1-8 防塁を越えて

 一戦を終えて、それぞれの基礎とする戦技が見えてきた。

 直正と長道が完全な前衛型の近接戦闘術、直正は一撃一撃も重いが、先ほどの五連突きなどからもわかるように攻撃速度はかなりあるようだ。


 長道はよく知っている。呪毒という各種の機能障害を引き起こす術式を乗せた、双剣による高速の連続攻撃。

 直接攻撃力だけで判断すればどちらかというと直正の方が一枚上手かもしれないが、こいつには隠密性を活かした奇襲戦法がある。


 迷宮では、双方が敵を認識した状態から発生する戦闘は意外と少ない。戦いに入る時は、基本的に自軍が有利な状態でしかやらないわけであるから、必然的に他方にとっては奇襲という形が多くなる。


 このため、先手を取って殴るための技術は単純な破壊力とはまた別の重要性を持っており、中学の頃に何度か潜った時に見た、虚を突いて大物に毒を入れ敵集団を半壊させる長道の逸刀流の業前わざまえは実に頼もしいものだった。


 懸念点を上げるとしたら、直正と長道の相性がどうかというところだろうか。日光のように陽性で活発、冒険者の戦士そのものといった風の直正と、物静かで、見えない月を愛でるかのように繊細な剣を持つ長道の噛み合わせは、果たしてこれからどうなっていくものか、僕たちもうまく回るように整えてやらねばならない。


 牧は射撃戦闘を主とするようだが、さすが狩人と言うべきか戦場を走り回る機動性もかなりのものだ。

 遮蔽から遮蔽へ移動する際には敵の火線へ身を曝露するわけであるから、当然危険な行動なのであるが、位置取りを変えていかないと状況が膠着して不利になっていくこともままある。従って彼女のような射手の技能とは、どれだけ素早く適切な動きの判断を下せるかということによってざっくり評価できる。


 瞬時に反撃する冷静さ、最小限とはいえ電磁機関砲の前面に身をさらす勇敢さ、そして確実に大火力の狙撃を成功させる技能。

 きっとこれ以外にも、狩りで身についた追跡技術やより近い距離での銃器戦闘なども修めているのだろう。


 心に留めておくべきは、ちょっと舌っ足らずな時があるところかな。ものごとをはっきり言うようにしているみたいだが、内気な点も見て取れる。


 僕だってあまり口がうまい方じゃない。血盟を育てていく時の第一に大切なことは、心理的安心感だと聞く。気軽に言葉を投げ合える雰囲気は、自分が丁度よい分量を喋ることで――誰か一人に喋らせすぎてはいけない――作っていく。


 みさおは――

「感想戦と行こうじゃねえか」


 おっと。

 我々はこの仮想空間で、立体表示場を中心に各々が呼び出した椅子に座っている。


 巨大なソファに身をあずけた直正が、先ほどの牛頭馬頭との戦闘状況図から頭のところを呼び出して、立体表示内の方の僕を指す。


「まず一番最初の時点だが、兼定、お前火力をケチったな?」


「それはちが…」

 弁護しようとする長道をおさえて、僕が後を続ける。


「確かに僕の手持ちの火力を使えば初撃で全部吹き飛ばすことはできたよ」


「だがしなかった。その理由を聞こう」


 もちろん想定された質問だ。むしろ言葉にしてもらって助かるくらいだ。

「まず継戦能力の問題がある。大型の弾頭を二発消費してしまえば、奴らの背後にさらに複数の敵が居た場合の対処が遅れる。また次の戦闘で龍が出てきたりした場合、弾切れが起こりかねないだろう。防御している相手に遮二無二でかい弾頭を使うのは効率的ではない」


「もう一つには経済的な観点だ。何もかも粉々にしてしまっては仕事にならない。僕たちは稼ぐために潜ってるのだからね」


 直正が軽くうなずく。

「まあ、まともな答えだな」


 導弾士はまともじゃないとでも思っていたのか?


