第三章 天賦の才、振るうべくして
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春の終わりに近い五月中旬、金曜日。はじめて厄叉に襲われた日に比べると、夜でも随分と暖かくなった。加えて、連休明けの一週間の終わり。これだけの条件が揃えば、誰であろうと睡魔に屈する。
『まったくだらしがないのぅ。シャキっとせんか、イタチよ』
「うるせー。お前の我が儘のために毎晩戦わされる俺の身にもなってみろ、バカ」
寝惚け眼に背を丸くしたまま夜道を行く威太刀を見かね、鞘に納められたスティークが呆れた声を出す。
威太刀とて気が緩み過ぎていることを自覚してはいたが、スティークがもたらす能力を使いこなせてきた今、並の厄叉程度なら半目と片腕で処理できるのも事実だ。もはや戦いに挑むあたって、恐怖心を感じることすらない。
『致し方あるまい。毎晩現れる厄叉が悪いのだ。わらわは週に一体でも喰えれば十分なのだがの』
「じゃあ我慢しろよ!」
『ならば厄叉に喰われる人の子を見殺しにするか』
「それは……」
『出来ぬと申すか? ほほほ、青いのぅ。では厄叉を狩るがよい。それに……薄々と感じておるであろ?』
刀の姿のスティークが目を細めたような気がした。続く言葉もなんとなく予感できる。彼女との精神共有に慣れてきたせいだろうか。いや、威太刀自身が実際に自覚しつつあるからかもしれない。
しかしそれをすんなりと受け入れるのも癪に思えて、わざととぼけてみせる。
「なにをだよ」
『勝利の悦。圧倒的な力による興を。わらわの力を借り、もはや向かう所敵なしとなったそちは、敵を斬ることの歓びを思い出しつつあるはず』
「…………さあな」
『素直でないのぅ。
図星だった。
剣を振るい戦う。生身で対峙し、敵の手の内を読み、それを捻じ伏せて勝利する。そして勝つことで積み重ねられる自信と誇り。あの少女に勝てなくなった八年前から、長らく得ることのなかった感覚だ。
毎晩繰り返される厄叉との戦いに威太刀は、満更悪くない気持ちを抱いていた。
『次の曲がり角の先、少し開けた場所におるの』
「はぁ……さっさと片付けるぞ」
スティークも徐々にだがこの皚貴市の地理を覚えはじめてきた。すでに厄叉狩りは、二人にとっての日常になりつつある。
最寄りの民家の屋根へ軽く飛び移り、見渡した先に標的を補足。抜刀と同時に跳躍した威太刀は、今宵も厄叉へと斬りかかる。
「フゥゥ――――ッハハハハハァァ!! 快勝快勝!! たまんねぇー!」
『そちは本当に切り替えが早いの……』
厄叉との戦いを終えて帰り着いた威太刀は、夜食をこしらえるため台所に立っていた。
刀のままのスティークを入念に洗ったあと、包丁のかわりに振り回す。放り投げた野菜がまな板に着地する前に、空中で千切りにされていく。
化け物を斬った武器であることさえ忘れれば、切れ味・正確性ともに最高の逸品だ。威太刀にとって、料理に使わない理由がない。
『わらわをこんなふうに使うたうつけはそちが初めてぞ……』
「なんとでも言え! 俺は最強だー!!」
スティークが若干引いている様子だが気にしない。キャベツと大根を瞬く間に切り刻み、最後に玉ねぎを手に取る。
ひときわ素早く、今持てる最高の手捌きをもって空中の玉ねぎを解体する。浅く刃を入れて皮のみを取り除き、目にも止まらぬ速さでスライスする。厚さはどれもきっちり一ミリ。寸分の狂いもない。
『ぐわああああああ目に染みる! やめろ! 玉ねぎ! やめるのだイタチ!!』
「あーッ楽しィー!!」
薄切りの束と成り果てた玉ねぎを着地寸前でキャッチし、盛り付けておいた先ほどのキャベツと大根の上に乗せる。あとは胡麻ドレッシングでもかければ簡単な野菜サラダの完成だ。
