突き立つ真実、成れの果て


 スティークの指示に従い辿り着いた場所は、瀬田とよく出会う綿江中央公園だった。

 時刻は午後十一時。もともと見晴らしの悪い場所であるのに加えて、深夜にもなると全くと言っていいほど人気ひとけがなく、瀬田の姿を探すのは困難だ。


「おい、瀬田! いるのか!? 俺だ、威太刀だ! 返事をしてくれ!」


 身体強化の恩恵を最大限活用し、アスリート並の速度で駆けだした。

 威太刀の呼びかけに答える声は聞こえない。まさかもう手遅れなのか――――焦る気持ちを抑えながら周囲を見渡す。公園の最奥、桜の木を囲む開けた位置まで辿り着いた時、ようやく人影を見つけられた。

 人影は水溜りに倒れ伏している。雨などは降っていない。月明りに照らされてわずかに立ち上る鉄臭さ。絶命したものと見て間違いはない。


「瀬田ッ……!?」


 ここまで来て手遅れだったなど、瀬田が殺されてしまったなどと、そんな事になったら堪ったものじゃない。が瀬田でないことを祈りつつ駆け寄る。

 結論としては瀬田の死体などではなかった。

 一瞬、胸を撫で下ろしそうになり、すぐにかぶりを振る。たとえ目の前に転がるものが威太刀の友人でなくとも、そこで誰かが襲われ、殺されてしまったことに変わりはない。その気であれば救えたはずの命が絶たれた。それが事実だ。

 死体の顔を覗き込むと、どこか見覚えのある顔のような気がした。

 若々しい、威太刀と同年代かすこし上ほどの男性。タンクトップに柄もののシャツを重ね、やたらにチェーンのネックレスを重ねて巻いている。いかにもな近寄り難い出で立ち。

 そこまで観察したところで、昨日、瀬田に絡んでいた不良たちの片割れだと気がつく。威太刀が不意打ちの跳び蹴りでノックダウンさせた方だ。


「ヒッ……ヒイィィィィッ!!?」


 背後から情けなく裏返った男の声が聞こえる。振り返るとそこに、もう一方の不良が腰を抜かしていた。一緒にいたところを襲われて、あちらは逃げ延びたのだろうか。わざわざ現場に戻ってくるあたり、あれでも義理堅いほうだろう。


「おい! お前、化け物を見たのか!? 瀬田は……瀬田はどこにいる!?」


「や、やめろ……来るな……! 来ないでくれぇぇ……」


「お前は見てないのかよ!? 襲ってきた奴はどこ行ったって聞いてんだ! いいから答えろ!!」


「かたな……刀! 刀!! うわあぁぁぁぁぁぁぁ!!?」


 厄叉の行方を問い詰めようにも、男は怯えきっていてまるで要領を得ないうわ言ばかり。どうやら威太刀が手にしている刀を恐れているらしい。ついには半狂乱で泣きわめきながら走り去っていく始末だ。

 このままでは本当に瀬田を助け損ねてしまう。焦りにかられた威太刀が男を追いかけようとすると、


『待てイタチ。来よるぞ』


 スティークが威太刀の身体を制御し、突如として身動きを封じてしまう。

 直後、男は真上から降りかかってきた厄叉によって真っ二つにされてしまった。


「なっ……!?」


 落下する勢いに体重を乗せた、切断するというよりも叩き割るような一撃。すでに十メートルほど離れていたというのに、肉を裂き骨を砕く生々しい音がいやにはっきりと届いてくる。

 厄叉は潰れたトマトのようになった死体にすぐさましゃぶりつく。テレビで見た事がある、肉食獣が草食動物の子供を貪り食う光景を思い出す。

 あまりに呆気なく、目の前で人が殺されてしまったという理解が追いつかないほどに、一瞬の出来事だった。

 身体はなおも封じられたまま動けない。


『しかと見届けるがよい。が毎夜、この地にて繰り返されておる惨状よ』


「ざッけんな!! さっさと動けるようにしやがれ!!」


『わざわざ戦ってやる道理はないのだぞ? 小僧を助け出すために赴いたのであろ? わらわは決して戦いを強制はせんと決めた。放棄することを許そう。逃げることもまた許す。……だが、目を逸らすことは許さぬ。逃げるのであれば、事実を全て見届け、受け止めたうえで選択せよ』


「そんな説教の為に今、アイツを見殺しにしたのかよ!? アイツが殺されるのを待ってたってのか!!?」


『ああ。そちが厄叉狩りから逃げておったのも同じ事であろう? 今更なにをそう取り乱しておる』


「同じじゃねぇ!! こんなの、お前が殺したようなもんだろうが!!」


『そう、わらわが殺した。ただ、厄叉が隠れておるのを黙して見過ごした。見て見ぬふりをした。あやつが殺されるであろう事を知りながら! 厄叉を斬り捨てうる力を持ちながら! それを振るうこともなく! まったく無意味な死を招いてやったのだ! さて、これの何が違う? 申してみよ。昨夜のそちは、何か一つでも、違うたか?』