「前に組んでた擲弾士グレネーダーは火力馬鹿の権化みたいな奴でなあ。隣に突っ込んできて爆薬をばら撒くから危なくって仕方ねえのよ。破片も痛えし」


 ……そういう人、いるよね。なんか兵術士って割と火力に酔ってしまうことも多いらしくって、こんな扱いばっかり。


 牧の狙撃に話を振ってみよう。

「牧、あの狙撃はすごく良かった。戦術連接リンクによる射撃には慣れてる?」


「いや」

 言葉に詰まった牧は、少し考えてから話を継いだ。

「カネサダの視界で獲物が見えたから、撃った。爆発を喰らって防御が揺らいでいたからやれると思った……煙で光は通っていなかったのに、なぜ見えたんだ?」


「古典的な超広帯域UWB電磁覚だよ。狩人ハンターも電磁覚は使うでしょ?」


「カネサダほど深くはない」


 そうね。導弾士は導弾式が本体で、後は感覚器センサーと管制系の塊みたいなものだからね。



 みさおの〈式〉の種類と能力、千尋の盾の枚数と防御力、長道の呪剣や直正の槍の技について話がおよび、戦闘の際の分担をおおむね決められるところまで来た。



 まず戦闘指揮は第一が僕、副は直正に頼みたい。特に近接戦闘で連携するごく短時間の状況では他が介入しない限り直正の判断を優先してくれ。


「おっ、あたしでいいのか。突っ込んでいっちまうぜ」


 長道に一瞬だけ目配せする。お前には裏方に回ってもらう、という目。わかったという長道の視線。

 役割は人を活かしも殺しもする。おそらく直正は集団戦の指揮にも向いているものと見た。これはただ直感によるものだけではなく、中学時代の戦闘記録を簡易分析した結果だ。


「修羅に伝えられる大なる兵法、存分に見せてもらいたい」


「大なる兵法ね、そいつは柳生の言い方だな」

 にやりとする直正は、やはり真影流、そしてその源流たるいにしえの新陰流の伝書についても読んだことがあるのだろう。


「直正と長道が近接戦闘組。千尋はこの二人に優先して防御を回してくれ。次に移動中の牧、特に遮蔽が少ない場所での射手はすごく危険だから少しでも壁を作って欲しい」

 じゃあ戦士や剣士はどうするのか、もっと危ねえじゃねえかと思うのは当たり前のことであるが、彼らは無ければ自前で何とかする。死ぬのも含めて冒険者の商売だ。


「大丈夫、わかってるわ」

「助かる」

 牧も頭を下げる。

 そして僕はちょっと申し訳無さそうな顔をする。


「僕とみさおは特に術式発動時に防護が手薄になる。その時はすまないがこっちに回してくれ」

「時間的に言ってどれくらい?」

「〇.一秒よりは長い」


「直正、長道、牧は攻撃の要請リクエストをどんどん投げてくれ。今の戦闘はそれなりに上手く行ったけれど、もっと相手に攻撃をさせずに片付けられただろうし、僕たちに何が出来て何が無理なのかはこれから試していかなくっちゃならない」


「おう!」「うん!」「ああ」



 次の出題は直正が出した天部デーヴァの六人組。つまり対人戦闘だ。


 天部は有部アルヴの一種で――ただし天部の主張によれば有部が天部の一種なのだが――要するに昔の遺伝的に恵まれた奴らジーンリッチの生き残りだ。歴史的経緯から、今では迷宮内で落人おちうどとして細々と暮らしており、都市で見かけることはめったに無い。


 迷宮内に存在する敵対的な存在は、大きく五種に分類される。

 迷宮内で発生・進化した生物である化生モンストルム

 機族たちと同じように古の自己増殖機械を起源にもちながら、人類と共通する倫理や意識を持たない――ことになっている――原機械マシーンズ

 都市を追われ、人権までも完全に剥奪された重犯罪者たちであるフィーンド

 古代の意伝子ミーム戦争の残渣である面倒な情報的存在、精霊スピリットたち。

 そして図抜けた迷宮能ダンジョンアクティビティをもつドラゴン


 やはり特筆すべきは龍であろう。前記の四種全てはもちろん、極端に言えば市民であっても龍と化す可能性はあるし、龍の血脈ドラゴンブラッドを継ぐ僕ら冒険者たちであればなおさらだ。