「いやー、使えるな! お前! 見直したぜ!」
『ああああぁぁぁ!? め、目!! 染みっ、あああぁぁああああぁぁあぁ!!??』
喋る化け刀でも、玉ねぎを切れば目が痛くなるらしい。出来上がったサラダを居間のテーブルに置き、刀身から水分を拭き取ったあと、威太刀はひそかに考察していた。
すぐに駄々をこねるスティークに対策するため、弱点を分析するのが癖になっている。いざとなったら玉ねぎを刀身に擦りつけるのも有りかもしれない。
どの局も風景映像か天気予報ばかりになった深夜のテレビを眺めながら淡々とサラダをたいらげる。皿を洗い終えたころ、スティークは人間態に戻り、ようやく騒ぐのをやめた。
「なぁ、いっこ疑問があるんだけど」
「おのれイタチ……この怨みは忘れんぞ……」
「お前以外の刀憑きってやつ、感知できないのか? 結局全然現れないが」
先日学校で忠告を受けて以降、克那が威太刀の前に立ち塞がることはなかった。厄叉狩りに乱入してくるだろうと身構えていたぶん、少々肩透かしに思う。
「むむ……。厄叉は同族の存在を察知しうるが、刀憑きの場合はちと例外での。刀という器に封じられている存在故、使い手の身体に力を注ぐまでは厄叉であって厄叉でないようなものなのだ」
「じゃあこないだの騒動の時は、克那のやつが刀憑きの力を使って何かしてたってことなのか……?」
「ほほう。そちの知己であるという使い手の名はカテナと申すのか」
「……ああ。いわゆる幼馴染ってやつだが……あいつにだけは出くわしたくねーな。不愛想でこえーしヤな感じだし、なにより強い。天才だ。クッソいけ好かねー」
「それは楽しみだのう! わらわの力を前にどれだけ食い下がれるか、試してみたいぞ!」
「だから出くわしたくねーつってんだろバカ。そもそも厄叉退治だってやりたくてやってる訳じゃねぇ」
「ほっほっほ、素直でないの。わらわは分かっておるからのぉ~?」
スティークが不敵に笑う。なまじ彼女の言うことも間違っていないからたちが悪い。
あくまで厄叉狩りは面倒事だと捉える一方で、やはり剣を用いて勝つということの悦も否定しがたい。今夜の戦いを通して、その自覚はより確かなものになっていた。
スティークの力を借りられる今なら、もしかすると克那にさえ勝ててしまえるのではないか。
一瞬だけ浮かんだくだらない考えを払拭するように、居間の明かりを消して自室へ戻る。
そしてさも当然の如くベッドへと潜り込んでくるスティークをいつも通り蹴落とし、威太刀はようやく眠りについた。
土曜の午前は、威太刀が起床するころにはとっくに逃げ去っていた。昼下がりの陽光を窓越しに浴びてふと、今日はゲーセンで遊ぼうと決めた。
ベッドから出ようとすると、やはり傍らにスティークの寝姿。
引っ叩きたい気持ちにかられるが、しかし今起こせば出掛ける先にまでついてきそうだ。かといって大人しく留守番をしてくれるとも思えない。
威太刀は黙って押入れから荒縄を取り出し、バカ面で眠るスティークを起こさないよう手足を縛る。これなら帰宅するまでは勝手もできないだろう。
食パンで適当に朝食と昼食を兼ねて腹を満たし、外出用の恰好に着替えて家を出た。
週末だというのに街はどこか人通りが少なく感じる。ゴールデンウィークが明けたばかりなせいか、あるいは厄叉による殺人事件のせいか。
いずれにせよ人混みが嫌いな威太刀にとっては好都合だと思った。ゲームセンターに到着するまでは。
ゲームセンターに入店してみると、プライズコーナーでこそ他の客をちらほらと見かけるものの、対戦ゲームコーナーに入るとぱったりと
連日大賑わいというほどではないが、普段はもっと暇を持て余したような人々が集っているはずなのだ。
