第十三章 『無いもの』の主・シャドー


    1


“絶望せし者よ!

 わたしはこの世界の九十七パーセントを支配するシャドーである。

 わたしは『無いもの』の主であり、絶望の淵に沈みし者の救い主である“


 ――家族や、神様にも見離された、こんな自分でも救われるのでしょうか?


“絶望せし者よ、

 そのためにわたしは在るのだ”


 ――どのようにすれば救われますか?


“絶望せし者よ、

 わたしは『無いもの』の主であり、種子の生みの親である。毒の果実から毒の種子を取り除いてあげよう“


――自分の罪が赦されるということでしょうか。


“罪が赦されることはない、絶望の種子を取り除くのだ”


 ――生きられるということでしょうか?“


“それはソナタ次第だ”


 ――なんでも致します! 神様――いえ、シャドー様、このまま死にたくないです!


“使徒をつかわそう。そこにいる使徒に従うがよい”


 壁に映った葉っぱの影がぱっと消えて、そこに朧(おぼろ)な人影が浮かび上がった。


    2


 その様子を看守部長が視察孔から覗き見していた。

 死刑囚が壁に向かって跪(ひざまず)き、なにやらブツブツ話しかけているのをーー。

 未決囚は二十一時減灯、就眠の規則だが、死刑囚は二十二時までである。

 すでに二十三時を回っているけど、この監房だけは今日に限って、終夜起きていても許される。

 看守部長は、頭を振りながら巡回を始めた。


 明けて六日目の土曜日。

 法務大臣からの執行命令書は月曜日に届き、執行担当職員による入念なシュミレーションが行われ、準備が整った木曜日あたりから魔の領域に入る。

 死刑囚にとって、週末の土曜日は、最も危険な日なのだ。

 午前十時ともなるとーー。

 死刑囚らは扉に向かって正座し、極度の緊張を以って、“死神”の行進を待つことになる。

 やがて、地獄の釜蓋が開くような音がしてーー。

 複数の靴音を響かせて、死神の行進が始まる。

 死刑囚らは全身を耳にして、靴音の中に普段ない音を聞き分けようとする。

 それが死神の使いなのだ。

 だが、普段ない靴音が混じっていなかったら、単なる毎日の儀式となる。

 死刑囚らはホッと胸を撫で下ろして、深い息を吐く。少なくとも明日の朝までは生きられると。

 が、たまに新任の看守長などが、無神経にも行進に加わって死刑囚らの心肝を寒からしめることがある。

 そのことは逆に、今日のように死神の使い魔がいる時でもーー聞きなれない靴音が混じっていてもーーわずかな希望となる。

 今や死刑囚らは恐怖に打ち震えながら、そのわずかな望みにすがりついていることだろう。


 死神の行進は、真部光の房を過ぎてから立ち止まり、回れ右をした。

 看守部長が右手の房の名札を確かめるように見て、担当看守に目配せをした。

 担当看守は施錠を外し、鉄板で目隠しされた重い扉を開いた。

 屈強な特別警備隊員三名が、まず中に入り、続いて三名の刑務官も房内に入った。

 中央の恰幅のよい主席矯正処遇官が進み出て、

「1345番、お迎えだ」

 といった。

  

 だが、そこに真部光はいなかった。

 一同は唖然として佇んだ。


 ――なんなんだ、これは?

 ――どういうことだ!


「看守部長!」

 と主席矯正処遇官が外の看守部長を呼んだ。

「はい!」

 看守部長はあわてて中に入った。

「これはどういうことだ!」

 看守部長は目を白黒させて我が目を疑ったーー。

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