イタチのいちばん長い朝


 学校に連れていくか、いかないかの論争は、遅刻を免れるぎりぎりの出発時間まで続き、威太刀がとうとう折れたことで終結した。

 決して勝手に喋らず動かないことを条件として取り付け、刀の姿に戻ったスティークを刀袋に納めて家を発つ。これならば少なくとも外面は剣道用の竹刀にしか見えない。いまの威太刀が持ち歩くのはいささか不自然かもしれないが、そこは適当な言い訳でなんとか繕う。

 通学路を進む間、ほかの生徒から奇異の視線が注がれていないか不安で仕方がない。意識しないことに努めれば、面識のない生徒はまだ騙しおおせる。しかし登校を終えても障害となる人物はまだまだいる。そしてその第一弾がやはりいつも通り、威太刀の背中を叩いてきた。


「よーっす、威太刀。お前その竹刀どうしたんだ? 剣道部にでも入るのか?」


 二ノ宮健一。現在もっとも身近なポジションにいる彼の追求をかわしきれなければ、この先、教師やほかのクラスメイトを騙すことも不可能だ。


「お、おう。これはあれだ……体験入部だ。まぁ、もともと剣道やってたしな」


「へー、元剣道部か。それにしては今更だな。急にどうした?」


「それは、ほら、お前が新聞部入るし、俺もなんか部活してみようかなー、みたいな。うん」


「…………威太刀、オレになんか隠し事してないか?」


「そ……そんなことねーよ……俺ら心の友だろ? なっ?」


 見る見るうちに二ノ宮がいぶかしむような目になる。言い訳は坂に差し掛かる前までに用意しておいたものだし、内容にもさしたる不自然さはないはず。二ノ宮が疑っているのは、露骨に狼狽している威太刀の態度だろう。

 失敗だ。これまで嘘を得意と自負してきた威太刀だったが、今後は改めるべきかもしれない。

 やがて二ノ宮の視線は刀袋のほうへと移る。


「もしかして威太刀…………」


「うっ……」


「春日山克那に興味があるんだな?」


「…………は?」


 思いがけない名前が飛び出し、いよいよ動揺を隠し切れない。だがそれは結果的に功を奏した。


「思えば昨日から下の名前で呼んでたもんなぁ。不思議には思ってたんだよ。なるほどなぁ……」


「いや、その……」


「興味なんてないってツラだったけど、お前も実はチャレンジャーだったんだな……!」


「あー……二ノ宮? 俺は別に」


「皆まで言うな! 安心しろ、友のよしみだ。オレも出来る限り手伝おう! クラスの女子に剣道部の子がいるんだ。とりあえず任せておけ!」


 二ノ宮はなにやら勝手に納得し、勝手に話を進めようとしている。ひとまずスティークの件を誤魔化せたのは幸いだが、その代償として更なる厄介に巻き込まれるのは避けられないらしい。

 克那にも剣道にも一切合切関わり合いを持ちたくはないのだが、時既に遅し。弁解する間も与えず、二ノ宮は勢いよく駆けだした。



 一時限目終わりの休み時間になると同時に、威太刀は二ノ宮の手で強引に捕えられ、授業後の黒板を清掃しているある女子の前まで連行される。

 綾瀬静弦あやせしづる。美少女のリストアップに励む二ノ宮がかねてよりクラス内の有力株と目していたので、威太刀もその名は記憶していた。


「ちょっといいかな? 綾瀬さんに訊きたいことがあるんだ」


「おい!」


「一ノ宮君と躑躅ヶ崎君……よね?」


「いや、二ノ宮だけど」


「あまり話したことはなかったと思うけど、どうしたのかしら?」


 綾瀬が心底不思議そうに首を傾げ、耳にかけていた髪がするりと落ちる。どうでもいいことだが、二ノ宮曰くこの一連の所作を『龍の涙』と呼ぶらしい。相撲の決まり手みたいなものだろうか。

 いざ正面から向き合ってみると、なるほど確かに可愛いと思わされた。克那ほど洗練された高潔さはなく、スティークほどの妖艶さもない。彼女らのような突出した存在感とはおよそ縁遠く、良くも悪くも普通の美少女。故にこそ親しみやすい雰囲気を纏っている。こんな状況でなければ素直にお近付きになりたいものだ。


「オレたちを知って貰えてるなら話は早い。高校入学以前にコイツ、躑躅ヶ崎威太刀の名前を聞いたことは?」


「いえ……特には」


「あぁ、なんてこった……やっぱりオレの勘違いだったのか」


「えっと……どういうこと?」


「噂に聞いた話だが……かつて様々な大会で優勝を欲しいままにし、若き天才剣士とまで称された奴がこの学校にいるらしいんだ。威太刀が剣道経験者という話を聞いたからもしやと思ったんだが……」


「二ノ宮お前……」


 何を言い出すかと思えば、威太刀自身には全く身に覚えのない、ひどく大袈裟な逸話だった。そしてそれを二ノ宮も解ったうえでのたまっている。何のつもりか知らないが、二ノ宮の語った経歴はのものだった。


「いやぁ、一度でいいから会ってみたいもんだよなぁ威太刀。一体どんな人なんだろう!」


「それって……克那様のこと? ねぇ、克那様のことを話してるの!?」


 勝手にことを進める二ノ宮に呆れて正面に視線を戻せば、こんどはなぜか綾瀬のテンションまでヒートアップし始めている。想定外の方角から伏兵が飛び出したようだ。

 どうやら綾瀬静弦は、克那の熱狂的な支持者らしい。この手の“克那信者”は小学生時代にも何度か見たことがあるので間違いない。圧倒的な才覚とカリスマ性を纏う克那は、本人ですら預かり知らぬうちに人々の羨望を集めてしまう。剣道部に所属するという綾瀬ならば尚更、憧れてやまないだろう。それにしても直前までの落ち着いた物腰からはまるで真逆の印象だ。