対戦格闘ゲームでここ一週間のストレスを発散しようと思って来たのに、このままでは一人プレイ用のモードぐらいしかやる事がない。それでは自宅で遊ぶのと何ら変わりがない。
半ば諦め気味に各筐体を覗いていく。
最大手の老舗シリーズの最新作、無人。
プレイヤーの年齢層が高めで若干敷居も高い3D格ゲー、やはり無人。
全キャラに凶悪な半永久コンボがある狂気のコンボゲー、案の定無人。
4人での同時対戦が売りの珍しい格闘ゲーム、どうしようもなく無人。
格闘ゲーマーだけにかかる特異な伝染病でも流行っているのかと疑うほど、まったく人がいない。
今や家で気軽にネット対戦ができる時代。本場のアーケードが過疎化してしまうのも仕方のない流れなのか。
勝手にゲーム業界の未来を憂いて落ち込みつつ、威太刀は最後の筐体の座席を覗いた。
十数年シリーズが続く人気作で、独特の世界観と尖ったキャラが印象的な作品『アイアングリード・ヴァーサス』。威太刀が最も得意とするタイトル。そこは……
「ん……あれ? もしかして…………?」
対戦ゲームコーナーで初めて、プレイヤーを見つけた。対戦中らしいところを見るに、反対の筐体にももう一人いるらしい。だが喜ぶの束の間、威太刀はそのプレイヤーの背中に既視感を覚えた。
とっくに散った桜の木の下で見た、小さく頼りない背中。
その筐体で対戦をしていたのは瀬田だった。
「…………あ、ちがっ……もう!」
瀬田は苦戦しているようだ。背後から画面を覗く威太刀の存在には気付く素振りすらなく、レバーをがちゃがちゃとこね回しては一心不乱にボタンを連打している。わかりやすい初心者のプレイスタイルだ。
使っているキャラクターは、半年前のアップデートで追加されたばかりの新キャラクター。癖のある技ばかりを持ち、トリッキーな立ち回りを要求される中級者以上向けのキャラだ。
対して相手のキャラクターは、主力となる技が押しつけやすい、攻めに特化したキャラクター。相手に関わらず安定した能力を発揮できるが、上級者には容易く対策される。
それらの状況を理解しただけで、なんとなくいきさつは察せる。さしずめ、初心者の瀬田が一人プレイモードを楽しんでいたところに、初心者を狩って無難に勝ち星を得たい相手が乱入してきた、といったあたりだろう。
相手側の筐体を覗くと、威太刀らより少しばかり年上に見える、無精髭を顎周りにびっしり生やした、パッとしない細身の男。こちらも威太刀には見覚えのある顔だった。無論、悪い意味で。
そうこうしている内に、あっさりと決着がついた。言うまでもなく瀬田の負けである。
画面上で相手のキャラが勇ましい勝利ポーズをきめ、間もなくコンティニュー確認の画面に切り替わる。
「はぁ…………」
瀬田は小さな溜息とともに肩を落としている。見ている威太刀までも居た堪れない気持ちになるような、小さな背中。
「瀬田もこのゲーム興味あるんだな」
「? ……えっ、躑躅ヶ崎く、ん……!?」
気がつくと威太刀は財布から百円玉を取り出し、筐体に投入していた。
未だ筐体の座席に瀬田が腰掛けたままである事も気にせず、横から手を伸ばす。コンティニュー画面からキャラクター選択へと復帰し、先程と同じキャラクターで決定する。
「あっ、ご、ごめん。ボク、どくから……」
「いや。その必要はない。ちょっと待ってな」
あわてて瀬田が椅子から抜けようとする。しかし威太刀の食い気味な返事を受けるなり大人しく椅子へと戻って、心なしか肩を小さくした。
「どうせ一人でやってたらアイツが乱入してきた、ってトコだろ?」
「そ、そうだけど……」
「初心者狩りで有名な奴なんだよ、アイツ。すまんがちょっと貸してくれ。ちゃちゃっと蹴散らすから、その後はまた瀬田が続きをやってくれ」
