第2話 俺だけのパラダイス
こうしていても始まらない。未だに自分の身に突如降りかかった悪夢を信じ切れずにいるが、これは紛れもない現実なのだ。俺は親父に勘当された。王に追放された。絶望する間もなく、腹の虫が鳴った。そういえば、まだ朝飯を食べていなかった。二階の食堂……にはもう行けないんだったな。俺は後ろを振り返り、城下町を見渡した。城下町にはナンパ目的で何度も遊びに来たことがある。どこに何の店があるかは大体把握している。俺は行きつけのカフェに足を向けた。国民達の視線が突き刺さる。くそっ、見世物じゃねえって言っただろうが。カフェ・スタールに着き、ドアを開けると鈴がチリンチリンと俺の来訪を告げた。
「いらっしゃ……あっ! お、王子!」
髭の店主が俺の顔を見て驚いた。俺は挨拶もせずにカウンター席に腰を下ろした。
「おい店主、いつものだ」
「……あ、あの……大変失礼とは存じ上げますが。お、お代の方はお持ちでしょうか……?」
「はあっ!? 俺から金取るってのか!? 今更何言ってやがる。今までそんなもん請求してきたことねえだろうが!」
俺の怒声に店主がビクッとそのふくよかな体を揺らした。他の客も一斉にこちらを振り返った。
「も、ももも申し訳ありません! し、しかし国からお触れが出ておりまして……その、大変申し上げにくいのですが……たとえ王子が店に来ても、お金が無ければ何も提供するなと……」
な、なんだと……。畜生、あのクソ親父やってくれたな。道理でどいつもこいつも妙によそよそしいわけだ。俺が勘当されたことは既に国中に知れ渡っているのか。このまま無理に脅して食い物を出させたとしても、そのまま牢屋行きになることは間違いない。
「ちっ! もういい!」
俺は乱暴にドアを開けて店を出た。周りを見渡すと、皆俺と目を合わせようともしない。やはり皆知っている。このままでは飯にありつくことすら出来ない。ふと、視線の先に以前俺がナンパした女の姿を見つけた。女は俺と目が合うと、まるで犯罪者から逃げるかのように走り出した。あのクソアマが……以前散々食わせてやった恩を忘れやがって。腹の虫がまたしても食事を催促してきた。しかし金なんて持っていない。というより生まれてこの方、金なんて持ち歩いたことはないのだ。どうする……このままじゃ何も出来んぞ。とぼとぼと城下町を歩いていくと、今度は視界に質屋が入った。デート中は全く意識していなかったので気付かなかったが、こんな所に質屋があったのか。質屋というものは何でも買い取って金と交換してくれるらしい。もはや背に腹はかえられない。俺は質屋に足を踏み入れた。
「いらっしゃいませ~……うわっ!」
カフェの店主と同じ反応をされたが、気にせずにカウンターへ向かった。背の低い店主は緊張した面持ちで俺を見上げ、ごくりとつばを飲んだ。俺は意を決し、服を全て脱ぎ、カウンターに叩きつけた。下着だけのみっともない姿になり、屈辱感と羞恥心が再び襲ってくる。しかしそんなことを気にする余裕はない。
「店主、事情は把握してるだろう。この服を金と交換しろ。出来るよな?」
「は、はい……それは出来ますが、しかし……」
「余計な心配するな。その金でここの古着を買ってやる。だから、さっさと鑑定して金をよこせ! ぐずぐずするな!」
俺の服はさすがに最高級の素材を使っているだけあって高く売れた。古着を買っても金は充分に余った。ついでに帽子とサングラスも買い、顔を隠した。これでひとまず、俺が町を歩いていても誰も気付くことはない。貧民が着るようなボロ着だが、今となっては王族の服で出歩く方がよっぽど恥ずかしい。さっきとは別のカフェで食事を済ませ、ようやく一息つくことが出来たが、心に余裕が出来ると同時に、改めて今の悪夢のような状況が現実味を帯びてきた。飲み干したアイスカフェラテの氷をストローでカラカラと転がしながら、これからの事を考えた。
落ち着いて考えろ。俺に残された選択肢は少ないんだ。一つは、親父の要求通りに悪魔王ダイモンを討伐すること。……無理だ、無理無理。死にに行くようなものだ。奴は十年ぐらい前にこの世に現れて以来、いくつもの国を滅ぼしている。過去に腕に自信のある命知らず共が何人か討伐に出向いたが、誰も生きて帰っては来なかった。人間の勝てる相手じゃない。素直に伝説の勇者なり、天から神でも降臨するのを待って、そいつに任せた方が得策。親父もはなっから俺がダイモンを倒せるなんて思ってないだろう。事実上の永久追放だ。
