再起の朝


 客室に布団を敷いてやると瀬田は崩れ落ちるように眠ってしまった。よほど精神が張りつめていたのだろう。慈玄を問い詰める為にも都合がよい。

 茶を淹れ、居間に腰を下ろす。威太刀と慈玄は互いに相手の出方を窺ってか、中々話し出さない。


『そちら、いい加減に……』


「おほん! おほんほん! おぉーっほんほんほん!!」


「ゴホッ! ゴホゴホゴホッ! ガッ! ゴッ! ゴガホホガガガ!!」


「ほぐっ! ぐほんっ! ほぐぐぐっ! ぐーぅんっほぐほがほ!!」


『切り替えの早い奴らめ……』


 見かねたスティークが喋り始めようとする時だけ、二人の大袈裟な咳払いが揃う。

 そんなやり取りを無駄に何度か繰り返しいよいよスティークが呆れ果てたころ、満を持して慈玄が口を開いた。


「まさかお前が捨縊すてくびりを解き放ったとはのう……威太刀」


『あっおのれ慈玄! 勝手に!!』


「すて、くびり? なんだそれ?」


「こやつの真の名じゃ。靜選じょうぜん捨縊すてくびり。またどうせ、いまどき風の粋な呼び方でも吹き込んだのじゃろ?」


「すてくびり……頭を取って英語風にすてぃーく、か」


『やかましいわ!』


 冷静な分析を掻き消すように、かたかたと独りでに揺れながらスティークが怒鳴る。刀の姿のままだが、赤くなって憮然とする顔が透けて見えるようだった。

 また一つスティークの弱みを握れた事を内心勝ち誇りながらも、脱線した話題を修正する。


「なぁ教えてくれ。俺は、喰われた人が厄叉になるのを見た。厄叉やくしゃってのは……こいつらは一体何なんだ。どっから湧いて出てる?」


 率直に思うままの疑問をぶつける。厄叉が人を襲い、被害者は厄叉となる。卵が先か鶏が先か、こればかりは事情に通じる者に訊かない限り知りようがない事だ。

 何より、今こそ知らなければならない義務があると感じていた。もう見て見ぬふりをしてなどいられない。

 対する慈玄は見るからに気が重いといった様子で、溜息交じりに語りだした。


「……いわば連中は、伝承に聞く吸血鬼と似たようなものじゃ。人の魂を喰い、残り滓を。野に跋扈ばっこする程度の低い厄叉どもは、大方が感染させられた人の成れの果てじゃな。芋蔓いもづる式に辿ってゆけば、それらの親――元凶がおる。種類は大別して二つ。知能・戦力ともに上級の厄叉か、刀憑きの厄叉。どちらかじゃな」


「それって実質は一つじゃねーのか。刀憑きの厄叉ってのは、少なくとも俺の知る限りだが、明らかに他の厄叉とは違う。こういうヤツらが上級の厄叉ってことなのか」


「う、うむ……まぁそんなところじゃ。しかし存外と深く首を突っ込んでしまっておるようじゃのう……わしが案じておる問題は正にそれじゃ」


 慈玄の面持ちが徐々に険しくなっている。言わんとすることは威太刀にも分かった。

 仮に元凶を刀憑きの厄叉に絞り込むとするなら、今この街に容疑者は二人――スティークと亞切しかいない。そして刀憑きには、使い手の身体へ自在に制御権を割り込ませる能力がある。

 つまり街に毎夜現れる厄叉どもを生み出しているのは、実のところ、スティークに操られた威太刀なのではないか、ということだろう。

 だが威太刀は頑としてそれを認めない。


「俺は生身の人間を斬ったことはない」


「しかし記憶を書き替えられ――あるいは惑わされて人を厄叉と思い込み、結果として加担したという可能性も否定はできんじゃろう」


「それもない。もしコイツがそんな事をする奴だったら、ついさっきの仕打ちと矛盾する」


「仕打ち?」


「……コイツはわざわざ俺の目の前で、厄叉に喰われる人を見殺しにさせて、新しい厄叉が生まれる所まで見せつけた。事実を知ったときの俺の反応が楽しみだったんだとよ。俺を騙してコソコソと人を喰いたいんだったら、こんな事をする理由がない。少なくともコイツの目的は、俺に厄叉を狩らせることだった」


