第十章 弁護士・岩倉知巳
1
「主文――少年は刑事処分が相当、検察官送致とする」
第五回審判で判定が下った。
真部光は大阪拘置所に身柄を移され、大阪地検から大阪地裁に公訴された。
それは想定内のことであったが、真部家の家族のショックは大きかった。
付添人から引き続いて弁護人となった岩倉知巳(いわくらともみ)弁護士は、懸命に家族を慰めた。
「大丈夫ですよ。今度はこちらから精神鑑定を申請しましょう。それに、少年法で十八歳未満の少年は仮に死刑に相当する罪であっても、無期に減刑されることになっておりますから。
無期といっても、二十年も過ぎれば仮釈放の道が開けます。それでもまだ光君は三十六歳じゃないですか」
岩倉は三十六歳で独身、風采(ふうさい)は上がらないけど、精力的な男だった。
家裁の審判は非公開で行われ、判決理由も明らかにされない。
だが、付添人であった岩倉は知る立場にあった。
裁判官は、瀬川鑑定人の「狭義の精神病」ではないとする鑑定結果と、浅田調査官の環境調査結果を重視して、真部光に責任能力ありとしたのだ。
そこで一縷(いちる)の望みであった医療少年院送致の望みは絶たれた。
被害者遺族の三家族へは、当座の賠償金を各一千万ずつ支払い、その領収書を情状証拠として提出したのだが、なにぶんにも、ご当人に反省の色が全くないのだ。
真部光は第一回公判の罪状認否で、裁判官の尋問に、岩倉との事前の打ち合わせを無視してーー。
――その通りです。
――間違いありません。
といってしまい、検察の公訴事実と罰条を全面的に認めてしまった。
それによって訴因が決定し、争う範囲が限定されて、圧倒的に弁護側不利の公判となった。
検察の求刑は勿論死刑である。
頼みの精神鑑定も、T大学の是永(これなが)教授が新たに出した鑑定結果は、やはり、「犯行時、一過性の乖離障害を起こしていたものの、見当(けんとう)識(しき)に乱れはなく、精神病質とはいえない、従って、犯行時の責任能力はあったといわざるを得ない」ーーだった。
賠償金の受取を拒否していた二遺族の内、ひと家族を説得、一千万円の賠償金を受け取ってもらい、その受領書も情状証拠として提出した。
だけど、最後まで拒否した藤崎誠の父親が、検察側証人に立ち、強く被告人の極刑を望んだ。
弁護側からは、被告人の家族が証言台に立ち、被告人の情状を訴えた。
そうして迎えた最終陳述でーーこの間約二年の歳月が流れ、事情は大きく変わって、真部光は十八歳になっていたーー裁判官の問いかけに彼はこう答えている。
――悪いことをしたとは思っておりません。でも、罪を犯しました。犯した罪は償います。
裁判官と検察官、それに岩倉とで協議して、三日後に判決公判が開かれることになった。
2
二年の歳月の間に、十七歳,十五歳の、少年少女による凶悪犯罪が相次いで、刑事訴訟法の特則である少年法の撤廃論議や、刑期引き上げ論議が沸き起こった。
そしてついに法制審議会は、少年法五十一条1項の改正要綱を決定、法改正は成された。旧少年法に戻って、十八歳未満の死刑の道が開かれたのである。
奇しくも、戦後アメリカに習った少年法が、またアメリカに習った形である。
一方ではイジメによる自殺者も増加の一途をたどり、社会問題化していた。
“生(い)け贄(にえ)”を求める未成年の荒廃ぶりは目を覆うばかりであった。
どこで他人の痛みを我が痛みとし、他人を思いやる気持ちを失ってしまったのか。戦後教育に問題があるのではとする論議も当らない。なにかが起きている。
浅田調査官の少年調査票に添付されたロープレイで、イジメる側に立たされた真部光が、頻りに、“生け贄”という言葉を使っていた。
ストレスを抱えた少年少女たちが救われるためには“生け贄”が必要なのか。
それは未成年に限らず、ストレス社会を生きる大人たちの間でも同じ。さらに世界の荒廃ぶりによってもうかがえる。
