爆走スティーク


 威太刀らが在籍する一年B組の教室は四つある校舎のうち西棟、三階に位置する。窓辺からの眺めは隣り合わせる南棟に比べると少しばかり貧相になるものの、港湾方面を向いているのは同じなので相応に開放感はある。

 そのせいだろうか、降り立った二階のそこかしこから上がる悲鳴が、いやに明瞭に聴こえて仕方ない。


「私の上履き盗らないでぇ――――!!」

「あぁっ、僕の眼鏡がぁ――――!!」

「俺の携帯ィ――――!!」

「あたしのヌーブラァ――――!!」

「ダンベルゥ――――!!」

「ヌーブラァ――――!!」

「タイヤァ――――!!」

「缶詰ェ――――!!」

「ヌーブラァ――――!!」


 そして何故だろうか、強奪される物の傾向が徐々におかしくなっている気がする。そんなものを学校に持ち込んできている生徒たちも去ることながら、スティークの目的が不明だ。物珍しく思ったものを片っ端から奪っているだけなのだろうが。

 悲鳴が聞こえる方角を頼りに進めば追い付けるかと思ったが、こうもことごとく後手に回らされていては収集がつきそうにない。一か八か、威太刀は賭けに出ることにした。

 すでに悲鳴の連鎖は西棟を逸脱し、となりの南棟にまで広がりつつある。このまま進み続ければ、じきに突き当りの階段へ差しかかる。そこで別の階に移って、再び南棟から西棟へと強奪ローラー作戦を実行するはずだ。ならば威太刀は西棟の対応する階へと先回りし、正面から迎え撃つかたちで捕獲するほかない。

 問題は上か下か、どちらに行くかである。

 おそらく大半の人は下へ逃れる道を選ぶだろう。上を選び地面から離れていくコースを取っても、逃走経路が限られてリスクを増やすばかりだ。自ら逃げ道を断つなど愚の骨頂。心行くまで強奪を楽しんだ後は一階へ下りて、学校そのものから抜け出すのが得策のはず。

 だがスティークはもっと欲深く、無節操で後先を考えない馬鹿。二階の廊下にいる生徒からまとめて巻き上げたのなら、三階、四階の標的も見逃すまいと考えるに違いない。

 急いで階段まで引き返し、三階へ駆け上る。

 出逢ってからまだ一日も経っていないというのに、威太刀はすでにスティークの性格をよく知っているような気がしていた。一時的にとはいえ己の身体と精神を明け渡すことを許した相手だからだろうか。

 階段を上りきると、廊下の奥から高笑いが接近してきていることに気付く。綾瀬がまだ半裸のままでへたり込んでいることにも。


「キイィィヤァァ――――!!」


 本日二度目のビンタが炸裂する。やはり手加減など微塵もなく、下手をすれば意識を喪失しかねないほどの的確な一撃。そして栓を外され飛び回る風船のように、ブラジャー狭しと乱舞する二つの乳房。眼福だ。

 どこぞの経典には『右の頬を打たれたら左も差し出せ』と書かれているらしい。なるほどこれはそういう意味か、と威太刀は勝手に納得した。


「よーし、気合い入った!」


「なんで戻ってくるのよ――――ッ!!!!」


 気を取り直し、曲がり角に身を隠す。正面から迎え撃つ位置関係上、あまり早々に飛び出してしまえばこちらの存在がすぐに悟られてしまう。不意を打たねば。

 あとはタイミングを見計らい飛び掛かるだけという段になり、はたと威太刀は気付く。

 スティークを捕まえたとして、それからどう追求を逃れれば良いのだろう。花魁じみた風貌の美女が学校にいることもそうだが、仮に刀剣の姿に戻せたとしても、誰の目にも明らかな銃刀法違反の危険物を威太刀が手にしていることになる。

 廊下から聴こえ来る足音の数から察するに、スティークを追いかけている生徒も十名ほどはいる。二ノ宮に言ったような適当な嘘で押し通せるわけもない。だがスティークの高笑いが威太刀のもとに辿り着くまで、もう何十秒とない。こうなっては出た所勝負だ。

