第1章

僕、椥辻なぎつじ 真緒まおは勉強が少しできる。しかし、すごい特技を持っているわけでもなく、ずば抜けて運動神経がいいわけでもなく、しかもイケメンでもない。未だに幼さの残る顔と、この女子のような名前。それが重なり、幼馴染には"真緒ちゃん"と呼ばれるし。強いていえば、中学校の頃、できたらカッコいいんじゃないかと思って必死に練習したバク転ができるくらいで、平々凡々という言葉が似合う、…それが僕だった。

「もう3年生かー…」

張り出されたクラス表を見て、教室に向かう途中に呟いてみるが、実感がない。それが、今日、高校3年目を迎えた僕の思ったことだった。

あと、高校生活は1年しかないんだ。そんなことを今言われたって実感なんてかけらもなかった。

「おはよー、真緒ちゃん」

教室に入ると、小学校の頃からの幼馴染のさかき 隼人はやとが僕をそのあだ名で呼んだ。

「おはよう。あのさ、その呼び方やめて」

小学生なら兎にも角にも、もう高校3年生だというのにその呼び方には抵抗というものがある。…隼人はそうやって嫌がるのを見るのが好きなのだ。だから、何度言ってもこの呼び方は変わらなかった。しかし、突然そう呼ばなくなったとしたら、その時は驚いてしまうかもしれない。慣れは怖いと思う。

「…そういえば、奈南ななは違うクラスなんだ?」

「そうそう。何で私だけ、とか言ってた」

隼人が呆れたように笑う。隼人の話から、拗ねる奈南を容易に想像することができた。

「まーおーちゃーんーっ」

噂をすればなんとやら。教室のドアの横に立っているのは、紛れもなく幼馴染の鈴井すずい 奈南ななだった。

「おはよーっ、真緒ちゃん!」

今日も元気で、さっきの隼人の話は本当だったのかと疑いたくなる。単純という言葉を良いように言い換えれば、切り替えが早い。奈南も小学校の頃からの幼馴染で、僕を"真緒ちゃん"と呼ぶ人の1人だ。

「おはよう。…その呼び方、やめて」

その呼び方を否定するも、奈南は「可愛いと思うんだけどなあ」と呟いた。いや、男に可愛さとか求めるべきじゃないから。まず、"ちゃん"という敬称は基本的に女子の名前の後につけるものだったんじゃないのか。

「性別学上は男なんだけど」

「あれ、そうだったっけ」

「えっ」

僕の発言の後に次いで、隼人、奈南の順で話す。どうしてこの話がこんな思わぬ方向へと進展していくのか。

「隼人、話を混乱させないで」

隼人にそうやって言うものの隼人は何食わぬ顔で話を聞き流すのだった。

「奈南はそろそろ教室に戻った方がいいんじゃない」

「あ…、うん。また来るね!」

時計を見て、奈南が教室に戻っていく。僕と隼人も少し会話を交わすと、それぞれ席につくのだった。

暫くすると担任らしき教師が教室に入ってきて、簡単な話を済ます。

「——1年間、よろしく」

幾度も聞いて、聞き慣れたその言葉が担任の口から紡がれる。その後、担任の指示によって体育館へ移動し、整列をすると、去年のように始業式が始まるのだった。隣に座った男子と話してみたり、どんな人が同じクラスなのか見てみたりして、長い始業式の時間の暇を潰す。

始業式が終わると、また、教室に戻ると改めて担任による担任の自己紹介。…そして、生徒の自己紹介。

「出席番号順なー」

出席番号で並べられた席の順で、あ行の人から自己紹介が始まる。出席番号1番の人の怠そうな声。そして、2番の人の無駄に元気な声。そして次に聞こえてきたのは、せっかく綺麗だというのに無機質な声だった。

天使あまつか 由依ゆいです、…あとは特にありません」

そんな、ある意味で印象的な自己紹介を聞くのは今年で3回目だ。天使と書いて、あまつか。そう、天使さんの自己紹介だ。去年も、そして一昨年も同じクラスだった。毎年同じ自己紹介をしていて、彼女は名前以外は一切話さないのだ。そんな彼女に担任は何のツッコミも入れず、次の順の人に自己紹介をするように促す。次の自己紹介が始まった時には、僕の興味は天使さんに向いていた。



「天使さん」

僕の好奇心は止まることなく、むしろ溢れ出るくらいだった。

「…何ですか」

簡易的な自己紹介が終わった1時限目の休み時間。僕は天使さんに話しかけたのだった。天使さんが僕に向ける視線は、僕とは真反対で一切興味がないというような視線だ。どうでもいい話は聞きたくない、早く終わらせてほしい。むしろ嫌われているんじゃないかとも思えるような雰囲気が漂ってきている気さえもする。

「天使さんと話してみたいと思って」

「何言ってるんですか、そんなことを言っている暇があるなら、さっさと席に戻ってください」

天使さんは話を受付てはくれない。さらに辛辣な口調で僕とは一切話したくないというかのような態度を表立って出したのだった。

不思議だった。それは天使さんが、ではなく、僕の行動が、だ。僕は行動的なタイプではないし、話してみたいと言う相手だって天使さんでなくともいいはずなのだ。それだというのに僕の好奇心は天使さんばかりに向いて、その好奇心は無限に膨らんでいく。

「天使さん」

椅子に座って不機嫌そうな天使さんの机に手をつく。すると、僕の左手が天使さんの右腕に、ブレザー越しとはいえ、触れてしまう。

ガタッ。途端、天使さんは立ち上がった。俯いた天使さんは震えている。

「わ…っ、ごめん!」

僕のことが嫌いすぎて泣いているのかと思った。行き過ぎた好奇心はダメだなと思っていた。しかし、泣いているというのは僕の見当違いだったようで、天使さんは怒りに震えていた。

不機嫌具合がもうこれ以上ないというくらいで、天使さんは般若の仮面でも被っているのではないかと錯覚するほどに怖い顔をしてぼくを睨んだ。

「もう、あなたはどうしていつもこうなのよ…っ」

天使さんは僕にはよくわからない発言を残すと、「ついてきて」と言い、早足で教室を出た。

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俺の1年と、天使の3年 @maronpan-no-kesigomu

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