 慈玄はいっそう険しい眼差しになりスティークを睨み付ける。

 片やすっかり落ち着き払った声でスティークは飄々と問い返した。


『ほぅ、殊の外冷静であるの?』


「…………冷静なワケねーだろ、クソババア」


『バッ……ババア……!?』


「あの男は最低なヤツだったし、あいつを見殺しにすることで、俺が戦いから逃げるということの意味は分かったさ。…………でも、やっぱ死なせていい理由になんてならない。俺が戦うための自覚と人ひとりの命なんて、そんなの吊り合うわけがない」


『お、おお、おのれイタチ……無礼にも程があるぞ……ババアとな!?』


 相手は人ならざる者であり、人とは異なる価値観を持っている。故に関心のない他者が命を落とそうと気にも留めない。それがスティークという刀憑きであり、威太刀は彼女にこれまで頼ってきた。それは重々承知している。今更「言い返してくるにしても論点が違い過ぎている」などと目くじらを立てるつもりはない。そういうものだと受け入れるしかないことだ。

 。他なる人が無意味に死んだという事実はやはり看過してはならないし、現に痛ましいと感じた気持ちを捨て置くわけにはいかない。

 人として、躑躅ヶ崎つつじがさき威太刀いたちとして最低限の線引きに――――スティークの行いは“正しくなかった”と断じなければならないのだ。


「落ち着け捨縊すてくびり。若造の言葉遣いなんぞに腹を立てていては威厳もへったくれもないじゃろうが」


 地震でも起きたかと思わせるほどに激しく揺れる刀を、すかさず慈玄がなだめる。奇妙な光景だ。

 先回りして怒り出せないように釘を刺され、出鼻を挫かれたスティークは、しばらくの沈黙を挟んだ後、短く『ふん、勝手にほざきおれ』とだけ言ってまた黙り込んでしまった。


「ひとまずお前達が厄叉を蔓延らせた元凶でない事は、承知した。いずれにせよお前達が出逢ったであろう日より以前から発生しておったでな」


「となると、やっぱ元凶ってのは克那ぐらいしかいないのか」


「待て。なぜ今、克那の名が出るのじゃ」


「俺以外に刀憑きを持ってる奴と言えば、克那しかいねーじゃん。てっきり知ってんのかと……」


「……馬鹿者。わしは克那に捨縊すてくびりを譲ろうと考えておったのじゃ」


「はぁ!?」

『あぁ!?』


 威太刀とスティーク、二人が揃えて素っ頓狂な声を上げる。片や心底から不可解げに、片や心底から不愉快げに。

 そんなことは気にも掛けず、慈玄は続けざまにまたとんでもない事を言ってのける。


「親戚の集まりと言って家を留守にしたが、実際はわしら躑躅ヶ崎家を含めた“御三家”の緊急招集がかかっておったのじゃ。厄叉の出没に対し、刀憑きを封印より解き放たねばならんとの達しでな」


「ご、御三家!? えっ……招集!? ちょ、なんだそのいきなり謎な組織体系!?」


「古くは安土桃山時代から在ったと聞く。まぁ、その話は後回しじゃ」


「いやいやいや! 十六年この家にいるけどそんなの初耳だぞ!!」


『ええい黙れ! それより慈玄! わらわをあのムスっと黙って愛想の悪い嫌味な娘に譲るなど、いかなる了見で申しておる!?』


「威太刀が破魔守はまがみ流から降りてしまった以上、今や唯一である弟子が後継となるのは自明じゃろう。破魔守はまがみ流はそも厄叉と相対する者が振るう剣のすべ。克那はそれを完璧にものにしておる。他にどうしろと言うのじゃ」


『論外! 論外であるぞ! あんなのよりイタチの方が三倍ほどマシぞ!』


「そこはせめて百とか千とか盛れよ」


「これ、落ち着かんか二人とも。客人を起こしてしまう」


 慈玄に諌められてようやく瀬田が眠っていることを思い出し、慌てて口を噤む。

 客間はしんと静まり、呻き声のひとつも聴こえてこない。今の騒ぎで目を覚ましていなければ良いのだが。


「……とにかくだ。本来ならこのスティ……捨縊すてくびりを譲り受けるはずだった克那は、今、別の刀憑きと一緒に行動してる。凌霊亞切りりょうあぎりとかいうヤツだった」


「凌霊亞切…………。聞いたことはあるが、わしも直に見たことはない刀憑きじゃな。しかしそやつが何故、克那と……」


「さあな。厄叉狩りをしてたのは確かだけど…………お前はなんか知らねーのかよ。あれと顔見知りみたいな雰囲気だったけど」


『あの老いぼれとは大昔に一度会うたのみよ。分かることは一つ、わらわよりふるい存在で間違いなかろ。あと、虫が好かん』


「要はほとんど何も知らないってことじゃねーか」


 三者三様に頭を抱えだしてしまい、会話が停滞し始める。改めて考えを整理する必要があった。

 瀬田からもたらされた証言。慈玄からもたらされた幾つかの新事実。手掛かりを照らし合わせれば合わせるほどに、克那が元凶であるという疑惑は徐々に濃くなっていく。

 一方で疑惑を否定する材料もないわけではない。

 最初の遭遇時、克那は確かに威太刀を守り厄叉を斬った。二度目、直接対決に敗れた時も、なんだかんだと命は拾った。

 僅かでも疑わしきは悪か、それとも僅かでも信じられるなら信じるべきか。現状ではその程度のあやふやな結論が精々だ。

 しかし強いて現時点で判断するなら、威太刀の本心は、後者を選びたがっている。

 決して克那のことを贔屓したいわけではない。命拾いしたとはいえ、殺されかけたのもまた事実。尤も単純な感情論に任せるならば、敵に違いないとすら言えてしまう。

 それでも威太刀は期待していた。

 あの春日山克那が、刀憑きに乗っ取られるなど。辻斬りめいて堕落するなど。そんな低次の存在であるわけがない。

 ――――そうでなければ、彼女を乗り越えることが未来永劫に不可能となってしまうから。


「なんにしても直接話さない事にはどうしようもねぇ。明日、克那と話をつける」


「良いのか。最悪の場合、殺し合うことにもなるじゃろう? お前では相手になるまい」


「ああ、俺と克那が剣で勝負すれば、まず勝ち目はない。けど…………悪ィじーちゃん。夜が明けたら丸一日、道場を好きに使わせてくれないか」


「それは構わんが、いったい何をするつもりじゃ」


「……俺に考えがある」




 漆黒の空に徐々に青白い光が差していき、どこか遠い場所から鳥の囀り、車の排気――――生者の闊歩を知らせる音が増していく。街灯は役目を終え、あらゆる場所から人工的な光が消される。

 自分たちの存在とは関わりなく勝手に動き始める世界。置いてけぼりにされないよう眠気を振り切り世界にしがみつこうとする人々の気配。

 小学生の夏休み、朝のラジオ体操に通っていたころの感覚をなんとなく思い出す。公園に行って友達と顔を合わさなきゃいけない。そんな焦る気持ちがむしろ夜中よりも孤独感を強くしたものだった。

