ちはる1‐5

 今まで、”死”という選択肢がなかった訳ではない。

 独りぼっちになった直後は、塞ぎ込み、誰とも口をきけなくなってしまって、でもなんとか裕太に救われて。少しずつ前を向こうと努力するけど、またすぐその日がやってきて、もっと良い子にしていれば置いて行かれなかったんじゃないかと、自分を責める。その繰り返しで、結局私はあの日からずっと、暗い場所に住んでいる。

 20歳という節目に、楽になれるのなら、それで。

 もう声を出すのもやめた。

 自動ドアが動く音が微かに聞こえ、ひんやりとした空気が一変、ムシムシとした暑い風を身体に受けた。外に出たのか。するとすぐに、自分の乗った椅子を、何かに固定した。足も地についた。暑い空気が遮られる。おそらく、車の中に入れられた。近くに誰かがいる気配がするが、そんなことはもうどうだっていいことだ。

人が呼吸する音だけが、なんとなく立ち込めるそこに、遠くから騒ぎ立てる声がした。それが少しずつ近づいてきて、すぐ隣に並んだようだ。

「ねぇ、どこ行くのー?」

 高すぎず、低すぎない、中性的な声で、どこか、懐かしい。私よりも少し年上で、男性にしては小柄で・・・こんな極限状態だけど、声だけで人を想像するのがなんだか楽しいと思える自分は少しおかしくなってるのかもしれない。

 肩が微かにあたり、どきりとした。私の右側に、同様に固定されたようだ。

「逃げたりしないからさー。これ外してよー。」

 扉が閉まるような大きな音がした後、足元がガタガタとしながら、動き出した。やはり車に乗っているようだ。ずっと感じていた死への恐怖は、隣にいる誰かのおかげで、少し和らいだように思う。


「この車は、サカキ様のお屋敷に向けて面接会場を出発致しました。30分ほどの走 行時間となります。ごゆっくりおくつろぎ下さいませ。」

サトミさんの声だ。メガネ型コンピューターに付属してるイヤホンから聞こえてきた。こんな状況で、くつろげって言われても・・・。

「こんな状況でどうやってくつろぐんだよー。ふふふっ」

 隣の人が、そう呟いた。そして、何が面白いのか分からないけど、笑った。恐怖で、少し、おかしくなってしまったのかもしれない。気持ちは分かる。

微かに触れ合う肩が、急に向こう側からぐいと押された。

「ねぇ、そう思うよね?」

 隣の人は急に声を潜めて、多分、私に話しかけた。声を発する事に躊躇いがあり、しばらく無言を貫く。ただ、こちらにいる人間のことを認識してくれていたことは、素直に嬉しかったし、安心した。

「ねぇねぇ、お話ししようよ~。ねぇ?」

「・・・あ、あの」

 しつこいので、少しだけ反応してあげようと思った。カラカラの喉から絞り出すように声をだすと、触れ合う肩の感覚が急になくなる。

「・・・やっぱり、女の人か」

「・・・はい?」

 それ以降、隣の人は一切声を発しなくなった。今は静かにしてて欲しいと思っていたので、助かった。でも、私の声を聞いたすぐ後に黙るのは、なんだか後味が悪い。

 車の音、車の匂い、微かに揺れる車内、他に感じれるものは何もない。気味の悪いこの空間から、とにかく早く出たい。あの家に帰りたいと思ったのは、何年ぶりのことだろうか。


 動きが止まった。私の周りにいる誰かが、椅子の固定を外し、車から降ろした。地に足が付くが、ひんやりとした空気が顔に触れる。外ではないようだ。

 椅子と身体を縛っていたベルトが緩んだ。両手は、背中側で固定されている。

「ゆっくり立ち上がって下さい。」

 耳元でサトミさんの声が聞こえる。言われた通りに立ち上がった。足が自然にガクガクとする。何年も立っていなかったみたいな、そんな感覚がした。

 突然、右腕を少し強引に引っ張られた。

「歩いて下さい。」

 何も見えない状態で歩くということがこんなにも恐ろしいことだと、初めて知った。少し後ろから、声がする。隣の人も、まだ一緒にいる、ということが分かって、ほっとした。

「足元、お気を付け下さい。」

 多分だが、エレベーターに乗った。上がっているのか、下がっているのか、それすらも分からないなんて、普段いかに視覚にばかりに頼っているということがよく分かる。

 エレベーターを降り、引っ張られるがままに歩くと、ピピっという電子音と、自動ドアが開くような音が聞こえた。

「土足厳禁ですので、靴をお脱ぎ頂けますか。」

 誰かに足元を触れられて、ぞくっとした。パンプスを履いていたので、すぐに脱げた。ストッキングごしの足が触れたのは、温かみのある、カーペットが敷いてある床のようだ。背後からは、騒ぐ声が聞こえる。

「僕、紐靴だから目隠しされてちゃ靴ぬげないよー。もうこの頭の、外して良いでしょ?ねぇお願い!」

「靴紐、お手伝い致します。お脱ぎ下さい。」

「ちぇー。けちー。」

 ずいぶんと素直で、肝の据わった人なんだなと、関心してしまう。顔を見るのが、楽しみだ。このまま殺されなかったら、の話だけど。


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