たいよう1‐2
僕宛の郵便物なんて滅多に届かないから、ほんの少しだけウキウキとした気持ちで、封を勢いよくちぎって開けた。ただのアルバイト募集の広告で、すぐにガッカリした。残念。
”21日間の短期アルバイト”、”依頼主のお手伝いをする簡単なお仕事です”、”住み込みで働いて頂ける方”、”日給50,000円(食事付)” ”合同面接会:8月1日11:00~”
「ご、ごまん・・・?なんだこりゃ、あやしい~」
”応募資格:満20歳以上”
無意識にカレンダーを見た。今日、何日だったっけ。
最後の最後に、フォントの違う文字で書かれたそれは、なんだか僕にとってリアルで、頭を撃ち抜かれたみたいな、でも一瞬で過ぎ去る感じ。
”外の世界を見てみたい方、面接会場でお待ちしています。”
胡散臭い紙切れは小さくたたんで、今着ているだぼだぼなパーカーのポケットに入れた。なんでもポケットに入れちゃう、僕のクセ。紙切れと引き換えに、ポケットから出てきた、いつぞやの飴をなめる。嫌いな薄荷で、すぐにティッシュに出して捨てた。
5日間そのままにしていた参考書の山をみて、思い出し笑いをした。もう一度作ろうかな、なんて思って、でもすぐ面倒臭くなって、やめた。僕はあっこさんにビニールひもとハサミを借りて、参考書を全て縛った。ふぅ、と身体的な達成感を得たけど、全然気持ち良くなれない。庭で燃やした方が正しかった。でも、あっこさんに迷惑がかかるからそれはダメ。
自分で言うのもなんだけど、僕は頭が良い。小、中、高、と成績はいつも一番だった。勉強することは好きなことでも嫌いなことでもなくて、ただの”日常”だった。もちろん医者になりたかったわけでもなく、なりたくなくなったわけでもない。ただうちが医者の家系であったというだけ。
14歳年上の兄との思い出なんて、数えるほどしかなかった。だからといって仲が悪い、とも思っていない。僕が物心ついた頃に兄はもう大人で、口数は少ないけど、何かと僕のことを気にしていてくれていたように感じた。僕の誕生日だけは毎年必ず祝ってくれた。だから僕はむしろ兄が好きで、家族の中で唯一尊敬していた。その感情は、今も相違がない、けど。だけど。
人の気持ちって、簡単にすれ違う。そう知った。
高校2年生のとき、僕のこころは、静かに、でも一瞬にして、崩れたんだ。バラバラバラ、と。
参考書を纏めて、結局それもその場に置きっぱなしのまま、また何日か経っていた。何もしないのはいつものことだけど、いつも以上になにもしようとしない僕に、あっこさんは優しく言う。
「何もしない、を、してるだけよね」
僕にはまだやり残したことがある。
「あっこさん、どうしても、どうしても、聞いてほしいお願いがあるんだけど」
母の部屋の、鍵を開けてほしい。当然、あっこさんは戸惑った。父と母の部屋はそれぞれ、日中は絶対に鍵をかけておくこと、と言われいるからだ。絶対に、二人が帰る前に部屋を出るからと約束した。
あっこさんを困らせた僕は地獄行き。
夕方を選んだ。確証はないが、この時間帯が、一番安全だと思った。1度で見つかるか分からないけど、探す価値はあるから。
鍵穴に、鍵をさす前に、あっこさんは僕の目をまっすぐに見て言った。
「知らなくて良いことも、あるんじゃないですか?」
人に目を見られるのが怖い。それがあっこさんであっても。全身がぞわっとして、鼻がツンとした。あっこさんは、全部知ってるかもしれない。たぶん、知ってる。でもあっこさんには絶対に聞かないって決めてるからね。僕は目を逸らしてしまった。ごめんね、あっこさん。
「これはたぶん、知らなくちゃならないことだよ」
そう言うと、ガチャリ、と、ゆっくりとあっこさんは鍵を開けた。
「いってらっしゃいませ」
「ありがとう」
