第十七章 迷宮の・魔物たち

     1


 左右からカストルとボルックスが地平線を赤く染め始めていた。

 旗幟がはためく崖の上の陣幕で、参謀長によって作戦の概要が述べられた。

 渓谷の上流と下流からはゼノン軍の軍勢が夜を徹して進軍しており、夜明けとともに、真下のイスカル軍の要塞を両側から攻撃する手はずになっているという。

 それに合わせて渓谷の上からも綱を垂らして特殊部隊が降下することになっている。ヒカルとカレンはそれに紛れて降下する予定だと。

 居並ぶ幕僚たちの前で、ヒカルは牛のような顔をした参謀長に、異議を唱えた。


 ――それではまた下から狙い撃ちされることになりませんか?


 ――そのために大勢の特殊部隊に紛れ込ませて下ろすのだ。ほかに手立てはない。

 怪我人を背負ったそちに、夜陰の五十キロに及ぶ行軍は無理だ。それとて危険なのは変わりない。


 ーー上流から向かえば水攻めは避けられても、足元もおぼつかない谷間の狭い崖(がけ)路(みち)。松明(たいまつ)は必要だから待ち伏せの敵に狙い撃ちされる。


 と参謀長もいう。


 ーーふたりと並んで通れない崖っ縁の獣道だから、盾で矢を避けながら、敵の矢が尽きるまで進むしかないのだ。

 矢傷を負って歩けなくなった者は、自ら谷に身を投げて進路を開ける決死行。


 と参謀副長も。

 ワンホー将軍も参謀たちの作戦にうなづいた。


 ――では将軍様、こうしたらいかがでしょうか。


 といってヒカルは、床机に腰かけているワンホー将軍の足元の地面に、棒切れでハンググライダーの絵を描いた。


 ――なんだ、それは? 鳥か?


 ――鳥のように空を飛べますが、鳥ではありません。


 と、ヒカルはいう。


 ――トリノヨウニソラヲトベマスガ、トリデハアリマセン。


 と復唱したのは、カレンの肩に止まったぺぺ軍曹である。

 この惑星では鳥以外のものが空を飛ぶなど、考えも及ばないことであるらしい。


 ――その乗り物に乗れば空を飛べるのか?


 ――飛べます。

 ――トベマス。


 ――てゆうかあ、ペドロフ様のドラゴンの乗り物を借りたほうが早いじゃん。


 カレンがつぶやいた。

 背負われているから正面向く非礼はヒカルが頭を下げてわびた。


 ――バカを申すでない!

 あれはゼノン殿の乗り物、捕らわれていたのをペドロフ卿がお救いした、そのお返しにそちたちをここまで運んでくださったのだ。


 ――ゼノン様の主、ゼロ様はあくまでも中立ということですか?


 ――中庸(ちゅうよう)というべきだな。何者にも偏(へん)しないお方だ。争うこともない。


 ペドロフ将軍と参謀たちの協議の結果、ヒカルの案が受け入れられ、土壇場で作戦は変更された。


 ――それではワンホー将軍様、自分はこれからテントと鉄パイプを使ってハンググライダーをこしらえます。

 鉄パイプはありますよね? 鉄棒では重すぎて。番線もいるなあ……なければ木と葛(かずら)で間に合わせるしかないですけど。


 ――そんなんで大丈夫? だいたいあんたハンググライダーとか、経験あんの?

 ――ない。

 ――ぶっつけ本番ってワケ?

 ――なんとかなるっしょ。


 ―ーなにをごちゃごちゃいっておる。早くしないと夜が開けてしまうぞ。そろそろ、総攻撃のノロシが上がるころだ。


 ――わかりました。

 それではさっそく取り掛かります。

 でも、飛ばすのは太陽が真上に来る頃合いを見計らってからがよいかと思います。

 早過ぎても合戦に巻き込まれるだけですから。


 ――それもそうだな。それなら午後一時前がよかろう。それまでに蟻塚を占拠しておかねばならんな、参謀長。


 ーー特殊部隊は予定通り総攻撃とともに降下させましょう。


 ――こちらも時間が余ったら丘の上から飛行訓練をしておきます。


 ――うむ。


 といったところで、千五百メートル下の渓谷から二本の花火が上がって、渓谷の遥か下で音もなく弾けた。

 総攻撃が始まったのだ。

 ぺぺ軍曹は将軍の伝令を伝えに渓谷に急降下して行った。


   2


 ――こんなんで本当に大丈夫なの? 飛べるの?


