1-2 アルヴの裔

「あれが柳生か」


 神妙な面持ちで七海さんの去った跡を僕の背後からながめていたのは長道ながみちだった。見事な隠形おんぎょう。戦闘態でないとはいえ、僕の近距離電磁覚レーダーにまったく感知されることなくここまで近づくとは。


 綾部長道あやべながみち。僕の数少ない友人だ。


「柳生の女とは皆あのようなものなのか?」


「……違うんじゃないかなあ。僕が柳生の庄に居た時、七海さんみたいな人は七海さんだけだったよ」


「ふむ……見習いたい」


 何を見習うのかはよくわからない。


「時に」「うん?」


 こちらを向いて二指で自らの唇を叩いてみせる。なにかと思ったが、長道が懐紙を差し出してくれるに及んで七海さんの紅が口に移っているのだと気が付いた。ぬぐえ、とは言わなかったが、そのまま入学式に出るのはいかがなものか、という顔であった。


「こ、これは不調法ぶちょうほう


「なんの」


 できるだけ落ち着いているのだという体でぬぐい取る。

 唾液と混じり合ってまだらな口紅が、白紙の上で淫猥なまでに赤い。


 さり気なく教えてくれた長道は、ゴシップ好きの男ではない。まことにありがたいことだ。

 もしゃりとした複雑な方向量ベクトルを持つ髪型は生まれながらに灰色と銀色まじりで、僕よりも少し背が高く、細身ながら僕よりも少し筋肉質で、そして肌の色は透き通るように白…あれ、


「少し日に焼けた?」


黒色素メラニンを増やしてみた」


 少しどころではない。見事な褐色の肌になっている。よく考えるとこの時期、日に焼けるということはあまりないんじゃないか、とも思ったがそれきりどのような手段を用いたものか何も語られないまま二秒半が過ぎる。


「そう……似合ってるよ、うん」


 うなずき、つい、とわずかに首をかしげ、長道が右手を差し伸べて登校をうながす。はたから見てもそのさまはみやびでさえあった。


「ゆこう」

「ああ」


 真白な軽装甲服よろいを身にまとい、腰に帯びるは二振りの薄剣。香取逸刀流初目録を入門わずか一年で得、中目録も間近という腕前だ。


 まあ身近には十六にしてすでに真影流皆伝という方もいらっしゃるわけであるけれど、三歳の頃からやっておられることを割り引いても七海さんは尋常の存在ではないのであまり比較対象として相応しくない。


 言うまでもないことであるが逸刀流や真影流といった極めて実戦的な大流派には、少なくとも皆伝位には義理許しなどというものはないので七海さんがどこの家のお生まれであろうがその実力は折り紙つきの本物だ。


「私でよかったのか?」


 長道はやや話しの脈絡を省略するきらいがあるので、何の件かすこし考えたが一番確率が高いのは僕を血盟クランに誘った話だろう。


 高校で最初に結成する血盟は基本的に六人一組で、学生は市の大演算器により機械的に戦力や適性を勘案して割り振られる。が、相手が同意すれば知り合いを一人だけ事前に指名できるという仕組みもある。こうして予約した二人は原則として同じ血盟に収まるので、一時の色恋で相手を選んだりすると大抵あとで面倒なことになる。


 統計的には、都市機構に選択を任せた方が若干ではあるが長い目で見て良い成果が得られるとされている。これは血盟がより均整バランスの取れた戦力として構成される結果として説明されるのだが、率直に言って個々人が自由に決めればいい範囲のことだと思う。


 七海さんは男女限らず引く手あまたの今期生断然一位という人気を誇る花形であったとの噂だが、柳生の合理主義に準じて誰の指名も受けず統計処理に身をゆだねたのだと聞いた。七海さんが求めるものは義や情ではなく、強さだ。この海上市において強さを最も広く知るものは人ではなく、計算機構たる太占ふとまにであるから、それに任せることが道理とのご判断ではあるまいか。


 中学卒業前の予約期限も迫ってきた頃、話を切り出したあの時の長道は、お前が構わなければ、などともったいぶった口ぶりで正直ほほえましかったが、こう見えても我々は良くかみ合った戦闘単位だと思う。


