない親子だねホント。さっさと出て行って正解だったわ。それで、これからどうするの? アテはあるわけ?」


「……あるように見えるか?」


「見えないわね。まあいいわ、親戚のよしみで助けてあげる。あたし達のアジトに案内してあげるわ。その代わり、あんたにもいろいろ協力してもらうことになると思うから、そのつもりでね」


 あたし達? アジト? 協力? 一体何のことだ。こいつ、この国で一体何をやっているんだ? まあいい……考えるのは後だ。今はとにかく、暖かい所で飯を食べてシャワーを浴びたい。ただそれだけだった。

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