 カレンが出来上がったハンググライダーを見ていう。

 無理もない。テント用の布とキョウチクトウの木と綱と葛(かずら)でこしらえたお粗末なものなのだ。

 この惑星には鉄はあるけど、番線やパイプをこしらへる技術はない。あれば火薬はあるのだから、鉄砲や大砲が製造されるはずである。

 子供の頃、親父がゴム動力の紙飛行機を作ってくれた。幼い聖也がそういうのに異常な興味を持つようになって、いろんな資料を集めていた。

 それを横目で見ていただけの知識で急ごしらえしたもの。


 ――だからそれをこれから試すんだよ。


 ――あんたって見かけによらず能天気なのね。

 ――アンタッテミカケニヨラズノウテンキナノネ。

〈ぺぺ軍曹は伝令から戻ってカレンの肩に止まっている〉


 丘の上の風向きはちょうど迎え風。

 傾斜も良好。障害物もない。

 ヒカルはカイトのようなグライダーを、両手両肩で持ち上げて走った。

ぺぺ軍曹は上げヒバリのように空高く舞い上がった。


 ――ダカラソレヲコレカラタメスンダヨ。

 ――アンタッテミカケニヨラズノウテンキナノネ。


 とさえずる。

 体を吊り下げる布がピンと張って、三角形のコントロールバーを握った手に力が入り、足が宙に浮いて、体が横向きになった。

 そのまま二,三百メートルほど滑空して首尾よく着地した。


 ――おお!

 見事じゃ、鳥のように空を飛びよった。

 ゼノン殿の乗り物のようだ。


 床机に座って見物していたワンホー将軍や幕僚たちが、手を叩いて立ち上がり、惜しみない賛辞を送った。


 ――さすが、わがシャドー様が召喚なさっただけの勇者よ。

 ――ほんに。

 ――これで作戦は成功したも同然!


 と無邪気に喜んでいたが、明日には空一面を、さそり座のコクシムソウ軍が、サソリのような宇宙船で埋め尽くそうとは思いもよらない。

 そのあとからアンドロメダ大王の援軍が、夜空に巨大な宇宙船の輪郭と、無数の輝きを見せて現れ、コクシムソウ軍の宇宙船と、青い光を放出し合いながらの宇宙戦が始まろうとは、夢にも思わない――田舎者たちであった。


 ――ぺぺ軍曹、戦況を見てまいれ!


 と、のんびり構えている。


 やがて、ぺぺ軍曹が戻って来て、友軍が地下牢への入り口である蟻塚を占拠したことを、大隊長の言の葉のまま伝えた。


 ――勇者・ヒカル殿、そして剣士・カレン、いよいよそちたちの出番だ。


 ーー武運を祈る!

 ――きっと、姫を、王女様を救出してくれ!

 ――頼んだぞ!


 ワンホー将軍と幕僚たちに見送られて、ヒカルは渓谷めがけて走った。

 エイのような翼は優雅に渓谷の上を旋回し、そして獲物を見つけたタカのように鋭く急降下して行った。


   3


 下からは無数の矢が飛んで来たが届かず、低空飛行になってからは投石や投げ槍をかわして、蟻塚のように盛り上がった所にポッカリ開いた穴に飛び込んだ。

 上から見ると、それは蟻塚というより、ミニチュア火山に見えた。

 穴というよりは擂鉢型(すりばちがた)の火口のようだ。

 穴の入り口をグライダーの翼が塞いで、宙吊りになったところで、螺旋階段に足をかけ、腹と脚の吊り布から抜け出した。

 ところで、穴は轟音を立てて閉じた。

 舞い上がっていた蓋の岩石が、擂鉢の穴に落ちたのだ。

 間一髪だった。

 真っ暗な中にヒカルとカレンは立つことになった。

 カレンは背負い具から抜け出して自分の足で立っている。

 すぐそばには足がすくむ何十万メートルもの縦穴があった。

 足を滑らせたら一巻の終わり。

 地底に激突するまでに後悔するに足る充分な深さーー。

 鳥目の軍曹殿もカレンの肩にしがみついて震えている。

 軍曹殿はしかし、蓋が閉じた時の轟音に怯えているのである。


 ――カレン、もう大丈夫なのか?


