傲慢なる定義
慈玄による腕の応急処置を受けているあいだ、克那も威太刀も無言を貫き通した。
空いた手には依然として固く握られた柄。一切の油断を排した気構えが空気を凍り付かせ、余計な言葉は発する前に刈り取られていく。
しかし心中は多弁に過ぎるほど、激情で入り乱れていた。
そんな威太刀の脳内に、スティークの小馬鹿にした声が響き渡る。
(欲するもの全てを余すことなく傲慢なまでに取る……遅かれ早かれ破綻を来す信条とは思うたが、まさかその遥か手前からして既に破綻しておったとはのぅ)
――――今の俺は滑稽か。
(滑稽ではある。あるのだが、そちが存外に早く決断したもので拍子抜けしたぞ)
――――嘆いて、喚き散らしたほうが、確かにお前は喜ぶかもな。
(始めはその兆しもあったの。が、そうならなかった。
――――わからない。ただ一つ確実なのは、悲しいとか、落ち込むとかよりも、もっと別の何かが湧いてきた。それだけだ。
克那の口を介して真相を知らされた時、威太刀は受け入れきれなかった。
いざ刀憑きを手にする瀬田を前にしても、ありもしない可能性に縋ろうとした。
そして彼の自我がとうに失われていると確信させられた時、それらの浅はかな希望が一気に褪せ、頭がすっと醒めていくのを感じた。
冷淡にして熱く、沈静しながらに猛る。
未だかつて彼に向けたことのない初めての感情であり、克那をまだ疑っていた時に近しい感覚の、その正体。
――――そうか。俺は腹を立ててるのか。
(ほぅ……怒り、とな)
強者への憤懣とでも呼ぶべきか。
強者が弱者の頭上に覆い被さり、這い上がろうとするのを拒む。力づくで踏みにじり、蹴落とし、支配する。
その構造そのものに対する嫌悪感と不信感が、怒りへと転じる。
瀬田が操られていることを真に理解し、彼の言動の裏に糸を手繰る者の存在が示唆された。
そこには力なき者の心の隙に付け入り、乗っ取らんとする意思がある。威太刀の忌み嫌うもの、力を振りかざすものだ。
――――瀬田にあんなことをさせる奴を、あいつの弱さを利用する強さのあり方を、絶対認めねぇ。俺はそう思ってる。
(成程、成程。実にらしいものの捉え方よ。強さを憎むか)
応じるスティークの声は悪辣さを幾らか薄くし、かわりに子供を躾ける教師のような口調になる。
(イタチよ。そちの名は、どう書く)
――――威力の威に、太い刀だ。
(
――――それがどうした。
(それがそち自身の本質なのだ。名は体を表すと申すであろ。その者を産み落とせし親が与える、その者を定義する言葉。存在に課された成すべきこと、此の世に在ることの意義。それを表象するものが名よ)
――――随分と大袈裟な解釈だな。じゃあ、お前の
(“
――――まるで俺の言い分と真逆じゃないか。
(だが結果として、切り捨てねばならぬものと直面せざるを得なくなった)
――――瀬田を見捨てる、ってことか。
(事実であろ。あやつを野放しにしておれば、どの道より多くの他者を見捨てることになる。間接的にとはいえ、そちが殺すも同然であろうぞ)
昨夜の一件で嫌というほどに思い知らされた真理を、スティークは改めて突きつけてくる。
剣を取っても、戦いから逃げても、いずれにせよこの手は罪に塗れる。であれば、せめて友を救うことくらいは美徳としたい。昨夜はそう結論付けた。
その芯は今でもぶれてはいない。
すでに傀儡となった瀬田を“救う”と言える手段があるとすれば、彼を斬って終わらせるより他にない。覚悟はできている。
しかしそれを納得できるか否かはまた別の問題だ。
己の責任と向き合い、無辜の命を見捨てないという決意と、彼を守ることはどうしても両立し得ない。
傲慢な願いが早くも破綻し、結果自らも“力によって弱者を剪定する”という忌むべき行為を実行しようとしている。
(わらわとそちの“定義”は一見すれば噛み合わぬ。わらわは強者の理をもって定義され、そちは弱者の理に依る。だが、それもまた捉え方次第ではないかの)
――――捉え方?
(うむ。そちは理不尽に弱者を統べる強者の理を憎む。ならば、わらわにその理を選び捨てさせれば良かろ)
――――厄叉が憑いてる刀をブッ壊せば、瀬田は助かるってことか。
(そう容易ではない。あの小僧は自我を支配されておる。人格を演じる為の皮のみを残した、絞り
――――どっちにしろ元通りには戻れないじゃねぇか。
(故に“強者の理”を殺せと申しておる。我ら二人の“定義”が此の世の因果に勝るのであれば、すべてを覆す望みすら叶い得る)
――――矛盾だな。力を否定して運命を変えるにしても、それを成し遂げるのは同じ力だ。
(であるな。であるから成功を確約はせぬ。さりとて僅かなりとも、可能性を拒みもせぬ。ただ、わらわがそちに期待することは一つ。傲慢に全てを取ると申すならば、せめてそれ相応の欲は示せ。それでこそ人の子というものよ)
スティークの物言いは無責任で荒唐無稽だが、反面、威太刀を叱咤しているようでもあった。
好き勝手を言うが、全くの嘘を上手に吹き込める性質でもないことはよく知っている。これも決して妄言ではないのだろう。
仮に妄言だったとしても、全てを取ると大言壮語した威太刀が、その荒唐無稽さで負けていては話にならない。
とことんまで傲慢であれ。それこそ因果を覆すまでの欲を張れ。
――――ああ、そうだよな。諦めるのはもう、懲り懲りだ。
そう在ることが己を己たると定義する手段なのならば。
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