「他にどうすると」


「あの七海と組むという手もあったのではないか」


 なるほどな。長道から見れば、そう見えるのか。


 七海さんと組む……。

 未だ不明の理由によって我が家に押しかけてきたあたりから考えると、もしかしたら僕が頼んだら組んでくれた可能性も、うぬぼれではなくあったんじゃないかという気もする。が、それは僕の望むところではないし、多分七海さんが真に欲するところでもない。と思う。


 七海さんの本心は今でもさっぱりわからないけど、先ほどあんなに喜んでくれたのだから、おそらくこっちの方が正しいのだ。なれ合いよりも殺し合いを、恋人よりも好敵手を求める柳生の行き過ぎた尚武の風が、さらに極端に結実した七海さんの恐るべき精神。


「つい先ほど、七海さんに決闘を申し込んだ」


「なんと!」


「一年間を戦う形式でな。決闘を申し込む以上、同じ血盟になる訳にはいかんだろ」


「……もっともだな」

「卒業前に、あらかじめ心に決めてあったのだな?」


「まさか当の七海さんと同居することになるとは思ってもいなかったけどね」


 それに段取りも悪かった。高校初日の通学途上で決闘を申し込まなくても良かったんじゃないか、と今さらながら思うが、七海さんがああまで積極的に攻めてきたので行きがかり上やむを得なかったのだ。


 そうだな絵美理えみり


〔そうねえ〕


 絵美理は僕の眼鏡にっている古い軍用神格で、僕の曽祖父である泉政宏まさひろが従軍時に発見しそのまま所有を許されたものだと聞く。


 自称するところでは上古、すなわち大破局カタストロフ直後の生まれだとか。事実であれば帝国の再興よりも古いわけであるから、ざっと七百年以上も埋まっていたことになる。


 僕が小三で眼鏡をかけ始めた時からの付き合いで、最初はちょこまかとうるさい式だな、というくらいの認識だったがなかなかどうして、迷宮探索では年季の違いか一般的な精霊よりずいぶん役立つので結局不便もあるものの手放していない。


 透明鏡レンズフレーム鼻あてパッドも変えてあの頃の部品はほとんど残っていないけれども、情報的な存在であるこの式は相変わらず僕の鼻先に場所を占め続けている。


 絵美理は、ある意味では僕だ。

 僕の脳の計算資源リソースを使って演算される機械知性であり、個人用統合術式管制機構として全身の内経インナーネット深くに組み込まれた、僕という戦闘システムの欠くべからざる要素だ。


 絵美理は女の子ではないし、保存されたり構成されたりした人のような法的人格ですらないが、応答系インターフェイスとして双尾ツインテールの髪型をした少女の形をとり続けている。形状設定を変更しようとしても、これは政宏さんにいただいたかたちだから、などと申して断りおるので、僕もそれ以来何となく引き下がったままだ。



 長道と連れ立って短い防風林の木立ちを抜け、高校への柔らかく舗装された道を進む。振り返ると僕の家の方の丘の展望台が、砲塔を旋回しているのが見える。


 海上のような規模の市には大抵の場合、小高い所に砲台があり、二門か三門くらいは電磁砲が据え付けてある。僕の家の近くにあるものも展望館兼砲台だ。館長の気まぐれでお昼の午砲ドンを撃ったりしていたものだ。何日か続けざまにやるとすぐに苦情が来て止めさせられるのだが。


 電磁砲の射程は大変長く、軽い荷物ペイロードであれば帝国全土はおろか、はるか軌道都市や月にまで火力を投射できるのだという。もっとも月面までとなると数グラムという単位になる。都市戦争時代にはこんなものがたった一つの町によって何十門何百門と運用され、隣人同士が鉄量を雨あられと浴びせあったと伝えられている。


 龍が来たりした場合にはもちろん砲として役立つが、平時には主に遠方へ郵便物を送るため用いられる。当然のことであるが、加速で潰れるような生ものなどには適していない。


 前を見ると、僕たちがこれから三年間世話になる校舎が見えてきた。

 海上には高校が二つあり、一つは普通科その他の一般学生用、もう一つは僕たちの探索科を始めとする冒険者用だ。割合は七対三から六対四というところで、僕たちは少数派ということになる。


 いつも街なかへ行く時に脇を通り過ぎるから外観はよく見ているのだけれど、これまで決して入ったことのなかった、迷宮高校の異様な建物が。

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