 龍は迷宮の中で自分の迷宮を育て、ついにはこちら側へ顕現する。出てきてしまった迷宮は、専門の冒険者たちの血を代価として制圧され、新しい村や町になる。


 さて、天部を討ち倒すというのは少々難しい設定だ。果たしてどうなるか――。




 時刻は夜半。森の木々によって絞め殺されようとしている小さな石造りの寂れた寺院にひそむ天部の六人を撃破する。そのような状況を直正から示された。


 暗殺任務ということだ。長道に対する、ちょっとした当て付けかな。

 天部たちは平均的な有部よりもややたくましく、より接近戦を好む傾向がある。僕たちのように特化した戦技を持つわけではなく、比較的均質な能力を持った集団だ。


「どう攻める。囲むか」

 直正の提案を、少し変えていく。

「六人で六人を単純に囲むのは難しいだろうな。みさおは移動阻害系の罠を早急に、数を重視して置いてくれ。あと上空からの偵察。直正、長道、牧、千尋は一体ずつ担当、攻撃よりも逃さないことを重視。僕と、手が空き次第牧が片付けていく」


「最初に一人か二人片付ける前提か。六体以上居た場合はどうする」

 長道のもっともな指摘。

「初回の戦闘で撃破することはあきらめる。後で追跡だな」


「ねえ、牧、こういうのを追い出し猟って言うの?」

 猟にはあまり詳しくないであろう千尋が牧に聞く。

「追いというよりは抱え、と言ったりするかな」



 即席の包囲陣形をつくり、半径二百メートル余りの距離をとって五芒星状に展開。防御が脆弱な僕とみさおは同じ頂点に位置。もう少しせばめたいのだが、これ以上近づくと確実に気づかれる。


 木々が見通し線をふさいでいるため、みさおが置いた中継点を経由して光学レーザー通信。牧の感覚では内部に動きあり……もう時間はないな。



 意識を最大まで加速。


 今の僕が使える通常戦闘用としては最大威力の術式、〈瑪瑙アゲート〉を高空から二発ブチ喰らわして田舎寺を衝撃波と土煙と破孔クレーターに変える。下弦の月が傾く星空の下へ飛び出してきた五体の天部のうち、うまいことに二体もみさおの罠に足を取られた。D1、D2と呼称。D3、D4、D5は二、一に分かれて正反対の方向へ散開、単独のD5へ牧の頭部射撃ヘッドショット。命中。無力化され残り四体。


 健全なD3、D4二体は電波によって雄叫びを上げ、最も手薄であると判断された千尋を狙って突撃する。千尋を轢き潰してそのまま逃走するつもりだな。


 長道が駆ける。間に合わない。僕の最速の導弾式も交差の瞬間には間に合わなそうだ。


 今にも拘束を切り抜けようとしたD1を牧がさらに仕留める。千尋に追いすがる天部の背に対して連続射撃。千尋への誤射を懸念して大威力の弾は撃てない。


 完全に拘束が極まっていたD2に直正が容赦なく三度ほど止めを刺し、そのまま槍を投擲した。

 極超音速に達する速度で飛翔した〈蛟〉は身をよじって回避した天部D4の背をかすめて防盾で全身を防御した千尋の右側を過ぎ去っていく。

 着弾。地面に浅い角度で入射した〈蛟〉は木々の根と岩盤を破壊して、まるで隕石落下後のような惨状を作りだした。あそこまで瞬時に投げられる直正もすごいが、あれで傷まない槍も大変なものだ。

 

 ウニのように防護力場の針を生やした千尋――黒盾式が光学的に真っ黒なためこちらからは直接見えない――が僕らの方へ身を投げ出す。良い判断。

 D3とD4たちは千尋への攻撃を放棄、なんとか両脇をすり抜けようとする。

 空中での無理な体勢から電離体噴射プラズマジェットによって推力的に立て直そうとするD4の脊髄を長道の麻痺と神経毒を乗せた呪剣が襲い、幾重にも貫いた。

 姿勢制御に失敗。火薬を入れすぎた鼠花火のようにもんどり打って回転し続けるD4を尻目にD3を追撃。もはや逃れられぬと悟ったD3が長道へ向き直り、金剛杵ヴァジュラをかたどった柄を持つ剣を構えて超高速の斬り合いを開始する。