二つ目は、この国で平民として暮らしていくこと。一見平和に終わりそうだが、これも却下だ。この国で俺のことを知らない者はいない。今まで俺が見下してきた庶民共から後ろ指を指され、嘲笑を浴びながら、一生惨めな思いをしながら生きていくなんて絶対に出来ない。ましてや、シルバの野郎に税金を納めながらなんて冗談じゃない。そんなのは死んでいるのと同じ事だ。
ならば最後の選択肢……この国から出て行き、他国で第二の人生を歩むこと。やはりこれしかないか。他国なら俺を知っている者はいない。ゴルドという名前もそれほど珍しくないから、偽名を使うまでもない。しかし、他国で暮らしていくのには命の危険が少なからず伴う。いかにも目を付けられそうな大国であるクリスタが、今までダイモンからの襲撃を受けずにいたのには理由がある。クリスタの軍のレベルが世界的に見ても高水準だからというのもあるが、何よりもこの国の四方に位置する塔からの結界が張られているからだ。これはクリスタの優秀な宮廷魔術師が張ったもので、他国には当然そんなものは無い。つまりダイモンの軍勢にいつ襲われてもおかしくないということだ。だが、もはや選択の余地はない。とりあえず隣国のアイアーンに移住しよう。そこで再出発だ。大丈夫、金ならまだあるんだ。それに俺には誇り高き王族の血が流れているんだ。そんじょそこらの庶民とは格が違う。ゼロからでも充分やっていけるはずだ。
「よし……やってやろうじゃねえか。なんなら、俺が新たに国を造ってやる。こんなチンケな国なんかよりも遙かに強大な、俺だけのパラダイスを造るんだ。出来る、俺なら出来るはずだ」
俺はあえて声に出して言った。自分を奮い立たせながら会計を済ませ、隣国アイアーンに移住するため、駅へと足を向けた。
*
切符の買い方や、どこのホームで待てばいいのか分からず多少手間取ったが、何とかアイアーン行きの機関車に乗ることが出来た。定刻十二時ちょうどに機関車が発車すると同時に、駅で買った一番安い弁当を開けた。不味い……庶民共はよくこんな食事で満足できるものだな。しかし手持ちの金は限られている以上、贅沢は言ってられない。俺は札束で膨らんだ懐に手を当てた。八十万ジュール……これが俺の全財産だ。国一つ建国するのにいくらぐらいかかるのか、検討もつかないからな。
「あの……隣空いてますか?」
突然話しかけられ見上げると、杖をついた老人が立っていた。車内は満席になっていたようだ。
「好きにしろ」
「どうも。では失礼して」
本当は追い払いたかったが、こんなヨボヨボの老人をいじめてもみっともないだけだ。弁当をたいらげ、ボーッと窓の外を見ると、生まれ育ったクリスタ城がどんどん離れていく。多分もう戻ってくることはないのだろうな。昨夜、もう少しだけでも真面目に親父と向き合っていれば……。そう思うと、ジワッと込み上げてくるものがあった。サングラスを買っておいてよかった。
「ご旅行ですかな?」
老人が話しかけてきた。
「……旅行じゃねえよ、移住だ。こんな国、おん出てやるんだよ」
「おや、それはそれは……勿体ないことで」
「は? どういう意味だよ」
「私もいろいろな国を転々としてきましたが、結局最後にはクリスタに落ち着きましてね。クリスタほど素晴らしい国は他にありませんでした。治安もいい、景気もいい。これも国王陛下が代々有能で素晴らしい方々だったからでしょうな」
……否定できない。だが、それはあくまで客観的に見た場合だ。今の俺にとっては、もはや世界で最も住みにくい国なのだ。
「まあ、若いうちはいろいろ経験された方がいい。あなたも最後にはきっとクリスタに戻ってくるでしょうけどね」
ちっ、ほざきやがって。俺は、もう見えなくなったクリスタ城に向け、改めて胸に誓った。今に見てろ……いつかきっと見返してやる。俺を追放したことを後悔させてやるからな。
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