 穏やかな寝息を立てて眠る瀬田の顔が、視線を落とした先にある。匿った直後の怯え切った表情とは打って変わって、母親に抱かれた赤ん坊のように無垢であどけない。

 起こしてしまわないよう気を遣いながら、ゆっくりと頬に手を当てる。大福の表面に触れたみたいだ。柔らかく滑らかで、とても同じ男子とは思えない綺麗な肌。想像以上に夜明けが冷え込んだせいか、あまり温かくはない。

 まるで弟が出来たみたいだな、とブランケットかけてやりながら想う。容姿からしたら妹にも見えるかもしれない。放っておけないと思わされてしまうあたりも、どちらかと言えば妹のような存在感に近いのだろうか。

 威太刀に兄弟はない。昔は弟や妹を持つことに憧れたものだった。強いて当てはめるならば克那が妹分と言えなくもなかったか。

 あの頃から何もかもが変わった。二人の関係性も、取り巻く環境も、それぞれに背負う意思も。

 いまの克那にとって威太刀は全く取るに足らない存在だろう。目障りな障害物とでも思われていればまだ良いほうである。

 克那の中での威太刀の存在は、きっと日に日に小さなものになっている。そしてそれと反比例するように、威太刀の中では克那の存在が大きくなっていく。

 あの日背を向けてしまった壁が、回りまわって今再び威太刀の前に立ちはだかろうとしているのだ。

 ――――越えられるだろうか、あの壁を。

 護りたいものがある。背負ってしまったものがある。もはや壁を避けて通ることは出来ない。しかしだからといって乗り越えられるほど低い壁でもない。もう一度すべてを投げ出すのなら、これが最後の機会になるだろう。

 直感の促すままに玄関を降り進む。朝露に白む門の先に果たして克那の姿はあった。


「丁度、話つけなきゃと思ってたとこだ」


「要件は承知してるはず」


「どっちに用があんだよ。俺か、それとも……」


「両方。返答によっては順序が替わる。それだけ」


 克那の語調は相も変わらず淡々としているが、昨夜よりも棘がない印象だった。とはいえ柔和と形容するには程遠い。

 さながら悪童の愚行にとうとう匙を投げた大人のような、憤りを通り越していっそ達観した雰囲気。もう見下されるのに慣れた威太刀は今更苛立ちもしない。ただ

『次こそは本当に見逃してもらえないだろう』という確信が深まるのみだ。


「……結局、刀憑きに乗っ取られてたってわけか」


「そう。それが分かっていながらまだ邪魔をするか……尚更生かしておけない」


 躊躇いがちに投げかけた疑問に、克那は平然と返す。こうも簡単に自分が傀儡かいらいである事を認めるとは、威太刀にも聊か想定外だった。目の前にある凛として隙のない佇まいが虚飾のものだとは、どうしても思えなかった。

 落胆を禁じ得ない。かつて威太刀が誰よりも羨望した、あの孤高にして比類なき才能が、つまらない人殺しの凶刃と成り果てたなど。

 何を隠そう本人が認めたのだから答えが覆るわけもあるまい。であれば取るべき手段はただ一つ、斬って捨てるだけ。そう意識を切り替えれば好都合であるとも言えた。

 今の克那がすでに克那本人の自我を喪失しているのなら、その状態で振るわれる剣技もまた、純粋な克那のセンスからかけ離れる。克那を倒すことが叶わないこの身でも、克那でないものが相手なら勝てるかもしれない。小数点以下、コンマ零台の微々たる差に過ぎずとも、勝算が変動したという事実さえあれば勝敗を別つ要因に足る。


「今晩、道場で待ってる。……そろそろケリ付けようぜ」


「惨たらしい敗北が望みなら、せめて最期くらいは応えてやる」


「言ってろ。絶対に殺らせるもんか……瀬田だけは」


 吐き捨てるように言い切ると、同時に背を向ける。克那は朝靄の住宅街へ、威太刀は我が家へと。

 双方とも視界に相手を映すことはなく、歩みを止めない。


「俺が言えた義理じゃねーけど……見損なったぜ」


「確かに、イタチに言える義理はない」

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