 元凶の二ノ宮はしめた、という顔をしている。おそらく始めからこの隠れた本性をつつくことを狙っていたのだ。


「やっぱりそうよね!? 強い、賢い、美しい! 非の打ちどころもないもの! 次世代の剣道界を背負って立つ人はあの方をおいて他にいないわ! あぁんステキ……!!」


「そうか! あの春日山克那がウワサの天才剣士だったのかぁ! なるほどぉ!」


「ノンノン。克那よ! 私たち剣道部のスーパースターだもの! もしかして貴方たちも剣道部、もとい克那様ファンクラブに入会したいのかしら!!」


 いつの間にか剣道部が克那信者の根城にされてしまっている。剣道部員よ、本当にそれでいいのか。


「なぁ威太刀、これは入部しない手はないぞ! ……オレは新聞部があるけど。剣道経験者にとっては最高にそそる話のはずだ! ……オレは新聞部に入るけど」


「いや、それは」


「ロッカーに立てかけられた竹刀袋が気になってたのよ! なるほど、あれは躑躅ヶ崎君のものだったのね! やる気満々じゃない! やっぱり剣道を嗜む者として、克那様のことは気になるわよね! OK、入部手続きは私が代わりにやっておくわ!」


「二ノ宮マジで覚えて……」


「入部届を貰ってくる!」


 威太刀の捨て台詞には耳も貸さず、綾瀬は光の速さで教室を出て行った。あれだけの俊敏さがあれば克那ともいい勝負をしそうなものだ。

 なぜ自分の周りにはこうも人の話を聞かない連中ばかりが集まるのか。どのみち誤解を解きつつを上手くかわせる屁理屈も持ち合わせていなかったのだが。

 どこか見知らぬ土地に置き去りにされた子供のような気持ちになりながら、『良い仕事したぜ』と言わんばかりの笑顔でいる二ノ宮を睨み続けるほかに、威太刀に出来ることはない。

 その二ノ宮は教室後部のロッカーへ目をやり、ふと素朴な疑問を投げかけてくる。


「ところで威太刀。そういえばお前の竹刀、どこにやったんだ? 綾瀬さんはああ言ってたけど……」


「えっ」


 まさか、いきなり――。

 追ってロッカーのほうへ振り向くと、確かに、刀袋に納められたスティークの姿はどこにも無かった。案の定勝手に教室を抜け出したようである。


「ああああぁぁぁぁぁぁぁぁー!!?」


 綾瀬による『ロッカーに立てかけられた竹刀袋』という発言。そして威太刀らの後方のロッカーが見渡せる教壇側の立ち位置。それらを踏まえると、スティークが教室を抜け出して間もない可能性は高い。ならばスティークは綾瀬について行ったと考えるのが妥当か。

 急いで教室を出、綾瀬の後を追う。職員室へ向かっているはずだ。

 授業が退屈だったか、校内を探検してみたくなったか、それとも綾瀬や克那に興味が沸いたか。スティークの口にしそうな言い訳はいくらでも想像できる。そしてその光景を思い浮かべるたびにイラッとさせる。

 刀袋から抜け出せるとは想定外だった。捕まえたら、荒縄でも何でも使って刀袋の上から更にきつく拘束しなければなるまい。


「いやぁ――っ!!」


 突き当りの階段から女子の悲鳴がこだます。とうとうスティークが何かやらかしてしまったようだ。よく見ると藍色の着物の裾もちらと顔を出している。間違いなくそこにいる。

 曲がり角まで辿り着いた威太刀は、遠心力に任せて平手をスティークの頭に打ち込もうと構える。だが飛び出した先の踊り場にスティークの姿はなかった。かわりにそこには、何故か下着のみの姿にひん剥かれ、へたり込む綾瀬がいた。


「うわ――っ!? スゲェェェ――!!?」


「見ないでぇぇ――――!!!」


 空振った平手が勢いをそのままに、派手な音をたてて壁に衝突する。それと同時に、綾瀬が飛び上がりざまに放った平手もまた、甲高い音をたて威太刀の頬を殴り抜けていく。漫画の中で往々にして描かれる『パシィン!』という擬音を現実に再現するとしたら、これ以上の成果はないだろうというほどだった。

 威太刀は見逃さなかった。飛び上がり、平手を構えた瞬間の綾瀬の胸元に生じた揺れを。天地創造の衝撃にも匹敵しうる破壊的な震動。惑星どうしが衝突する間際に見せる、儚くもまばゆい煌めき。何が起きているのかさっぱり理解不能だが、そこに二つの果実があり、ぶつかり、弾けたことだけはしかと見咎め解した。

 クラスで屈指の美少女の半裸・乳揺れと引き換えの痛烈なビンタ。果たしてこれは等価な代償だろうか。不可抗力でもたらされた暴力としては少々理不尽すぎる痛さだったが、少なくとも威太刀は釣りが返ってくるレベルの眼福だと思った。


「スゲェなオイ!! もっかい頼む!!」


「キイィィヤァァ――――!! ケダモノォォォ――――!!!」


「あ、違う! 犯人はどっち行った!?」


「早く捕まえてぇぇぇぇ――――!!」


 もはや眼から鼻から汁を散らし放題の綾瀬が下の階を指さす。

 想像以上にスティークの逃げ足は速い。ここでの長居は無用だ。というより、濡れ衣を着せられかねない。

 ほかの生徒が集まりはじめる前に、威太刀は手すりの上を滑走して下の階へと急いだ。

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