 憂慮も逡巡もかなぐり捨て、廊下へ躍り出る。


「こらァァァァァァ止まれェェェェ…………?」


「お―――ほっほっほっほっほッ!!!! わらわは誰にも止められなぁい!!」


 そこで威太刀が目にしたものは、想像を絶する惨事だった。

 なぜかスティークは男女両方の制服をごっちゃに重ね着し、肩には孔雀の羽根とトゲをあしらった肩パッドを装備。右手で鎖を振り回しながら、左手ではトランペットを吹いて爆走している。これでバイクにでも乗っていたら完璧な世紀末チンピラだ。火炎放射器もついでに持たせたい。


「げぇっ! イタチ!?」


「ちょっとツラ貸せ!!」


 驚いたスティークが急ブレーキし、回れ右で引き返そうとする。その隙を逃さず、首根っこを掴んだ威太刀はそのまま間近の男子トイレへと飛び込んだ。幸いにもトイレ内は無人だ。


「違うのだイタチ。これは皆の者が進んで献上してくれたものであっての……」


「そっちの言い訳かよ!! 違うだろ! なんで勝手に教室抜けたんだよ! つーかなんでこんな肩パッドが学校にあるんだ! いやそうじゃない! 今はそれどころじゃない!!」


「一人で慌ただしい奴よのう」


「落ち着いてる場合か! 追っ手を撒くぞ!」


 トイレへ入った時点でいくつかの選択肢が思い浮かんだ。

 一つ目は個室に閉じこもるプラン。これはまず論外だ。誰もが最初に考えつく手段だし、なにより締め切ったトイレの個室内に男女が隠れている現場が暴かれれば、不法侵入の共謀に不純異性交遊がプラスされて威太刀の退学は確定だ。

 二つ目は掃除用具入れに隠れるプラン。これも簡単にバレるだろう。加えて、スティークが余計なちょっかいを出してくる可能性も大だ。そして不法侵入プラス不純異性交遊。社会的地位がストップ安だ。

 いよいよ逃げ道がない。追っ手たちの足音はこうしている間にも迫ってきている。もはやこれまでか。

 威太刀は最終手段“不法侵入者を取り押さえたヒーローを装い、スティークは見捨てる”を実行に移すことにした。

 やれやれと溜め息を吐くスティークに掴みかかろうと手を伸ばす――――その瞬間、威太刀の手が


「致し方あるまい。ちと身体を借りるぞ」


「は? 今更何を……」


「この場より逃れれば良いのだろう」


 言うや否やスティークは刀剣へと姿を変え、瞬く間に威太刀の手の中に納まる。強奪した物品はぼとぼとと床に落下する。懐に隠していたらしい刀袋をもう一方の手に握らせると、昨夜同様に威太刀の身体をコントロールし始めた。

 己の意思を離れ勝手に動き出した威太刀の身体は、入口とは反対側の窓に向けて、勢いよく駆けだした。


「いやいやいやいやいや! 待て!! 死ぬ!!」


 喋ることのみを許された威太刀の拒否も虚しく、スティークの支配下に置かれた脚は疾走をやめない。窓の目前で踏み込み、棒高跳びにでも挑むかのような軽やかな跳躍。威太刀の身体は華麗に窓枠をすり抜け、直後、落下する。

 地上三階、北棟を望む中庭への投身。打ち所次第ではぽっくりと即死してもおかしくはない。徐々に速度と風圧が増していくのを全身に感じながら、約十二時間ぶり・三度目の死の覚悟を決めた。