 ――ナンデモナイミタイ。


 といったのはぺぺ軍曹殿の口真似をしたカレン。

 軍曹殿も、ナンデモナイミタイ、とさえずる。


 やがて暗闇に目が慣れて来たのか――。

 いや、そんなわけはない?

 どこからともなく光が漏れていて、薄明りなのだ。

 いやいや、石段を降りるに連れて、だんだん明るさを増しているように思える。

 壁は、岩を穿(うが)ったものではなく、お城の石垣のように石灰岩を加工して積み 上げた井戸のようなものだ。苔むしているが、その隙間から光が漏れている。


 ――ワンホー将軍は灯りのことをなにもいわなかったから、うっかりしていたけど、神軍の城塞だから当たり前なのかなあ……。


 とカレンがいう。


 ――ぼくもだ。灯明があるものだと思い込んでいた。でもどこから来る光だろう?

 トマス・モアが処刑されたロンドン塔の監獄もこんな感じなのかなあ……。


 ーーんなわけないでしょう。


 ヒカルは石の継ぎ目をのぞき込むように見ながら階段を下りる。

 やがて、踊り場があって最初の横穴が現れた。

 それもふたつ並んでいる。

 さっそく、二者択一か。運が悪いと、永久に迷宮の中をさまようことになるーーのかも知れない。


 ーーどっちにする?


 と、ヒカルはカレンに聞いた。


 ーー神はサイコロ遊びがお好き。

 ーーカミハサイコロアソビガオスキ。


 ーー女の感でいってみて。


 ーー右。

 ーーミギ。


 ーーじゃあ、左から行こう。ヤバかったら引き返せばいい。


 ーーへそ曲がり! 引き返せないから迷うんじゃない。


 ーーぺぺ軍曹殿がいる。


 ーーどこまで能天気なの。動物だって迷うわよ。


 ーーツバメやサケはちゃんと生まれ故郷に戻って来る。渡り鳥は何万キロも同じ空の道を行き来するだろ。


 ーーオウムは渡り鳥じゃないし。


 オウムハワタリトリジャナイシーーとさえずって、ぺぺ軍曹はカレンの肩から飛び立って、左側の洞窟の中に飛んで行った。


 戻って来てさえずる。


 ーーオウムハワタリトリジャナイシ。

 ――イキテイルシ、ユウドクガスハナイシ。


 背を曲げて歩かねばならない高さの洞穴を、数十メートルほど進んだ所に広まった部屋があって、そこで行き止まりになっていた。

 部屋の中ほどに丸いテーブルと、その周りに丸椅子のような突起物が三つあるだけ。

 テーブルは大理石のようにピカピカに磨かれている。


 ――ほら見て、さっそくアウトじゃん。間抜けなゲストに、ようこそってワケよ。


 ――そう思わせておいて、どこかに隠し扉がーー。


 といってヒカルは石壁を押してみたり、剣の柄(つか)でコンコンと叩いて音を聞いたりして回った。

 天井と床は一枚岩のようだ。壁と違って堅い花崗岩(かこうがん)かも知れない。


 ーー能天気なわりには疑り深いのね。


 ーー確かに人を食っている。

 でも、そう簡単に引き返せる所にどんづまりを造るかなあ……。さんざん迷わせておいてドンツクにしたほうが、より効果的じゃないか……。

 引き返す時にも迷うように、脇道をいっぱい造って……。


 ーー人の心の裏を読む、嫌な性格ね。


 ーー思慮深いといって欲しいね。ぼやっとしている者が人に騙される。


 だがどこにもそれらしき仕掛けはなさそうであった。カレンがいうように単なるご挨拶かも。


 ーーそれごらんなさい。


 ーー少し休んでから引き返そう。どうせ明日の午後にしか出口の蓋は開かないことだし。


 ーーでも、何十万メ―トルも階段を下りて、王女様を救出して、また戻らなきゃならないのよ。

 ぐずぐずできないわ。宇宙から敵が迫ってるんだから。この惑星の素朴な連中とはわけが違う連中がーー。


 ーー何十万メートルって、随分大雑把な数字だなあ……。

 石の重りを結びつけて垂らした綱が、足りなくなったってことか?


