第一章 真部光と五人の不良たち


     

     1


 ――もういやだ!

 もうこんな苦しみには、耐えられない。

 あいつらを殺すか、自分が死ぬかしかない。

 だけど、どうあがいても、相手はOBを含めた5人。勝ち目はない。

 圧倒的な力で抑えつけられ、痛めつけられ、奴隷のように自尊心を傷つけられた。

 家から持ち出したお金は合わせて三十万、これ以上はもうない。

 何度も何度も、ベットの中で悔し涙を流し、刃物で立ち向かうシュミレーションをして、明日こそはと、震えるほど興奮し、昂揚(こうよう)した。


 ――ああ、神様、ぼくに勇気と、正義のパワーをください!


 でも朝になると、そんな勇気も、パワーもない、弱い自分が目覚めた。

 そういう思いは、学校から帰ってからの、ゲームの中での闘いで満たし、解消するしかなかった。

 朝食の団欒(だんらん)で、母と姉と弟の顔を見ると、耐えるしかないと思った。

 姉には婚約者がいて、幸福の絶頂だった。弟はまだ小学生。昼も夜も働く母はいつも疲れた顔をしていた。けど、子供の前では笑顔を絶やさなかった。

 母はぼくの大学資金をせっせと貯めていた。そのタンス貯金をあらかた持ち出してしまったのだ。


 ――もうこれ以上は……。


 それでも、自分を励まし、重い頭をもたげ、影を引きずるようにして、真部光(まなべひかる)は学校に向かった。

 ポケットには、いつもの護身用のナイフを忍ばせていたけど、それを使う勇気がどこにもないことはわかっていた。


   ♤


 亀谷(かめや)正己(まさき)という人物は確かにいた。

 三十年前に、何度も補導したことがあり、ヤクザ者になってからも一度だけ、暴行殺人事件に連座するところを、まだ未成年の彼を、諫めて見逃してやったことがあった。

 滝川警部は、自ら現場に出向いて、刑事時代のように、聞き込みに歩いた。

 そして、公園のベンチに寝転んでいた浮浪者と、浮浪者が立ち去ったあとに、追われるようにして学生服姿の高校生が現れ、児童らが遊びに来るのと入れ違いに、走り去っていた事実をつかんだ。


