第八章 家庭裁判所調査官・浅田光利
1
逮捕から二十日余り、警察・検察の取り調べを受けた真部光は、「刑事手続が望ましい」という意見書を添えられて、大阪地検から大阪家庭裁判所に送致された。
そして、少年鑑別所に収容され、そこで、行動観察されながら、少年法十六条に基づいて、医学・心理学・社会学、その他の専門家の鑑別を受けることになった。
裁判所調査官による調査面接も並行して行われた。
浅田光(あさだみつ)利(とし)調査官は、前もって取り寄せた「少年及び保護者照会書」や「学校照会書」、捜査機関の「一件記録」など、一通り資料を読み込んでから真部光と向かい合った。
その第一印象は、報道や世論、それらの資料による予断と、あまりにもかけ離れていた。
真部光は、草色がかった肌をした細面(ほそおもて)のおとなしそうな少年だった。今の子にしては背もそう高くない。資料には身長百七十センチ、体重六十一キログラムとある。
しかし、どことなく気品があり、背筋がちゃんと伸びていて、弱々しいイジメられっ子タイプではない。これは意外だった。
この少年のどこにあのような残虐性が秘められていたのか、犯罪心理学や社会学に通じた彼の目から見ても、ごく普通の優等生という感じであった。
警察の基礎調査資料によれば、学業成績は一貫して優秀で、母子家庭とはいえ家庭環境は悪くなく、生育歴のどこにも問題行動や、犯歴はない。
浅田の知る限り、凶悪犯罪を犯す少年はもれなく、家庭環境に問題があり、生育過程のどこかで変質していて、問題行動があり、幼くして窃盗などの犯歴がある。
かつて自身が調査した少年の中にあっても、これは保護処分が必要だなと感じる者は、刃物のような危なかしさを内に秘めていた。
そういう者の中からのちに残虐な殺人を犯す者が出た。
今スチール机を隔てて向かい合っている少年は、そういうのとは少し違っていた。保護観察を見送るタイプである。
ただ、非行を重ねていたにもかかわらず「不処分」にした少年が、のちに盗んだ拳銃で連続殺人を犯して死刑になった事例がある。
その少年もきっと甘い処分を受けるだけの様子をしていたに違いない。
実際のところ、人間は外見ではわからない。
じゃあ、内面はわかるのか、心理学や精神医学でーーといわれても困る。
往々にして精神鑑定が鑑定医によって食い違ったり、真逆の結果になったりする。
はっきりわかるのは、脳波や、CTやMRI検査による器質的障害だけである。真部光にはそれらの検査結果に異常は見られなかった。
つまり、今のところ彼はごく普通の高校生に見えるのである。
「わたしは浅田光利といいます。これから君のことを色々調査して、裁判官に報告します。それを参考にして裁判官は君の処分を決めることになります。だからそのつもりでーー」
真部光は、人定質問から始めた浅田の質問に答えず、下を向いてぶつぶつ呟く(つぶやく)だけだった。
家族のことを聞いた時だけ、顔を上げて透明感のある眼差しを向けて来た。
けど、それは視線を結ぶことなく、拡散するように虚(うつ)ろだった。
まだ悲惨な現実を受け入れられず、一過性の解離(かいり)障害(しょうがい)に陥っている、よく見られる傾向だ。
それが一過性のものなのか、事件以前からそういう傾向があったのかは、慎重に見極めなければならない。
身柄確保以前から少年の日記がマスコミの手に渡り、色々と興味本位に取り沙汰された。
専門家を自任するコメンテーターなどが鹿爪らしく、離人症を発症しているのではないか、などとコメントしていた。
確かに赤裸々に綴られた少年の日記を読むと、解離障害の傾向が顕著に見られる。苛烈なイジメによる受け入れ難い現実から乖離して、神話に救いを求める別人格が生まれていたと思われる。
だけど、イジメが契機になったとしても、それ以前に素因があるはずだ。
発達心理学にも通じた浅田は、つい成育過程のどこかでスポイルされているのではないかと、勘ぐってしまう。通り一遍の警察の基礎調査などは信用していない。
どんな状況下であれ、人が万引きするのとしないのと、殺人を犯すのと犯さないのとでは、その一歩は、天地の隔たりだと浅田は思っている。
つい先だっても、小学六年生の女の子がイジメを苦に、自宅マンションから飛び降りるという痛ましい事件があった。そういう事件はあとを絶たない
心の中ではイジメ相手を皆殺しにしてやりたいとは思っても、たいてみな自分のほうを殺してしまう。
たとえ拳銃を手にしたとしてもーー。
何度も面接を重ねるうち少しは会話をするようになった少年に、浅田はたずねた。
「君は、イジメッ子五人を拳銃で撃ち殺したわけだけど、もし、拳銃が手に入らなかったら、どうしていただろう?」
その質問に真部光はこう答えている。
「正義を行うための神の火は、ぼくにはどうしてーー神はどうしてぼくの贖罪をお許しにならないのだろう……」
逮捕時からぶつぶつ呟いていたのはそれだった。
――どうして弾が出なかったんだろう?
