03:アニマリーヴ - 4
二人で歩いて集落まで戻ってくると、ちょっとした騒ぎが起きていた。
大人達が輪になって、口々に何かを言い争っている。
「一体、何が起きてたって言うの!?」
「ここの管理はどうなってやがる! 責任者誰だよ!」
「俺達に影響はねぇンだろうな!?」
どうやらアニマリーヴ時に起きたという問題についてらしい。捌け口になっているのはここの警官だが、責任者ってわけでもなさそうだ。
警官は、とにかく落ち着くように、と何度も説得しているが、彼らには無責任に聞こえたようで、返って逆効果だった。
「俺達家族は一緒にカプセルに入り、同じタイミングで転送したんだ! 小さな子供だっている! ボタンを押さなかったなんてことはない!
なのに、転送中のあのエラー文字! サーバーが落ちただと!? 冗談じゃない!! それで村に来ないっていうのなら、子供達は何処へ行っちまったんだよ!」
唾を撒き散らしながら怒り狂う中年の男はこの騒ぎの中心らしい。同様の被害を受けた人もいるのだろう。そうだそうだ、と口々にはやし立てている。
とてつもなく悪い予感がした。他人ごとじゃない。僕に起きた現象とは違う話でも、「あの文字」を見たのは同じだし、この人達が言っているのは同じ時間帯のことなのだ。
だとしたら、父さんやカイも、同じ目に遭っていたりしないだろうか。彼らの安否が気になるが、集落の番号は自分の身分証でしか確認出来ない。
「ヒマリ、行こう」
「もう少し待って」
僕を気遣って行こうとするタイキを止める。
情報だ。もう少し情報が欲しい。
「ボタンに異常があったとは考えられませんか? そもそもサーバーが落ちても転送出来るようになっているかもしれないじゃないですか」
警官が適当な事を言い出した。どちらかと言えばやけくそにも聞こえる。
「こんだけのボタンに異常!? あり得るか!! それよりもサーバーが落ちてどうにかしちまったって方が確率としては高いだろ!!?」
「それは……」
「アンタ、VR・AGES社の社畜だろ!? 知ってて隠し事してるんじゃねぇだろうな!!?」
そう、警官はVR・AGES社の人間だ。だから警官が捌け口にされている。社員というだけで。
しかし、実際は何も聞かされていないのだろう。彼らは誰よりも早くこの地に来て準備をしていたらしいし、サーバーダウンが起きるタイミングなど判るわけもない。
「とにかく帰してくれ! あっちに戻って、カプセルを確かめる!」
「それは出来ません! 契約書をお読みになっていないんですか!?」
「それがどうした!? 出口ぐらいあるんだろ!?」
「だから! ないって言ってるんですよぉっ!!」
警官があらん限りの声を上げると、さすがにシンと静まり返った。
警官はむせながら首を横に振ると、ようやく一呼吸落ち着き、改めて口を開く。
「いいですか。あの分厚い契約書にもある通り――アニマリーヴ時の説明の通りでもありますが、三百六十五日が経過するまで、出口は現れません。プルステラが脅かされるような緊急時でも無い限りは。
三百六十五日目の日、日付が変わってからの二十四時間だけ、あちらへ戻ることは出来ます。ただし、そうなると、二度とこちらには戻って来れませんがね」
言いがかりを付けた男は乾いた笑いを上げるや、酔ったようにふらふらと、一歩、また一歩と後ろに下がった。
馬鹿げてる。くだらん。あり得ない――そればっかりを繰り返して。
「は、はは……すっかり騙されたぜ……。俺はこいつらに……! こいつらに殺されちまったんだ……!」
男は警官を指差し、続ける。
――この時、男以外の全員がその目を疑った。
「おい……」
と、誰かが口を挟んで一言囁いた。
誰もが気付き、男は気づかない。それは、背後にいる――
「みんな死ん……がっ……!?」
――何者かの犯行。
