ちはる1‐9

 何事もなく、無事に、この”ハウス”に戻ってきた。ハリボテのような奇妙な豪邸の扉を開け、エレベーターで牢獄のような地下室へ。でもそこは、意外と、暖かい光が、私を迎えてくれた。

「あ!おかえり~ハルちゃん!」

 リビングには、上下グリーンに黒の水玉模様のスウェットを着た、スイカみたいな、ヨウがソファーでくつろいでいた。キャラメルポップコーンが入ったバスケットを抱いている。

「ああ、うん。」

 おかえり、なんて、言われたの、いつぶりだろう。びっくりして、なんて返したら良いか、分からなかった。"ただいま"、だよね。

そういえば、いつの間にか、一緒にいたはずのサトミさんがいない。ヨウと2人だけの空間が、どこか気まずい。

「・・・あれ、サトミさん、何処行ったんだろう。荷物、どうしたら良いかな。」

「サトミさんって?」

「ほら、あの、ずっと案内してくれてた、女の人。」

「ああ、茶髪の?あれ、名前、サトミさん、だったっけ・・・まぁ良いや、荷物は部屋に持ってけば良いみたいだよ。案内するよ!」

自然に私のスーツケースを持ち上げ、階段をすたすたと上って行く。そんなに気を使わなくても良いのに、と思ったけど、口には出来なかった。

 廊下に部屋が4つ並んでいた。一番端がヨウの部屋で、その隣が私の部屋らしい。

「僕の部屋もさっき確認したんだけどさ、ハルちゃんの部屋も一応、みてあげるよ。」

「え、なにを?」

 部屋の扉を開け、ヨウはこちらを振り向いて、口をパクパクとさせた。"カ・メ・ラ" 。ニヤッと笑う。ああ、そうだ、忘れてたけどこの家は異常なんだった。

 白を基調とした、シンプルで綺麗な部屋だ。殺風景、と言っても良いかもしれない。小さなベッドと、勉強机と椅子、そして奥の方にユニットバスが備え付けられている。ヨウはテキパキと、ベッドの角や机の引き出し、ユニットバスなど、隅々をチェックしてくれた。

「やっぱり無いみたいだなー。まぁ、僕がチェックして見つかるようなもの仕込んでないか。これでもし見られてるなら、相当な変質者だから、諦めるしかないね、ふふっふふふっ。」

 ヨウはいつも薄ら笑いを浮かべていて、なんだか少し変な男だ。でも、不思議と、悪い奴には思えない。

 荷物を置いて、2人でリビングに下りた。急に2人だけになっても、やることもないし、やたらに会話もできないし、こんな感じが、3週間続くと思うと、気が重い。しばらく無言の、音のない時間が続いたが、やがてヨウが、あっと声を出した。

「ハルちゃん、6時半になったよ!ご飯ご飯!!」

「あっ本当だ。これ、どうやって操作するんだろ・・・?何も説明受けてないけど、出来るかな。」

 この爆弾リング(と呼ぶことにした)の液晶画面を操作して、食事を要求すると言っていたが、どうやるんだろうか。あまり機械に慣れていなくて、戸惑った。

「でーきた!」

「え、どうやればいい?」

 金髪の頭が、私の顔に近づく。ゴールデンレトリバーみたいな、ふわふわした毛が、触れそうで触れない。ショートカットの私の髪よりも、少し長いかもしれないな。

「この画面の、このアプリのさ・・・」

 言われた通りに進める。食事は2種類から選べるようだ。最後に注文ボタンをタッチすると、完了の画面が。ヨウはすぐに私から離れる。意味深に私をチラリと見て、またおとなしくなった。


 10分ほど経ち、ガラガラと食事をカートに乗せ、見たことない女性がやってきた。面接会場にいた、女性のうちの一人かもしれない。料理担当なのだろうか、何も言わずにダイニングテーブルに配膳し、カートを置いて、去って行った。

とにかくお腹が空いていたということもあり、私はすぐに食事に手を付けた。

「こーらー!"いただきます"、は?」

 向かい側に座ったヨウが、声を上げた。ビクッとして、私は手を止める。最近は人とご飯を食べる機会もなくなって、それを言うことが、すっかりなくなっていた。でもこれは完全に、言い訳だけど。