 内に閉じ込め覆い隠してきた感情を、厭らしくも愉快げに暴いていく。スティークの哄笑は止まない。彼女の言葉のすべてを否定しきることは出来なかった。

 この有様は、部屋に篭って渦巻く葛藤のすべてを投げ出し、スティークを封じ込めて過ごした昨夜の再現に他ならない。どうあっても克那の才能には勝てないという自己認識と、戦いから背くことで数多の命を見捨てているという不変の事実を、威太刀は混同していた。いや、すり替えていたのだ。

 克那が威太刀の介入を許さないと言うならば、威太刀のぶんまで人を救うべきと、実際にそうするのだろうと、自身の負い目から焦点をずらして愚かな楽観に浸っていたのは自明のはずだ。それなのに目を逸らし続けていた。

 最低の手段ではあるものの、スティークの言論に間違いはない。

 ただ一つだけ、違うと言えるものがあるとしたら。


「俺はこんな、悪意で人を見殺しにした覚えはない」


『ふぅむ……そう来よるか。成程成程……よい。それは認めよう。そちが屁理屈に長けておるのを失念しておった』


「これがお前の言ってた、“見せつけたい事実”ってやつかよ」


『そう急くでない。これは余興に過ぎぬ。……そろそろ頃合いかの』


 未だ主導権を握られたままの身体が、こんどは真反対の、最初に発見した死体のほうへと振り返る。

 斬り捨てられ、血だまりに沈む亡骸。何の変化もない――――はずだった。

 意識などあるはずもない、既に人のカタチをした肉へと成り果てたはずのそれが、徐々に震え出す。


「なんだよ……これ……」


 震動と呼応して蒸気が上がりはじめ、衣服を溶かし、炙られたプラスチックのように膨張しながら白く変色していく。皮膚の下では筋肉が暴れ狂い、骨がばき、ばき、と音をたてて捻じ曲がる。

 死体は見る見るうちに姿へと変貌し、完成すると同時に立ち上がった。

 威太刀は知っている。それを何と呼ぶのか。


『これまで中々立ち会う機会がなかったでの、ようやくのお披露目であるな!』


 人喰いの化け物――――厄叉。


「嘘……だろ」


 誕生したばかりの厄叉はうまく歩けないのか、一歩踏み出すなり転んでしまう。赤ん坊を見ているかのようだ。

 頭が真っ白になる、とはまさにこの事だろうか。

 人が厄叉になった? 厄叉に殺された人間が、厄叉になる? 厄叉はもともと人間だった?

 どれも根本は同じ疑問のはずなのに、どういうわけか結びつかずにふわふわと漂ったまま。結び付けてしまうことを恐れて、本能が拒否している。

 視界に映るあらゆるものが遠ざかっていく感覚に襲われる。そんな中でスティークの笑声だけが痛いほどに近い。


『くくくくっ……くははははははははははははッ!! そう、その顔! それを心待ちにしておったぞ!! 滑稽よなぁ!? 無惨よなぁ!? 期待通りの道化ぶりであるぞ、イタチ!!』


「……つまり、なんだ…………人、だった、のか……? 俺が、斬ってたのは…………これが?」


『おうとも。たしかに。紛れもなく。そちが斬り殺してきた化生けしょうどもは全て。人の子のなれの果てだった、ということよ。……ふ、ふふ、ふぁはははは!! ま、待て、笑い死ぬ! あはははははははははは!!』


 間もなく歩行に慣れた厄叉は腕の先をミートハンマーへと変え、こちらに向かって駆け出した。時を同じく、捕食を終えた後方の厄叉も威太刀を次の標的と定めたようだ。

 当の威太刀は茫然自失のまま微動だにできない。かわりにスティークが身体を制御し二体の厄叉を迎撃する。

 前方の厄叉が飛び込んでくるのを紙一重でかわし、続き後方の厄叉が斬りかかる軌道をひらりとくぐって、すれ違いざまに剣先で撫でる。

 わらいながら。

 惑わし玩ぶように。

 圧倒、翻弄、虐殺。いずれもこの戦況を表すに相応しい言葉ではない。より正確に言い表すならば、パフォーマンス。

 躍動する身体から滲みだす生命力と、厄叉の四肢が解体されゆくさまの頽廃性。二つの対比でもって完成する一つの映像的なアートのようだ。

 を切り刻みながら、芸術表現は絶頂を迎える。


「やめろ…………やめろ!!」


 薄紅色の花弁が散った。

 五月の半ばにありながらわずかに花を残していた桜の木は、いつの間にか五分咲きほどまでに返り咲いていた。

 刹那のうちに斬り捨てられた肉片が、時の流れに引き戻され、血の雨となり花弁を叩き落としていく。

 威太刀の手は柄を固く握ったまま離れない。能動的に行動する自由を奪われながら、視覚・嗅覚・触覚と、受動的な感覚だけはこの身に蓄積され続ける。二体の厄叉が完全に肉片となり、微粒子へと溶けてしまってもまだ、鮮烈すぎる感覚は現在進行形で威太刀の内で荒ぶっていた。

 人ならざるモノへと堕ちた人であったモノ。

 そう、人ではない。人を喰らう化け物。彼らはすでに一度死んだ。その遺骸が乗っ取られ、勝手に動き出しただけに過ぎない。だから、だから。

 

 死肉が厄叉に変わっていく時の、あの不快な物音が再び聞こえてくる。たった今貪り食われたばかりの男の死体が、早くも変質を始めているのだ。


「無理だ…………もう、やめてくれ……」


 間髪入れずそちらへ向かおうとする身体を、威太刀の精神が、心が、必死に引き留める。全霊をかけて抵抗すれば、僅かばかりはスティークの支配を拒否できるようだ。とはいえ十全に御せるわけもなく、脚はその場に踏ん張っているのに、上半身は厄叉のもとへじりじりと引き寄せられていく。

 初めてのことにスティークも驚いたのか、刀身から放たれる愉快げな声がさらに甲高くなる。


『わらわの干渉を妨げるか! 余程の罪悪感を覚えたと見えるのぅ? この期に及んで! 自らの行いを忌避するか!! くはははははは!! どこまでも笑わせてくれる奴め!! 愛い。愛いぞ!!』


 スティークによる身体制御の強制力は凄まじい。ほんの一瞬でも気が緩めば、あっという間にまた独走を許しかねない。

 目の前で今まさに新たな厄叉が生まれようとしている。みすみす誕生させてしまえばすぐにでも襲ってくるだろう。それでも斬りたくない。後先を考えてもいられないほどの強烈な罪悪感だけが、威太刀の意思を支えるか細い蜘蛛の糸だった。


「やはり刀憑きに呑まれていたか」


『だから言ったじゃない。あんなジャマな坊や、さっさと殺せば良かったのよ』


 触れるもの全てを凍り付かせるような、呆れ交じりの克那の声。続き凌霊亞切の幼い声。

 克那がなぜ?

 気配を察する余裕すらもなかった。だから生まれかけの厄叉との間に純白の少女が降り立った時、まず理解ができなかった。ほんの十数分前まで、彼女の到来を最も危惧していたのは他ならぬ威太刀だったというのに。

 克那は威太刀を短く一瞥する。その瞬間に垣間見えた横顔は、かつてないほど――――安らかだった。

 そうこうするうちに変質を完了し確かな実体を得た厄叉は、さすがに二人もの剣士を前にしては不利と悟ったのか、一目散に公園から逃げ出した。それを追って克那も駆けだす。


『チッ……なんとも間の悪い闖入者ちんにゅうしゃよ。まぁ、やむを得まい。喜劇は引き際も肝要であるからな』


 二つの白い背中が小さくなっていき、夜闇に薄れたのを境に、スティークはすっかり飽きて身体制御をやめた。

 唐突に身体の自由を返され、引き合う相手を失った威太刀の身体は、それこそ古い喜劇のように大きくひっくり返り、背中から地面に叩きつけられる。

 背中に痛みは感じない。そんなものは気にならない。むしろ、この一部始終が夢幻などではないと思い知らされたような気がして、全く打っていないはずの頭が一番痛かった。


(俺は何をしてんだ……何をやってきたんだ……)


 スティークと出会った夜に真っ二つにした厄叉。

 自分の意思で策を立てて攻略したさそり型の厄叉。

 マンションで討伐した知性を有する厄叉。

 どれもこれも、もとは人間だったと言うのか。それをこの手は、知らず知らず次から次へと。

 厄叉の跋扈ばっこを許せば人が命を落とす。たとえどれだけ克那が狩ろうとも、救いきれない命は必ずある。ならば人を救うため、より多くを護るために、人ではないモノを斬る。大義名分としては充分だ。

 だが果たしてそうだっただろうか? 自分はそんな高尚な動機に基づいていただろうか?

 否、違う。

 見知らぬ人々を守りたいだなんて、毛ほども思っていなかったはずだ。正義感なんて下らない、厄介事の種になるだけ、と常々斜に構えていたじゃないか。

 威太刀はかつて砕かれた自尊心を取り戻すために、鏡合わせの虚栄を塗り固めるためだけに戦っていた。スティークの力を借りて、

 今となっては呑気に厄叉狩りをしていた頃の自分に反吐が出る。人じゃないから斬ってもいい、だなんて酷く浅はかな考えだ。

 こんなもの、どうすればいいという。すでに多くの人の血で穢れたこの手は、何をすれば洗える。

 今更正義感を振りかざすか。真実を知ってなお虚ろな自己満足に浸るか。どちらを取っても血は拭えないだろう。

 どうしてこんな場所にまで来てしまったのだ。後戻りなど叶わないこんな地獄に。


「あ…………瀬田……」


 ふと思い出す。たしか、瀬田を助け出すために来たのだった。

 震える手足に鞭を打って立ち上がる。当てなど何もないが、惨劇の現場で待っているよりは、動いたほうが合流できる可能性も高かろう。

 せめて友人を救うという動機で動くのであれば、ほかより幾らかはマシだと思いたい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る