ちはる1‐2

 大学とは逆方面の電車に乗るのは、どれくらいぶりだろうか。

 そもそも、講義以外の外出はほとんどないのに、思い付きで電車に乗った自分は、なんてアクティブなんだろうって、可笑しくなった。


 大学の入学式の時に着た、似合いもしないグレーのパンツスーツを引っ張り出し、普段は興味の欠片もないメイクをしてみたりして。少し華やいだ自分の顔を鏡で確認したが、なんの感情も浮かばなかった。

 眩しい朝陽を浴びながら、裕太の家の前を通ったとき、無意識に早足になった自分がいた。はぐらかして曖昧になってしまったけど、映画に誘ってくれていたのは事実だし、今もなお、行く気満々で準備しているかもしれない。そんなことを考えながらも、あっという間に電車の中だ。

 バッグの中の携帯電話が振動しているのを感じる。当然のように、裕太だ、と思った。そして当然のように、着信は裕太だった。2度鳴ったが、電車内なので出なかった。ただ、あまりにも自分が薄情な人間のような気がしてならなかったので、 メッセージだけ送った。

 今から行こうとしている場所は告げない。裕太は、裕太のお母さんにそっくりで、変に心配性だ。気になることは何度だって聞いてくる。面倒だなとは思っても、それが当たり前で、心地良いのだけれども。


 本当に、ただの思い付きだった。

 条件である”満20歳”に、たまたま今日から満たすこと。そして、自分のいる動かぬ世界とは別の、”外の世界が見たい”から。


 6年前の今日から今までずっと、止まってしまった自分の時計を、見て見ぬフリをしていた。そして、誰にも動かされぬよう、暗くて冷たい場所に、ずっと隠してきた。

 それをどうして今、掘り起こそうとしているのか、自分でも分からない。あの1枚の紙切れに、魔法がかかっていたってことにしても、良いと思うし、裕太のくれる愛情に心動かされたといえば、とても綺麗だと思う。別になんでも良かった。ただ、きっかけが欲しかったんだと思う。


 電車を乗り継いで、1時間ほど。高層ビルも、商業施設も多く立ち並ぶそこは、夏休み時期の影響か、どちらかというと若者が多い。住んでる街とは少しだけ見える景色が違った。

 方向音痴の私は、一度だけ人に道を尋ねた。このあたりに雰囲気に馴染んでいる、やけに高度なお洒落を楽しんでいる若者。声を掛けるとあからさまに警戒したような顔をされたが、紙切れに描かれた簡素な案内図を見せると、ああ、と言い、指をさした。

「あの、黒いビル。」

「そうですか、ご親切に、どうも。」


 ビルの25階。エレベーターを降りると、そこは大勢の人で賑わっていた。正直びっくりした。来ておいてなんだけど、胡散臭い紙切れのアルバイト広告1枚で、こんなにも人が集まるだなんて。それこそ本当に、何かの呪いの類がかかっているんじゃないかな。私も含めてみんな。

 大学の講義でも、これほど人が大勢密集することがないので、息苦しさを感じた。なんだか、みんな同じ顔をしているかのように見えてしまう。

 受付を済ますと、番号の書かれたプレートを渡され、胸につけるように指示された。1~100番までが、会議室A。101~200番までが、会議室B。

 私は会議室Bだ。

 中に入ると、長机の端と端に席があり、通路を挟んで、また長机があり・・・まるで大学の入試試験のよう。集合時間まで、まだ少し時間があるので、人はまばらだ。男女で分けられている訳ではないらしい。年齢順とも違うようだ。

 普段しないような人間観察にも飽きたので、机に突っ伏した。

 目を閉じても、自分がアルバイトする姿など到底想像できないし、そもそも、それほどのやる気も、何もなかった。これから自分がどうなるとか、何が起きるかとか、考えるのはやっぱり怖い。ここまで来たことに、意味がある気がするし、それだけを称えてあげようと思った。

 私はまだ”子ども”だ。

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