2:ぼくら、たのしいなつやすみ
ちはる2-1
6時半。いつもと違う天井、いつもと違うベッドカバーに驚き、飛び起きる。ああそうだ、新しい生活が、始まったんだった。顔を洗い、身支度を済ませ、リビングに下りる。ヨウはいない。物音が何もしない、まるでうちみたいだ。朝ご飯を先に食べてしまおうか、ヨウが起きてくるのを待つか、悩んで、後者を選んだ。先に食べたら怒るんじゃないかなって、思ったから。
普段休みの日はいつも、図書館に行って勉強をしたり、読書をしたりする。だから家で過ごすことはほとんどなくて、こういう何もやることがない時に、何をしたら良いか分からない。本の一冊も持ってこなかった私は、馬鹿だ。
がらんとした広いリビングに居ると、ぼんやりと、あの日のことを思い出してしまう。家に、誰も帰って来なくなった、あの日のことを。両親が明日にでも帰ってくると信じている、なんて、本当は嘘だ。"自分は捨てられたんだ"って、すぐに分かったから。でも、どうして。あの日、あの瞬間まで、たくさん受けていた愛は本物だったはずだ。どんな理由でも良い、私の目を見て教えて欲しい。全部、ちゃんと、受け止めるから。例えば、そう、例えば、私が・・・
「あ・・・。」
時計の針が7時半を回っていることに気付く。あっという間に、時間が過ぎてしまっていた。でも、先ほどと何も変わらず、物音が何もしない。ヨウは一体何をしているんだろうか。
部屋の前まで行き、ノックを3回した。反応はない。扉に鍵は付いていないので、そっと、細く、扉を開ける。
「ヨウ?」
覗いた先には、ベッドから足を投げ出し、マンガみたいにお腹を出して、気持ち良さそうにスヤスヤと眠るヨウがそこにいた。こいつ・・・
「ちょっと!もう8時になっちゃうよ?!起きてよ、早く!」
「ん・・・ん~~・・・」
腕を引っ張ろうとして、あっと思い出した。皮膚に触るなと言われていたんだった。
「なに~もっと寝させて~。僕夜行性なんだよ~。」
「いい加減にして!8時までにご飯って言われてたでしょ?!」
普段の生活でこんなにイライラしたり声を張ったりすることがないから、なんだか逆に少し、清々しい。
自分の食事を注文した後、ヨウの皮膚に触れないように、左手首の時計を勝手に操作し、ヨウの分の食事も注文した。やっと身体を起こし、目をこする。寝癖だらけの頭は、ライオンみたいだ。
「ハルちゃん~部屋までご飯持ってきてよ~。僕、朝はいつも部屋に持ってきてもらってるんだもん!」
「はぁ?一体どんな生活してたのよ・・・とにかく早く準備して」
ヨウは、はーい、と気怠そうな声を出した。
「いただきまーす!」
「いただきます。」
何故だか分からないけど、”いただきます”って言うだけで、顔が熱くなる。ただ、朝から、目の前に人がいて、朝から一緒にご飯を食べるっていうのは、悪くない。パクパクと勢いよく食べるヨウだけど、何処となく品が良い。一瞬目が合って、すぐに逸らした。
「なに?」
「あ、いや、なんでも。」
「ふふっ、ふふふ。」
ヨウの薄ら笑いはいつも奇妙だ。何を考えているかさっぱり分からないし、何か聞きたいことがあるかと言われるとそうでもない。
「ハルちゃんはさ、僕と似たような人生を送ってきたのかなって、思ってたんだけど、もしかしたら全然違うのかも。」
ポツリと呟いたヨウの言葉を、理解するのに数秒かかった。どうして突然こんなことを言い出したんだろうか。
「多分だけど、全然違うよ。」
「そっか〜。だよね〜。」
7時58分に食器を片付けた。ギリギリだ。これも、時間を超えた場合は、”爆発”なのだろうか。
身支度をしに、部屋に戻った。昨日のアナウンス通り、このハウスの中には鏡が一切ない。もちろん個人の部屋にもない。鏡なんて、あってもなくても同じだと思っていたけど、実はそんなことなくて、想像以上に不便だ。自分でも無意識のうちに鏡を見ていたのかもしれない。そういえば、昨日の夕方も、家で見た。
リビングに戻ると、ヨウがソファーの上であぐらをかき、窓を眺めていた。地下なので、もちろん窓はフェイクで、窓枠の中に、奇妙な晴天の絵が描かれていた。
「ヨウ、どうしたの?」
「ああ、ハルちゃん。窓にさ、ガラス、張ってあるかなって思ったら、なかった。自分を映せるものが、全くないんだよね。」
ヨウも同じ事を考えていた。少し距離を置いて、ヨウの隣に座った。
「鏡、絶対に見ちゃだめって、言ってたよね。どうしてだろう?」
「うーん。」
頭を掻き、少し間が開く。私も考えた。自分の姿を、見てはいけない理由って、なんだろうか。
「ハルちゃん、こっち向いて。僕の顔、見て?」
ヨウはソファーの上で正座をし、私を真っ直ぐに見つめた。また、この、茶色の瞳に、吸い込まれそうになる。自然と、心臓がドキドキしてしまう。何故だろう。ヨウの顔を初めて、まじまじと見た。金髪は傷んでボサボサ。二重のたれ目は少し女性的だけど、鼻筋が通った、端正な顔立ち。じっと顔を観察していると、ヨウはにこりと、笑った。歯並びもよくて、笑顔が似合う。見つめ合うのがいよいよ耐えられなくなって、私は目を逸らす。
「・・・なによ。」
「僕らの顔に、何か、ヒントがあるのかなぁ~。なんてね。」
ふたりでもう一度目を合わせる。ヨウの言うことは適当なようで、どこか説得力があるような、ないような。
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