1-3 モノリスより

 迷宮高校の壁面は黒い。これは海上にもう一つある高校――もちろん普通科の方――が伝統的な白色塗装であることと対照的だ。なんでも自己修復建材そのものの色で、実用的には問題ないらしい……が、その理由が『頻繁に破壊されるから』と聞いた時には僕も少し顔をしかめてしまった。


 つまり我らが迷高とは、そういう所だ。


 おそらくは同級生となるであろう登校する集団の中には見知った顔もいくらか居り、みな思い思いの武装をまとってすぐにでも迷宮へ潜る準備ができている様子ばかりであった。


 そういえばここは制服というものがない。冒険者には色々の流儀があり、それに従って正式な服装というものも様々であるからだという話だが、そうすると先ほどの七海さんの水兵セーラー服は一体……?


「兼定、まずは講堂に集合だそうだ」

「ん、ああ」


 歩きながら考えていると、長道が隣にいることも忘れていた。

 校門を抜けて桜の花弁にいろどられたなだらかな坂を登れば、思ったより背の低い講堂が見えてくる。


 教員や人機ヒューマノイドの職員に促されて入口をくぐると、低層建築に見えた理由がわかった。半地下なのだ。


 七百席ほどのそれなりに多い空間は音響設計がなされているようで、特に変哲のない構造だ。舞台の緞帳どんちょうは立派。多分だれか高名な冒険者が寄贈してくださったのかもしれない。


 照明が落とされた薄暗がりの中、内経を通して視覚に表示される誘導に従って席に座る。右側の少し離れた所に七海さんや、どっしりした下半身の美しい馬人ケンタウロス、機甲兵器めいて通常の九人分くらいの空間を占める機族、背の高い修羅、ふさふさした耳の獣人などが居り、少なくとも音響的には静かに席に収まっていた。


 司会の前口上が始まったがどうでもよいので聞き流す。


「ただ今より、海上市立第六迷宮高等学校、七百六十七期生の入学式を開式いたします」


 更に光量が下げられる。暗すぎない?


 と思うと、全身を震わせるほどの重低音がおごそかに響き、雅楽のような、教会音楽のような、初めて聞く市歌の変奏が、舞台奥一杯を占める非常に巨大な管風琴パイプオルガン……というか、その遠い子孫のような楽器によって奏でられ始める。


 一瞬、曲に聞き入っていると内経が外部入力によって強制的に起動され、闇と化していた左右の壁面に八りゅうの長大な流れ旗がありえない程の高さから展開される。


 同時に天井から床まで全てが透明化して空の青となり、底が抜けて落ち続けているかのような錯覚をもたらした。


 周囲には入学生の保護者と親戚一同、いつもは霊廟にたむろしている祖霊たちが仮想的に列席し、講堂の何倍もの広さを取り囲んでいる。


 複合現実だ。


 通常、個々人の現実は保安セキュリティ上の観点から他者の介入を許すことはない。しかし、市立高校の学生は市と帝国への責務を負っており、非常時には市衛軍への応召義務もある。

 戦時と言っても帝国はここ百年以上他国との戦争はしておらず、もっぱら超大型の龍だの、荒れ狂う外津神だのの対処に駆り出される場合もある、ということだ。それはそれで極めて危険な任務であるが、異論はない。僕たちの都市基盤は微妙な均衡の上に成り立っており、保守しなければシステムは破綻する。


 ともかくその関係で学校は僕たちの内経をかなりの所まで操作することができるのだ。平時であれば僕たちにはほとんどのことについて拒否権があるので、大したものじゃないが自分の意思に反して視界を重ねられたのにはちょっと驚いた。

 勝手に内経を起動するのは必要最小限にして欲しい。


 不可視の支点から中空に翩翻へんぽんとひるがえる八旗は六道八部、すなわち我々人類の八つの在り方を示しており、そのすべてが冒険者としてここに集ったことを象徴している。


 例えば獣人の旗は分岐する系統樹を図案化したもの、有部アルヴは伝承にのっとった七芒星、修羅は戦いと仏法の護持を表す法輪、機族は二次元符号コード――機族たちは一般に旗に対する感慨を持たない――、血族は支配と血統リネージュの象徴たる血の冠ブラッドクラウン、神懸かりは神に捧げられるべき無垢なる心を意味する純白、混ざりは赤外と紫外を模した黒にはさまれた虹の光譜スペクトル


 かつて、人類は一つの生物種だった。大破局カタストロフの後、八戦争時代の間に我々は幾つもの系統群クレードへと分岐し、今やこのような有り様である。


 有部アルヴはかつて神代かみよを謳歌していた富者ジーンリッチたちであり、純粋なものは恐るべき病の術によって絶滅したとされている。長道の決して語られることのない母方の祖母は迷宮の奥で定年法を無視して長く生きた本物の、純血の有部だったという。