 だが今回もその覚悟は無意味に終わる。

 威太刀の身体は壁を蹴り、前方に現れた武道館の屋根に掴まって勢いを殺すと、くるりと見事な回転を織り込んで地面へ着地した。

 今なら体操で金メダルを取れる気すらする。


「お、おぉー…………俺ってすげー……」


『そちではなく、わらわが凄いのだ! 勘違いするでない!』


 降り立った位置も丁度良かった。武道館に阻まれて他の棟からの目撃は免れただろうし、屋根の真下なので三階トイレから見下ろす者がいても発見されはしない。

 しばらく放心状態でいた威太刀は、すでに身体のコントロール権が戻っていることに気付き、はっとしてスティークを刀袋に包む。ついでに腰のベルトを外し、ぐるぐる巻きにして拘束することも忘れない。ズボンは緩くなるが、ベルト通しの位置を畳むことで強引に応急処置とする。


「とんでもない騒ぎを起こしてくれやがったな……」


『ま、待てイタチ! そんなふうに締められたら息苦しいではないか!』


「問答無用。当分お前が勝手できないよう、このままでいくからな」


『厄叉の気配がしたからの! わらわは善意からこうして屋内を探索しておったのであって!』


「あ、もう行かないと二時限目に遅れちまうな」


『嘘ではない! 後生だから! わらわ、一生に一度のお願い! イタチぃー!』


 なおも喚くスティークを無視し、渡り廊下へ出る。

 刀袋を背負って戻ってきた件については“強奪犯に盗まれたものを取り返してきた”あたりで適当に片付けよう。

 がっくりと肩を落としながら校舎へ入ろうとする威太刀を、刹那、何者かの視線が射抜く。

 精も根も尽き果てていたために確認を怠ったか。あんな滅茶苦茶な脱出劇を目撃されてしまっては、全てが水の泡になる。

 絶望に打ちひしがれながら振り返る先に――――考えうる限り最悪の相手がいた。


「克那…………っ!?」


「………………」


 春日山克那。剣に愛されし天才。威太刀の幼馴染にして、厄叉を斬った女。

 脳裏に一昨日の夜に投げかけられた言葉がフラッシュバックする。

“威太刀の関わることではない”

 彼女は喋る刀を手にしていた。おそらく威太刀と同じように、同族喰らいの厄叉と契約している。

 それが何を意味するかは解らない。何の不都合があるのか、何故いま自分自身がこうまで焦らなければならないのかも。

 だが直感が告げていた。克那にだけは知られてはならなかったと。


「……………………忠告はした」


 憮然とした態度で短く言い捨て、威太刀の横を素通りしていく。すれ違う瞬間、悪寒が走った。克那が居なくなり、チャイムが鳴りはじめるまで、威太刀はその場を一歩も動けなかった。


(なんでこんなに…………ビビってんだよ……俺は……)


 あの瞳を威太刀は以前にも見たことがある。

 剣道の試合で向き合った時に克那が見せる、殺意にも似た闘気。目の前の相手を薙ぎ払わんとする宣告。彼女の視線の向く先に勝者がいた試しはない。誰よりも打ち負かされてきた威太刀はそれをよく知っている。




 放課後を迎えるなり、威太刀は全速力で学校を出る。入部手続きを勝手に進めていた綾瀬はスティークの件ですっかり意気消沈し、二ノ宮は事件の噂話に夢中だったため、存外にすんなり抜け出せた。

 ただでさえスティークと会話している所を克那に目撃されたというのに、剣道部に入部するなど自殺行為に他ならない。

 スティークが起こした事件は瞬く間に広まり、早くも学校全体で話題の中心になっていた。

 トイレへ逃げ込んだ途端に消えてしまったことから、トイレの花子さん伝説と結び付ける傾向が強いらしい。

 ほかにも、やたらグラマーな座敷童説、物乞い爆走ひきこさん説、催眠電波による集団幻覚説、宇宙人によるアブダクション計画説など、都市伝説的なものから一昔前のオカルトじみたものまで枚挙に暇がない。だが真相からして“人間に化ける刀の妖怪”の仕業なので、あながち間違いとも言い切れないのが歯がゆいところである。


『あぶだくしょん、とは何ぞや? しばらくぶりの外界故に、その手の横文字に疎くてのぅ』


「黙ってろ」


 張本人たるスティークは相も変わらず飄々としている。この図太すぎるにも程がある神経を出来る事なら見習いたいものだ。

 下校中に見掛ける綿高の生徒は誰も彼も事件の話題で持ち切りの様子。この調子なら他校まで知れ渡るのにもそう時間はかかるまい。

 威太刀は普段の帰路から少しばかり遠回りし、人通りの少ない道を選んだ。無用な心配と分かっていても、他の生徒たちを避けて下校せずにいられなかった。

 住宅地の中心にある綿江わたえ中央公園を迂回する。町内では比較的広いうちに入る公園だが、やたら多く植えられた樹木に加えてグラウンドを隔てるフェンス、無駄に大きなトイレと遊具など障害物になるものが多く、心なしか窮屈に思える。

 そんな閑散としたこの公園にも見所は一応あり、敷地の端に立つ桜の木は、シーズンになると花見客がちらほらと訪れたりする穴場だ。ゴールデンウィークを終えとっくに桜も散った今では、そこらの広葉樹と見分けもつかないが。


(あいつは……)


 並木道を何の気なしに眺めていた威太刀の眼は、花を散らしきった桜の木の前に佇む小さな背中を射止める。我知らず、足がそちらへ向いてしまう。

 見覚えがある、と言うだけで片付けることは難しい。この数日間、威太刀はを思い返すたびに罪悪感を覚えていたのだから。

 学校を休んでいたはずの瀬田がそこにいた。


「瀬田、だよな」


「あっ…………」


 何を話すのかさえ考えず、半ば無意識に声をかけてしまった。こちらに気付いた瀬田は怯えるように一歩後ずさる。


「えーっと、なんだ。俺のこと分かる……よな」


「…………躑躅ヶ崎つつじがさき君」


 どうやらクラスメイトであることは互いに理解しているらしい。しかし警戒心を剥き出しにした態度に依然変わりはなく、自分まであの不良たちと同じ手合いと思われているのか、と威太刀は勝手に落胆した。そうしてようやく、瀬田に声をかけた自分自身の真意に気付く。


「この間のアレさ…………俺、見て見ぬふりしてさっさと逃げただろ」


「う、ん」


「その……すまなかった。俺、最低だった」


 柄にもなく頭を下げ、心から謝罪の意を示す。

 決して親しい関係でも、助けなければならない義理があったわけでもない。だがあの時瀬田を見捨てた選択は紛れもなく間違いだったと、心のどこかで確信していた。

 昨日までの自分だったらここまではしなかった。慰めるか、元気付けようとするのが精一杯だっただろう。

 確証はないが、厄叉と二度の遭遇を果たし、スティークから超人的な力を授けられたことが、心境に幾らかの変化をもたらしたのかもしれない。

 今の自分ならば瀬田を救い、不良たちを容易くいなすことができる。路地裏で厄叉に切り裂かれた見知らぬ誰かをも。そう思うほどに、己の取った行動が惜しくて仕方がない。


「そんなの、急に……困るよ……」


「……だよな。すまん」


 瀬田が目を逸らす。覚悟していた反応とはいえ、やはり胸が苦しい。

 絡まれる瀬田を見捨てたのも、瀕死の人影に手を差し伸べなかったのも、等しく過去の出来事。今更悔やもうとも後の祭り。謝罪したところで自己満足に過ぎないことは分かっている。

 互いに言葉が切れ、二人の間をぎこちない静寂が支配する。


(あぁ……ほんとクソだな、俺)


 沈黙に耐えきれず、威太刀は踵を返した。ふたたび瀬田の顔を見ることはできなかった。

 なにかが解決するわけでもなく、ただ胸のつかえが増えただけならば、いっそまた見て見ぬふりをして通り過ぎれば良かったのではないか。

 再び逃げの思考に陥る自分自身を省み、いっそう自己嫌悪が増す。家に帰りついたら目一杯遊んで気を紛らそうと決めた。

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