リベンジャー(後)
「………………」
口は堅く噤んだまま眼光のみをぶつけ合う。すでに戦いは始まっていた。
視線は固定、二人揃って横歩きに道場へ上がる。間合いは双方とも一息で斬り込める程度の距離。
克那の得物・
やがて示し合わせるでもなく中央に立ち止まり、同時に鯉口に指を置く。
(……想定通りだ)
抜刀の備えをしたということは、前回のように納刀したまま玩びなどせず、最初の一太刀で片を付ける気でいる、という意思表示。
誘いをかけている疑いもないと考えよう。克那は威太刀のことを取るに足らぬ雑魚と認識しているし、事実としてそれは正しい。故にこそ真っ向から対峙するはず。
自分よりも遥かに弱い虫けらを叩き潰そうとするとき、その“殺し”に駆け引きは用いない。
相手の戦法を読み、対応しようとすることは、すなわち相手の力量が己と同等だと、同じ土俵に立っているのだと認めた証左になる。それだけは絶対に許さないだろう。彼女のもっとも軽蔑する虫けらは、剣の道から外れた落伍者――威太刀なのだから。
彼女がまだ
(いよいよ仕掛けるか……!)
躊躇いなく鯉口を切り、柄を握る。後ろに置いた左足を力強く蹴って、身体の体重を前へと突き動かす。
見咎めた克那もすかさず構える。やはり反応が速い。
ここまま真っ直ぐ斬りかかれば、きっと克那は容易くこちらの斬撃を
だが威太刀は進んだ。
振るう刃の速度を弛めず、裂かれた空気の悲鳴さえ優に追い越して。
対する克那は半歩だけ下がり、遂に長刀・凌霊亞切を鞘から解き放つ。引き抜く動作をそのまま斬撃へと移行させ、スティークが到達するであろう位置と瞬間に重ねて振るう。刀身同士を干渉させて、威太刀の斬撃を逸らしつつ斬り込むつもりだ。
取り回しの優劣をも瞬く間に埋めてしまう豪速の抜刀。
そしてふたつの刃が一気に振り抜かれ、“対象”を切断した。
「……!?」
決着はまだついていない。
両者の刀は接触していない。それどころか、生ける者をさえ斬っていない。
克那が切断したものは、長方形に整った大きな木の板だった。
二人の間に突如として障害物が現れた――――より正確には、飛び出してきたのだ。
「サプライズだ、喜べよ……!!」
面持ちに僅かな驚愕を浮かべる克那に向けて、続けざまに、足元から刀が突き込まれる。間髪入れずそれを弾き飛ばした克那は、急ぎ後方へ飛び退る。
威太刀の姿は道場内のどこにも見当たらない。それもそのはず、スティークの切っ先はたった今、床を突き破って向かってきたのだから。
唐突に飛び出した障害物の正体は、道場の床板だ。
ふたつの刃が交差すると思われたあの瞬間。威太刀の繰り出す斬撃は克那に到達するよりもずっと手前、床板へと急激に進路を変更していた。
あらかじめ床に貫通する寸前の切り目を三辺入れ、伸縮性の高いワイヤーで強く地面と結び付けておき、そしていざ最後の辺を斬って勢いよく踏み込む。衝撃に耐えきれず切り目から綺麗に割れた床板は、威太刀を床下に降ろしつつ、反対側を跳ね上げて目くらましとなった。
深夜で視界が暗かったために、さしもの克那もこの仕掛けを見抜けなかったようだ。
「っ……姑息な真似を」
立て続けに迫る床下からの刺突をすんでの所でいなしながら、克那が苦言を呈す。それに対して威太刀は挑発交じりの口調で返答。
「これは競技じゃねぇ、殺し合いだ。それくらいは分かるよな?」
克那が不快感を表すことも、彼にとって好都合だ。
怒りを募らせれば募らせるほど、彼女は“純粋な剣技で捻じ伏せる”ことにこだわるはず。
「お行儀よくしたって意味ねぇ、ってコトも」
そろそろ克那が体勢を立て直す頃合いだろう。誘導もうまくいっている。即断した威太刀はスティークを引き抜いて次の仕掛けへと走る。
床下を抜け出す手前、道場の最も外側を支える束柱。そこにもワイヤーが結び付けられており、外に数台置かれた簡易的な投石器へと繋がっている。ホームセンターで揃えたシャベルなどの道具から手作りした渾身の秘密兵器だ。
簡易的といえども威力は決して低くなく、最低でも道場の反対側の壁に傷をつける程度はある。昼間に実証済みだ。
名残惜しさを噛み殺しつつワイヤーをすべて断ち切り発射。投石器は凄まじい回転力とともに、積まれた無数の石を射出した時点で自壊した。
「こいつは何が何でも勝つための手段だ」
窓を突き抜けて飛来する石を、克那は避け、斬り払い、案の定ことごとく無効化してしまう。
もとより直接的なダメージを期待してはなかったが、それにしても呆れるほどの絶技だ。しかし陽動として申し分なく機能していることに違いはない。
現に投石の
――もう威太刀がそこから消えているとは知らず。
「下か……ッ」
ふたたび床下を通って飛び出してくると考えたのか、
すでに道場内に戻っているのかと見渡せども、どこにも威太刀はいない。
なぜなら今まさに、天井から飛び降りてきているからだ。
投石器発射の後、ひと跳びで屋根まで上った威太刀は、やはりこれも予め用意しておいた抜け穴を通って道場内への再侵入を果たしていた。
「良い的だ」
着地際を狙おうとして克那が構えなおす。
威太刀とて想定していないはずもなく、ひとまずの牽制として、先んじてガラス片を投げつける。
二人とも土足である以上、撒きびしとしての効果は期待できないが、投石器と同様に瞬間的な足止めにはなる。
そうして壁際に無事着地すると、続けて威太刀はあるものを投げつけた。
「もう、小細工はそれでネタ切れか……?」
さすがに今度ばかりは足止めにならない。“それ”単体には何ら突出した危険性がなく、石やガラス片のように散らばりもしない。
弾丸に匹敵するほどのスピードで迫りながら克那は、“それ”を一拍のうちに斬り刻み、いっそう加速する。
もはや斬り付けられるまで一秒とない。
――――と、その時。
突撃してくる克那の速度が、エンジンブレーキをかけられた車のように、がくんと落ちる。
「たぶん広い意味で言う……兵法ってやつだろ。これが」
繰り出される斬撃もたちまち減速してしまい、威太刀にも容易に視認できるほど。さりとてすぐに回避できる速度でもない。手にしたスティークを今一度振り抜き迎え撃つ。
刃と刃の交差。薄らと散る火花。
衝撃が腕を伝い、全身の肌を粟立たせる。
だが押し負かされはしない。ここに至り、二人のあいだにはじめて鍔迫り合いが生じた。
拮抗する力の象徴であり、本来起こり得ないはずの対等さの証明。
春日山克那の圧倒的アドバンテージが削がれたことを意味する戦況が完成した。
『うぁっ…………カテナ! め、目が! いやぁっ!!』
平素からは想像もできない切羽詰まった声をあげ、長刀・凌霊亞切が握られた手の中で暴れる。鍔迫りながらそれを抑え込もうとする克那の表情にも、すっかり余裕のなさが滲んでいた。
こんな顔の彼女を見たことは、これまでの人生に何度もない。少なくとも八年前から今に至るまででは皆無。
絶対に再現のしようがなかった光景が今、威太刀の眼前にある。
「一体、何をした」
「知らなかったみてーだな。お前が斬ったヤツだよ」
「なんだと……?」
つい今しがた投げつけ、あえなく斬り捨てられた物体。実は投石やガラス片にも少しずつ混入させていた野菜。
刀を料理に使うなどという暴挙とは無縁な彼女では知る由もなかったであろう。よもや刀憑きの厄叉が、玉ねぎを弱点としていたなどとは。
「こいつら刀憑きはどうも、玉ねぎを斬らせると、人間と同じように目が痛くなるみたいでな。まぁ刀そのものがこいつらの身体だから、当然といえば当然か」
「ふざけているのか…………威太刀ッ……!!」
「確かにちょっとアホ臭いかもだけどな、これでも超マジだぜ。使える物は何でも……お前に勝とうとするなら、持てる物ぜんぶブチ込むしかねぇ!!」
力任せに克那を押し返し、縦一文字に斬りかかる。あちらも負けじと横薙ぎに斬撃。
刃がぶつかり合い、受け流し、切り結ぶ。その度に克那の足は一歩、一歩と後ずさる。
亞切が弱体化している現状、身体強化を滞りなく受けている威太刀の前では、いくら百戦錬磨の彼女であっても不利にならざるを得ない。むしろ尚も切り結び続けていられる胆力に驚嘆させられる。
長刀は取り回しに難がある分、不利な間合いへの侵入を許すと反撃が極端に難しくなる。そのため克那は刀身の峰に手を添えて短く構えることで手数を補っていた。
「……スティーク!!」
気迫と自力のみで対抗し続けていた克那の反撃が、ほんの一瞬だけ怯む。打ち合いが連続した影響で身体に負担がかかっているのだろう。この機をみすみす逃す理由などあるわけがない。
呼びかけに応じて刀身が仄かに発光。打ち合いの最中にスティークが突如として人の姿に化け、二人の間に立つ。無手であろうとも克那の反撃を防ぐには充分すぎる至近距離だ。
スティークは即座に、柄を握る克那の左腕へと掴みかかり、その間に死角へと回り込んだ威太刀へと空いた手を伸ばす。
「行け、イタチ!!」
手と手が握られ、同族喰らいの化け物は再び光に包まれる。
美女から鋭利な太刀へとその身を変え、スティークの刃が克那の左腕に宛がわれる。重ねたはずの手はすでに柄となっている。
「なっ……!?」
「これが今出せる……俺のすべてだ!!!」
瀬田と一緒に過ごした時間の出来事、そしてスティークとの日常生活で起きたこと。あらゆる経験がこの日の為にあったと言っても過言ではない。
この一週間、いや八年間のすべては、春日山克那という最強のライバルに喰らいつくためにあった。
万感の思いを奥歯に力いっぱい噛みしめ、握った柄を一切の迷いなく――――振り抜いた。
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