首から迸る見事なまでに赤い飛沫が男の言葉を塞ぎ、真新しい麻の服を一瞬にして真っ赤に染め上げた。
抉られた箇所がドス黒い紫色に染まっている。
男が前のめりに倒れると、その身体にノイズのようなものが走り、ボロボロと崩れ去った。まるで、石が風化して崩れるかのように。
その背後から現れたのは、男ぐらいの身長の何かで――。
誰かの黄色い悲鳴が上がり、止まっていた時間が動き出すように、皆が一斉に悲鳴を上げ、散り散りになった。
爬虫類だろうか。大人よりやや小さいぐらいの毒々しい緑色をした生き物は、全身が固い鱗に包まれており、そのワニのような大きな顎の隙間からわずかな肉片と滴る血を見せていた。
筋肉が発達した太めの足は二足歩行で、二本の腕は身体の前面に付いた、申し分程度の小さなもの。
顔――上顎の上部には大人の拳ぐらいの大きな目を携え、ギョロギョロと獲物を探すべく忙しなく動き回っている。
太い尻尾には、背中から続くヒダのようなトゲがあり、先が二股に分かれている。ちょっと振り回せば、大人なんて吹き飛ばされそうな重みを感じさせた。
「ヒマリ!!」
タイキが僕の手を取り、無理やり引っ張った。呆気に取られていた僕は我に返り、すっ転びながらも前を見て走り出す。
また、別のところでも悲鳴が上がった。二匹目がいるらしい。
緑色の危険生物は、自慢の二本の尻尾で木造住宅を抉り取りながら、逃げ惑う人々を次々と噛み千切り、時には噛み砕いていった。
同じ要領であっさりと首を噛まれた者は、ゴボゴボと音を立てて断末魔を漏らし、救いを求める腕を伸ばしたまま、ボロボロと崩れ去っていく。
足や腕を噛まれ、もぎ取られた者もいる。その何割かは何とか逃げ延びたが、残りは更にトドメを刺され、やはり同じようにして消えてしまった。
「タイキ! 大丈夫か!」
ヒマリの父親が息を切らしながら走ってきた。母親は近くの噛まれた者を診ようと手を伸ばすが、父がそれを制した。
「今は諦めるんだ!」
「でも……!」
集落のあちこちから火の手が上がり、いつの間にか阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。
警官が何とかインベントリから銃を取り出そうと操作しているが、充分な訓練もせずにやって来たのだろう、操作中に噛まれて死亡する警官もいる。
僕たちは互いに手を取り合い、家の裏側にある丘に避難しようと試みた。
この先は見通しが良く、見た限りではあのような凶暴な生物らしきものはいない。
同じことを考える人も何人かいて、それだけでもほっとする。
最悪……こんな事は考えたくないが、誰かが犠牲になれば、僕らはそいつを囮にして逃げることだって出来るのだ。
ふと、鋭い銃声が何度か集落中に轟いた。
ようやく警官の一人が、まともに戦える銃を取り出せたらしい。
丘から見下ろすと、爬虫類の一匹が、土手っ腹から赤い血が漏れだしているのが見えた。
警官は腰を低く落とし、黒光りする拳銃を両手で構え、トドメの一撃を喉笛に撃ち込んだ。低いうめき声が上がり、爬虫類は腹を見せて倒れこむ。
「いいぞ警官! もう一匹もやっちまえ!」
誰かの呼び声に応えてか、他の警官もようやく拳銃を取り出すと、一斉にもう一匹に向かって銃弾の嵐を浴びせた。
穴だらけになった爬虫類は、よたよたとたたらを踏むと、尻もちを付くようにして倒れ、そのまま動かなくなった。それから間もなく、犠牲になった人達のようにボロボロと、風化するように崩れ去った。
――こうして、プルステラで起きた初めての小さな戦争は、静かに幕を閉じた。
誰かが指示したというわけでもないが、僕らを含めた皆は、まるで獲物を見つけたゾンビのように、自然と警官というヒーローの下に集まりだした。
警官は銃をインベントリに仕舞うと、皆の視線に対して気まずそうに目を逸らした。