……どうして?
カメラマンが火薬を抜き取っていたからだといっても、神の使徒はどうしてそんなことをーーという。
分裂した妄想人格が幅を利かせているうちは、本人から合理的な供述を引き出すのは無理だと浅田は判断した。
試しにロールシャッハテストを試みたけど、左右対称のインクの染みを見て、「これは宇宙モデルですか? やはりーーぼくは常々、宇宙はリンゴのようなものだと思っていました」という。
2
浅田は環境調査をすべく真部家に向かった。
一件記録によると、少年は拳銃が手に入る以前に、刃物で連中に立ち向かっているのだ。相手も刃物を持っていてしかも人数が多かったから未遂に終わっているけど、一歩を踏み出している。
パワーが足りなかっただけだ。
きっとそこに、成育過程のどこかに、その素因が隠されているはずである。
真部家は大阪府S市の比較的古い住宅地の中にあった。
築約三十年というその二階建ての家は、まだローンが少し残っているというのに、今売りに出されているという。
刑事裁判では、被害者家族への補償金が量刑を左右する。極端な場合、死刑が無期になったりする。被害者家族が極刑を望まないと嘆願するからだ。
少年審判も被害者家族の心情が審判官に与える影響は大きい。
だから加害者家族は家財を投げ売ってでも、被害者家族に補償金を支払おうとする。
真部光の場合は少年審判で保護処分になるか、検察庁に逆送致されて刑事手続に付されるかでは、それこそ死刑か無期か以上の違いがある。
彼の場合は、少年法第二十条の、「家庭裁判所は、死刑、懲役または禁錮にあたる罪の事件について、調査の結果、その罪質及び情状に照らして刑事処分を相当と認めるときは、決定をもって、これを管轄の地方裁判所に対応する検察庁に送致しなければならない」という事案に相当するからだ。
刑事訴訟法で裁かれた場合、死刑の可能性がある。
少年法では死刑に相当する罪状であっても、十八歳未満の少年は無期に減刑されるという上限を設けている。
かつて未成年が死刑判決を受けたのは十八歳と十九歳の二人だけだ。
だが、日本以上に凶悪犯罪の低年齢化が深刻なアメリカでは、十五歳の死刑囚がいる。アメリカで起きたことは多少のタイムラグはあれ、日本でも起き得る。
このところ上限撤廃の機運が高まっており、法改正の動きが活発化している。
これがその契機にならないとも限らないのだ。それほど、少年犯罪の目を覆うばかりの残虐性と、低年齢化に拍車がかかっている。
そうなれば世論は真っ二つに割れて、国民的論議を呼ぶことになるだろう。
アポを取っていたので、家には家族全員がいた。
そして付添人である弁護士までいた。
少年犯罪に付添人を付けるのはまれで、わずか一・四パーセントに過ぎなかったものが、少年法の改正で国選付添人が付くようになったけど、そこにいたのは私選弁護士であった。
それほど家族の思いは切実で、息子への思いが母親のやつれた面差しに如実に表れていた。
色白でぽっちゃりした笑窪のある母親は四十五歳、光は二十九歳の時の子になる。市役所職員だった父親はそれより三つ年上で、生きていれば四十八歳になるが、十年前に胃癌で亡くなっている。
恐ろしく美人の姉は二十一歳で、肥満児の弟は十二歳という家族構成であった。
父方の祖父母はともに鬼籍に入っていて、神戸に住んでいる母方の祖父母は健在だけど、その姿は見られなかった。
浅田は光少年の様子を伝えてから、今現在の家族の実情を聞いた。
母親の真部千賀子はこう答えた。
「私は勤めていたスーパーを辞めて、知人の紹介で、食品製造加工会社のやはり事務員をしております。夜は関連会社のスーパーで三時間ほどアルバイトを。
娘も務めていた銀行を辞めて、アパレル関係の会社に再就職しております。この子は一駅先の小学校に転入させてもらって、通わせております。
いずれはーーこの屋敷が売れればですが、遠く離れた所に引っ越すつもりです」
姉の月子も弟の星也もただただ泣くばかりであった。
