ゆうた1‐2

 夏休み初日だから、というわけではないけど、目が覚めたらもう9時半を過ぎていた。

 今日は、ちはるの、20回目の誕生日だ。

 結局デートの約束を取り付けられなかった俺は、完全に負け組。もう今日はずっとこのまま寝てやろうかな。

 でも待てよ。ちはるは究極のツンデレだと俺は思ってる。万万万が一、俺からもう一度デートの誘いの連絡が来るのを、ちはるが待っていたとしたら・・・。

なんて、思ったらもう気が気じゃない。

 ベッドから転げ落ちるように飛び起き、メガネを探した。そして特に意味もなく床に正座し、携帯電話を手にして深呼吸してからちはるに電話をかけた。

 1コール、2コール、3コール、、、

「・・・留守番電話サービスに接続致します・・・」

「だぁーーーーもう!」

 すぐさまかけ直す。しかし同じアナウンスが、空しく流れてきた。

「はぁ」

 俺からの誘いなんて、1mmも待ってないことぐらい、本当は分かってたよ。

 ちはるはもう子どもじゃないんだし、心配なんて不要。だけどさ、なんかすぐに良からぬことを考えちゃうんだよね。


 だって今日は、速水のおじさんとおばさんが、ちはるのケーキを買いに行くって言って家を出たまま、帰って来なかった日だから。

 まだ中学生だったけど、はっきり覚えてる。夜になって、震えながらうちに来たちはる。虚ろな目をしてた。俺はその日から、ちはるのことを絶対に守って決めたんだ。

 それと、ちはるを独りにした、速水のおじさんとおばさんのこと、絶対に許さないってことも。


 1階のリビングに下りると、冷房を効かせていた自室とは違って、むしむしと夏の匂いがした。細く開いた窓から、たまに入る風でカーテンが涼しげに揺れるけど、ただの熱い空気が、流れ込むだけだった。

 父さんと母さんは、休日は必ず、愛犬のサスケを連れて、朝から散歩に出かける。俺はいつも置いてけぼりだ。(一緒に行く気は、毛頭ないんだけどね)

 がらんとしたキッチン。携帯電話を適当にシンクの横に置き、麦茶を飲もうと冷蔵庫に手をかけた直後、すごい音を立てて携帯電話のバイブ音が鳴った。ビクッと身体が震えたが、誰も見てなくて、良かった。

 父さんが、散歩中のどうでもいい母さんとのツーショット写真を送り付けてきたのだろうと思った。いつもそうだから。どうせならサスケの写真を送ってこいよな、まったく。

 麦茶を飲み干したあと、携帯電話の画面をみると、メッセージはちはるだった。


 ”電車に乗ってるから、電話できない。ごめん。映画はまた今度”


 余計な言葉を一切使わない、ちはるのいつものメッセージだった。あ、ちゃんと映画のこと、覚えててくれてたんだ。えへ。いや、そんなことで満足するなよ、俺。

 大学の講義以外で、ほとんど外出することのないちはるが、電車・・・?

 不審に思った。少し怖かった。

 ”どこ行くの?”って文章だけ打ち込んで、俺は静かに画面を消した。ちはるはしつこくされるのを嫌がるし、俺のこうゆうところが、万年弟キャラなんだよな。心配するの、やめ。

 本当は気になって仕方がなかったけど、そのままリビングのソファーに横になった。母さんが帰ってきたら、まだ寝てんのか、外で遊んでこい、って怒るんだろうな。

 大学の遊び友達の顔が数人浮かんだ。仲のいい女の子の顔も浮かぶ。ついでに、昨日俺がちはるに吐いた馬鹿な暴言も思い出した。俺は本当は、大してモテない。

「・・・やーめた」

 こんな時に限って、父さんは写真を送ってこない。本当にいつも間が悪い。誰かに似てる。あぁ、俺か。


 結局俺は、特に何もすることなく、家でだらだらと過ごしてしまった。サスケをなでなでしてあげたり、父さんが録画してた好きな女優さんの出てるドラマを一緒に見てあげたり。なんて俺は良い息子なんだろうな。

 夕方になって、母さんの買い物に付き合い、スーパーに行った。はやく車の免許とってよね、なんて母さんにぼやかれた。たしかに、ずっと助手席に座るのは男としてみっともないよな。

 スーパーから帰ってくると、外から、ちはるの部屋の電気がついてることに気が付いた。

「あ!!!」

「今度はなによぉ」

「ちょっと、ちはるの家行ってくるわ!」

「あら、ちぃちゃんご飯まだだったらうちに呼んであげてね~」

 買い物袋を全部押し付けて、俺はかけ出した。全然良い息子なんかではなかった。ちはるのことで頭がいっぱいな、バカ息子だ。


 ちはるの家の鍵はもしもの時の為にもらってあるけど、普段はなんだか恥ずかしいから使わない。インターホンを押した直後、ちはるの部屋の電気がパッと消えた。無性にドキドキして、ちはるが出てきたらまずなんて言おうか、考えた。どこに行ってたか、初めに聞いたらウザいよな。うん、最初は、うちで飯食おうよって言うぞ。

 扉が開いた。

「あっちはる、これからうちで・・・」

 言葉を止めた。ちはるが、まるでこれから海外旅行にでも行くんじゃないかっていうほどの荷物を持ってたから。

「裕太・・・」

 ちはるが、動揺した顔を、俺は見逃さなった。普段ちはるが絶対しない顔。なにか、おかしい。

 俺の横を通り過ぎ、ちはるは門を出た。何も言わない。

「おい、ちはる・・・えっ、どこ行くんだよ」

「・・・」

 大きなスーツケースをガラガラと引く音だけが、その場に残る。うちの前を過ぎ、角を曲がったところでちはるは足を止め、振り返った。

「夏休みだから、しばらく、旅行に行くよ。」

「旅行?どこ?今まで旅行なんて、一度も行ったことないのに・・・」

「どこでも、良いでしょ」

「こっちは心配してんだよ、行先ぐらい言って行けよ。どうしたんだよ、急に・・・」

 ちはるは俺の目を見ずに、歩き出した。思わず、ちはるの細い腕を、ぐい、と掴んだ。

「ちはる!」

 少し茶色がかったちはるの瞳は、きらりと輝いていた。ただ、その瞳は何も語らない。喜びも、悲しみも、分からない。

 ちはるは、俺の手を、そっとほどいた。

「”外の世界を”見てくる。」

 うっすらと、ぎこちない、笑みを浮かべ、そう言った。

 俺はまるで呪いをかけられたみたいに、ちはるに背を向け、歩き出した。だんだん小さくなるガラガラという音だけが、ちはるの姿を映し出している。


 俺は足を止め、少し待ってから、ゆっくりと、振り返った。振り返るなと、誰かにささやかれたような気がしたけど、俺は振り返った。


 小さくなったちはるが、大きな黒のバンに乗り込む姿を、この目で確かに見た。


 大きな黒のバンも、次第に小さくなり、角を曲がり、見えなくなった。


 身体が冷たくなった。

 ちはるを守るんじゃなかったの?後悔してからじゃ、なにもかも、遅い。もう全部、遅い、かもしれない。

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