「その銃、支給出来ないのか?」
誰かが言った。
「こんな生き物が出るなんて、聞いてねーぞ」
しかし、こんな時でも、警官は冷静に応えた。
「無理です。銃器には警官だけが扱えるように登録されており、人に渡すことは出来ないようになっています。もし渡せば、銃そのものが消えて無くなるでしょう」
「じゃあ、武器を作るしかないじゃない!」
――と、今度は若い女性の声。
「アンタ達だってまともに銃を取り出せないなら、アタシ達が武器を作るしか無いわ! そうでしょ!?」
そうだそうだ、と賛同の声が上がる。
「ダメです! 武器は武器として造れませんし、それも造った瞬間に武器と判断されれば、消えるようになっています」
「馬鹿野郎! そんなことより、怪我人を助けるんだ! 確か、腕を失っても、修復用の薬品があれば治せるんだよな!?」
そんな声が上がると、はっとしたようにヒマリの母が声のする方へと駆け寄った。
「私は看護士です! プルステラでは医療の免許を持っています! 治療しますから、こちらへ怪我人を連れてきて下さい!」
「た、助かる!」
何と、彼女は看護士だったのだ。そちらの方の様子が気になる僕は、タイキと一緒に母の後を追った。
何とか無事だったミカゲ家は、一先ずの救急センターと化していた。
ヒマリの母は、慣れた手つきで素早くDIPを動かし、治療用の道具を次々と取り出した。
最初に運び込まれた怪我人は、右腕を失った男性だった。苦しそうに呻き、青ざめた顔から脂汗が浮き出ている。
「何て、酷い……」
紫色に染まった傷口に消毒薬を一瓶丸ごと流し込むと、患者は苦しそうに呻いてジタバタと暴れ始めた。タイキと父親が、それを抑えこむ。
「少しだけ我慢して下さい」
手早く鎮痛剤を打ち込み、DIPで何かを忙しなく操作している。どうやら、男の腕を作り出そうとしているようだ。
「腕を作るのに、最低でも十分はかかります。取り敢えず、これと、これを飲んで下さい」
横たわった男は、頭を支えられながら身を起こし、渡された数種類の薬を水と一緒に飲み込んだ。
効果は直ぐに現れたようだが、痛みが全て消えるというわけでもないらしい。苦しそうにぜぇぜぇと呼吸をしている。
その間に他の連中の手当に向かった。同じように治療をし、失ったパーツを造り始め、また薬を飲ませて次の患者へ。
僕らはコップに水を入れてきたり、患者の汗をタオルで拭いたりし、出来る範囲で彼女の手伝いをした。
五人程手当をしたところで、一人目の腕が完成した。医療用の人体パーツ製造機……とでも言うのだろうか、そこから出来たばかりの腕を取り出すと、傷口に合わせ、取り出した何かのスプレーを吹きかけた。
すると、傷口の部分と腕とが次第に同化していき、紫色の部分だけが跡となり、残った。
「おかしいわね……」
ヒマリの母は眉を潜めた。
くっついたと思った傷口がジュクジュクと泡立ち、腕はボトリと下に落ちてしまう。
患者が痛みを訴え、母はもう一度鎮痛剤を打ち込んだ。
「一体何なの……!? この紫色のモノが邪魔をしているみたい!」
母親は苛ついた声を上げ、壁に手をついて頭を振る。
すると、それまでずっと黙って見守っていた父親が、ボソリと何かを呟いた。
「……え、なんですって?」
「ウイルスだよ。多分な」
母親はあり得ないという風に苦笑した。
「え、まさか……ウイルス!?」
「もう、それしかないだろう。普通に切断された者は治せるはずだが、紫色の傷口だと治せない。つまり、そういうことじゃないのか?」
「…………」
母親はウロウロと歩き回り、こめかみを押さえながら何かを考えた。
やがて、急に立ち止まると、意を決したように冷たい目で一言、
「――その部位、切断しましょう」
と、呟いた。
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