けど、光の生い立ちや生育状況に話が及ぶと、二人は口をそろえて、優しい弟、優しい兄ちゃんだと主張した。
家族の心証はよかった。今まで接した非行少年の家族とは雲泥の差であった。家族のまとまり、暖かさが伝わって来た。
だが周りの人々はどう見ているのか、浅田は真部家を辞してから、近所の聞き込みに回った。
付添人の岩倉弁護士の心中を察しながらーー求められるのは少年の人間性の良さーーではなく、精神的欠陥であるべきなのだ。
しかも、出がけに岩倉弁護士から聞いたところによると、被害者少年の遺族五人のうち、二人は補償金の受取を拒否しているという。
刑事裁判になれば、被害者感情としてきっと被告に極刑を望むだろう。
二日かけて行われた浅田の近所の聞き込み調査は、押し並べて家族の証言を裏切るものではなかった。
これも意外だった。
凶悪犯罪においては、加害者ばかりか、加害者家族へのバッシングが轟然(ごうぜん)と起きて、家族はいたたまれなくなって姿を消すものだが、同情の声のほうが多かった。よそへ引っ越す必要はなさそうに思うほどであった。
ただ、父親に関しての評判は分かれた。
謹厳実直を絵に描いたような役人だけど、高圧的なものいいで、人を見下したようなところがあり、頑固で、家族に対しても有無をいわせず自分の考えを押しつけていた。
子育ては嫁に任せきりで、自分は趣味の園芸に没頭し、休みの日はエビネランを求めて、ひとりで野山をさまよっていた。
彼が死んでから家族は水を得たようにのびのびとしていた。春休みや夏休み、冬休みなど、学校が休みの時はよく家族旅行に出かけていた。多額の生命保険が入って経済的にもゆとりがあったのだろう。
というものから、気難しい人だったけど、頼っていけば親身になって世話を焼いてくれる役人堅気、たらい回しにしようとする部下を叱り飛ばして、担当以外のことでも世話を焼いてくれた。
子煩悩とはいえないけど、親の背中を見せて育てるというか、彼自身、気骨な役人だった父親の背中を見て育ったので、今時の馴れ馴れしい親子関係ではなかった。
というものまでいたが、気になるほどの親子関係ではない。
母親に対する評判は申し分なかった。働き者で子煩悩、義父母もちゃんと世話をして看取っている。
祖父母からの影響も考慮に入れなければならないけど、祖父母の評判も悪くはなかった。もっとも祖父は光が生まれる以前に死んでいたし、祖母も光が小学校に上がる前に死んでいる。
祖母にはたいそう可愛がられていたというから、喪失感はあったのだろうけど、死の意味がまだよくわかってない年頃である。母方の祖父母とはあまり交流はなかったようである。
ひとつ気になったのは、姉の月子との関係である。
歳が五つ離れているから日常的にあまり接する機会はなかったとは思うが、こう証言する者がいた。
「美しい姉は自慢のようだった。姉のほうは肥満児で愚鈍な弟のほうを可愛がっていた。というか面倒をよくみていた。光はその辺が不満だったのかも知れない、よく弟に意地悪をして泣かせていた。
一度姉が不良少年――といっても中学生だけどーーに構われて泣いていたことがあり、まだ小学二、三年生の光が工事現場の鉄筋の切れ端を持って立ち向かって行ったことがある〈近所の子供たちの証言〉。
というものだが、男ばかりの兄弟の六男だった浅田には、女兄弟に対する気持ちはわからない。わからないけど、歳の離れた美しい姉がいたとしたらーー歳が近ければケンカばかりということになりそうだけどーーやはり一種の憧れのようなものが、シスコンとまではいかなくても、そういう感情は理解できる。
そういえば事件当時、あの界隈で強姦未遂事件が何件か起きていて、不良少年たちの関与が噂されていた。
員面調書には、「姉さんが土手を通って通勤していたのを、帰りが晩くなると、君はよく取水口の所で待っていたらしいね?」という刑事の問いに、光は「母にいわれたから」とぶっきらぼうに答えている。
これに対して母親は「そんなこといった覚えはない」といっている。「でも生前父親がしていたこと。それをそのまま受け継いでくれて助かっていた」と。
