化け物狩りへ
『そろそろこの拘束具を外してはくれんかのぅ……』
帰宅して以降テレビゲームに熱中しきりの威太刀に、すっかり疲弊した声のスティークが許しを請う。威太刀がゲーム機を起動してから三十分ほど。その間、スティークの虚しい訴えは一分置きに繰り返された。
さすがに無視し続けるのも哀れと思い、とりあえず返事をしてみる。
「刀の姿でも締め付けられると苦しいもんなのか?」
『うむ、目隠しのうえ亀甲縛りで放置されたままのような状態であるな。苦悶と同時に興奮もするが、こう長引くとただの苦痛だぞっ。相手をいたわってこその情事ではないか!』
「亀甲縛りかぁ……見た目には一ミリもエロさを感じねーけどなぁ…………ま、いいや」
『待て待て待てぇ! もしかすると何か。イタチはおなごを縛り上げて悦ぶ好き者か! スケベか! 色狂い! 情欲のたぐいに寛大なわらわもいい加減に耐えかねるぞ!』
ベルトで封じた刀が変態呼ばわりをして罵ってくるとは、ひどく珍妙な光景だ。これといって感想も持てない。だがそろそろ解放してやってもいいだろう。
留め金を外しスティークに自由を与える。すると途端に刀袋から飛び出し、美女へと姿を変えて飛び掛かってきた。
「
腰に衝撃が走る。同時に、柔らかい感触と悩ましい芳香。
不意を突かれ馬乗りにされた威太刀は、だがさほど焦りを感じていない。
胴に乗る太腿が、着物越しにその付け根をちらちらと覗かせている。いざとなれば股間に腕を突っ込んで驚かせば逆転できるだろう、と考えていた。
「狼藉ポイントを一気に三十点加算するぞ。そちはわらわを侮りすぎた……!」
「どうでもいいけどお前、いつから蔵に置かれてたんだ? 横文字に疎いとか言いつつポイントって言葉は知ってるよな」
「それは…………ふ、ふんっ。馬鹿め! おのれの立場を
「あ、逃げた」
「ぬぅ……。とにかくイタチ。わらわに
スティークは床に手をつき、倒れる威太刀へぐいと顔を近づける。いつの間にやら、初対面のときと同じ妖艶で底知れぬ雰囲気に戻っている。そして、あと少しでも寄れば唇が触れてしまいそうな距離だ。この女の辞書に恥じらいという言葉はないのだろうか。
顔にかかるスティークの息は冷たく、完全なる無臭だった。この時威太刀は、ようやく相手が人ならざる者であったことを思い出す。
「供物って、まさかあの化け物とまた戦えってのか」
「然り。嫌と申すならば、そちの魂を代わりとしても良いのだぞ? わらわとて厄叉。業腹だが人を喰らおう」
「……拒否権はないってか」
「なに、今すぐにとは言わぬ。差し支えなきよう、そちも万全の備えで臨むがよい。出立は夜更けとする」
にやりと笑ってみせ、ようやくスティークが胴の上から退く。ほっとすると同時に威太刀は頭を抱えた。
厄叉に遭遇した夜からずっと面倒事に巻き込まれてばかりだ。そんなものは背負わない主義でいるというのに、どういうわけか避けられない事態ばかり降りかかる。剣の道に背き、二度と向き合うことはないと決心していたはずなのに、気づけば刀を手にして戦わなければならない羽目になっている。
いずれスティークの存在は排除するべきだろう。だがそれはそれでまた骨が折れそうだ。しばらくはこのまま不条理を受け止め続けるしかあるまい。
憂慮の絶えそうにない今後を想い、何度目かわからない溜息が漏れた。
夕食を済ませ、戸締りを確認し、外出の準備も万端。時刻は午前零時。
スティークによって強引に取り決められた“厄叉狩り”を実行に移すため、威太刀は家の門を出た。
人目につかない道を選び、刀を携え夜道を走る。気分はまるで泥棒か忍者だ。そこはかとなく背徳感すら湧いてくる。
「獲物にアテはあるのか? そうそう簡単に出てきてくれるような連中じゃないだろ」
『午前中に言うたであろう。厄叉の気配を感じたと』
「え……あれ、嘘じゃなかったのかよ!?」
『だーかーらー!
