勝利のあとで

 刃に縋りつく赤い飛沫が視界に入る。掌に残る“斬った”という確かな感覚が、克那に文字通り一太刀浴びせてやったことを証明する。

 だがまだ決定的ではない。手応えの浅さと背後からの殺気が、彼女に戦意がまだ残っていることを知らせる。

 振り向くと、克那の左腕は真っ赤に染まっているが、期待したほど傷は深くないようだ。どうやら斬られる寸前、一瞬で凌霊亞切を逆手に持ち直して僅かでも受け流したらしい。更に右に持ち替え、威太刀の首めがけて鋭い斬撃が振るわれる。

 威太刀もそれを看過するわけがなく、同じく返す刃で克那の首を狙う。

 必然、ふたつの刃は互いの首へ到達する前に止まった。


「…………腹立たしいが認める。その幼稚な策に翻弄されたことを」


「光栄だな。けど、どうやら俺も認めなきゃならねーみたいだ。……お前、


「……?」


「正直そんな気はしてたんだ。その何が何でも自分の力を信じて譲らない戦い方……刀憑きに乗っ取られてなんかねーだろ」


 朝に会った時、威太刀の「厄叉に乗っ取られてたってわけか」という問いに対して、克那は肯定してきた。なのに今回は克那が自我を僅かでも残していることに賭けるという、矛盾した戦法で敢えて打って出た。

 結果は見ての通り、こちらの期待以上に“克那らしい”引っ掛かり方をしてくれた。化け物の意思が介在しているとは微塵も思わせないほどに。

 これが彼女以外の相手だったなら、どこかで失敗していてもおかしくはなかった。


「乗っ取られているなら、その凌霊亞切が使い物にならなくなった時点で、お前自身も反撃できなくなってなきゃおかしい」


「威太刀こそ、まるで自我があるかのようだ」


「は……?」


「刀憑きを手放して連携させるなど……傀儡となったわけではないらしい」


 二人の会話はもどかしいまでに噛み合わない。

 威太刀は克那が刀憑きの傀儡ではないかと確かめているというのに、克那のほうもまた、威太刀が刀憑きに乗っ取られたことを疑っている。

 同じ疑問が対に向けられている。となれば、互いの解釈が根本からズレていたと考えざるを得ない。

 何しろ今、目の前にいる春日山克那は、間違いなく本人の意思でそこに立っている。


「どうなってんだ。厄叉どもの親玉ってのは……お前じゃないのかよ」


「……まさか自覚すらなかったと言うのか。一丁前に敵を欺いているわけでもなく、ただただ騙されていただけだと…………つくづく愚かしい」


「その回りくどい言い方をやめろ」


「単純なこと。威太刀は利用されている。刀憑きに呑まれた男に」


「…………ふざけんな」


 元から少なからず、不自然であるとは感じていた。

 彼女が真に使命感に基づいて同族喰らいの刀憑きを手にしているのか。それとも刀憑きに操られ、人々を襲うために利用されているのか。前者は本人の主張であり、後者は第三者による証言。

 疑いがかかっている以上、本人側の根拠はどうしても信憑性を落としてしまう。その為にこの問題を、“克那を信じるべきか否か”という争点で捉えてしまっていた。

 だが本来それはフェアな見方ではない。

 一つの真実に対して二項の解釈が真っ向から対立し、矛盾しているのなら、どちらか片方が間違いでなくてはならない。


「私情のために真実を見過ごしていたようだな」


「嘘だ! そんな馬鹿なことがあるかよ!!」


「受け入れられないのなら、私がはっきりと断言してやる」


「や……やめろ、言うな……」


瀬田せだつむぎ。あの男こそが刀憑きの操り人形、厄叉の首魁だ」


「………………ふざ、けんなッ……!!」


 克那の口から明かされた名前に、何故か聞き覚えがある、と感じた。

 いや、あってはならない。威太刀が彼の下の名を知っているわけがない。耳にしたことなどないはずなのだ。

 ――――知性を持つ厄叉が呟いていた言葉、“ツムギ”。

 ツムギなる人物が、厄叉の親玉だったならば。その人物を克那が斬ろうとしていたならば。そしてその人物が威太刀を欺いていたならば。

 なにもかもが腑に落ちてしまうではないか。


「曲がりなりにも狩人の道を選んだのなら、私情を捨てろ。黙して真実のみを見つめろ」


「クソッ……黙れよ! 違うッ! 絶対に有り得ねぇ!!」


 突き付けられた事実を必死に否定すればするほど、落ち着き払った克那との対比で、自分が駄々をこねる子供のように思えてくる。

 騙され、踊らされ、真実を知ればわめき散らす。まさにスティークが評するところの“滑稽な道化”だ。

 虚脱の果てに崩れ落ちそうになった、その時。道場の外――自宅の母屋から不吉な破壊音が轟いた。


「動き出したようだ。威太刀の足止めが功を奏したな」


「…………畜生ッ!!」


 母屋には瀬田と慈玄が一緒にいる。瀬田が諸悪の根源だなどとは受け入れられないが、かといって無視することもできない。

 視線を入口から克那のほうに戻すと、行って確かめるがいい、と言外に告げるように刀を下ろしている。いずれにせよ口論をしているだけでは何も始まらないことは、互いに承知している。

