#1:半面の猟犬 - 5
誰かに揺さぶられる感覚に、リアンは目を覚ました。
ぼうっとしたまま俯いた瞳が、膝の上に乗った感触を捉えた。
「……仮面……?」
それで完全に目が覚めた。
リアンは直ぐに空を見上げ、陽の傾き加減から経過した時間を測った。およそ三時間だった。
隣に視線を移すと、恥ずかしそうにはにかみながらぶらぶらと足を揺らしているスクァーレルの姿。
「こ、これ……本当にキミが創った、んだよね」
こくり、と頷く。
顔の半分だけを覆い隠すよう創られたその仮面のデザインは、角度を変えるだけで喜び、憂い、怒り、楽しみ……様々な感情がコロコロと変わっていくように見えた。目の下から顎に向けて削られた一本の赤い線も、涙か、或いはタトゥーのような模様に見える。
表面に触れてみると、冷たくてつやつやとした感触だった。何かの石らしいが、どうやって幼い子供の手でここまで削れたのか、まったく解らない。
なるほど。アクセサリーで家族を支えているという理由が理解出来た。
「すごい……本当にすごいよ!」
嘘偽りのない感想に、スクァーレルはくすぐったそうに無邪気な笑みを見せた。
リアンは一人前の職人に、大人向けの正式な礼をした。
「ありがとう、スクァーレル。大事にするよ」
「スカーって呼んで。おねえちゃんたち、そう呼ぶから」
それだけ言うと、やっぱり恥ずかしいのだろう、そそくさと立ち上がって元の場所に隠れてしまった。
スクァーレルはそれきり、何も話さなくなった。
「ありがとう、スカー」
リアンはもう一度礼を述べてから、早速仮面を着けてみた。
驚くほどぴったりだ。
きちんと採寸したわけでもないのに、顔の形に合わせて作られている。
「似合うじゃない」
外で待っていたクニークルスは、からかうわけでもなく、どちらかと言えば感心したように言った。
「うちのマイスターの特注品だぜ。大切にしなよ」
コシュカもそう言って便乗した。
「うん。大事にするさ」
リアンは出来たばかりの仮面を指でなぞりながらも、笑みを隠しきれなかった。
「それで、ルーシー……さん」
「ルーシーでいいわよ」
「じゃあ、ルーシー。……ぼくを、この家に置いてくれませんか?」
クニークルスとコシュカがぱあっと顔を輝かせ、互いの手を握って飛び跳ねた。
「理由を聞かせて貰えるかしら?」
「父さんが言ってた。見知らぬ人に出会えば、仲間や友達になれることもあるんだって」
──この数日間、リアンはそればかりを考えていた。
両親の死が認められなくて八つ当たりしていたことも、今ではようやく認められるようになった。
「それと、気付いたんだ。ぼくが父さんと母さんから教わった技術や知識は、例えぼくが独りになっても……」
途端、喉の奥から熱い感情が込み上げてきたが、リアンはどうにか心を落ち着かせ、言葉を続けた。
「……独りになったとしても、一人前として認められて新しい家族に迎えられるようにって……その気持ちに、やっと気付けたんだ」
ルーシーはリアンの頭にそっと手を乗せた。
「あなたは自分の力でそこまで辿り着けた。誰もが出来ることじゃないわ。……でも、それだけじゃ足りないの。
本当はあなたを助けた時に、直ぐにでも家族として迎え入れたかったんだけど……あなたの気持ちが曖昧なままじゃ家族も危険に晒されるかもしれない。だから、あんなキツイことを言ってしまったのよ。
ただ家族に置いて、ご飯を食べて、何となく生きていく……それじゃあ、折角みんなが頑張って稼いだお金が台無しになっちゃうでしょ?