 ヒカルは丸椅子の一つに腰を下ろした、カレンと半分ずつ分け合って〈当然そうなる〉。

 ーー途端に、床が、ゴゴゴッと音を立てて、動き始めた。


 ーーうわっ!


 ーーきゃっ! な、なに?

 ーーキャッ! ナ、ナニ?


   3


 一気に千メートルは降下したのじゃないかと思えるほどの、長い急降下だった。

 止まる時はエレベーターのように速度を落として止まった。

 ヒカルとカレンは、次はなにが起こるのかと、固唾を飲んで周りを見回した。

 すると、ゴゴゴッと揺れて、目の前の壁が扉のように開いた。

 そしてそこには、サイのような怪物が待ち構えていた。

 体と角はサイのようでも、顔は人間の顔。頭には髪の毛もある、

 人間の遺伝子と、サイの遺伝子を持ったキメラだ。

 その頭にはハチマキが巻かれてあった。

 背後で扉が閉まる音がした。

 もう逃げ場はない。

 友好的な雰囲気でもないから、戦うしかない。

 ヒカルとカレンは腰の剣を抜いた。

 サイ人間が突進して来た。

 からくもかわして、胴体に斬りつけたけど、厚い角質の皮膚に跳ね返された。

 かくなるうえは頭を潰すしかない。

 サイ人間はイノシシのように突進して角で突き上げるしか能がないようだ。

 ヒカルとカレンは絶妙なコンビネーションを取り戻していた。

 大車輪のように回転しながら、サイ人間の頭に斬りつけ、徐々にダメージを与えた。

 最後はヒカルの短剣で、平家の落人みたいになった、乱れ髪のサイ人間の眉間を割って、仕留めた。

 その際、サイ人間の角がバクテンするカレンの体を突いたのではないかと、ヒカルは心配した。

 着地してから、カレンが片膝をついて、痛みをこらえている素振りをしたからだ。


 ――大丈夫か? カレン。


 ーー平気だからいろんなとこ触らないで。


 憎まれ口をいうくらいだから大丈夫なのだろう。二人一組というのはなにかにつけて気を遣う。

 自分本位では生きてゆけない。同調しないと行きたい方向にさえいけないのだ。


 その部屋にはあからさまに口を開けた扉が三つあった。

 右の扉からは下に下りる石段が見える。

 左は逆に上がる階段。

 中央はそのまま進める通路。


 ーー今度は三分の一の確率ってワケ?


 ーーそのようだね。でも、わざとらしいな?


 ーーどうして?


 ーー侵入者は地下牢に行きたがっている。千メートルも降下して、距離を稼いたばかりだし。


 ーーだから?


 ――心理的には百パーセント、下りる階段が見える右側の扉を選ぶ。

 だから反対の左を行く。


 ーーどこまでひねくれてるの。

 ーードコマデヒネクレテルノ。


 ーーと思わせておいて、まっすぐ中央を行こう。


 ーー勝手にして!

 ――カッテニシテ!


 なんやかやいっても、カレンは我を張らない、ヒカルにイニシアチブをとらせている。

 ヒカルのおかげで千メートルも距離を稼いだことだしーー。

 だが、偵察に行ったぺぺ軍曹は帰って来なかった。


 ーー有毒ガスにやられたのか?


