威を断つ刃


「その言葉を吐いてるのはどっちだよ。瀬田か、それとも刀憑きか」


 切っ先を向けながら問う。

 視線の先にあるのは、すでに自我を乗っ取られ、瀬田紡という人格の鋳型のみを残しただけの人形だと、理解はしている。それでも対話する相手は正しく見定めなければなるまい。


「……凌霊亞切の使い手は生きてたんだね。なーんだ、残念。でも手負いなら、大したことないよね。うん。二人とも、ボクの思い出になってよ」


「聞こえちゃいねぇ、ってわけか」


「無駄なことだ。斬るぞ」


 表情をひときわ険しくした克那が構える。それを交戦の意と捉えてか、瀬田も短刀を逆手に構えている。

 止むを得ず臨戦態勢に入った威太刀をたしなめるように、スティークが口を開く。


『小娘の申す通りよ。三文芝居を余程好むか、あるいは度を越して思い込みの激しい手合いであろうぞ』


 この数日の言動を思い返すに後者の可能性が高い。敵は瀬田になりきっているつもりなのだろう。ならば未だに己が化け物に取り込まれたことを知らないはず。

 どちらにせよ“無自覚なままの瀬田”という哀れな弱者を盾にして、こちらが手心をかけるのを待っている。

 そう思うと怒りがまた沸々と込み上げ、威太刀は我知らず飛び掛かっていた。


「この野郎ッ!!!」


 縦一文字に振り下ろした斬撃を、瀬田は短刀で受け流し回避。すかさずスティークの峰を這わせて刺突を返してくる。

 胸を狙った鋭い軌道は、こちらの回避を許さぬ速度で迫る。

 このまま討ち取られては、無策で突出した見返りとしてあまりに無様だ。しかし憤慨しながらも威太刀の意識はひどく冷徹でいる。

 膝を打ち上げ短刀を持つ手を弾く。続きスティークの柄を叩きつけて体勢を崩させ、袈裟斬り。

 流れるような反撃に瀬田も目を丸くし、踊りのように複雑な回避を経て、慌てて間合いから引き下がる。その様はさながら捕食者から逃れるねずみだ。


「びっくりしちゃった。意外と落ち着いてるね。うん、うん。素敵だよ」


 彼の言葉とは反して、威太刀ははらわたが煮えくり返るほどに激怒している。ただ、勝つ為に必要な手段を吟味し、正しく実行に移せるだけ。

 いまの威太刀にとっては最も強い感情でさえも、駆け引きの材料でしかない。

 騙し討ちの手札が一つ捨てられた。

 どうすれば奴の意表を突ける。どうすれば確実にの息の根を止められる。


「来るぞ」


 克那が短く告げた直後、今度は攻めに転じた瀬田が、目にも止まらぬ速さで接近する。間合い内に到達する数メートル手前で一瞬足を止め、溜めの姿勢。更なる加速の予兆。カウンターを狙うのは難しいだろう。