   ♤


 真部光は放課後また連中の待ち伏せを食い、空き地に連れて行かれて、散々いたぶられ辱(はずかし)めを受けたのちに、今度は十万円要求された。

 もうそんなお金はどこを探してもない。そういうと、残忍な顔でOBは、カードがあるだろう、カードで借り出せ、姉貴がいるだろう、姉貴の金を盗めという。

 大事な家族にまで累(るい)が及ぶと思った時、真部光の中で感情の堰(せき)が切れた。

 這い蹲(つくば)っていた光は、学生ズボンのポケットからナイフを取り出して、立ち上がった。

 キャンプ用の折りたたみ式フィレナイフだ。湾曲しているけど、鋭利な切っ先をしていた。

 これには彼らは一瞬たじろいだ。

 だが、ナイフをつかんだ両手は震え、構えた格好も腰が引けてお粗末なものだった。膝頭も震えている。

 五人はニヤニヤ笑いながら光を取り囲んだ。

 そしてOBが取り出したナイフは、刃渡り三十センチはあろうかという、サバイバルナイフだった。


   ♤


 どうにか囲みを破って光は逃げた。

 デパートのエレベーターホールで追いつかれ、ちょうど開いているエレベーターに逃げ込んだものの、OBが扉に手を当てて開いたままの状態にしたので、睨み合いとなった。

 エレベーターには大人の男女五人が乗リ込んでいた。中年の男女と若い男、それに若い女二人――。

 彼らは誰一人扉を閉めるボタンを押す者はいなかった。エレベーターは揺れながら戸惑っていた。

 光は絶望した。なすすべもなく、真っ黄色の髪をしたOBに、引き出された。


   ♤


 信号待ちの時に隙を見て再び光は逃げ出した。信号は赤だったので車に轢かれそうになった。

 街中から住宅地に逃げ、児童公園の植え込みの陰に隠れた。

 そこで息を殺していると、目の前のツツジの枝葉の密集した中に、新聞紙に包んだような物が目についた。

 取り出して広げて見ると、黒光りしてずっしりと重たい、回転式拳銃と、茶色いマッチ箱のようなものが出て来た。

 光はそれを学生服の懐に隠して持ち帰った。


     2


 光は公園から持ち帰った拳銃を、秘かに自分の部屋で眺め弄(いじ)くりまわした。

 どう見てもそれは本物のように見えた。茶色の箱に入った弾丸も本物ぽかった。

弾は全部で十一発あった。シリンダーを振り出して見ると、六つ穴が開いていた。六連発だ。

 引き金は重たかった。そのかわり、いちいちハンマーを起こさなくても、引き金を引くだけで、ハンマーが起きて倒れる。ググッてみると、それをダブルアクションというらしい。形はコルトバイソンに似ていた。

 頬に押し当ててみると冷たかった。

 うっとりしていると、階段を上って来る足音がした。小学生の弟・星也(せいや)の足音と息遣い。光はあわててそれを机の引き出しに隠した。

「兄ちゃんご飯。早くしろって」

 星也が肥満体の丸い顔をのぞかせていう。


 ――今日の午後三時二十分頃、西成区の児童公園に、男の声で、回転式拳銃一丁と実弾十一発を新聞紙に包んで捨てた、との通報があり、警察官が駆けつけたところ、それらしきものは見つかりませんでした。

 なお引き続き捜索しておりますが、もし、拾ったという方がおられましたら、速やかに警察のほうへお届になるように、所持するだけでも銃刀法違反の所持罪になり、試し撃ちすれば発射罪が過重されることになります。

 所持すれば一年以上十年以下の懲役、発射すれば無期又は三年以上の有期刑――という大変重い刑罰が科せられることになります。

 また大変危険でもありますので、拾った方、またはそういう話を聞かれた方がございましたら、速やかに警察のほうへご連絡を、とのことであります。


 リビングのテレビニュースはそう告げていた。

 光は凍りついてしまった。

「どうしたの? 早くなさい。お母さんこれから自治会の集まりがあるんだから」

 姉の月子はまだ会社から帰ってなかった。

 光は上の空で夕ご飯を食べた。

 食べ終わると早々に二階に駆け上がった。

 いつものことだから、母親はぐずぐずしている弟のほうを叱った。


 光は拳銃を抱いて寝た。

 色々な空想に耽(ふけ)って熱くなった。

 けど、明日には警察に届けようと思った。

 そしていつの間にか眠っていた。


   ♤


 ――力は正義だ!


 圧倒的な力でねじ伏せられた。

 圧倒的な力に逆らえない者の気持ちがわかるか!

 その悔しさがわかるか!


 一発目は鉄橋下の河原で試し撃ちした。

 二発目はパシリの誠を呼び出して撃った。死体は橋桁と堤防との間の深みに蹴り込んだ。

 三発目は同級生の吉山を撃った。これも同じ所に蹴り込んだ。

 四発目は上級生の下村を撃った。これも同じ場所に蹴り込んだ。

 五発目はOBの彼女の加藤法子を撃った。こいつには六発目も食らわせた。これも同じ場所に蹴り込んだ。

 七発目はOBの族、これには八発目、九発目、十発目もぶち込んだ。そして同じ場所に蹴り込んだ。

 残り玉は一発――。


 ――力は正義だ!


     3


 光はいつものように家を出て学校に向かった。

 どんなに辛く苦しくても、学校を休んだことがない。逃げたことがない。

 それだけが、光の存在意義だった。それを失くしたらどこまでも小さくなってしまう。それが最後の砦だった。

 この世に神様というものが存在するなら、こんな不公平を放っておくはずがない。だとしたら、神様の存在意義もなくなってしまう。

 昨夜は妙な夢を見て痛快な気分になった。いちいち覚えてないけど、変な考えのもとに、派手に拳銃を撃ちまくっていた。

 寝る前は警察に届けようと思ったけど、目が覚めたら、せめて今日一日、今日一日だけでも“圧倒的なパワー”をと、学生服の内側に母が、チャック付きの内ポケットを縫いつけてくれていたのを利用して、忍ばせてある。