瀬田の敵討ち、などというほど大層なことではない。
このゲームに慣れ始めたころ、威太刀もいまの瀬田のように初心者狩りに遭遇して痛い目を見た経験がある。
彼への個人的な負い目は別としても、威太刀は、初心者狩りプレイヤーが大の嫌いだった。
「つ……躑躅ヶ崎くんは、このゲーム、よくやるの?」
「まあまあ、かな」
対戦が開始し、相手キャラクターが雪崩れ込むように攻撃を仕掛けてくる。だが威太刀のキャラクターには一切のダメージが入らない。すべての技を的確にガードしているからだ。
相手のコンボが終わるのを待たず、攻撃の合間を縫って威太刀が反撃を開始。たまらず相手がダウンした隙を見逃さず、トラップを設置しつつ起き上がりざまを奇襲する。
反撃の恐れがある局面では、特殊な移動テクを駆使して一気に間合いを離し、すかさずフィールドに設置したトラップを起動して再び攻め手を取り戻す。
「す……すごい……」
終始逃げ腰だった瀬田のプレイングとは打って変わって、威太刀は縦横無尽に画面を飛び回り、積極的に攻め続ける。相手は手も足も出ない。
あっという間に3セットを奪取。最後のセットでは相手がダウンしている間もひたすら挑発コマンドを連発して、これでもかと余裕を見せつけての勝利だった。
相手も何事かと驚いたのだろう。対戦終了と同時にこちら側を覗きにきては、威太刀の姿を見咎めるなり舌打ちして去っていった。
「クッ、ヒヒヒ……たまらん! 初狩りで良い気になってる雑魚をボッコボコにする……最っ高……!」
「…………うわぁ」
「あっ……すまん」
「いやっ、ううん。ありがと…………すごいね。ボク、真似できないや」
瀬田がかすかに笑みを浮かべる。先日公園で会ったときよりも幾分明るい表情だ。
こうして近距離で顔を突き合わせると、今まで気づかなかったが、端整な顔立ちをしていることがわかる。不格好に伸びた前髪で隠されていたせいだろうか。
くりくりとして宝石のように煌めく瞳。威太刀が一口で食べる量の半分も入らなそうな、薄く小さい唇。それらを理想的な位置に保つ輪郭。中性的というにはあまりに可愛らしく、もはや女性的と言える容姿だ。
「あ……の…………そんなに見ないで……」
まじまじと見つめる威太刀の視線に顔を赤くした瀬田は、すぐに画面へと目をもどしてしまった。威太刀も、相手を変に緊張させてしまったことに気付き、あわてて一歩退く。
一人プレイモードを再開したゲーム画面が、先ほどの対戦相手と同じキャラクターを自動選出する。
「えーっと、アレだ。こいつは下段パンチからコンボに派生しやすいから、下段をきっちりガードするよう意識すると多分やりやすい。あと対空技が優秀だから不用意に飛び込まないのが良いな、うん。多分」
「へぇ……く、詳しいんだね」
二人の間に漂い出した微妙な空気感を払拭すべく、話題を切り替え相手キャラクターの対策法をレクチャーする。だが言ったそばから、偉そうに語る自分が異様に恥ずかしく思えてきて、思わず頭を抱えてしまう。
「すまん。あー、ウザいよな。俺の悪い癖だ。プレイしてる横で上から目線の解説とか、すっげぇ鬱陶しいよな、マジごめん」
「ぇ……そんなこと、ないよ?」
「いや、ある。俺は少なくとも自分がされたらウザがる。ほんと駄目だ俺。ごめん、ほんとすまない!」
「あ、謝らないでよ……」
威太刀がひとりで混乱しているうちに、筐体からは『YOU LOSE』の音声。どうやらこの短時間のうちに瞬殺されてしまったらしい。
呆気にとられる威太刀に向き直り、瀬田は苦笑気味にはにかんだ。
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