この辺は本人に聞いてみるしかないなと思う。
学校関係者も押し並べて光少年に同情的で、手に負えなかった不良少年たちの行状ばかりが並べ立てられた。
生徒たちはもう英雄扱いだった。
――不良とはいえ、前途ある、まだ未成熟の少年を、次々に五人も撃ち殺したんだぞ!
と憤慨しながら浅田は学園を後にした。
そして、その憤慨が渦巻いているだろう、被害者家族への聞き取り調査に向かった。
3
浅田は被害者家族訪問の順番に拘(こだわ)りを持った。
真部光が不良少年たちを殺害した順番通りに訪問しようと思ったのである。
そのために、学園近くの三番目に殺害された三年生、下村浩二の家を飛ばして、わざわざ十キロ先の一番目に殺害された一年生、藤崎誠の家に向かっている。
二番目に殺害された同級生、吉山真一の場合は、家族がそろうまで二日も待った。その間一件記録を何度も何度も読み返して過ごした。
なぜそのような拘りを持ったかというと、それはそのまま真部光の拘りでもあったのではないかと思ったからである。
検面調書で真部光は「夢に見た通りに行った」と述べている。
検察官はそれを「計画的で、実に合理的、秩序型の犯罪である」として、「過酷なイジメによる心神喪失・心神(しんしん)耗弱(こうじゃく)を排除して、刑事責任を問うべきである」としている。
確かに、実況見分調書や検証写真なんかを見ると、五人もの相手を確実に殺すには、これ以上ないほど用意周到な計画性が感じられる。場所選びといい、銃撃も列車の通過時刻に合わせているほどの念の入れよう。
昔の映画に、狙撃手が塹壕の中に並んだ敵を、気付かれないように、端から順番に撃ち殺してゆくシーンがあった。そして一人で何十人も捕虜にした。
それと同じような実に賢いやり方だ。検事がいうように、とても心身喪失や心神耗弱者のやることではない。
激情に駆られてというのも当らない。次第に興奮を募らせてーーというのでもなく、憎しみの度合いに応じて弾丸を撃ち込んでいるように思える。
ではどうして最初が藤崎誠でなければならなかったのか。
藤崎誠は裕福な家庭の一人っ子で親の愛情を一身に受けて育っている。
住居も高級住宅街の一角を占める立派な門構えの家だった。
父親は会社役員、母親はピアノ教室の先生をしながら、趣味で油絵も描いていて、決して両親とも息子ベッタリで猫可愛がりしていたわけではない。
しかし、藤崎誠は典型的なイジメられっ子だった。幼稚園からずっとそうだった。小学校、中学校、高校と、学校が変わり、環境が変わっても、それはついて回った。
従って、「やればできる子」と教師の評価がありながら、成績は芳(かんば)しくなかった。。
それが高校生になってから、ひょんなことからイジメる側に回った。彼に代わって真部光という生け贄(にえ)が現れたからである。
とはいっても、不良少年たちのパシリに使われ、隷従(れいじゅう)していたから、イジメられないというだけで、心情的には真部光と変わりはない、かわいそうな子であった。
真部光の日記に書かれてある“憐れな奴隷”であった。
それをなんのためらいもなく、真っ先に撃ち殺しているのである。
天地を隔てた最初の一歩が、彼と同じ弱い立場の人間を殺すことだった。
これは親殺し子殺しにも通じる、自分殺しではなかろうか。
真部光はまず真っ先に弱い自分を殺したのである。自分は決して弱い人間ではない、力がないだけだと。
あとは怒りにまかせて、神話に拠り所を求めて、正しい行ないをしない者を皆殺しにした。
いかにも心理学に通じた彼らしい心理分析であったが、まだ早計には判断できないと、浅田は首を振った。
だが、一件記録にある府警技官の心理検査による知見には納得できない。府警の技官は性格の偏(かたよ)りを指摘していた。
確かに性格の偏りは否定できない。だが性格に偏りのない者がいるだろうか。そもそも偏りが性格といえる。
加藤家にそろった両親と、父方の祖父母、母方の祖父母、それに叔父叔母らは口をそろへていった。