 学校に行くと、早速パシリの誠がやって来て、昨日逃げまくっていたやつが、よくもぬけぬけ出て来たなあという顔で見る。

 ――そこがお前と違うところだ。

 かつて光も、誠をみんなと同じようにイジメていたことがある。自分ではそういう認識はなかったのだけど、肉体的欠点を笑いネタにするのは、本人は喜んでいるように見えたけど、実は痛く傷ついていたのだと、今ならわかる。誠は百五十センチ足らずの身長で、色が白いから、ハツカネズミと呼ばれていた。

 今では誰もそんな呼び方をする者はいない。名字で、しかも君付けで呼んでいる。何しろ、彼のバックにはOBの族が控えているのだ。

 下手に目をつけられでもしたら、たちまちイジメの標的にされてしまうから、みんな戦々恐々としていた。誠本人も、髪を茶色に染めて、いっぱしのヤンキー気取りで、態度もデカくなっていた。

 その誠がいう。

「おい、光、のこのこ出て来たということは、ちゃんと十万円は持って来たんだろうな」

「いったじゃないか、家にはもうお金はないって」

「お前、そんなこといったら、速見(はやみ)さんがーー」

「そういってよ。ないものは、ないって!」

 光は胸を張っていった。


     4


 いつもの空き地に呼び出されて、下村・吉山・誠の三人に殴られ蹴られて、光は這い蹲った。

「痛えなあ、お前、懐(ふところ)になに入れてんだよう」吉山がいう。

 そこへ250ccのバイクで、フルフェイスのヘルメットに、黒い皮ジャン姿の速見が現れた。

 後部座席で抱きついていた加藤(かとう)法子(のりこ)も、丸いヘルメットを脱いで、セーラー服の上に茶髪を振りほどきながらやって来る。

 誠が素早く二人に駆け寄って、二人からヘルメットを受け取りながらいう。

「速見さん、あいつ、金ないっていうんスよ」

「まだそんなこといってやがんのか」

 速見は光のところにやって来ると、胸倉をつかんで引き起こした。

「おい、こら!」いきなり腹部に膝蹴りを入れた。「昨日はよくも逃げやがったな」

 光は腹を押さえてよろめいたが、かろうじて踏みとどまった。そこへもう一発、今度は前蹴りを食らって、後じさり、へたり込んだ。

 速見は、髪をつかんで顔を上向け、「明日、二十万持って来いや、持って来れなかったら、明後日には三十万だ」と巻き舌でいう。

 そして突き放した。

 光は仰向けに倒れたけど、すぐに胸を押さえて横向きになった。

 学生服の上から胸の拳銃をつかんで、エビのように丸くなる。

 速見はその横顔を踏みつけて、なおもいった。

「一日(いちんち)ごとに十万増やす。お前ん家(ち)の前でギャンギャンいわせて、追込みかけっぞ、こら!」

 ぐりぐりと左の額を爪先で踏む。

 涙目になった光の視線の先、通学路の土手の上に、学校帰りの小中学生らの姿が見えた。

 その中に、学用品が入った袋などをいっぱいぶら提げた弟の星也が、ひよこひょこ歩いているのが見える。

「あれは……、こいつの弟の、星也だな」と三年生の下村がいった。「おい、誠、ちょっくら行って、泣かせて来いや」

 下村は速見に、「速見さん、こいつの姉貴が、これが結構ハクイんスよ」ともいった。


 明けて土曜日。

 学校は休みだ。

 光は夜が明け初める頃から目覚めていた。

 窓枠の中の赤紫色の空が、だんだん白んでいくのを,ベットに横たわって、ぼんやり眺めていた。

 今日は一段と頭が重たい。体も重く、あっちこちに鈍い痛みを感じる。


 ――九時二十分に鉄橋の下まで来て、お金を渡す。


 というメールを誠に送ったのは六時過ぎてから。頭も体も重くて、なかなかベットから起き上がれない。

 二度目に星也が起こしに来た時、ようやく重い体を起こした。頭がキンキン痛んだ。

 鼻をグズグズいわせて食卓に着くと、「どうしたの? 風邪? 腫れぼったい目えして」と姉の月子がいう。

