01:アニマリーヴ - 2

 白い雲海の上、どこまでも続く碧い空を飛んでいた。

 気づけば、自分は眩い太陽……と思しき光源に向かっている。

 身体は真っ白で、ぼんやりとした形を保っていた。全身に通う感覚はまるでなく、頭だけがやっと重みだけを感じるようである。


 これは、いわゆるローディング画面のようなものだと思う。

 魂は既にアニマリーヴによってデジタル化されている。今行われているのは、サーバーへの転送。つまり、プルステラへの移動の最中なのだ。


 しかし、どうしたものか。この空はどこまでも続いていて、いつになれば地上に降下するのか判らない。

 確か、説明によれば、転送が終わると自動的に空から降下し、地上に辿り着く。着地したと同時にそれが現実となる。――そんな「演出」だったはずだ。


 チリチリ、バチバチと何かが音を立てた。残されたのは視覚だけかと思っていたのに、それを聞いた、というのも不思議な話なのだが。

 途端に、目の前にノイズブロックが走る。瞬きをするが防げない。

 鮮明に見えていたはずの景色がぼやけ始め、古い液晶の色が抜けたように、ポツポツと四角い穴が現れ始めた。

 身体を大の字に固定された自分にはどうすることも出来ず、見守るしかない。


 ――と。

 不安が全身を駆け巡るより早く、前方の空には、血のように赤い文字が表示された。


〈SERVER IS DOWN.〉


 そいつを見た瞬間、僕の意識はブツリと途絶えた――。



 ◆



 耳をくすぐるバチバチという音が僅かに残っている。

 ……身体が重い。自分はどうなったんだ?


『〈プルステラ〉へようこそ』


 あの女性の電子音声が耳元に話しかけてきた。……いや、これは聴覚に直接呼びかけているのか。


 ここは何処なのか。

 目を覚まし、首だけを動かして周囲を見渡すと、昔の南国リゾートとやらのような、透き通った海と白い砂浜に歓迎されていた。そのまま起き上がろうとして、何だか上手くいかないので、手を使って起きようとする。

 ――おかしい。腕はこんなに細くなかったはずだ。


『ミカゲ ヒマリ様。これより、チュートリアルを開始します』

「へっ!?」


 耳元で電子音声が呼ぶ名は、自分の知っている名ではなかった。

 もちろん、周囲を見ても誰もいない。自分の声もなんだか高くて幼いような……。


「ちょっ! あれ!?」


 身体中の様々な違和感に慌てて立ち上がった。見るからに目線が低い。手足も細い。髪も何だか長い。


「そうだ、海!」


 多少波立っていて見づらいが、顔立ちぐらいは確認出来るだろう。

 ……なんて思っていた僕は完全に後悔した。見ない方がマシだった。


「うわあああああぁぁぁ! 嘘だぁああああぁぁ……!」


 明らかにそぐわない声で喚いた。間抜けだ。泣きそうだ。

 透き通った海水に浮かんだのは、麻に近い素材の、無難なベージュの袖なしワンピースに身を包んでいる、十代前半の「女の子」の姿。頬に手を当てた、きょとん、とした顔が、うっすらと反射して映っている。

 波に消されて一瞬しか確認できなかったが、それで充分だった。二度と見たくはない。


 つまり、その……。

 馬鹿げてはいるが、何者かと入れ替わってしまった……らしいのだ。


 ……ああ、目眩がする。

 原因は分からないが……まずは冷静になろう。とにかく今は自分一人しかいないし、この状況をどうにかする術はない。

 チュートリアルさえ終えれば全サーバーと繋がるし、このまま進めるしかないだろう。


 しかし、まさかこんな、お約束の性転換パターンが起ころうとは、予想だにしてなかった。

 事情を話したらカイに笑われそうだが、そんなことよりこの身体の持ち主はどうなるんだろう。僕になる予定の身体と入れ替わってたりするのだろうか。


『手足の動作、歩行の手順を確認。問題ないようですね!』


 ……気づけば、いつの間にか耳元のチュートリアルが進んでいた。

 問題はある。あるけどどうにもならないんだよ……。


 考えていても仕方がない。今は一刻も早くこの世界に慣れるためにも、チュートリアルとやらをちゃっちゃと終わらせることに専念する。


『さて、当ヴァーチャル・エイジス社が定めた規定に基づき、〈ダイバー〉の皆様には、実年齢と性別に応じた、一定の身体能力を与えております。

 身体能力は年齢によって衰えることはなく、基本的な能力は二十五歳になるまで均一に上昇します。それに加え、各自で行った運動や食事の種類によって一定量が変動致します。マイナスとなることもありますので、適度な運動とバランスの良い食事を心がけて下さい』


 食事を摂取しなくても死にはしないだろうが、空腹は残るしペナルティもある。恐らくはそうやって「ズル」をして極端な個人差が出来ないようになっているのだ。

 あくまで人間として、ちゃんとした生活を送ること。ヴァーチャルでも現実味を失くせば、生きている意味だって無くなる。そういうことなのだろう。


 その後、あらゆる持ち物を引き出せるデジタルインターフェイスパッド――通称DIPディップの使用方法や、コミュニケーションツールなど、よく使うような機能の説明を受けながら実践した。

 無論、覚えなきゃいけないことはまだまだたくさんある。恐らくは、これから通うことになる学校で学ぶだろう。


「学校……」


 ふと声に出してゾッとする。僕は一体、何歳なんだろうか。この体型、恐らく小学生高学年か、ギリギリ中学生ってところか。

 そもそも、母さんが亡くなってから、家の中に女っ気はまるで無かった。男三人で暮らし、恋人を連れ込むようなこともしたことがない。

 だから、余計に怖いのだ。女の子の身体になって、我が物のように扱うというのが。


『ミカゲ ヒマリ様』


 デジタル音声が、遠慮もなしに身体の持ち主の名前で呼んだ。


『チュートリアルは以上です。お疲れ様でした。これより、〈ダイバー〉は〈プルステラ〉の住人、〈プルステリア〉となります。

 この先にあるゲートを抜けると、いよいよ〈プルステラ〉本サーバーと接続されます。コミュニケーションツールを上手く活用して、ご家族と再会なさってくださいね。

 その他、詳しい説明は、DIPのヘルプをご参照下さい。――それでは、ごきげんよう!』


 デジタル音声は一方的に説明を切り上げ、明るい声で締めくくった。機械らしく、本当に空気を読まない奴だ。また現れることなんてあるんだろうか。

 とにかく、ここを出ることにする。考えるのはそれからでも遅くはあるまい。


 早速、まだ慣れていない身体で走り出すと、思いの外、軽やかに走れることが判った。身体能力を調整した、と言っていたが、それにしても子供とは思えない速度で走れている。


 まずは、情報が欲しい。この不可解な現象について、外でも何か噂が出ているかもしれない。


 小高い丘に登ると、人が潜れる大きさのアーチがそこにあった。アーチで囲った中は、油膜を張ったように、ぐにゃりと絶えず歪んでいて、多彩な色で輝いている。


「……仕方ない。とにかく行ってみるか」


 頬を軽く叩き、気合を充填。ここまで来たら恐れるものは何もない。ないはずなんだ。


 僕という見知らぬ女の子は、勢い良くそのアーチに足を踏み入れた。

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