たいよう1‐8
僕たちがさっき、靴を脱いで入ってきた場所は、ここではない。案内された玄関には、丁寧に僕の靴とハルちゃんの靴が揃えられていた。
「今後、自由時間に外出する際はこちらからお願い致します。面接の際にお渡ししたカード、お持ちでしょうか?」
大抵のものは無意識のうちにパーカーのポケットに入れてしまう。試しにゴソゴソと探ってみると、角ばったものが手に当たる。ああ、赤と白の、あのカードか。
見た目は普通の家の扉だけど、内側からもロックが掛かっているようだ。茶髪の女性が、カードキーを扉に差し込むと、ガチャリとロックが解除され、扉が開いた。
玄関を出れば当然のように強い夏の日差しが降り注ぐと思っていたけど、そこは、薄暗く、冷え切った、コンクリート打ち放しの狭い空間だ。酷い圧迫感に押し潰されそう。ハルちゃんが、ここどこ?と小さく呟いた。
「この先にあるエレベーターで地上に向かいます。」
全く音の響かないこの奇妙な細い道を進むと、確かにそこにはエレベーターがあった。茶髪の女性に促され、乗り込むと、扉の開閉ボタンしか、ない。
数十秒で、扉が開いた。エレベーターを降りた先の空間は、3人立つのがやっと、というくらい狭い場所で、目の前にはさっきと全く同じの、カードキーを差し込むタイプの扉が、そびえていた。
「うわぁ、眩しい。」
なんだか、とても懐かしい、陽の光を浴びた。夏の暑い空気がこんなにも愛しいなんて、初めてかもしれない。
目の前に広がるのは、広大な庭園…?高いフェンスに囲われていて、ここが都心部なのか、郊外なのか、山の中なのか、一切分からない。
「ねぇ、みて。」
ハルちゃんが小声で、僕に、背後を見るように促した。僕たちが出てきた扉の方を、振り返る。僕の家よりもはるかに大きな豪邸が、そこにあった。なんだろう、この違和感は。
「私たち、今、この扉から出てきたよね?」
ハルちゃんが何を言いたいかは、すぐに理解した。だって僕らは地下から来たし、エレベーターはその階止まりであったように思えたし、出た先にはコンクリートの壁と隙間しかなかったはずだ。
「なんか、この家・・・」
「それでは、」
僕の言葉を遮るように、茶髪の女性は、僕たち2人を交互に見た。
「参りましょう。」
目の前に広がる、大きな鉄格子の様な門に向かって、歩き出した。僕らは一度目を合わせ、それ以上何も言わず、あとに続いた。
門を出る直前で、またPCGMA-Ⅱを渡され、装着した。綺麗な外国の街並みの映像が流れている。
「それでは、これよりそれぞれ別の車に乗って頂き、ご自宅に向かいます。」
車2台で、それぞれ送迎だなんて、なんて豪華なんだろうか。
こちらへどうぞ、と、腕を引かれる。多分、ハルちゃんも、同じ様に腕を引かれ、車に乗り込んだ。
「それでは出発致します。」
運転席の方から、声が聞こえる。茶髪の女性がドライバーとは、予想外だった。あれ、じゃあ、ハルちゃんの方の車は、一体誰が運転するんだろう?