 ―ーやだ、マジ……。


 ――どうしようか……。


 ――マジかわいそう……。


 迷っていると、ドコマデヒネクレテルノーーとさえずって、右側の扉から現れた。

 無駄な時間と労力を強いられるとこだった。

 ぺぺ軍曹は汗馬の労をいとわず、今度は左側の扉に偵察に出かけた。

 そしてすぐに戻って来た。

 ということは、有毒ガスはないということだ。

 そこで彼らは左側の扉から階段を上がることにした。

 二人一組で、蟹のように横歩きで階段を上がるのは大変だ。

 それが延々と続いたから、


 ――千メートル稼いだ距離が、なんにもならないじゃん。


 とカレンの口から愚痴が出た。

 イニシアチブをとる者は、そういう時の言い訳を用意しておかなければならない。


 ――目の錯覚だよ、実はこれは上がってるんじゃなくて、下りているんだよ。

 

 実際にそういうまっすぐな坂道があった。

 下っているのに上っているように見えるーー鹿児島県と宮崎県の県境だったかーー幼い時の記憶だから定かではないけど。

 まだ聖也が生まれていないころの家族旅行の時だった。


 ーー適当なこといわないで。


 ーーうわっ?


 すぐ横をなにか黒い物体が通って行った


 ――それ見てごらん、今なにかが落ちて行った。


 ーーんじゃないでしょ、上って行ったんでしょ!


 ――階段を滑るように?


 ーー今のなに? 蛇みたいに見えなかった? 生臭いニオイがする。


 ーーつうか、そんな可愛いものじゃなかったよ。ぼくらの胴体よりは太かった。


 ――気味悪~い。


 ――戻って来るかも知れない、気をつけないと。

 

 ――ていうか、ホントに下っているような感じがして来た……?。


 ――つうか、下ってるよ。これ、エスカレーターみたいだよ、階段が勝手に動いている?


 ーーていうか、だんだん早くなってるし!


 ーーつうか、しゃがんでないとヤバイよ。


 ーーていうか、これジェットコースターみたい!


 ーーつうか、今度は上ってるぜ!


 ーーてゆうか、ヤバクない!


 ――つうか、かなりヤバイ! 

 ――ああ~っ!


 ――きゃあ~っ!

 ――キャア~ッ!


 ヒカルとカレンとぺぺ軍曹は宙に投げ出された。


    4


 気がついたら枯れ草の上にいた。


 ーーおい! カレン! 大丈夫かい!


 ――大丈夫なワケないでしょ、あんたの下敷きになってるんだから。


 ――あ、そうか、それはごめん! ぼくらは二人一組だったな。


 カレンが枯れ草の中から頭をもたげた。

 ヒカルも体の半分は枯れ草に埋もれている。


 ーーこの白いのなんだろ?


 ーー卵みたいね。でもぶよぶよしてる。


 ーーそれにしてはデカ過ぎないか? 


 ーーそうでもないみたい。見て!


 ――なに?

 ーーわっ!


 大蛇が鎌首をもたげてこっちを見ていた。

 二つに分かれた赤い舌を出してピロピロさせている。

 ここは大蛇の巣だったのか。

 一難去ってまた一難。


 ーー勘弁してくれよもう~。


 と思う間もなく、シュッと目にも止まらぬ速さで襲いかかって来た。

 ヒカルとカレンは枯れ草から転がり出た。

 ぺぺ軍曹は飛び立った。


 大蛇の口撃を避けながら、


 ーースサノオノミコトはヤマタノオロチと、どう戦ったんだっけ?


 ーー知らないわよ、そんなこと。


 ――こんなデカいやつとまともに戦って勝ち目はないよ。


 ーー頭が八つないだけましでしょ。


 ーーでもシッポは八つあるみたいだぜ。シッポを叩き斬ってやるか。


 とりあえず、斬れるところから斬るしかない。

 大蛇の頭の動きは素早いけど、胴体は無駄に大きいだけ、緩慢な動きだから、後ろへ回ってーー。

 ところが、その八つのシッポそれぞれに蛇の頭がついていた。

 蛇どうしのキメラだったのだ。

 しかもそれは毒蛇っぽかった。

 それもみな腕ぐらいの太さがあった。

 ヒカルが三匹、カレンが二匹斬り落としたけど、一匹がヒカルの脚に巻きついた。

 さらに一匹がカレンの足首に。

 そして大蛇本体の強力な力で振り回され、地面に何度も何度も、叩きつけられた。

 ふたりは身動きできないほどのダメージを受けた。

 そこへ大蛇の頭が伸びて来て、あわや呑み込まれようとした時、黒い影がよぎったと思ったらーー。

 大蛇の頭が急に、ドスンと地面に落ちた。

 ヒカルは最後の力を振り絞って、太腿まで巻きついた蛇を切り取り、カレンの脛足に巻き付いたやつも斬り落とした。

 もう一匹を、と見たら、そいつは大蛇の胴体部分に噛みついていた。

 もしかしてキメラの毒が回って大蛇はーー?