「そういうことは早く言えよバカ!」
『バカとは無礼であるな!?』
出逢ってからまだ二日目だというのに、威太刀は早くもスティークとの口喧嘩に慣れつつあった。
無神経で我が儘なうえに意地っ張りの上から目線。言うこと成すこと全てが胡散臭い。だからすぐに言い争いになる。
怒鳴りそうになるのをはっと抑え、冷静に考える。スティークが学校で感知したという厄叉の気配は、おそらく昨晩のような野良の化け物ではない。
「学校で気配がしたってんなら、俺も知ってる奴かもしれん」
『なぬ? イタチよ、そちが厄叉を見たと申すのか?』
「いや。けど多分、俺の知ってる奴が持ってると思う」
すなわち春日山克那が手にしていた大太刀。あれもスティークと同様、ひとりでに喋る刀剣だった。そして克那は厄叉を狩っていた。ならば導き出される結論は一つ。
『……わらわと同じ、刀憑きの同族喰らいか。なるほど、野良の厄叉が昼間に動くわけもなかろうと思うておったが……』
一転してスティークが神妙な声になる。やはり同族を餌とする化け物どうし、仲良くできるものではないのだろうか。
「なんだ、ザコだと夜は活動できない縛りでもあんのか?」
『太古より月とは妖しきもの。月光が厄叉の眼を覚まさせる故、深き夜こそ厄叉の活動時間と言えよう』
「あっそ。で、今感知してるその気配とやらはどこにいる? 化け刀のほうなら絶対に会いたくないんだが」
化け刀と出くわすということは、つまりその持ち主である克那と相対するということでもある。それだけは避けたい。
威太刀が厄叉の起こす事件に関与することを、克那は徹底的に許さないだろう。スティークを手にしたまま出会えば、斬りかかって来ることすらあり得る。同じ舞台に立つ資格などないと断じ、振り払わんとして。
忠告はした、という言葉が耳に蘇る。
克那の意思を
確かに剣術から逃げ、克那という大きすぎる壁を避けて生きてきたのは事実だ。それを“資格なし”“落伍者”と詰られることも、仕方のないことと認める。しかし、それら全てのきっかけである克那が威太刀に対して尊大に忠告をくれるなど、心底虫が好かない。
忠告ならしてやった。手を引くのを待ってやった。落伍者風情がそれでも抗うのなら、覚悟をしろ。そう言われたも同然なのだから。
『うむ、用心せよ。その角を曲がった先におるからの』
スティークが威太刀の不安をよそにあっけらかんと告げた。
すでに林に囲まれた通学路へ差し掛かる寸前。覚悟を決める間などなく、あわてて足を止めようとするがもう遅い。
曲がり角の先にいたのは――果たして安堵すべきだろうか――怪物だった。
不気味なまでに痩せ細った体躯といびつな関節構造。般若の面を縫い付けた顔。やはり昨夜撃退した厄叉と酷似している。だが全体のシルエットが大きく違った。
四つん這いになった厄叉が、本来首のあるべき場所から取って付けたように新たな上半身を生やしている。
「うわっキメェ!」
『うへぇ気色悪い!』
この時、おそらく初めて威太刀とスティークの心情が一致した。身体の自由を預けなければならないスティークには、せめて悠然と構えていて欲しかったのだが。
子供の下手な工作から生まれたようなアンバランスさ。冷静に注視してようやく気付かされる、ゴム質で水分を帯びた半透明な肌。それらへの生理的嫌悪感が瞬く間にふたりの戦意を削いでいく。
『あれには……近付きたくないのぅ……』
「よし、今日のところはさっさと帰ろう」
『そうはいかぬ! わらわの腹が満たされん!』
「じゃあアレ斬るからな。鞘から抜いた実質マッパのお前で、あのキモイのに斬りかかるからな」
『ぬ……ぬぅ……』
無駄口を叩いている間に、厄叉は両腕の武器を構えて臨戦態勢に入っている。得物は長大な鎌のようだ。
精神的な要因を別としても、近付き辛い相手であることに違いはない。四本の足はそれぞれに鋭利な棘があつらえてあり、上半身へ接近しようとする敵を拒んでいる。