 僕の導弾式〈玄鳥ツバクロ〉の横殴りの三撃。万一のことを考えて非致死性の衝撃弾頭。まあ脳挫傷くらいですむんじゃないかな。


 長道がD3、D4を片付けて一段落。

 直正が槍を掘り出しにいこうとしたさなか、寺の残骸を持ち上げて穴の中からD6が現れた。左手で掲げる宝珠の中に核融合系の重術式。


 射撃しようとする牧の背中を遠隔でおさえて、千尋へ全員に対する対爆防御の供給支持を光話で叫ぶ。

〔伏せろ!〕



 閃光。……よし、死んでない。不発か早期爆発だな。


「…どうなった?」

 直正が戦闘状態を維持したまま聞く。


が仕留めた」

 みさおが端的に答えたが、わかりにくい。千尋が追加説明を要求する。

「泉、補足して」


「術式が核融合を起こす前に瓦礫中に混ざっていたみさおと僕の罠の起動が間に合ったんだ。それを使ってあの宝珠を破壊した。罠が動作不良を起こしてたらやばかったな」


「あそこでボクの背をおさえたのは正しい判断だったのか?」

 牧は不満気だ。撃たせて欲しかったのだろう。


「一つには穴がすり鉢状になってたから、爆圧の大部分は上へ逃げていく。身を乗り出して射てば牧の腕なら壊せただろうが、あの爆発を喰らっていたらまずかっただろ」


 あまり納得していない顔の牧だが、とりあえずよしとしれくれた。

 絵美理によって状況の終了が宣言される。


「いきなりあれとは直正もやるではないか」

 長道は、変なところを褒める時がある。


「殺意が多すぎるわ」

 先ほど天部の突進を受けて死にかけた千尋が、やや青ざめながら言う。


「それほどでもねえさ。この手のことは修羅の伝統ってやつでな」


 む。爆発は僕たちのお家芸だと思っていたが、確かに修羅の神話では色々な爆発性の兵器も登場する。そういうことか。修羅は単なる筋肉にだけものを言わせる連中ではないと。



 次に牧が出した魔狼の群れとの戦闘では、木立の中を縦横に駆けまわる必要があったため僕の導弾式や直正の槍技は使いづらく難儀した。結局、根に足を取られない牧と長道が首級のほとんどを上げた。


 千尋による重機甲部隊とのやり合いでは僕の火力と千尋の装甲を前面に立てた力押しの展開を見せ、数では勝るが質の違いにより各個撃破されていく機械側が半壊、なんとか向こうを撤退させる形で決着を見た。


 みさおがいい加減に出した赤の老龍エルダーレッドドラゴンには、なすすべ無くこちらが敗北。僕と長道と直正が灼かれて死亡判定を喰らった。


 長道はフィーンド、つまり迷宮内に逃亡した重犯罪者たちとの戦闘を想定。六人組の統率の取れた犯罪者って変な感じだが、実際に居るらしい。たまに無言の未帰還者が出る。気のせいか、七海さんのような剣士が含まれていた。


 さらにもう一巡してそろそろいいか、というところで防塁の入口に達した。



 防塁は要するに迷宮を円形に囲む土手だ。牧歌的な見た目と裏腹に、球状の光学的には透明な防壁によって内側と外側の大気の一分子すらしとって検査しており、事実上防塁の開口部を通って検疫を受けなければ市の居住区から迷宮へ入ることは出来ない。


 入口では市衛軍の軽機甲――少し大きい人型の陸戦用無人機――が二体立っている。形式的に手を上げて挨拶。認証を通過し、円周方向に曲げられた通路を歩く。

 防塁は『何か』が直線的に市街へ出てくることを許さない構造として造られている。


 内側の門には、両脇に機兵が一人ずつ。こちらは有人で、衛士の人が中に居る。馬の形をした、軽機甲と中機甲の間くらいの戦力である。内側には東西南北の門にそれぞれ二機ずつの機兵、門と門の間には計四機の中機甲と、砲塔を始めとした固定式防衛設備が見える。いつもの風景だ。