「到着いたしました。メガネを外して下さい。」
乗車時間は、それほど長くなかったように思う。うちから、さほど遠い場所ではないのかもしれない。
「それでは、荷物をまとめ次第、すぐにこちらに戻ってきて下さいますようお願い致します。」
「ねぇ。もし僕がこのまま逃げたら、どうするの?」
「GPS機能が搭載されてますので・・・」
「あーハイハイ。爆発するのね、分かってるよ!」
車を出ると、見覚えのある景色が広がっていた。またここに帰ってきてしまった僕は、なんて滑稽なんだろう。僕の家が見えた。3階建ての、小さなマンションのような外見の僕の家。大嫌いだけど、少しだけ自慢できる、僕の家。でも、さっきの、あの、奇妙な豪邸には、完全に負けた。
「ただいま・・・」
静かに、部屋に向かった。後ろからパタパタと、スリッパの音が響く。あっこさんだ。僕を迎えてくれるのは、あっこさんだけだから。
「たいようさん、朝早くから何処に行ってらしたの?携帯電話も置きっぱなしで。心配したんですよ?」
いつもの、緑色のエプロン姿の、あっこさんだ。僕は、なぜだか、そのまま、小さなあっこさんをぎゅっとした。僕はまだまだ、子供なんだ。
「あらあら、たいようさん、子供みたいに。どうしたの?」
「・・・・。」
あっこさんを巻き込んではいけない。爆発するかどうかは定かではないけど、会話が聞かれているのは恐らく本当だと思う。
「なんでもない。あのさ、いつもの袋に、飴いっぱい、ちょうだい?あと、ドーナツも。」
「はいはい。用意しますから、着替えて部屋で待ってて下さいね。あと、手洗いうがいもね。」
あっこさんは優しい笑顔で、僕の肩を両手でポンと、叩いた。
部屋に入る。今朝脱ぎ散らかしてたはずの部屋着もキチンと畳んでベッドの上に置いてあった。部屋の隅には綺麗に積み上げられた参考書の束。そうだ、今日はいつもと違う不思議なことばかり起きて忘れてたけど、僕は勉強することを辞めた、ダメな人間だった。
クローゼットの上の奥の方から、茶色の大きなボストンバッグを取り出した。高級ブランドがとりわけ好きという事ではないけど、形がカッコいいから、兄が使っていた部屋から、数年前に勝手に持ち出したやつだ。
とりあえず、何も考えずに、バッグに入るだけ服と下着を詰める。あっこさんが戻ってくる前に、荷造りを終わらせないと。手ぶらで家出した事は数回あるけど、荷物をもってどこかに泊まりに行くなんて、初めてだ。友達の家に泊まったことだって、ない。言うまでもなく、僕は興奮していた。
荷造りはすぐに終わり、僕は、紙を探した。コピー用紙しかなく、仕方なくそれにペンを走らせた。
”1か月ほど、旅に出ます。心配しないで、待っててね。”
あまりにも、捻りのない、メッセージ性もない、つまらない手紙になった。迷った末に書き直そうともう1枚コピー用紙に触れたところで、足音が聞こえた。時間切れだ。手紙を半分に折り、デスクの上に置いた。
「たいようさん、ちょっと手が塞がっているの。開けて下さる?」
ノックの音と共に、あっこさんの声がした。僕は慌てて扉に近づき、壁際にバッグを寄せた。そっと扉を開けると、左手に飴の入った小袋、右手には山盛りのドーナツがのったお皿。頂上のドーナツには、火をゆらゆらと灯した”2”と”0”の形のロウソクが。ああ、そうだ。そうだった。こんなときに、どうして。
「はい、飴、たくさん詰めておきましたよ。」
「ありがとう。」
「あと、これ、毎年同じですけど、プレゼント。バースデー、ドーナツタワー!」
僕は、やっぱり、地獄行きだ。今日もまた、あっこさんを必ず悲しませる。
「いつも、ありがとう。」
ふっと、火を吹き消す。1年1度だけ、この日、この瞬間だけは、ほんの少しだけど、幸せだなって思える。もちろん、今日も、今この瞬間も。
下の方のドーナツを1つだけ、指でつまんだ。
「あっこさん、後で全部食べるから、ドーナツタワー、デスクの上に置いといてくれる?あと、悪いんだけど、そこの参考書を、全部処分してもらいたいんだ。僕、ちょっとヘアカラーを買いに、薬局に行ってくるから。」
「あら、また髪の色、変えるんですか?傷みますよ、本当に。」
「今度は、あっこさんの好きな、黒髪にしようかな。じゃあ、行ってきます。」
あっこさんが僕に背を向け部屋に入っていくのと同時に、ボストンバッグを静かに持ち上げ、僕はすぐに部屋を出て、扉を閉めた。ドーナツを口にくわえ、階段を降りる。やっぱり、最高の味だ。
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