 でも確かに天井を黒い影がよぎったような気がした。

 シャドー様が……?


 ーー重たいんだけど、どいてくれる?


 カレンも無事のようだった。


   5


 この部屋の扉は一つ。これも開いていた。

 ほかに秘密の隠し扉はなさそうだ。

 そこには階段はなかった。

 余裕で立って歩ける平坦な通路が延々と続いた。

 大蛇の生臭いニオイがしていたから、大蛇の通り道になっていたのかも。


 ーー思い出したよ。


 ――なに?


 ――スサノオノミコトは、頭が八つある大蛇、ヤマタノオロチに酒を飲ませて、酔っぱらったところを、剣で斬って退治したのだった。

 ヤマタノオロチは年に一度、老夫婦の八人の娘を食べに来きていた。

 最後に残っていた末娘の奇稲田姫を救って、妻にしたんだよ。


 ーー日本書紀ね。


 ーー大蛇のやつ、まさかエレクトラ王女を……。


 ーーエレクトラ王女を?


 ーーエレクトラ王女を、食べてなければよいけど……。


 ――変なこといわないでよ。

 それよりどうなってるの、これ? 

 もう、四、五キロは歩いたんじゃない? 

 さっきのジェットコースターと合わせると、方向感覚からしても、渓谷の向こうにそびえていた、一万メートル級の岩山辺りまで来てることになるわよ。


 ――感覚的にはそんな感じだね。だとしたら、そろそろ火山洞が現れるはずだけどな。


 ――火山洞って?


 ――マグマが吹き上げられた跡だ。


 ――でもなんだか石がゴロゴロしていて歩きづらくなったみたい。それに人工的な壁じゃなくなってる。


 ーー本当だ。自然の、火山岩のようだ。有毒な、火山ガスの危険性がある。


 ーーぺぺ軍曹、見て来て。

 ーーぺぺグンソウ、ミテキテ。


 ぺぺ軍曹はカレンの肩から飛び立って行った。

 そして戻って来てさえずる。


 ――ぺぺグンソウ、ミテキテ。

 ーーぺぺグンソウイキテルシ、ユウドクガスナイシ。


 進むに連れ、ごつごつした岩の洞窟になった。

 天井の岩も高かったり低まっていたり、狭かったり広まっていたり、危うく足元の裂け目に足を取られるとこだったり、水たまりもあった。

 鍾乳洞のようだ。


 ーーここも城塞のうちかなあ……。


 ーーでもまた分かれ道に来ちゃったみたいよ。


 行く手には四つの洞穴がポッカリ口を開けていた。今度は四つの分かれ道。

 そのうちのひとつは、とても狭い岩の亀裂。


 ーーどうする?


 ーー今度はきみに任せるよ。ぼくは運が悪い。


 ーーそれじゃあ、あっち。


 といって、カレンは素直に一番広い洞窟を選んだ。あんたなら一番狭いほうにするだろうけど、といって。


 ーー当然。


 ぺぺ軍曹は自発的に偵察に出かけた。

 きり、戻りが遅い。

 心配しながらも、前のことがあるので、別の洞穴から戻って来るのではないかと、待っていると、


 ――ぺぺグンソウイキテルシ、ユウドクガスナイシ。


 とさえずりながら同じ洞穴から戻って来た。

 正解だった。

 堂々巡りだけは避けられた。


 だがしばらく進んだ所でまた上り坂になった。


 ーー最初の千メートル急降下からは、どう考えても上向きに進んでいるとしか思えないんだけど。


 ーーどこかにまた急降下の扉があるんだよ、きっと。


 ーーそうあって欲しいけど、……なにそれ?


 ーーなにって?


 ――あんたの足元にあるやつ。


 ーーということはきみの足元にもある?


 ーーきゃっ! なにこれ? じ、人骨?