――補償金はいっさい受け取らない。真部光は刑事裁判で死刑になるべきです。
4
吉山家に集まった家族も、吉山真一によく似たひょろ長い顔に無念の色をにじませて悔しがった。
「同じ中学で同級生だったのに。うちの子も真部君のように真面目で、体は大きいけど、気の優しい子でしたよ。それが高校生になって悪い友達ができて、その影響を受けただけです。いやいやイジメに加わっていただけなのにーー」
といって母親はメガネを拭いた。
「ひとつ間違えれば、立場が入れ替わっていてもおかしくない。でも、息子は逆の立場になったとしても、決して、人を殺したりできる子じゃない」
ひとり四角い顔の父親は、頬を膨らませて、膝の上で拳(こぶし)を握り締めた。彼は自衛官であった。
九州から駆けつけた三つ年上の兄の陽一も自衛官で、「だからあんなヤンキ―の多い学校は止めとけといったんだ」といった。
ほかに短大生の姉と中学生の妹がいた。中学生の妹が一番顔が長かった。
祖父母もいて、「よほどのことがないと人殺しはできない」と祖父がいい、「それだけのものを持って生まれていたんですよ、しっかり直して来てもらわなくちゃ」と祖母がいった。
この家族の被害者感情は悪くない。これは真部光にとって救いになるかも知れない。
吉山家から電車で三駅戻った所に、下村浩二の家があった。
ちょうどR学園のグランドの裏手だった。
解体屋の太った父親と、同じくらい太った母親がいて、父親はのっけから、「うちの息子は被害者なのに、なんであんたらにそんなことを聞かれにゃならんのか」と声を荒げた。
「なにをいっても、もう息子は戻って来ない、罪を犯した者はそれなりの罰を受ければ、それでいいんじゃない」と母親もいう。
こういうのはもう賠償金のことしか頭にない。どれだけ多くの賠償金を引き出すか、それによっちゃあ、鬼にもなれば仏にもなる手合いだ。
近所の評判も頗(すこぶ)る悪い、鼻つまみ一家だった。
民家が立ち並ぶ住宅地に、自分の敷地とはいえ、産業廃棄物をうずたかく積み上げ、足場用木材や板類を氾濫させて、景観を著しく損なっていた。
その上、大型犬を何匹も飼っていて、吠え声や、糞尿の臭いなどで、近所の者は迷惑していたが、なにもいえず、泣き寝入りしていた。よそへ引っ越した者もいるという。
息子の下村浩二は札付きの悪で、盗みやカツアゲの常習者、少年院を含めて保護処分を五回も受けている。
次に向かったのは加藤(かとう)法子(のりこ)の家。
一件記録によると、真部光へのイジメの原因となったのが、加藤法子との係わり合いだった。
加藤法子も札付きの悪で、少年院への送致はないが、保護観察処分の常連だった。
スケ番の加藤法子と優等生の真部光、しかも加藤法子は三年生、接点がありそうもない二人であるが、不幸にして、真部光は駅のトイレで痛めつけられている少女の声を聞いてしまった。
見て見ぬ振りをすればそれですんだのだけれど、真部光の正義感がそれを許さなかった。
穏便にすまそうと駅員に通報したのが不幸の始まり。
真部光の異常な正義感と、潔癖症の一端が垣間見えるエピソードだが、これを以って、性格の偏りと判断してよいものかどうか。
この辺も真部光に直(じか)に面接して内面を探ってみようと思いながら、浅田は加藤家のインターホンを押した。
出て来た加藤法子の母親は若かった。
見た目姉妹といってもおかしくないほどだった。
居間のサイドボードの上の写真を見てそう思った。
まだ三十三歳というから、娘の法子は、彼女が十五、六歳の時の子ということになる。
ほかに父親が違う中学生の男の子がひとりいるけど、これは擁護施設に入っている。
母親はひと目で接客業の女とわかる艶やかさで、赤い爪の指に挟んだ細長いタバコを吹かしながら、なにを勘違いしているのか、「うちの大事な娘をどうしてくれんのよ」といった。「あんな子、死刑にすればいいのよ」
よくいうよ。何度も児童虐待容疑で、児童相談所の立ち入り調査を受けている身でーーその都度、ガラの悪い内縁の夫が凄んで、相談所職員を追い払っている。
よくある職員泣かせの一家だった。息子は施設に保護されているのである。
法子は中学生のころからスナックで接客をさせられていた。
法子の不純異性交遊の非行はそこから始まり、タバコやシンナーや合成麻薬へとエスカレートして、立派なヤンキ―に拵(こしら)えられた。
解剖所見によると、リストカットの痕が三筋もあった。
法子とは血の繋がりのない内縁の夫は姿を見せないけど、「ちょっと、賠償金のほうはどうなってるのさ、話は一向に進まないじゃない」と、襖(ふすま)の向こうに怖いお兄さんが控えているような口ぶりでいう。
まるで交通事故の示談金をせびるような口調である。こういうのにかかったら、弁護士も大変である。
家庭環境が子供に与える影響は極めて大きい。
その見本のようなのが、次に向かったOBの族、十九歳の少年、速見(はやみ)徹(とおる)の家だ。
今時こんなトタン屋根のバラックがあるのかと驚かされた。
しかも、河川敷の一角を不法占拠しているようなもので、終戦直後から住んでいるので既得権を主張して譲らない。
台風による河川の氾濫のたびに、ゴミの山と一緒に流されては、流木とトタンですぐに復旧する。
ここにも犬と猫が何匹も飼われていた。ゴミのような廃品が家を取り巻いてもいた。
待っていたのはボロを着た赤毛の老婆だった。
白内障のような目をしていた。
老婆の語るところによれば、速見徹の両親は彼が生まれてまもなく離婚、彼も加藤法子と同じく、同居人や母親から虐待され、育児放棄されていた。盗み食いをしてようやく生き延びていた。
小学校に上がる段になって、見るに見兼ねた祖母に引き取られて育てられた。その祖母とてこの有様だから赤貧の生活、学校へも行ったり行かなかったり、遊び歩いて窃盗や傷害事件を起こすようになった。
親の愛を知らないばかりか、親や大人に傷めつけられて育ったのだから、他人を思いやる心や、他人の痛みを感じる心を失ったとしても無理はない。
いや、そもそもそういう心を醸成する土壌すらなかった。
これも加藤法子と同じく環境によって捻じ曲げられた、かわいそうな子である。
もう一度育て直すしかないのだが、こういのがしかし大人になってから好人物に豹変することもある。
その芽を摘み取ってしまったのだから、真部光の罪は重い。しかも何不自由なく育っている彼にしてーー。
浅田は環境条件に重きを置き過ぎると人によくいわれる。
確かに事象は環境条件と、〈主体の〉自己原因との相互運動である。両者は不可分であるとする思想もある。
だが、長年少年事件を見て来て思うのは、同じ環境に育った兄弟でも立派に育つ子はいるーーけど、圧倒的に、劣悪な環境で育った子が事件を起こす。
目の不自由な老婆は頼みの孫を失って悲嘆に暮れていた。
事件は加害者も被害者も両サイドの関係者を巻き込んで不幸にする。
やりきれない思いで浅田は環境調査を終えた。
あとは真部光の自己原因を究明するだけだ。
5
少年の内面を知るには言葉しかない。
ひと言でも多く喋らせることであった。
自由連想法のように。
真部光の心はまだ現実と妄想との狭間を揺れ動いていた。
受け入れ難い現実は忘れてしまい、そこに妄想が入り込んで、意味不明のことをつぶやく。
捜査機関の供述調書にある、整合性のある供述を疑いたくなる。
ここは辛抱強く言葉を引き出すしかない。
意味不明の言葉の裏にあるもの、何を隠そうとしているのかを探り出すためにも。
浅田は、血色のよい禿頭(はげあたま)を撫でたり叩いたりしながら、持ち前のとぼけたキャラで、時に真部光を笑わせたりして、解離した両者に語りかけた。
真部光は何時間も沈黙してしまうかと思えば、人事のようにすらすら質問に答えることもあった。
事件前の心理状態は日記から窺い知れる。
だんだん追い詰められて、現実から乖離(かいり)していくプロセスがーー。
傷みの受け皿が必要だった。
――君が最初に聖書を読んだのは?
「図書館で」
――中学校の?
「市の」
――それは、自転車をパンクさせられたり、上履(うわばき)のスリッパを盗まれたり、大事にしていた傘を折られたりし始めたころより前? あと?
「あと」
――そうか、で、その犯人が下級生の藤崎誠君だった。
「……」
――問い詰めていると、ぞろぞろと、吉山、下村、加藤法子が現れて、嫌がらせから、本格的なイジメに変わった。
「……」
――そのころ?
真部光は首を振った。
――じゃあ、OBの速見徹が加わってからだ。
真部光はうなずいた。
――で、どう思った? 日記には“目には目を、歯には歯を”と書いてあるね。
「……」答えない。
――エジプトの奴隷だったイスラエルが、神に導かれて草原に出る。その前に神は数々の奇跡を行なってファラオを驚かせている。
痛快だっただろう?
「……」
――君は日常的に殴られ蹴られ辱めを受けた。お金を脅し盗られた。日記には“憐れな奴隷”と書いてあるね。
「……」
――でもそれは、パシリの藤崎誠君のことだ。君は力に屈していなかった。
真部光は顔を上げた。
――なぜなら、君はひとり、相手は五人だ。それに、彼らにイジメられて不登校になっている者がいっぱいいるのに、君は一日も休まず登校した。
うんうんと目を輝かせて頭を振った。
――力がないから、奴隷のように耐え忍んでいただけだった。
そこへ神が奇跡を起こされて、拳銃という圧倒的な“力”を与えられた。
「――悪を滅ぼせ!」
真部光の妄想人格が叫んだ。
立ち上がって両腕を広げた。
目が宝石のように輝いている。
――だけどね。
浅田は本来の人格に語りかけた。
――でも、君はその前に、神にパワーを与えられる前に、ナイフで立ち向かっている。
OBがサバイバルナイフでみんなを脅して、カツアゲしていたのを知っているのに、勇敢に、料理用ナイフで立ち向かっている。
見た者がいるんだ〈学校照会書の中に生徒の供述があった〉。
――それはどうして?
真部光は座って頭を搔きむしった。
――奴隷のように耐えていた君が、敢然と立ち向かった。
五人相手にだよーーどうしてかなあ……。
「……」
といってしまって、浅田はハッとした。
それは、「どうして死ななかったの?」といっているようなものではないか。
たいていみな耐えられなくなって、独り淋しく死んでいく。
イジメ相手を殺してやりたいと思っても、力が及ばない、相手はきっと連(つる)んでいる、大勢だ。それに親兄弟のことを考えればーーそういう優しい子がイジメられる。
中にはイジメられていた事実さえ知らせずに死んでいく者もいる。
「――正義は行なわれるべきなんです! 悪は断固として粉砕しなければならない!」
真部光はバーンと机を両手で叩いて立ち上がり、妄想人格がまた叫んだ。
地球の裏側にまで目を光らせていて、悪あれば軍事介入も辞さないという、どこかの超大国がいうようなことを。
目をつり上げ、歯をむき出して、拳(こぶし)を振った。
形相がまるで変わっていた。
小学校五年の教師が通信簿にこうコメントしていた。
――正義感が強いのはよいのですが、人にそれを押しつける傾向があります。
もっと以前の低学年の時、通信簿を見せ合いこしていて、1と2がある子の通信簿を取り上げて、ほかの者に見せた。
その子が怒ると、「悪い点を取るほうが悪い」といったーーという当時のエピソードを語る者もいた。
そういう正義感が増幅されていたことは確かだろうと思うけど、それだけが一歩を踏み出した原因ではないと浅田は思う。
この辺のところを見誤ると、「性格の極端な偏り」ということで片付けられてしまう。
日を改(あらた)めて浅田は尋問した。
――お父さんは好きかい? 正確にはーーだったかだね。
「べつに……」
――じゃあ嫌いだった?