 父方にもどうやら半有部ハーフアルヴが居たようなので、長道は現代では非常に珍しい八分の三も有部の血を引いている男なのだ。


 機族は奴機戦争の和解により人権を認められた機械たちの末裔で、

「続きまして学校長の祝辞」


 おっと。


 旗から視線を下ろす。

 舞台の演壇に進み出てきたのは、石版モノリスだった。



 思わず眼鏡に手をかけ、目の前を払いのける上位命令コマンドで視覚レイヤーを全部落とす。依然として石版が立っている。


 音響解析や受動電探パッシブレーダーでも見たままの形状だ。従って、校長はそういうボディなんだとひとまず納得する。

 ぬるりと繰り出された黒くなめらかな触腕を演台に置く動作はどこか奇妙なほど人間味を感じさせるものだった。


「皆さん、本校への入学、誠におめでとうございます」


 いったん言葉を区切り、回す首がないながらも見渡すような動きをする。


「本校は御存知の通り冒険者のための機関です。迷宮を踏破する皆さん冒険者こそ、現代社会の中核に位置する存在と言っても過言ではありません」

「しかし……今一度、根本に立ち返って考えていただきたいのですが、一体何が冒険者を冒険者たらしめるのでしょうか?」


 問答が始まった。まるで早速授業が始まったかのようだが、嫌いじゃない。


「社会的承認、これは確かに一つの答えです。市や国の認定を受けずに公的な意味で冒険者たることはできません。我々全てが根ざす都市という機構システム。大いなる帝国というシステム。現代では疎隔になったとはいえ、さらに大きな国際社会と、かつてあった星間社会を、定かならざる宇宙間社会を思ってご覧なさい。第一義には、異なる系を渡っていくものこそ冒険者である、と」


「あるいは、戦闘能力。冒険者の振るう物理力は他の市民の何十倍にも、時に何百倍にも及びます。とてつもない暴力。皆さんはこれを制御しつつ用いるすべを学ばなければなりません」

「暴力は、直感的ではないかもしれませんが、社会の紐帯です。暴力をいかに扱うかという態度こそが我々を、我々のつながりを、我々の社会を形作るのです。このように暴力に対して鋭敏で、暴力を運用する意志と、自らを律することのできる暴力そのものを持つ存在、それが冒険者だと表現することもできるでしょう」


 これは、深見主義者フカミストの思想だ。校長はそうなのか? いや、例えとして持ち出しただけかな……。


「また別の側面から見れば、迷宮の中で生き抜く技術。暗闇の中にはありとあらゆる貴重な富があると同時に、またありとあらゆる害毒がひそんでいます。その中をくぐり抜け、帰ってきて今日の糧を得るためのわざ、食べていくための力を持つものが冒険者だ、と。持続するための計画が冒険者を冒険者たらしめる。人類が人類であったように、と答えることもできるでしょう」


 かつて、人類が地上にあふれたのは強さのためでも、単純な賢さのためでもなかったと聞く。ただ長距離を歩き、取って食べる能力、この一見強力には思えない、しかし恐るべき力が人類に霊長と自称させるほどの生態的地位ニッチをもたらしたのだ。


「どれもまた然り。どの要素も冒険者にとって無くてはならないことごとです。ですが、私はもう一つ付け加えてお話したいと考えています。それは……」


さきがけたること、どんなに小さくても誰も踏んだことのない土地に一歩を刻む先駆者パイオニアたることです。それこそが冒険者の心意気だと、私は申し上げたい」


「未知。それは危険と同義です。我々は皆さんの冒険に出来る限りの支援をします。物的な補助。金銭的工面。知識の伝達。肉体的精神的訓練。しかしながら迷宮の中で頼れるものは、己自身と、己の血盟の仲間たちだけ。他のいかなるものもあなたを救うことはできないのです。己を信じ、己の仲間を信じることです。一方で冷徹な判断を下し、周到な計画を立てることです。自らを鍛え、仲間と練磨にはげむのです。それだけがあなたと、あなたの友を絶体絶命の危地から抜けさせるでしょう……少しの運さえともなえば」


「迷宮は死地です。我々はそこへと、皆さんを駆り立てる。何故ならそれが必要だからです。この七世紀、我々は営々となんとか持続可能サステナブルな文明を生き永らえさせてきました。しかし、万人が知るように我々はこの大地にあって脆弱です。迷宮を踏むものが途絶えれば、我々にはほんの百年先の未来すらおぼつかないでしょう」

「DNAの先行リーディング鎖と遅延ラギング鎖のように、安定と変動が、なめらかに舗装された都市の道路と見通すことのできない迷宮の隘路のいずれもが、我々の社会の欠くべからざる二つの軸足なのです」


「獣道を、道無き道を、ドラゴンの路を行きなさい」


 熱弁が終わり、静寂がおとずれた。


 式はこの後五十分ほど続いたが、どうでもよい話しかなかった。

 退席し、一年六組の教室に二十四人が集まり、解散し、放課後がやってきた。


 冒険の時間が。

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