「べつに……」

 母親を盗み見ると、なにか考え事でもしているのか、ブツブツつぶやきながら、ご飯を食べている。

 弟の星也はテレビのほうに注意がいって、箸のほうがおろそかになる、いつものパターンだ。

 いつもの食卓風景――。


 光は八時半に家を出た。

 晴れていた空は、どんよりと雲って来ていた。

 雨が降ればよいのにと、空を見上げて光は思った。


     5


 ○▽川の土手にさしかかる頃には、願ってもないことに、雨が降り出した。

 いつの間にか、朝焼けしていた東の空は、水分を含んだ厚い雲に覆われていた。西空にわずかに残った明るみも、風が出て来たので、早晩呑み込まれてしまうだろう。

 土手の上を歩く者は、学校は休みだし、早朝散歩組の姿がちらほらとしか見られなかった。

 犬を連れた老人の前を横切って、光は取水口の脇にある土手の階段を下りた。

 河原の中央を水面は光りながら蛇行している。この時期水量は少なく、葦などの植物と石ころと砂の面積を広めている。

 鉄橋の橋脚は三つ、そのうちの一つは水面を分けていたけど、残りの二つは干上がった河原に土台を露わにしていた。

 光が向かったほうにはなぜかゴミなどが浮いた水溜まりができていた。その辺りまで来ると、堤防の上からは死角になって見えない。

 小学生のころも同じように、乾期には水溜まりができていて、竹棒などを差し込んでみると、これが結構深かった。木切れや大鋸屑(おがくず)やビニール袋などの生活用品に混じって、猫の死骸が浮いていたことがあった。

 それ以来一度も近づいたことのない、そこへやって来たのだ。

 電車は上下合わせて約三十分おきに轟音を立てて頭上を通り過ぎる。

 それに合わせて、一発目の試射を試みた。

 両手で拳銃を握り、両腕を伸ばして、重い引き金を絞ると、拳銃は思ったより軽やかな音を立てて弾けた。

 反動は想像以上だ。弾はどこへ飛んで行ったのかわからない。これでは至近距離でないと当たらないなと思う。

 これでふっ切れた。三年以上無期懲役の刑罰が加重された、れっきとした犯罪者だ。もうあとへは戻れない。


 誠は意外と早くやって来た。

 腕時計を見ると、約束の九時二十分よりも十五分も前だ。

 だぶだぶのズボンにだぶだぶの赤いシャツを着て、テクノカットの茶髪、歩き方からして一端のチーマーだけど、神経は細かく、用心深いやつだ。

 危ないところだった。危うく試射を見られるとこだった。遅れて来られるのは計算に入れていたけど、こう早く来られたのでは九時半まで間が持たない。

 もうすぐ下り線が通るはずだ。そのあとは上り線の特急が三十分ごろ通る。

「誰も連れて来ていないようだな」誠は辺りを見回していった。「ちゃんと二十万円、持って来たんだろうな、光」

 下級生のくせに。こんなやつと三十分間も、なにを話せというんだ。一分だって嫌だ!

「ビタ一文欠けても許さんといってたぞ、速見さん」

 各駅停車の電車が近付いて来ている。

「それよか土手の上をチャリで通っているお前の姉貴、そっちのほうが楽しみだってよ」

 雨のカーテンが風に揺れて、バラバラと雨粒を吹き込んだ。

「だからいったろ、おれっちの舎弟になれって。百万でナシつけてやっからよ」

 ピアノの鍵盤のように枕木を叩いて電車がやって来る。

「そんな端金(はしたかね)、ほかのやつらをカツアゲすればすぐに返ってくるって」

 轟音を立てて鉄の塊が鉄橋を渡って通った。

「へへへ」と誠の嘲り笑う声を掻き消してーー。

 衝撃波のような怒りとともにーー。


 電車の音が遠ざかり、大きく目を見開いた誠が、押さえた赤いシャツの胸を黒く染めて、立っている。

 爆発的な怒りとともに、ズボンの後ろポケットに突っ込んでいた拳銃を引き抜いて、その体に向けて撃ったのだ。

 (憐れなやつめ!)