最後にこの部屋に入ったのは、もう10年以上前かもしれない。大嫌いな場所なのに、そこにある全てのものに、懐かしさを感じてしまう。大きな窓に差し込む陽は、まだ明るく、強い。
校長室を思わせる、大きなデスクには、パソコンと、山積みになった書類で、スペースはない。本棚には医療関係の本やファイル、こちらに僕の目指すものはないと思った。
デスクの引き出しは、鍵がかかっていると思ったが、どれも開いていた。もともと大雑把な性格であろう母は、部屋に鍵をかけることだけで安心しているのかな。
何も躊躇なく、一番下の段から、引き出しの中をあさった。似たようなファイルや、ノートがあるだけ。こんなもの、1年に1度も開いてないんじゃないか、とも思うが、自分の机の引き出しにそっくりだと気付いて、少し悔しい。
中段も同じような中身。最後に上段の引き出しに手をかけると、僕が探していたものが、こんなにもあっさりと顔を出し、手が震えた。金縛りと錯覚するほど、身体が硬直した。
母子手帳だ。
あがった呼吸を整え、ページをめくるとそこにはすぐに、答えがあった。特に驚かなかった。
数mmだった自分が少しずつ成長していく記録をみて、人間の神秘を感じ、涙が。なんて、あるわけないでしょ。
そこには”僕らの”絆が詰まってた。でもそれは、なかったことにされた、事実。僕は今、怒っているだろうか、悲しんでいるだろうか、たぶん、無だ。
ドアをノックする音と、ドアの外からあっこさんの、限りなく小さな、声にならぬ声が聞こえた。帰ってきたようだ。
「あっこさん、もうそこから離れていいよ」
内側から鍵をかけていた。ガチャガチャと、鍵を回す音が部屋に響いた。こうゆうときに限って、早く帰ってくるんだもんなぁ。
でも僕は、焦りもない、なにもない。
母は扉を開けると、小さくヒッと声を上げた。いるはずもない、僕がそこに立っていたからね。
「アンタ、そこで何してるの?どうして・・・」
母はすぐに僕が持っているものに気が付いたと思う。でも、さほど、動揺した様子は見せなかった。
沈黙が可笑しくって、僕はにやけた。僕は変だ。知ってるよ。
「あぁ、それが見たかったのね。別にいいわよ、そんなもん。もうアンタもいい大人だからね。」
母はジャケットを脱ぎ、ハンガーにかけた。デスクの前で立ち尽くす僕を手で押し、どいて、と言った。
「仕事があるから、出てって。それ、持って行って良いから。」
僕と決して目を合わせようとしない。もちろん、僕だって見たくない。
「ねぇ、一つだけ聞いていいかな」
「なに」
「どうして、僕ら、こうなったの」
「どうしてって?うちの家系に必要なのは、アンタだけだったから。」
迷いなく、母はそう答えた。予想してた、通りに答えてくれて、僕ってやっぱり頭良いんだな、なんて思った。
僕の感情は、無だったはずなのに、いつもそうだ、無になった後は、自分でコントロールが出来なくなっちゃうんだ。
「謝れ」
「え?」
「兄ちゃんを傷つけたことと、僕らの人生を勝手に振り分けたこと、謝れ!!」
「親が子の人生決めて何が悪いの?ねぇ、何が悪いの!」
「お前みたいなゴミに、親の資格なんかあんのかよ!!」
次の瞬間、頬が音を立てて揺れた。ジンと熱くなる。でも痛いわけじゃない。
母と目が合った。何年ぶりだろう。母はすっかり年をとってしまった、でも、綺麗な母だ。
「汚い手で、触んな」
熱くなった左頬に、何かが流れ落ちた。なんだ、ただの、水か。
静かに部屋を出た。
あっこさんは扉のそばで、泣いていた。あっこさんの泣いてる姿、初めて見た。
「ずっと秘密にしててくれて、ありがとう。」
あっこさんを泣かせた僕は、やっぱり地獄行きだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます