第五章 威を断つ刃

リベンジャー(前)


「お前とも話つけとかなきゃな」


 無人の道場の中心に腰を下ろし、スティークを目の前へ置く。然る後にスティークは輝きを放ちながら人の姿へと化けた。

 すでに陽は高く、遠巻きに学校のチャイムが聞こえてくるころ。普段ならば教室で授業を受けているであろう時間帯に鎮座する道場は、どこか異世界じみて感じられるほど虚無の空間だった。

 威太刀と向き合うかたちで胡坐をかく着物姿の美女。

 冷静になって客観すると奇妙な光景だ。こんな非日常を今では“在って当たり前の日常”と受け入れてしまっている。いつ瓦解するとも知れぬ危うい橋の上だというのに。


「なにを改まりおって……わらわに説教か? それとも、今一度力を貸せと嘆願するか?」


「両方だ。お前に一言文句を言っておきたいし、克那と戦う為に力を貸してほしい」


「傲慢が過ぎるな」鼻を鳴らしてスティークが目を瞑る。「わらわは選べと申した。戦う道を取ったことは感心しよう。だが、それがものを頼む態度かえ? こうべを垂れるだけの屈辱を耐えられぬのなら、その覚悟、まだまだ甘ったるいぞ?」


 傲慢なのはどっちだ、といつもの調子で言いかけた反論を呑み込み、代わる言葉を冷静に声にしていく。


「お前はいつの間にか……いや、最初からか。ずっと上の立場でいるつもりだろうけど、俺からすりゃ納得できねぇ話さ。お前は俺の身体がなけりゃ満足に厄叉狩りもできない、ただの刀だ」


「そちとて、わらわの力が無くば何の力も持たぬ虫けらよ。飽きが来れば何時だろうと喰い殺してくれる」


。つまりは、飽きられてない。そうだろ」


「たいそうな自信だの。何か根拠があるのか?」


「知るか。とりあえず分かるのは、お前は、人が馬鹿みたいに足掻いて逆らって愚行を重ねてく様を愉しんでる。そうだろ?」


「ふむ。まぁ、間違うてはおらぬ」


「なら俺は打ってつけだぜ。何も考えないで取り返しのつかないことをやっちまって、絶対に勝ちようもない相手に挑んで、完敗して、それでも友達を護りたいなんてほざいて、挙句、無謀にもリベンジしようとしてる。我ながらとんでもない馬鹿だ」


「ああ、馬鹿とするより他にない愚かしさよの」


「でも俺はマジだ。大マジだ。俺は、


 瀬田を護る。克那に打ち勝つ。厄叉を狩り尽す。

 どれか一つを取ったって、身の丈を超えた無謀と言えるだろう。それをあまつさえ一つたりとも零さずに取るなど、底抜けの大言壮語なのかもしれない。

 しかし不可能だと決めつけられるのにも、自分自身で決めつけるのにも懲り懲りだ。

 欲しいものには何であれしがみ付く。大事なものは何もかも捨ててやらない。迷っているくらいなら、開き直ってでも食らいつく。

 昨夜の顛末から得た経験が、改めて思い知らされた己の本心が、威太刀をそう覚悟させた。


「だから手始めに決めた。俺はお前を愉しませる道具として、お前は俺に力を与える道具として。あくまで対等の関係でいさせてもらう。たとえ首根っこ押さえられてようと知らねぇ。誰からも指図なんかされてたまるかよ」


「――――は! 何を申すかと思えば、またとんでもない大法螺よな!」


 スティークの反応は、思ったとおり悪くないものだった。

 内心、一か八かの博打だとも考えていた。威太刀のことを道化と評する彼女の認識を鑑みると、ともすれば己の滑稽さに味をしめたとも受け取られかねない宣言。今この瞬間に飽きたと切り捨てられてもおかしくはなかったはず。

 これほどの傲慢が現実に通用するのか。それほどの大きな器たることが適うのか。本当はそんな確信さえもあやふやだ。


「クク……我が名の本質を知ってか知らずか……いずれにせよ面白い。その旨を許す。よもや自ら救いなき道に踏み込もうとは、なかなかどうして見所のある道化よ」


 救いなき道。スティークの言葉は鋭利なナイフのように胸に刺さる。

 この決意の先に待ち受けるものが“破綻”だけかもしれないことは承知していた。示された選択肢を選ばずに全て取ろうとすれば、逆に全てを取り零す事だってあり得る。むしろ本来ならそちらが然るべき結末オチなのだ。

 されども威太刀は、リスクマネージによって損なうものまで最適化するような、器用な真似ができる男ではない。ただ愚直に己の本心に従うことしかできないのだ。


刀憑きの厄叉スティーク。俺は手を貸してやる。だからお前は、力を貸せ」


「良かろう。いまこそ改めて…………!」




 蒼穹のホリゾントに穿たれた白い窓。

 臙脂色の炎を塗り重ねられたキャンバス。

 漆黒の井戸の底にきらめく砂金。

 空が移ろい、そのつど世界は廻り続ける。誰も滞らせることは叶わず、また、急かすことも叶わない。

 定められた始まりから終わりまでの間に、人は何かを成す。それが後に遺るものとなるか、誰も知る由は無い――。




 陽のある時間帯を威太刀は、途中挟んだ食事と三時間の仮眠を除き、すべてを“準備”に費やした。全くの不眠不休で事に当たるわけにはいかない。万全とまではいかずとも不調で挑むことは許されなかった。