 ずるずると誠は崩れ落ちた。

 金の鎖の携帯ストラップを首から外してから、誠の体を水溜まりの中に蹴り込んだ。

 滴り落ちた血の痕跡は靴で砂利をかけて消した。

 最初は仰向けに浮かんでいた誠の体は、やがてゴミの中に水没した。

 そのあと再び浮かび上がり、背中だけ見せてゴミと一緒に浮かんでいたのだが、光はもう見なかった。

 誠の携帯から同級生の吉山にメールを打ち込んだ。


 ――吉山さん、光のやつ、金は半分しか持って来てないんスよ。締め上げてくれませんか。十時までに鉄橋下まで来れます?

 ――よしわかった。鉄橋の下だな。十時までには行く。


 十時過ぎに、今度は下りの特急が通るはずだった。その前に各駅停車も一本通る。

 だがもうそんなことは気にならないほど興奮していたし、雨も激しくなっていた。

 光は水際まで行って、葦の繁みに向けて吐いた。

 それから橋脚の土台の上で、膝を抱えて泣いた。


     6


 吉山は九時五十五分にやって来た。

「あれ? 誠のやつはどうした?」

 吉山とは中学も一緒だった。クラスが違ったからよく知らないけど、そのころは少なくとも外見上はヤンキ―ではなかった。

 高校生になってから上級生の下村と付き合うようになり、髪と一緒に染まったのだろう。

 細長い顔の細長い体に、ありったけの鎧を着て、突っ張ってはいても、その内面の弱さは誠同様透けて見えた。

 なぜか吉山にはそれほど憎しみは湧かない。

 だけど、行きがかり上しょうがない。各駅停車の電車が来てしまったのだ。

 光は腕を伸ばして吉山の胸に向けて撃った。

 何も考えず、怒りにまかせて撃った誠の時と違って、意識して胸に向けて撃った。腹は死ぬまでにそうとう苦しむということをなにかの本で知っていたからだ。

 だが、意に反して弾は吉山の眉間に穴を開けた。

 吉山は目を大きく見開いて、後ろ向きにスローモーションのように倒れた。ダイレクトに水溜まりに倒れ込んだ。

 大きな水音がして、水しぶきが光の顔を濡らした。

 それをぬぐって、光は呆然と佇(たたず)んだ。というかそういう自分を見ている自分がいた。

 その自分に励まされて、また同じように、誠の携帯から三年生の下村にメールを打った。


 ――下村さん、光のやつ半分の十万しか持って来てないんスよ、どうしましょう?


 返信はなかったが、十分くらいして電話がかかって来た。

 光はあわてた。けど、出なかった。

 しばらくしてメールがまた来た。


 ――なにやってんだお前、速見さんがまた暴れるぞ! よしおれが行って締め上げてやる。今どこだ!

 ――例の河川敷ス。鉄橋の下。一度取りに帰らせたんスがね。手ぶらで戻って来たもんスから。何時ごろ来られます?

 ――今から行く、十一時には着くだろう、いいか、絶対に、逃がすなよ。

 ――はい。了解しました。


 十一時なら上りの急行が通過するころだった。

 でももう気することはない、雨のカーテンは分厚くなっている。

 光はまた橋脚の土台の上に腰を下ろして膝を抱え込んだ。

 横殴りの雨粒に濡れながらーー。


 下村は55ccのスクーターでやって来た。

 土手から河原に下りる細い道路を下って、可能な限り近場までやって来た。

 体育会系の大きく太った体を、透明な安物の雨合羽に包んで、55ccのスクーターに跨った格好は滑稽だった。

 体育会系といっても、中学時代は野球部に、高校生になってから柔道部に、ほんの少しの間、籍をおいただけで退部、真面目に練習するような玉ではなかった。

「誠はどうしたんだ?」

 雨合羽を脱ぎながら近づいて来た下村に向けて、光は迷うことなく拳銃を発射した。

 圧倒的なパワーは、熊のような下村を一発で仕留めた。

 ドサッと崩れ落ちた下村の巨体を、水溜まりの縁まで転がして、憎しみをこめて蹴り落とした。

 ひときわ大きな水音がした。

 こいつが家族まで巻き添えにしょうとしなかったら、という思いが憎しみを増幅させていた。

 あと二人、残り弾は七発――。


     7


 光は拳銃に弾を四発追加してシリンダーを充たした。一発だけ手元のケースに残った。

 午後一時過ぎに降り頻る雨の中、最強最速の250cc、ホンダNSRが現れた。

 本来なら紫色の旗をなびかせながら颯爽とやって来るところであろうが、旗は雨に濡れて垂れ下がっていたし、土手の坂道を滑らないように用心しながら、そして泥濘(ぬかるみ)を避けながら、黒い影はシュンシュンシュンと低いエンジン音を立てながらゆっくり近づいて来た。

