#1:半面の猟犬 - 4

 静かになった荷台には、昨日と違って眩い陽の光が射し込んでいる。リアンが満足に動けるようになったため、入り口が開放されたのだ。

 お陰で新鮮な空気を吸えるので、数日間も閉鎖空間で寝かされっぱなしだったリアンにとってはいい気分転換になった。

 ただし、スクァーレルが勝手に出歩かないよう見張っているのが条件だった。人見知りなので自分から出歩く心配はほとんどないだろうが、まだ六歳ということもあり、何が危険かも把握出来ずに飛び出す可能性は充分にあり得るのだ。


 リアンは開いたドアの縁に腰掛け、いつものように空を眺める。

 今日の天気は晴れ時々曇りだな、と結論付けた。この分だと、二、三日後には久々に雨が降るかもしれない。


 溜め息が洩れる。

 独りになったら、雨風を凌ぐ家がなくなることに気付いたからだ。

 それに、干し肉を作って生計を立てることは確かに可能かもしれないが、初めから無一文では商売にならない。

 別れるならその時にルーシーから必要最低限の資金を貰うか? ……そんなカッコ悪いのだけは嫌だ。


(ぼくは、何と戦っているんだろう……)


 考えれば考えるほど、どんどん心の中が冷めていく気がした。

 こうして一人で考える時間を与えられたお陰かもしれない。皆に反抗してきたことが如何に馬鹿げているか、恥ずかしいか、そこまで考えられるようになっていた。

 すると、ふいに父親から聴いたあの言葉が脳裏に浮かんだ。


『今まで他人と関わらないよう言ってきたが、それはお前が他人に騙されないようにするためなんだ。

 だが、誰も彼も信用しちゃいけない、と言っているわけじゃないぞ? 逆に誰かと出会うことで、新しい仲間、或いは友達になることだってある。

 だって、そうじゃないか。何せ父さんと母さんも、元々は赤の他人同士だったんだから』


 他人ひとと交わり、助け合う。それが人間としての当然の行為なのか。


(やっぱり、独りになりたくない……)


 今だって孤独を感じている。露店を任された時よりも、ずっと強い孤独感だ。

 ならいっそのこと、素直になってしまえばいいのに。でも、どうやって切り出せば──そんな葛藤がグルグルと巡り続けている。


(そういえば……)


 背後にいる芸術家の少女の存在を思い出した。

 人との付き合いが苦手で、同じく留守を任されている孤児。境遇は非常に近い。


 幸い、ここには二人きりだ。茶々を入れる者もいない。例の仮面の件もあるし、話すなら今しかないだろう。

 改まって意識してみると、緊張はどんどん高まっていく。

 プレッシャーに耐えながら、リアンは暗闇に向かって呼びかけてみた。


「スクァーレル?」


 すると、あのキョトンとしたような金の瞳がぱちくりと瞬いた。

 今更ながら、相手が年下で良かった、と思う。


「一緒に話をしようよ。ぼくら二人しかいないんだからさ」


 リアンは気付いていないが、これがもう少し年上の女の子であれば、顔を赤らめて尚更話し辛くなっていただろう。

 幸いにもリアンはその手の話に疎く、スクァーレルも女の子としての意識が一人前にはほど遠かったので、彼女が自ら姿を現したのは奇跡的、と言っても過言ではなかった。

 スクァーレルは緊張に震える足を運び、初めて陽の光に照らされた状態でリアンの背後まで近づいた。

 ふいに、ふわっと不思議な甘い香りが漂ったかと思うと、小さな少女は音も立てずにリアンの直ぐ隣に座っていた。

 ゆっくりと、リアンは顔を横に向けた。

 スクァーレルは大きな耳をピンと真上に立て、大きな目を見開いていた。緊張しているらしい、ということだけは伝わってくる。

 リアンは慎重に言葉を考え、驚かせないようにゆっくりと言葉を紡いだ。


「昨日は驚かせてごめん」


 最初に謝罪の言葉が出てくるとは思わなかったのだろう。スクァーレルは何度かいつもの瞬きを繰り返し、それからゆっくりと頭を横に振った。

 リアンは話を続けた。


「ちょっとびっくりしただけなんだ。ぼくもこんな顔なのに」


 自分で言ってチクリと胸が痛くなったが、スクァーレルはそれで緊張が解れたらしい。立てていた耳を元の形に戻し、強張っていた肩も下がった。

 同時に、閉ざしていた口が持ち上がるように開いていく。


「お兄ちゃんはおかしくないよ?」


 撫でるような優しい声。

 そして、白い人指し指がリアンの顔を指した。


「お顔、気になるの?」


 リアンは素直に頷いた。

 スクァーレルはほんの少しだけ微笑んだ。


「わたしと同じ」

「いや、そんなこと……」


 ない、と言いかけて留まった。

 この子は自分と同じような境遇を見出したことで嬉しくなったのかもしれない。


「まってて。お面、作ってあげる」


 喋り慣れていないのだろう、たどたどしい口調で言うと、スクァーレルは立ち上がって元の暗がりへ走っていった。

 その姿を見て、リアンは自然と笑みが零れた。

 まるでずっと昔からそうだったように、スクァーレルが本当の家族の一人に思えてならない。


(きょうだいがいるって……こんな感覚なのかな)


 穴の空いた心にピタリと収まり、じわじわ温まっていくような心地いい感覚。このまま、ずっと身を委ねていたくなる。


 ややあって、暗がりからコンコン、カツカツ、と何かを叩いたり削ったりする軽い音が聞こえてきた。

 単純な音の羅列ではない。様々な音色が複雑な旋律を奏でていて、デタラメに作っていないと分かる。

 リアンは目を閉じ、その旋律に耳を預けた。

 爽やかで柔らかな風の音に乗せて胸に響く、硬く厳かな音。

 どういうわけか、音が鳴り、止むまでの僅かな間、リアンの瞼に見たこともない景色が焼きついた。


 空いっぱいに覆う葉。

 隙間から射し込む神々しい光。

 見下ろすと、無数の木々が柱のようにそびえ立ち、スクァーレルと同じ耳、尻尾を持つ白い服を着た少女がこちらを見て佇んでいた。


(誰……なんだ?)


 顔の全貌は見えないが、口元に浮かぶ微笑みだけは印象的だった。


「お面は初めて」


 スクァーレルの声がすると、映像はそこで途切れた。

 先程までとは打って変わり、楽しそうな声だ。


「ぜったい、カッコいいの作る」

「楽しみにしてるよ」


 もう一度目を閉じたが、あの姿は二度と観られなかった。




「ただい……ま……?」


 クニークルスは言いかけた言葉を飲み込んだ。

 入り口に座っているリアンが心地良さそうに眠っていたからだ。


「…………番犬ウォッチドッグ……かしらね」


 クニークルスが呟いた。


「それを言うなら、猟犬ハウンドだろ? 噛みつくし」


 コシュカは悪戯っぽく笑った。


仔犬シオ、でどうかしら? どっちになるかは彼次第だもの」


 ルーシーが纏めた。

 クニークルスはぽんと手を叩く。


「それ、古代語の一つね! だったら……」

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