〔入学おめでとう。さっそく探索かい?〕


 この人は顔なじみだ。名前は未だに知らないけど、機体の塗装の傷やちょっとした改造点の違いから判別できる。


「はい、沸森の一〇四番に潜ります」


 潜るときは、市に申請を出す。基本的にはある瞬間に、同じ〈門〉から二つ以上血盟が重複して潜ることはない。これは迷宮内における犯罪を防止するためだ。古くは、迷宮内で冒険者同士がかち合うと大抵殺し合いが起こったものなのだと聞く。迷宮内での強盗殺人そのたの重犯罪は立証が難しい。従って、救出や強襲探索レイド以外では自分の血盟の面子以外の市民に会うことはない、事になっている。

 恐ろしいことだが、現代ですら正規の手続きを踏んだと後日の審問で認められれば相手を絶対死させても合法なのだ。


〔そうか。気をつけろよ〕


 あらためて考えると、衛士の存在もありがたいものだ。迷宮の中で助けてくれる可能性は低いとはいえ、出口まで逃げ帰れば大抵命を助けてくれるのは衛士の皆さんなのだから。



 目の前に屹立する黒い、大木のような太さの完全な円柱。地上から露出している高さほぼおなじ長さの分が地下に埋まっているという。

 一見すると春の野原に生えた奇妙な芸術作品オブジェとしか見えないこれが、海上市の消えざる痕にして至宝、海上第六迷宮への入口だ。


 最外周の柱の数は三十四本。ここから行ける迷宮はほぼ全て制圧されており、ほとんど安全だ。別荘なども立っているし、小学生が遊びに行ってもいい。散歩もできる。資源採掘を始めとする産業利用も行われている。


 第二層は二十一本。ここは危険度がぐっと増える。命の保証はない。まあ中一の訓練の度胸付け用といった所。


 第三層は十三本。入口は少なくなるが、奥に続く地点はむしろ飛躍的に増える。本格的な探索はここからだ。僕たち高校生もしばしば訪れるし、良い狩場にもなる。選択によっては大怪我ということもある。


 第四層は八本。かなり厳しくなる。駆け出しの高校生ではまず無理な領域だ。


 以下、五本、三本、二本、一本、一本と第九層まで続くが、第六層より先は通常の冒険者が潜ることはまずない。怖いもの見たさに道連れを募集して、全員命を落としたというのがよくある話だ。


 目的の迷宮へたどりつくためには、最外層の所定の柱の間を抜けて、円周方向へ左右に移動、以下第二層も同様にし、今回は第三層十番柱の周りを反時計回りに二回半回ると目的地だ。


 僕たちは防塁を抜けた時点で、すでに完全武装。学校以外の居住区域で戦闘態になることは細かく言うと違法だが、境界線の内側はすでに迷宮扱いであり、何をチラつかせても冒険者である分には法律上問題ない。


 城には虎口こぐちという言葉があり、合戦では虎口ここうという言葉がある。この真っ黒な、空間の歪みそのものによってなる柱と柱の間は、正にそれだ。

 あらゆることが起こり得ると心せよ。

 かつて祖父から絵美理を譲り受けた時、僕にそう諭された。



 最外層を抜けると、背後の空間が計測できるほど遠ざかったことがわかると同時に、菜の花や四月の潮の混じったわが街の匂いが変化し、各々の迷宮から漏れ出す秋の涼やかな風や、楽しげなさざめき、早くも中では五月となっているであろう晴れやかな陽気、永遠の夏休みのからりとした空気が感じられる。


 しかし第二層の円を越えると、それらは恐るべき環境の臭いや明らかに身体に悪そうな瘴気、そして隠すことの出来ない化生たちの血風に取って代わられて、微かに、しかし確実にこちらの鼻へと漂ってくる。


 僕たちは顔をしかめながら十番柱を回ると、レンズでいじったかのように柱とその周囲を除くすべての風景が後退し、別種の空間へ移り変わってゆく。

 切り替わり、切り替わり、切り替わり、切り替わり、さらに目的地へ遷移すると、僕たちは沸森の前庭ぜんていの柔らかい土の上に立っていた。

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