 黒いヘルメットに黒ジャン姿の速見に、旗を持った同じく黒づくめの加藤法子が、バイクに跨ったまま、橋桁の下にぽつねんと立っている光を見て、用心深い獣のように止(とど)まった。

 加藤法子は旗棒を地面に突き立てた。

 ――感づかれたかな?

 と光は思う。

 だが、そんな懸念は無用だった。


 ――ギャンギャンギャン!

 と、ひと唸りさせてから二人はバイクを下りた。

 石ころと砂利を踏みしめてやって来る。

 雨のカーテンをくぐって、ヘルメットを脱いだ速見は、誠の姿を探すように辺りを見まわした。すぐ傍の水溜まりに三人の遺体が浮いていようとは思いもすまい。

 加藤法子も、ヘルメットを脱いで、濡れた髪を振り払い、脱いだヘルメットを受け取るべき男がいないのに、細い眉を歪めた。

 そしてふたりは、いつになく堂々と足を広げて立っている光を見た。

 右腕だけくの字にして手首から先を後ろにまわしている。

 おどおどして下を向いているはずの目玉は、正面を見据え、しかし、どちらを見るでもなく、その瞳は、ふたりの間を突き抜けて、虚空を見つめている。

「お前――」

 と、速見が詰め寄るとーー。

 ――パシッ!

 という音がして、「あつう!」と速見が声を上げた。

 そして、屈(かが)み込み、右足首を押さえた。

「なん?」と加藤法子が怯(おび)えた声を出す。

 斜めに傾いた拳銃が、自分に向けて突き出されているからだ。

 しかし光の目は屈み込んだ速見に向いている。

 速見は驚きと苦痛に歪んだ目を、しかしせいぜい強がった目で、光を見上げた。

 それを冷ややかに見下ろしていた光の目が、今度は加藤法子に向けられた。


 ――こいつが始まりだった。

 駅の公衆トイレに入ると、女子トイレの入り口の壁に背を預けて、だらしない制服スカートのポケットに、両手を突っ込んだ加藤法子が寄り掛かっていた。

 中からすすり泣くような声がした。トイレの中で女子が痛めつけられているのが目に見えるようだった。光はそれとなくトイレから出て駅員に通報した。

 それから光へのイジメが始まったのだ。OBの族まで引っ張り込んで圧倒的な力で光を支配した。

 ズボンを下ろされて辱(はずかし)めを受けた。

 いずれは甘い蜜を求めて本格的な族が乗り込んで来るだろう。

 一度、族の一団がバイクを連ねて学園の校庭に、そして、家の前の道路を練り歩いたことがある。


 光は加藤法子に向けて二発発射した。前にそんなことがあったような気がしたのだ。二発ともどこかに命中した。

 加藤法子は手を差し伸べて哀願するように唇を動かしたけど、声にならず崩れ落ちた。


 ――うわ~っ!

 悲鳴を上げたのは速見だった。速見は後ろにいざった。逃げようとした。

 光の腕は棒のようになってそれを追いかけた。

(――人の痛みも苦しみもわからない、無慈悲で、残酷な、人でなしめ!)

 毎日毎日寝ても起きても感じる痛みと苦しみと恐れと悔しさがどんなものであったか!

 それが自分だけならまだ堪(こら)えられる。

 それが肉親に向けられた時の絶望感、肉親の痛みには耐えられない!


 ――神は圧倒的な力で報復を許されたのだ! 神は奇跡を起こされてきっと正しい行いをしない者たちを惨(むご)たらしく滅ぼされる!

 一人残らずーー。


 何発発射したかわからない。気が付いたらすべての弾を撃ち尽くしていた。

 轟音がして電車が通り抜けた。

 怒りの衝撃波とともにーー。

 

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