毎日毎時毎分に、惨(むご)たらしく人が死に、惨たらしく殺されている。
地域によっては、人命は鳥の羽毛より軽い。
政権交代は票決ではなく、暴力によって成される。
世界は二度の大戦を経て、また大戦前に逆戻りしたかのような様相を呈している。
エゴとエゴがぶつかり合い、一触即発の危殆(きたい)をはらんだ地域もある。
一方で何億人も飢え、一方で世界の軍事予算は増加の一途をたどっているのである。
民族と宗教、宗派が違うだけで、いがみ合い、殺し合う。
そのような状況下で、長期に渡って国民的論議を呼んだ裁判は、ようやく結審の日を迎えた。
多くの問題を抱えた事件であるから、長引くことが予想され、また、一般人には耐え難い残酷な場面もあるので、裁判は陪審員抜きの通常裁判で行なわれた。
裁判員裁判であれば〈世論は真っ二つだから〉違った結果になっていたかも知れない。
アメリカでは陪審員全員一致でないと票決できないから、明らかに違っていただろう。
ともかく、判決公判が開かれ、真部光に判決が下された。
「主文――被告人真部光を死刑に処す」
――うちの子が、独りで死ねばよかったんですか!
――そうしたら、自殺に追い込んだ子供たちは悲しんでくれますか!
立ち上がって狂ったように母親は叫んだ。
娘と息子に制止されても、なおも叫び続けた。
法廷は混乱し、廷吏が駆けつけた。
娘と息子に抱きかかえられて、叫びながら退廷して行く母親の姿は、痛ましかった。
真部光はうつむいて泣いているように見えた。
岩倉は真部光に駆け寄り、まだ二審三審があるからね、と力づけるよに肩を叩いた。
3
――だが、それはなかった。
信じられないことが起きたのだ。
十八歳の少年が死刑判決を受けたことだけでも衝撃的なことなのに、それ以上に衝撃的なことが起きたのだ。
当然岩倉は家族の願いを一身に受けて、「量刑不当」で控訴手続きに入った。
判決言い渡しから二週間以内に控訴趣意書を、一審の裁判所に提出しなければならない。
ところがなんと、被告人本人がこれを拒否したのだ。
岩倉は何度も何度も足を運んで真部光を説得した。
だが、真部光は頑として譲らなかった。
家族との面会は本人から拒否され、家族の説得の機会も与えられない。
岩倉は家族の思いがどんなであるか切々と訴えかけた。
真部光はそれも聞く耳を持たない。
――君はまだ未成年だから、君が拒否しても、控訴はできる。
ついに岩倉は最終手段に訴えた。
すると真部光はこう答えた。
――未成年のぼくには贖罪の機会も与えられないのですか。
上訴しても上訴を取り下げるというのだ。
さすがの岩倉もあきらめざるを得なかった。なにをとち狂ったか、検察庁にやって来て、控訴してくれという。
検察官はあきれた。
最高刑を求刑しているのに、どう控訴するというのだ。
法曹関係者は誰も死刑が確定するなどとは思っていなかった。
最高裁までに“人を殺したら死刑になるんだぞ、子共のころ親にそういわれただろう”と青少年に思わせてから、裁判官の温情で無期刑に減刑するという段取りだった。
法改正もその趣旨であった。
国民的コンセンサスを得ることは難しくとも、初めから人を殺しても死刑にはならないというのと、人殺しは自分殺しでもあるというのとでは、凶悪犯罪の抑止力に違いが出るのは当然だ。
十四歳から刑事責任を負わせるよになったし、どんどん厳罰化が進んでいるのも致し方ない。
真部光は、人を殺したら死刑になるというのを、身を以って示そうとしているかのようであった。
だけど、家族の悲しみはいかばかりか。
岩倉は、肩を落として検察庁を出ると、ざんばら髪を振り乱して、わけもなく走り出していた。
もう少し身なりに気を使えば、彼女のひとりもできそうなものだがーーとよくいわれる。
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