「これ、うちで働いてくれてる人の口癖なんだ〜。」

 ニコリと笑ったヨウは、いただきます、と丁寧に言った。私もそれに続いた。

「今日からここでは絶対にいただきますを言う、これ、僕たちだけのルールにしよ?あと、おはよう、おやすみ、いってきます、いってらっしゃい、ただいま、おかえり、も。どう?」

 ヨウは、きっと、素晴らしい環境で育った、良いところのお坊ちゃんなんだろうなぁ。こんなことが言えるなんて、自分がとても恥ずかしくなった。

「それともう1つ!僕の皮膚に絶対に触れないこと!約束して!」

「え?なんで、どういうこと?」

 さっきとは毛色の違う約束事を提示してきたヨウは、肉料理を食べながら、とても真剣な顔をしている。

「僕、女性アレルギーなの。女性が大の苦手。触られると、蕁麻疹がでちゃうんだよね~。」

「その割には、さっきもだいぶ距離が近かったけど。私と一緒で、大丈夫?」

「触らなければ良いの!もう、仕方ないよ、一緒に暮らさなきゃならないんだしさ。本当は男の方が安心だけどね。」

「ああ、そうゆうこと?男の人が良いって話ね。」

「ちーがーいーまーすー!!女性は嫌いだけど男が好きって話ではないから!」

「じゃあなんなのよ~。」

 さっきの気まずさが嘘のように、食事を摂りながら、自然に会話している。私自身あんまり喋る方ではないけど、ヨウの言うことは不思議が多くて、つい言葉が自然に流れ出る。

 食事を済ませ、食器をカートに乗せると、またサトミさんが現れ、無言でカートを押してキッチンの奥の細い通路に戻っていった。

「あっちに何があるんだろ?あとで行ってみよっか?」

「やめてよ、変な事しないでよ。」 

 帰ってきてから気になっていた。ヨウが、左手首に、爆弾リングとは別に、黄色のごつごつとした、ポップなデザインの腕時計を付けている。行く前はなかったのに。ソファーに寝転がったヨウに、聞いた。

「ねぇ、それ、どうしたの?腕に2つも付けたら、邪魔じゃない?」

「ああ、これね。さっき家でもらったの。嬉しかったからさ。」

「へぇ。誰にもらったの?」

 何気ない会話だと思っていた。その瞬間、2人同時に、ピピッ、ピピッという大きな音が、リングから響く。液晶画面が黄色く点滅し、”Warninng!”と表示された。突然の音に、心臓がぎゅうっと痛くなった。

「あら、ダメだってさー。」

「びっくりした・・・本当に私たちの会話、聞かれてるんだ、でも今ので・・・?」

「ハルちゃんが戻ってくる前にね、これ、本当に外せないのかなって思って、色々いじってみたんだけど、同じように警告されちゃった。ふふっ。やっぱり、ちゃんと見てるんだね。ふふふ。」

 危なっかしい奴だ。でも、人のこと言えない。今の会話の何がいけなったのか、分析できない以上、これからもきっと何度も警告されてしまう。ふぅとため息を付き、喋るのを止めた。何もずっと一緒にいる必要はない。今日はもう部屋に戻ろうと、立ち上がった。


「そういえばハルちゃんさ」

 何かが起きてしまう前に、早くヨウから離れたい。無言でヨウを見る。

「その黄色のワンピース、すごく可愛い!似合ってるよ。僕、黄色好きなんだ。ほら、この時計と、同じ色だね!」

 そんな、邪気の無い笑顔を向けられ、戸惑った。でも正直に言うと、すごく嬉しくて。だって、あのとき、一番言ってもらいたかった言葉だから。

「なんだ、笑えるじゃん。」

 そう言われ、慌てて顔を触る。ふわふわと笑うヨウをその場に置いて、慌てて階段を上った。個室のノブに触れたとき、リビングから、”おやすみー”という声が聞こえた。心臓が高鳴る。ちゃんと言えるだろうか。


「ありがとう。ヨウ、おやすみ。」

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