 震える手でスティークを納刀し、威太刀は走り出した。




「おのれ、こちらが黒幕じゃったか……!」


 孫と弟子の決着を待つあいだ、和室に座禅を組んでいた慈玄を襲った、一振りの凶刃。

 命中してしまえば殺されたことにさえ気付けなかったであろう。老齢の慈玄がそれを回避し得た要因を強いて定義するならば、運としか言いようがない。経験による裏打ちのみでは理由として心許なく思えるほど、その一撃は鮮やかだった。


「意外と身軽なんだぁ。さすが威太刀くんのお爺さん。びっくりしちゃったな」


 廊下へと転がり出た慈玄がすかさず目を向けた先に、凶刃を放った張本人はいた。

 まるで家畜を愛でるかの如き、この上なく穏やかな笑顔。今しがた畳に大穴を開けたばかりの短刀を玩ぶ姿には、毛ほどの邪気も感じ取れない。純粋無垢な、しかしだからこそ残酷な、子供らしい面立ち。

 先ほどまで怯え震えていた少年・瀬田とまったく同じ顔だ。


「肉体は聊か衰えたが、勘ではまだまだ耄碌もうろくしとらんつもりじゃ。それに引き換え、仮にも十四の神剣が一振りともあろうものが聞いて呆れるのう。狩人の同士討ちを待たねば落ち着かんか?」


「そうだよ。そうだけど……でもね、威太刀くんのおうちにお邪魔したかったんだ。親族の方に挨拶もしないといけないし。あ、言い忘れてた。ふつつかものですが、よろしくお願いします。うん、言っちゃった……ふふ」


「気色悪い奴じゃな。さて、どうする。暗殺は失敗し、あちらにも気付かれたはずじゃが?」


「う~ん……ボク、本当はお年寄りには興味ないんだ。美味しくないし。挨拶も済んだから、出直させてもらいますねっ」


 大道芸じみたおどけた身振りで短刀を鞘に納めると、瀬田は慈玄には目もくれず窓を蹴破る。砕けたガラスの破片がいくつか足に刺さっていたが、気にした様子はない。

 異変に気付いた威太刀が駆けつけたのは、ちょうどその時だった。


「大丈夫か、じーちゃん!」


「構えろ威太刀!! こやつが……」


「あ、威太刀くん。無事だったんだね。嬉しい……とっても心配だったんだよ」


 惨憺たる和室の有様に目を剥く威太刀を、やはり平時と同じ笑顔が迎える。


「ここにいるって事は、凌霊亞切りりょうあぎりの使い手に勝ったんだよね。良かったぁ」


「瀬田……お前、何やってんだ……!」


「うん、期待した通り。いや、期待以上に好都合。どちらか選べと言われたら、やっぱりボクは、君がいい」


 瀬田は熱にうかされたように、こちらの問いかけを無視して話し続けている。先ほども会話が噛み合わないように感じてはいたが、こうなるともう見ている世界さえ違うのではないかと思えてくる。

 しかし半ば怒鳴りつけるようにして放った威太刀の次の言葉が、計らずして瀬田の熱弁を止ませた。


「聞けよ! 冗談だって言ってくれって!! 聴こえねぇのか!?」


「――――――冗談? そんなことないよ。ボク、本気だよ。全部本心。威太刀くんがボクを守ってくれたから、ボクも思うようにやれる」


 言葉を表面上でだけ受け取るなら、この上なく前向きな宣誓に聞こえる。いや、事実としてそのつもりなのだろう。

 きっと彼に悪意はない。欺いたことにも罪悪感はない。至極当たり前のことのように、人斬りの悪魔としての視点で語りかけている。


「いつもの場所まで来てくれるかな。威太刀くんにしてあげたいことが一杯あるんだ」


 今日一番の笑顔を浮かべ、然る後に瀬田はこんどこそ窓を飛び出していく。

 すぐさま追おうと一歩だけ踏み出すが、それっきり威太刀の足は止まってしまった。


(……俺を殺せば、邪魔者はいなくなるってか)


 いつもの場所とは綿江中央公園のことだろう。おそらく瀬田は桜の木の下で待っている。まるで愛の告白だ。

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