 足元ばかりではなく、そこら辺一帯に人間の骨が散乱していた。

 頭蓋事は見当たらないけど、肋骨(あばらぼね)や腰骨や手足の骨が白く光っている。


 ーー特殊部隊の隊員はここまで来ていたのか?


 ほかにも小動物らしきものの骨もあった。

 薄暗く、じめじめした所だ。


 ーーに、肉食の怪物がいるってこと?


 ヒカルとカレンは剣の柄に手をやって、背中合わせに辺りを警戒しながらその場でひと回りした。

 なにかの生臭いニオイが漂って来た。

 何者かの気配を感じる。

 ぺぺ軍曹がカレンの肩から飛び立って、


 ーーキケン! キケン!


 と騒いだ。


   6


 しわしわと何者かが近づいている。

 けど姿は見えない。

 足元からもぞもぞ這い上がる感覚がする。


 ーーあんた、あたしの脚に触ってないよね?


 ーーきみこそ、ぼくの脹(ふくら)脛(はぎ)触ってるだろ。


 ーーいやだ、腿(もも)までーー。


 ふたりは首を捻じ曲げて互いの脚を見ようとする。

 ヒカルは股の間からも見ようとした。

 だが、なにも見えない。


 ーーと、とにかく、この薄気味悪い所から離れよう。


 ーーそれがいいみたい。

 ーーソレガイイミタイ。


 ふたりは剣を抜いて、周りを警戒しながら蟹歩きに歩いた。

 それが一番早い歩き方なのだ。

 歩調を合わせ、一心不乱に歩いて、じめじめした所から抜け出した。

 カラッと乾いた瓦礫の道まで来ると、しわしわする気配からは逃れられた。

 もぞもぞする感覚もなくなった。


 ーーなんだったんだろう?


 ーー気のせいかも知れないな。恐怖心は幻覚を呼ぶ。


 ーーでも、誰かに見られているような気がしない?


 ーーする。


 ーーこれも幻覚なの?


 ーーそうでもなさそうだ。


 ーーって?


 ーーあっちこっちから見られている。


 ーーどこ? だ、誰に?


 ーー天井や岩間の暗がりをよく見てごらん。


 ーーか、カラス!


 いつの間にか嘴(はし)太(ぶと)カラスに取り囲まれている。

 あっちからもこっちもから、顔をのぞかせている。


 ーーこいつらの仕業か? 城塞にはカラスはつきものだけど。


 ーー気味悪いね。だけど、カラスがあんなにきれいな骨にする?。


 ーーわっ!


 ーーおどかさないでよ、今度はなに?


 ーー脚を見て!


 ――きゃっ! なに? これ!


 ーーヒルだ! 吸血ヒルだ!


 気のせいではなかった。

 脚は、足首から太腿まで吸血ヒルに、赤黒く蚯蚓(みみず)腫(ば)れのように覆われていた。

 ヒカルとカレンはしゃがんでヒルを剥ぎ取ろうとした。

 だけど、吸い付いていて剝がれない。

 たっぷり血を吸ったやつが何匹か取れただけ。


 ーーダニのようにたっぷり血を吸って、膨らんでからでないと、剝がれないよ。


 ーーその前に貧血で倒れちゃうわよ。


 ーーでも、ヒルじゃない。ヒルもカラスも、掃除屋だ。骨をきれいにしたのは、バクテリアだろ。

 ほかにまだいる、本格的な殺し屋が。


 ーーおどかさないでよ。


 ーーきみもあまり運は良くないみたいだな。


 ーー人のせいにしないで!


 ーーとにかく、油断しないで行けるところまで行くしかないな。戻りたくはないだろ?


 ーーぺぺ軍曹、先を見て来て!

 ―ーぺぺグンソウ、サキヲミテキテ!


 すぐにぺぺ軍曹は戻って来てさえずった。


 ―ーぺぺグンソウ、サキヲミテキテ!

 ――ぺぺグンソウイキテルシ。ユウドクガスナイシ。


 ――そう、あんたは有毒ガスにやられてから役に立つのね。


 どんづまりまで行くしかない。

 そしてほどなくそのどんづまりになった。

 そして嘲(あざけ)るような魔物たちの咆哮(ほうこう)が洞内に響き渡った。

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