呉越同舟

「随分と奴に好かれているようだな」


 立ち竦む威太刀の隣に、遅れて駆けつけた克那が立つ。

 左腕からは依然として血が滴り落ち、大破した畳に点々と染みを作る。右手には固く握られた大太刀。

 凌霊亞切りりょうあぎりは未だ戦闘不能、出血も看過できない量に達しつつあるというのに、彼女はなおも己が身一つで戦うつもりでいるらしい。佇まいのみでそれが伝わる。


「奴を憐んで斬れないと言うなら、私が斬る。元よりそのつもりだ。邪魔はするな」


「……そんな状態で何が出来るってんだよ」


「そちらこそ、傷はとっくに開いているはず」


 克那が威太刀の右腕を一瞥し鼻を鳴らす。追って見やると、いつの間にか血が流れ落ちているではないか。

 先日の戦いで彼女につけられた傷だ。

 応急処置によって止血はされていたが、今しがたの戦闘で完全に開いてしまったのだろう。興奮状態でいたためか、指摘されるまで気付きもしなかった。


「俺はあいつを止めなきゃいけない」


 痛みは感じなかった。感じていられなかった。


「あいつを斬るのは……俺だ……」


 どこまでが瀬田の本心で、どこまでが厄叉による演技だったのかは判らない。もしかしたら最初から全てが刀憑きに演出された、偽りの時間だったのかもしれない。

 だがたばかられたとしても、体良く利用されていただけだとしても。

 


「この期に及んで何をほざく。すべては威太刀、貴様の無用な手出しが事態を悪化させた」


「ああ。俺が幼稚だった。――――俺は最低だ」


 覚悟もなくこの戦いに首を突っ込み、自覚もなしに元凶を庇護し、多くの命を間接的に巻き込んだ。

 そして瀬田に対しては、守ってやると約束をしてしまった。

 罪悪が更に積み重なる。されども絶望して塞ぎ込むような甘えは通用しない。自分自身に許されない。

 ならば今成すべきことは、責務を全うすることのみだ。


「俺のやったことのツケは俺が払う。あいつを斬って終わらせる」


 自分自身でも驚くほどに感情が冷めていっている。

 二律背反する責務と約束。それらを同時に完遂する方法があるとすれば、瀬田を斬る他にない。

 それが一瞬のうちに分かってしまったからだ。


「勝手なことを。奴を擁護した負い目があるから、それを払拭したいと……? ふざけるな。この役目だけは、貴様などに譲れない」


 克那の語気がわずかに揺らぐ。見れば亞切を握る右手はひどく打ち震えている。

 今までに見たことのない様相だ。しかし彼女が抱いている感情は、空気を伝播して肌に突き刺さる。

 怒り。それもかつてないほど熱く、そして悲愴をたたえている。


「たしかに俺の覚悟は甘かった。お前に歯向かうことばっか考えて、何も見えちゃいなかった。……けど俺だって譲れねぇ。俺はあいつを守るって約束しちまった。ならせめて……」


「義務を果たさねばならないのは貴様だけではない!」


「強くなれ、だっけか。お前が瀬田に言ったのは」


「……っ」


「多分、お前のほうが正しいんだ。強いヤツに蹴落とされるなら、もっと強くなって追い抜け。屈服するだけの弱者から抜け出せ。シンプルだけど一番正しい。お前は何一つ間違っちゃいない」


 それは恐らく、幼き日の威太刀に対しても同様に抱いていた期待なのだろう。

 努力の末に威太刀を上回った自身を、更なる努力でまた更に上回ってほしい。互いに競い合い、高め合い、常に唯一無二の相手であってほしい。

 それなのに剣を捨て逃げ出した。威太刀を憎く思うのは尤もなことだ。


「でも誰も彼もがお前みたいにはなれない。どんなに努力したって報われない時もある。そんなどうしようもない時くらいは、守ってやってもいいはずだと、俺はそう思った。そして結果がこれだ」


「…………」


 克那の掲げる矜持は正しいが、正しすぎるが故に、他者には追随し得ない。

 誰よりも芯が強く、誰よりも速く進化し続けてゆく。彼女の正しさの基準は、常人にはあまりに遠く高い。

 威太刀は運良くスティークという“強さ”を借り受けることが出来た。そして小細工でもって力の差を埋め合わせた。

 しかし瀬田はそう在れなかった。力に取り込まれてしまった。

 その“正しさ”の報いを、克那自身、清算しなければならないと感じているのだろう。


「俺もお前も、あいつに対して、義務を果たさなきゃならないと思ってる」


「何が言いたい」


「互いに手負いだからな、一時だけでいい。俺と手を組め。どっちにしろ、そうしなきゃマトモに戦えねぇ」


 瞳の中心に相手を見据え、決して逸らすことをしない。気迫では威太刀も負けていなかった。

 昨日までなら決して言葉にできなかった提案。

 死力を尽くし、事実上の勝利に等しい引き分けにまで持ち込めた今、仮にも対等の力関係を示せたからこそ、協力するという選択肢を取れる。

 その意を視線から確かに受け取ったのだろう。克那も同様に正面から見返し、静かに返答する。


「よくも抜け抜けと言える」


「ああ。俺の言えた義理じゃねぇ。だが最善の手だろ」


「……今回限りだ」


 苦々しげな顔で承諾する克那を見てひとまず肩の荷が下りたのだろう。二人の対話を静観していた慈玄もようやく口を開く。


「威太刀よ。お前はそれで良いのじゃな。友を斬る……如何にしても遺恨は避け得まい」


「ダチだからとか、俺はもうそんな事を言える立場じゃねぇ」


「だがそれこそ…………いや、よそう。せめて手当てをしてから行け」


 憐憫を宿した眼差しになり、すぐに口を噤む。

 あの慈玄が珍しく“祖父として”威太刀を諭そうとしている気配があったが、自ら閉口したとあれば気にしてもいられない。

 改めて邪念を振り捨て、スティークを握る手に一層の力を込める。

 もう殺させない為に、殺す。




◇   ◆




 薄紅色の花吹雪が皐月の夜空を侵す。

 季節を外れた桜は今や満開にまで返り咲いている。

 ここは瀬田せだつむぎにとって特別な場所だった。

 白い少女に出会い、威太刀に救われ。

 そしてこれから、威太刀を殺す場所。

 威太刀は大切な人だ。誰も守ってくれない自分を唯一守ってくれた。

 かつて同様に救いの手を差し伸べてくれたはずの白い少女は、何故か今は刃を向けてくる。どうしてなのかはもう判然としない。

 世界と己のあいだに長く深い渓谷が刻まれている。それは雨風に晒されて徐々に広がり、記憶を剥いでいく。

 靄がかかり遠ざかる記憶の中で、断崖に咲いた桜の花が鮮やかに輝いている。この精彩は記憶を繋ぎとめるよすがだ。

 手許に残された愛しい記憶だけが、最後の拠り所。


 ――――だからもっと花を咲かせましょう。


 桜の樹の下には死体が埋まっているとか、そうなふうな文を読んだことがあった気がする。


 ――――想いが花を彩るなら、死を糧とすれば大層美しく咲き誇るのでしょう。


 善き糧を得た幹はより太い根を張る。

 これ以上、大切な人の思い出を手放すわけにいかないから。

 咲かせてあげなければ。威太刀を。最後に残されたいちばん大切な思い出を。




◇   ◆



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