生かされるのではなく、あなた自身の意志で、私たちと共に苦難を乗り越えて生きていく覚悟があるのか、それを確かめたかった」
「ぼく、働きます!」
リアンは強い眼差しでルーシーを見上げた。
「ぼくには、父さんと母さんから受け継いだ、保存食を作る技術があるんです!」
ルーシーは満足そうに頷いた。
「そう。それが聴きたかったのよ。あなたが自らの意志で働くこと。そして、一人前に働けるという証明を」
そこへデュランがやって来て、リアンの目線の高さに合わせるようしゃがみこんだ。
「坊主。お前には他の連中にはない強さがある。……もちろん、同じぐらいに弱さも持ってるが、そいつはみんな同じだ。
俺たちは家族だが、同時に運命共同体でもある。……分かるか? 生きるも死ぬも、同じ重みをみんなで抱えるってのが、家族なんだ」
「重みを……抱える……?」
デュランはリアンの胸元に拳を当てた。
「お前が以前の家族で失ったと思っているモンは、財産、思い出……まぁ、解釈は何でもいい。全てこの胸の中にしまってある。別に失っちゃいねえんだよ。そのことを忘れるなってこった」
「……はい!」
「いい返事だ。……よし、クニークルス!」
待ってました、とばかりにクニークルスはリアンの前に駆け足でやって来た。
あの時向けられた哀れむような瞳は、そこにはない。
「あなたには、ずっと守り通してきた名前があるのよね」
「うん」
「でも、名乗りたくない……それは別に構わないわ。だって、あなたの家族の思い出なんでしょ? それは、ここにいるみんなだって同じよ」
「キミにも別の名前があったのか?」
「もちろんあったわ。でも、それは過去をずっと引きずるから、胸の奥にしまったわ。いつかアタシが死んでも、他の誰にも名乗ることはないと思う。……そうでしょ、コシュカ?」
コシュカは頭の後ろで手を組み、歯を見せて笑った。
「まあ、オレは面白そうだから乗ったんだけどさ。前の名前なんてダサくて、もう名乗らないだろうな。今のが気に入ってるんだ」
「……だって。スカーの場合は二年くらい前かしらね。辛いことを思い出させないためにも、名前をあげたのよ」
「そっか……」
スクァーレルは四歳の時に拾われたことになる。見知らぬ人々──それもレゴじゃない人間たち──に囲まれ、最初はどれだけ心細かっただろう。
「だったら、ぼくにも名前を付けてくれるかな」
「ええ。元よりそのつもりだったわ」
クニークルスはそう言って笑い、荷台に上がり、あの分厚い本を持ってきて仰々しくページをめくり始めた。
「初めてのお仕事で、あなたはアタシたちの家とスクァーレルを守ってくれた。とても嬉しいことよ。
そんな忠実さと、空に浮かぶ星のように見守る存在に……あなたを『アステリオン』と命名するわ!」
そう言ってずいっと突き出してきたのは、「星座にまつわる動物たち」のページだ。
コシュカは、ほう、と溜め息を洩らした。
ルーシーは満足げに頷き、デュランはなるほど、と顎の無精髭を撫でた。
スクァーレルも、暗がりからぱちくりと金の眼を瞬かせた。
「アステリオン……確か、猟犬座の二匹の猟犬のうち、北側にいる猟犬の名前がそうだったわね。熊を追い立てているっていう」
ルーシーが補足し、クニークルスは大きく頷いた。
リアンは、「北側」という言葉に運命的なものを感じずにはいられなかった。
灯星のある北側には山脈があり、そこに砂漠にはない景色があるのだと、母親が言っていたからだ。
「それが、ぼくの名前? もしかして、ぼくに家族を守れってこと?」
「そーよ。分かってるじゃない。ウジウジしてたんだから、名前だけでも少しは強くならないとね」
リアンは、ただただ苦笑するしかなかった。
「だから、アステリオン。……ね、いい名前でしょ?」
クニークルスは本をパタンと閉じて左手に抱え、右手を伸ばした。
二度目の握手だ。この意味が何を意味しているのか、解らない程馬鹿ではない。
「……ありがとう、クニークルス。ぼく、頑張るよ」
リアンだった少年──アステリオンが固く手を握り返すと、クニークルスはこれまでで一番いい笑顔を見せた。
「はい、どういたしまして!」
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