 春日山克那かすがやまかてなを倒すためにスティークと何度も議論を重ね、あらゆる手段を講じた。

 人事を尽くして天命を待つ。勝利を確信しきれぬなら、最後には運を味方につけるだけ。

 憶測に願望などせず、不確定要素すら絶対に自分のものにするという覚悟。威太刀を取り囲む空気は異様なほど張りつめている。


「いいかな……威太刀、くん」


「おう」


 玄関に座り込み克那の到来を待つ威太刀に、瀬田がおどおどと声をかける。

 入念にシミュレーションを繰り返したために、かつてないほど冷静な威太刀とは対称的に、一日の大半を眠って過ごした瀬田は、あっという間に運命の時を迎えたことが落ち着かない様子だ。


「……よく分からないけど、戦う、んだよね……。あの人と……本当に、命懸けで……」


「ああ。殺し合いになる」


「あの、何もしないボクが、おこがましいようだけど…………絶対に負けないで」


「負けるつもりはないぜ。アイツにだけは二度と……絶対ェ負けてやらねぇ」


「…………威太刀くんは、あの人に負けたくないから、戦うの?」


 返す瀬田の語気は不自然に暗い。何事かと振り返ってみたものの、俯いていて表情は確かめられない。ただ、威太刀とは違った意味で異様な雰囲気が放たれていた。


「お前を守るために戦うし、アイツに負けたくないから戦う。言っちまえば、理由は両方ともだな。どっちか一つだったら、もしかしたら折れてたかも」


「……やだ」


「え?」


 瀬田の息が徐々に荒くなっていくのを感じる。

 四肢の先の小さな震えや、心音の緩急さえも僅かに感じて取れる。そしてそれらすべての情報が、瀬田の状態が平常でないことを知らせている。

 威太刀の心身が極めて落ち着いているためか、手にしたスティークから得られる能力が強化され、いつも以上に五感を研ぎ澄ませていた。

 過度の緊張、それか怯えるあまり取り乱しているのか。いずれにせよ精神的に参っていることは明白だ。


「大丈夫かよ? 無理しないで、部屋で休んでてく……」


「ねぇ。ボクのためだよね? ボクのためだけに戦うんだよね?」


「だからな、それは……」


「言ったよね。ボクを絶対に守るって」


「そう、だけど」


「良かった…………威太刀くんだけなんだよ。ボクだけを守ってくれるヒト。ボクだけの威太刀くんなんだ」


「あ、安心しろって。ちゃんとお前だけを守るから」


 相手を不安がらせるべきではないと考え、ひとまず話を合わせて答える。

 実際に嘘偽りはない。不特定多数の人々を守りたいという想いもあるが、克那と相対するにあたってそれは具体的な動機足り得ず、従って今、守るべき対象を瀬田だけに絞って考えることでモチベーションを高く保とうとしている。

 だが瀬田の望むところは恐らく、他の誰でもない彼ただ一人を守る英雄であって欲しい、といったことだろう。

 やはり様子が変だ。

 内心で疑念を懐く威太刀とは裏腹に、顔を上げた瀬田は見る見るうちに明るい表情を取り戻していった。


「ありがと。ごめんね、集中してるもんね。邪魔しちゃダメだよね」


「気にすんなよ。とりあえず奥で待っててくれ。な?」


「うん。威太刀くん、好きだよ」


「…………ん?」


 小さく呟いた直後、逃げるように廊下の奥へ去っていく瀬田。威太刀はしばらく眺めたまま、固まって動けなかった。


(これはいわゆる、愛の告白という……)


 一瞬、変な考えに支配されそうになって、すぐに自分の頬を叩く。

 容姿や言動などのパーソナリティから少女的な印象を受けるが、瀬田は生物学上の分類では男。あくまで友達としての「好き」であることは疑いようもない。

 むしろそんな勘違いを生みかねない台詞さえ飛び出させてしまった彼の精神状態が気掛かりだ。

 昨夜のこともあって、動転するのも無理はないだろう。しかし徐々にだが、威太刀への依存が強くなっている兆しもある。ひとりで問題を背負いすぎるきらいがあるのも承知している。

 戦いが終わった後で改めてゆっくり癒してやる必要があるだろうか。


(……いや、負けたら全部お終いなんだ。今は忘れよう)


 決戦に邪念を持ち込むべからず。気を取り直して精神統一に努める。

 ほどなくして、沈黙していたスティークがその時を告げた。


『来おった。おそらくあの小娘に違いなかろう』


 満を持して玄関扉を開く。

 眩いばかりの月光に冴える、白と黒のしなやかな出で立ち。門の影にあって聊かも霞まぬその威容。

 春日山克那がついにやってきたのだ。

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