02:アニマリーヴ - 3

 軽い目眩と共に、目の前に瞬時に文字が浮かび上がる。


――WELCOME TO PULLUSTERRA

CONNECT:JA-01 VILLAGE #0631-553


 五秒と経たずに、押し出されるようにしてゲートの向こう側に着いた。振り返ると、そこには何もない。チュートリアルエリアからは一方通行なのだ。


 出てきた方へ向き直ると、そこには小さな集落が存在していた。

 柔らかい土の地面、青々と生い茂った背の高い木々。自分と同じ服装をした、行き交う人々。

 木材をナタで割っている人。野外で調理をする人。カゴを頭に乗せて歩く人、その中身を買う人。一本の巨大な木を軽々と肩に持ち上げて歩く人もいる。彼らはそれぞれが思い思いの仕事をして、活き活きとした表情を見せていた。


 小さな胸いっぱいに息を吸ってみると、木々の香りがした。マスクなんて必要のない、澄み切った空気。かつて地球上にも存在していたもの。

 これが、本来あるべき人間の生活だ。ちょっぴり原始的で、ほんの少し物足りないぐらいの生活。仮想現実だけど、新鮮そのもの。僕のアニマは、それを感じている。


 ――ああ、そういえば、この身体の持ち主を調べておかないと。

 親指と人差し指をくっつけ、開く。目の前の宙にDIPのインターフェースが、風船のようにもわっと膨らんだ。その中から、「身分証」を参照する。



 姓名:御影陽〈ミカゲ ヒマリ〉

 性別:女性

 生年月日:二一九一/〇八/一〇

 年齢:十一歳

 国籍:日本



 先ほども聞いた、「ミカゲヒマリ」という、わりと可愛らしい名前。本名の方は太陽の「陽」一文字でそう呼ぶらしいが、漢字だけだと、今の自分みたいで性別が分からない。八月生まれだし、明るく元気に、だとか、ヒマワリになぞらえて名付けられたのかもしれない。


 この身体の世代、最近の名前に使われる漢字は、なるべく画数や文字数を減らすのが主流になっている。もっとも、プルステラではカタカナの方が基準になるらしいが、その理由は外国人との翻訳時に読みを間違えないためだとか言われている。実のところは誰にも分からないのだが。


 年齢が十一歳ってことは、ギリギリ小学生ってことか。……なんてこった。せめて低学年か、中学生にしておいて欲しかったものだ。

 十一歳にもなると、子供ってのは色々と複雑な時期である。受験もあるし、ある程度知識が豊富だから、知ってて当然のものと知らなくて当然のものとの区別が付きづらい。特に女の子だけの知識なんて、どうやって学べばいいというのか。


「――ヒマリ!?」


 遠くから唐突にかけられたその一言で背筋が凍った。良く分からない汗が、見知らぬ少女の背中から吹き出ている。


「ヒーマーリー!」


 男の声だ。若い。大人でもない。

 そのまま見知らぬフリをして立ち去ってしまおうか。


「ほーら、やっぱりヒマリだ!」


 声の主は目の前にやって来ていた。……誰だ、この男。


「お、おい。DIPで何してんだよ。お兄ちゃんが分からないのか?」


 僕は構わず、兄と名乗る人物のデータを調べた。


 御影泰輝(ミカゲ タイキ)。十七歳。紛れも無くこの身体の兄である。外観は細身で長身。何かのスポーツでもやっていたのか、それなりに筋肉はあるようで、インドア派の僕に比べると、断然健康的な身体に見える。

 とりあえず、名前と年齢さえ判れば、今は充分だ。


「……これ、面白いね、『お兄ちゃん』」


 我ながらぞっとするくらいに小悪魔……いや、可愛らしいと思える声をかけ、満面の笑みで「タイキ」を見上げる。

 タイキはぷっと笑い出し、こいつめ、と柔らかい僕の頬を突っつき出した。……こんな感じで良かったのか。


「しかし、良かったな、こうして一緒に歩けるようになって」

「う、うん……?」


 何のことか判らなくて、曖昧な返事を返す。


「母さんのお陰だぞ。ちゃんと礼を言いな。ママ、ありがとう、って」


 母親の呼び方は「ママ」、と。兄が親切過ぎて本当に助かる。

 理想を思い描いたようなお兄さんだ。態度を見るに、とても面倒見が良く、僕とカイの間柄よりもずっと親しいように見える。


 それでふと、自分の家族の事を気にかけたが、どの道、今はどうすることも出来ない。折を見て、こっそり探しだすしかないだろう。

 それよりも、本当の家が何処にあるのかが分からない。この集落とは限らないし、ずっと果ての方になっていたらどうすればいいか。


 父さんとカイは心配するだろう。もしかしたらあの固いボタンを押さなかった、押せなかったと僕を非難するかもしれない。


 何にせよ、あの二人に会ったらそれなりの言い訳を準備しなくてはならないのは確かだ。


「ヒマリ、着いたぞ」


 他人の兄と手を繋ぐこと数分。鮮やかな赤い屋根と、清潔感溢れる白い壁の木造住宅がそこにあった。

 玄関にはふっくらとした鳥の形をした丸いポスト、庭には家庭菜園、車も車庫に一台停めてある。まるでずっと以前から住んでいたかのような住まいに唖然とする。一体どれだけ金持ちなんだ、この家は。


「父さん、母さん、ヒマリ見つけたよ!」


 玄関に入るなり、タイキは大声で呼びかけながら、服と同じような布製の靴を脱ぎ捨てて上がった。僕は他人行儀できちんと靴を脱ぎ、踵を揃えた。


「良かった! ヒマリーー!」


 これが母親なのだろう。突然ぎゅっと抱きしめられると、その温かい感触に自然と涙腺が緩んだ。

 何年も会っていない母親という感触。

 身体中から力が抜けていく。……気づけば、ヒマリはしゃくりながら歳相応の泣き方で涙を流していた。


「ヒマリ……いいのよ。我慢しなくても。もう大丈夫。今までよく頑張ったわね」


 きっと、僕が考えているのとは違う解釈なんだろうけど、それでも別に構わなかった。


 当時十二歳。ちょうどヒマリと同じぐらいの歳に母を失くした僕は、今のヒマリとダブって見える。

 だから、十二歳になった僕は、遠慮も無しにあの頃に遡って泣いてしまっていた。ヒマリという仮面を被ったことで正体がバレずに済んだのは、本当に幸いなことだ。


「お父さんも何か言いなさいよ」

「はは、いや……、こういうのはどうも苦手でさ」


 ぽっこりと中年太りの、何だか優しそうで、頼りなさげな父親。


「お帰り、ヒマリ。これからはずっと、ずーっと一緒に暮らせるからな」


 ――ずっと、一緒……?


「ちゃんとお前の部屋もあるんだぞ。来年からは、もう中学生だしな。ちょっとは大人っぽくしておいたんだ」


 心の芯がズキン、と傷んだ。それで、現実に突き落とされた。

 この再会をダシにして泣いていた自分が情けない。申し訳ない。ヒマリという人間は、ずっとこの時を楽しみにしていたはずなのに。


 冷や汗が止め処なく吹き出し、身体中をかきむしりたい気分に駆られる。ゾワゾワとした気分が、一種のアレルギーのようなものを生み出していた。


 僕のアニマが、違うと拒否を示している。

 この身体は、ユヅキではない。僕ごときが扱ってはいけないのだ。


「ヒマリ!?」

「何処へ行くんだ!?」


 気付けば、僕はそのまま家を飛び出してしまっていた。

 何を考えているのか自分でも解らない。

 裸足で走り、道行く人を押し退けながら、ひたすらに走った。


「うわぁああああああああああ!」


 集落を抜け、プルステラの地平線が拝める小高い丘までやって来たところで、居ても立っても居られなくて、腹の底から絞り出すように泣き叫んだ。

 身体中から力が抜け、走り疲れた脚は速度を失い、もつれて膝を崩した。

 拭っても拭っても、頬を伝う涙は止まらない。声を出せば嗚咽だけで、一度溢れた感情は留まることを知らなかった。


「ヒマリ……」


 僕のアニマとは何の接点もない、だけど追ってきた、見知らぬ兄。彼は、僕がまだヒマリだと信じて声をかけている。


 実は、一つ年上の男子なんだ、なんて言えるだろうか。

 ヒマリを返せ。その身体から出て行け――そう言われるのがとてつもなく怖かった。


「なぁ、どうしたんだ、ヒマリ。あんなに泣いて、父さんも母さんもびっくりしてたよ」


 恐らくは、本当に元気な子だったんだろう。

 どんな困難に直面しても、泣いたりせず、ずっと前向きだったのかもしれない。


「……分からないよ……」


 そう応えるのがやっとだ。胸が苦しくて、息も絶え絶えに。


「ホント、変わったな、お前」


 タイキはそう言って僕の横に座り、ヒマリである僕の頭をよしよしと撫でる。

 悪い気はしないけど、むしろ、申し訳ない気持ちの方がいっぱいだ。


「足の裏、怪我してんだろ。薬付けとこうぜ」


 夢中になって走ったせいで、切り傷や擦り傷で赤くなっていた。本当、ヒマリには申し訳ないと思う。


 タイキはDIPのインベントリから薬の項目を開き、魔法のように手元に傷薬のスプレーを呼び寄せた。


「便利だなぁ。慌てて追っかけても、こういうモンだけは手元にあるんだからさ」


 言いながら、真っ直ぐ伸ばしている僕の足の裏にスプレーを吹きかける。ひやっとした感触に足を引っ込めそうになるが、痛みは直ぐに和らいでいった。


「ほら、お前のちっちゃい靴。履いときなよ」


 タイキがまたインベントリをいじると、目の前に先ほどまで履いていた布の靴が現れる。

 また怪我するのも申し訳ないので、素直に靴を履いた。


「怪我しても直ぐに治せる! プルステラってホント、すげぇよな」


 そんな皮肉めいた冗談を言って笑いかけるタイキに、僕も釣られて笑ってしまった。

 いっぱい泣いたせいだろうか。それとも、笑ったせいだろうか。いつからか、僕の心はすうっと晴れやかになっていた。


 そこへ、タイキの方へ、ヒマリの母親から通信が入った。

 タイキは左耳に左の掌を被せて、コミュニケーションツールの作動を意味するジェスチャーをする。「通話中」の黄色い文字がタイキの傍に浮かび上がった。


「母さん? ……うん、大丈夫。落ち着いたよ。今から連れて帰るからさ」


 家を飛び出して、およそ数分。その間だけでも、この家族には多大な迷惑をかけてしまった。他人だと知っていたらそれ以上に大きな問題となる。

 ならば、せめて身体が元に戻るまで、或いは本当の家族に出会うか、本当の事が話せる日まで、ヒマリとして生きていくしか無いんじゃないだろうか。償いをするなら、それからでも遅くはない。


(……それが、ヒマリという子や家族のためになるというなら)


 強く強く、決心を固める。今更、退くことは出来なかった。

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