 正眼の構えから僅かに峰を身に寄せ、守りに備える。

 だがそれから〇.三秒の後、瀬田の姿は視界から消えた。

 直線的に来るのであればとうに接触している頃。速すぎて見えていないのだろうか? いや違う。視界の中にはもういないのだ。

 刹那、殺気を感じて咄嗟に左側に刀を向ける。

 刀身を力強くはねのけられる感覚。

 やはりか、と視線を寄越して確認しようとするが、どういうことか瀬田の姿は見当たらない。


「こちらだ!」


 切迫した克那の声に振り向くと、ちょうど亞切で瀬田の凶刃を受け止めた直後だった。決闘の時と同じ峰を支えた守りの構えだ。


「どうなってる……!?」


 彼我の距離は推定して四メートルほど。たしかに威太刀は斬撃を受けたというのに、なぜか瀬田は克那のほうに斬りかかっている。

 瞬間移動でもしてのけたと言うのか。

 小さな身体を活かした縦横無尽の連撃を前に、克那は手こずっている。逆に言えば瀬田を狙いやすくもある。

 確信しひとまず急行しようとした威太刀の前で、またしても瀬田が姿を消す。しかし克那はまだ一手、二手と斬撃を防いでいる。

 まさか透明化か。状況を測りかねていると、今度は背後から殺気。

 身を翻しながら後退し、殺気の元を視認。すると今まさに短刀を振り抜いたばかりの瀬田がいた。


「もっと楽しもっ?」


 穏やかな笑顔で第二撃の刺突を放ってくる。

 手首を返す巻き取りで払い去り、胴を狙うが、またしても瀬田の姿が消える。

 ストロボの如く消えては現れる瀬田と、姿なき謎の斬撃。その不規則な繰り返しに翻弄されるうちに、威太刀と克那の距離はどんどん引き離されていく。

 反撃したくとも、いつ隙を突かれるか分からない以上は無茶もできない。


(考えろ……一体何が起きているのか…………!)


 この現象が仮に瞬間移動によるものならば、威太刀と克那の両方を常に相手取りつづける必要がない。

 始めこそ両者を牽制する効果はあるだろうが、一旦距離を開けさせたのなら、あとは片方を集中して斬り付ければ良いだけのこと。実際、不可視の斬撃と同時に襲われれば対処できないだろう。

 類似して想定される分身能力も、やはり同じ理由から不自然だ。

 では透明化しているのか。それではほぼ同時に攻撃が生じていることに説明がつかない。


「クソッ、キリがねぇ!」


 徐々に後退させられながらも、反撃の糸口は依然見つからない。このままではじり貧だ。――――と、そこまで考えてふと気づく。

 じり貧なのは相手も同じではないか。現状、二人を引き離したのみで成果らしい成果は一つもない。それどころか、こんな不可解な攻撃を繰り返して疲弊するのは相手ばかりではないか。だが一向に止める気配はない。

 もしこれが相手の勝機に繋がっているのだとしたら。成果でないと思われたものが、別の目的に対する成果だったとしたら。

 考えられる結論は一つ。

 後退を続けた末、先ほど瀬田が溜めの姿勢に入った地点へと徐々に近づいている。


(おいスティーク……賭けに乗らねぇか。一回きりの大勝負だ)


(ほう、面白い。賭け事ならば望むところよ)


 それらが意味するものに、未だ確信は至らない。だが賭けるには十分だ。

 精神を統一しろ。不安、恐怖、激情、あらゆる邪念を捨てろ。

 ただひとつの突破口に持てる全てをぶつけろ。結末など気にするな。


(成すべきを成せ。その為に、ここにいる)


 動きを止めた威太刀の前に再び瀬田が現れる。短刀から繰り出す殺意の一閃。それを潜り、同時にスティークを投擲する。

 瀬田が消えた最初の地点めがけて飛んでいく刀を追って威太刀も疾走する。

 白刃は何もないはずの空間を通り抜けようとして、突如、弾き返された。

 やはり睨んだ通りだ。

 だとすれば、いま威太刀の背後にいる瀬田は、分身である可能性を既に否定された以上、幻と考えるより他にない。

 幻影が向ける刃を避けもせず、ひたすらに駆け抜ける。

 背中に鋼が侵入してくる冷たい感触。すぐに熱を持ち激痛を走らせる。だがそれも構わない。

 極限状態に達した意識が時の流れを引き延ばし、目に映るすべてをスローにする。

 宙を漂うスティークの柄。伸ばされる自身の手。

 ゆっくりと指が開き、柄を包み込み、握り締める。すでに予備動作は不要な体勢。

――――己を己たらしめる定義。威を断つ。力を、強さを、その概念自体を――――

 虚空に向けて打ち落とされた一撃が、金属質の硬い感触に阻まれ、そしてすり抜ける。

 斬撃が空間に亀裂を入れ、桜の樹を歪ませ、然るのちに砕け散った。

 飛び散った破片は空気に溶けて消える。そこに隠されていた瀬田紡の本体を露わにする。


……!」


 もろに斬撃を受け止めてしまった短刀は、刃に深い傷を負っていた。

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