「べつに……」
――じゃあ、お母さんは?
「べつに……」
――お姉さんは?
「べつに……」
――随分綺麗なお姉さんじゃないか。誇らしかっただろう?
(また変な質問をしてしまった)と思う。
――正確には、かったじゃなく、誇らしいだろう、だね。
「……」
――君はお父さんがしていたように、お姉さんの帰りが晩くなると、堤防道路まで自転車で迎えに行っていたそうじゃないか。お父さんから頼まれていたのかな?
「べつに……」
父親が息を引き取る間際に“光、みんなを頼むな”とはいわれている〈母親の供述調書によれば〉。
――ぼくにも娘がいてね、やはり帰りが晩いと心配なものだよ。
真部光はイライラして体を揺らした。
そして黙り込んでしまった。
再び日を変えて、今度は事件の最中の心理状態を探った。
驚いたことに、真部光は、五人の少年少女を殺傷する一部始終を克明に語っている。
捜査機関による誘導尋問を追認しただけのものかと思ったけど、そうではなかった。
映像記憶能力者のように、見たものすべてを克明に覚えていた。風や雨粒や砂利の一粒一粒、それを濡らした血液の、ぬめりまでもーー。
おそらくは少年少女の驕(おご)っ顔から血の気が失せ、怯えた顔に変わり、悲痛な叫びを上げる、その表情の移り変わりまでも、映像を見るように思い出せるに違いない。
それを人事のように語るのだ。
これが、逆上して行われた犯罪であり、心神喪失の場合であれば、よく覚えていない、気が付いたら五人が死んでいたーーなんてことになる。
真部光の行為の一部始終を、覚めた目で見ていた者がいるのだ。
完全記憶というのは、サヴァン症候群に見られる傾向だが、真部光にそういう素因はないと浅田は思う。精神鑑定でどのような結果が出るか知れないけれど。
――藤崎誠君を撃った時はどういう“思い”があった?
「憐れなやつめーーと思った」
――吉山君の場合は?
「しょうがないーーと思った」
――下村君は?
「許せないーーと思った。ナイフを持たせて、自分で死にきれるものなら死んでみろといいたかった」
――加藤法子さんの場合は?
「憎かった」
――速見君の場合は?
「――猛烈に腹が立った。こいつを生かしておいたら……」
ーー生かしておいたら?
「……」
事件後の逃走劇については、物語を語るような調子で、いろんな人に出会ったエピソードを語った。遠い昔を懐(なつ)かしむかのような目で。顔でーー。
それはほとんどファンタジーであった。
最後に浅田はロール・プレイング技法を試みた。
ロール・プレイングとは、役割演技法と呼ばれているように、ある場面を設定して、何人かに役割〈キャラクター〉分担させ、その場面に対応させる教育法である。
この場合は、真部光に、藤崎誠、吉山真一、下村浩二、加藤法子、速見徹の、五人の役割を与えて、逆に、真部光自身をイジメさせるという設定にした。
つまりイジメた側の立場に立たせてロープレイを行ない、作文を書かせたのである。
そしてこれを「少年調査票」に添付(てんぷ)して裁判官に提出した。
これで彼の仕事は一段落、茹(ゆ)でたタコのような頭を叩きながら、首をコキコキいわせて、デスクの上の書類整理を始めた。
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