自立を保つ為、牽制として使える足は前足、それもおそらく片方だけ。では後ろ足を先んじて潰そうと側方や背後に回り込めば、今度はリーチに優れる両腕の大鎌に迎え撃たれるだろう。
身体の構造上攻めは不得手と見えるが、それを補って余りあるほど守りに特化した厄叉だ。
『では
「いや待て、それは俺の負担が大きくないか?」
『これ以上は譲歩せんぞ! ほれ来た!』
威太刀の抗議に割り込むようにして厄叉が突進してくる。悠長に話していられる余裕はもうない。
ひとまず後方へと飛び退き、相手を観察する。二足歩行の厄叉に比べると走力は劣るようだが、それでも並の人間を追い立てるには充分な速度はある。
ばたばたと四つ足を蠢かせ迫る厄叉に背を向け、威太刀は坂道の脇の林めがけて走り出した。スティークの力による身体強化を極力意識せず、追い付かれる寸前ぎりぎりの距離を保つ。
『ほう、地の利を活かすか』
「ネタバレすんなバカ!」
威太刀の動向から推測したのか、それとも力を借り受けている影響か。どちらにせよスティークは早くも策を見抜いたようだ。
これから実行に移す策は、取り立てて奇抜なものではない。相手にどれほどの知恵があるか分からない以上、迂闊に手の内を明かすようなことを口走られては困る。
林の中へ踏み入ると同時にスティークを抜刀し、前方に立つ樹木の一本にあたりをつける。厄叉との距離、樹木との距離。数秒後の位置をイメージし、スティークによる身体強化を加味して一つ一つ再現していく。今朝の感覚を思い出せ。
好機の到来を悟り、威太刀はすかさず跳躍した。わずかな減速、なおも突進を続ける背後の敵。すべてがイメージと合致する。
次の瞬間、樹木を蹴って後ろ向きに再び跳ねた威太刀は、後方宙返りを加え、あっという間に厄叉の背後をとる。
着地と同時の一撃。刃は肉を裂いて進む感触とともに、厄叉の脳天から腰までを通り抜けた。
『ふむ、凡策だな』
一刀両断とはいかず、僅かに浅い感触。
スティークのそっけない言葉に呼応するかの如く、すぐさま厄叉が大鎌を構え直す。致命傷には至らなかったようだ。
反撃は大鎌による振り返りざまの横薙ぎ。平面上の間合いが広いことに加え、形状の特性として縦の範囲もある程度食う。安易な後退はむしろ危険だ。
反射的に退きそうになるのをぐっと抑え、刃を返し斬り上げる。幸い、思考し終えてから身体が動くまでの時差も皆無に等しい。
繰り出された大鎌の根元を刃が捉える。確かな手応え。厄叉の腕は一瞬のうちに断ち切られ、宙を舞った。
まだ終わりではない。逆袈裟の軌道が生む遠心力に身体を任せ、その場に一回転。向き直ると同時に腰をかがめ、慣性を活かしたまま
支えを失いふらついた所を見逃しはしない。倒れ込もうとする厄叉の頭に、威太刀はすかさずとどめの刺突を見舞った。
肉の柔らかい感触と、なにやら硬い感触。軽石を撫でたようでもある。これは骨だろうか、そもそも骨などあるのだろうかと考えているうちに、厄叉は塵と化していった。
『……成程。雑さは否めんが、勘は悪くないようだの』
二度目の、若干だが上方修正された評価がスティークより告げられる。
対して威太刀は、なおも身体から緊張が抜けず、軽口の一つさえ返したくとも返せなかった。
腕を断ち、足を裂き、頭を貫いた。相手は醜悪極まる怪物だったが、己の意思とこの身体が取った行動は、この手触りは、紛れもない“殺し”だ。
『おやおや。イタチよ。もしやそち、罪悪感だとか、後味の悪さを感じておるとは言わぬよな? あのような化け物を相手に。大真面目な顔をして……!』
スティークが今にも吹き出さんばかりの声音で挑発してくる。彼女の言葉はどこまでも軽薄で、愉快げだ。それが威太刀には少し恐ろしい。まるで“その顔は人を殺す時までとっておけ”と嘲るようで。
やはり彼女も人ならざる者なのだと、改めて思い知る。
「……言ってろ、バカ」
憎まれ口を絞り出すのが、いまの威太刀には精一杯だった。
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