1-6 マルチプレクサ

「ナオはずいぶんな暴れん坊だな!」

 牧のどこかのんきな発言が予定外の戦いですさんだ我々の心をなごませた。


 気が付いた直正を水を浴びてこいといって風呂場に放り込んでから部室に戻った我々五人は、めいめいが好みの椅子を造りだして座り、最初の目的地について検討を始める。


「最新の迷宮地図だ」

 部室の中央に、都市機構からたった今落としてきた海上第六迷宮の複雑な三次元図を投影する。


「目標の選定基準は?」

 千尋の、実利第一という意見。


「危険度と報酬を考慮して八ヶ所ほど選り抜いてみた」

 僕としては、まあ妥当なところかな、というものが四つ、やや安全に振ったものが二つ、少し攻め過ぎているだろうか、というものが二つ。


「ある程度歯応えのある奴がいい」

 長道の武芸者らしい考え。


〔右に同じだね〕

 直正の、浴場から無線で飛ばされてきた声。

「調子は大丈夫か?」

 以外にもみさおが最初に気遣いをする。思えばかんなぎは治癒にも長けているから、状態異常の程度には敏感なのかもしれない。


〔無様なところを見せちまったな。面目次第も無え〕

 そうは言うものの、まるっきり戦意は失っていない。許されるならば今すぐにでももう一度戦い始めかねない勢いだ。


 不文律であるが、敗北者が再戦を希望する場合一月以上の間隔を空けることが礼儀とされている。

 七海さんと戦ったものの半数以上は二度と再戦を望まないと聞くし、三割かそこらは七海さんのとりこになってしまうという。そして七海さんは危ういという噂が広がってくるにつれ、七海さんの階梯が高くなってきたこととも相まって、昨今の七海さんには決闘相手が慢性的に不足しているのだ。

 何しろ階梯的に高位のものが低位のものに決闘を挑むこともまた無作法なのだから。


「そう言えば泉はさっきあの女に手を握られてたけど、平気なの?」

 千尋の鋭い指摘。


「今のところは。七海さんは手のものを制御できるらしいから、抑えていたのだろうな。直正のやつもあと十分かそこらで抜けてくるはずだ」


「詳しいじゃない」

 じっとりとした目で、千尋が言う。

「昔、少しね」

「ふうん……」


 かなり含みのある表現。やはり千尋は柳生のお家とずいぶん因縁があるようだ。



 話を移す。

「牧、君の意見はどうだ」


 熟練の狩人を親に持ち、おそらく僕達の中で最も幼い頃から迷宮入りを生業なりわいとしてきた娘だ。その考えを聞きたい。


「ボクとしては鋼渓谷はがねだにの機械どもか沸立森にえたちもりの歩行草あたりかな。良い稼ぎになるよ」


 ふむ……。

「みさお、お前はどこがいい?」


はどこでもよい」

 言葉をそこで終わらせようとするが、思い出したように続けて言った。


「が、兄様たちによると沸森にえもりは今がいい季節だと聞いたことがある。よい毒が取れる」


 流石は山中一族。六百余年にわたる、千数百人の集合知の威力である。絵美理も顔負けだ。

〔私だってそう言おうとしたわよ! おすすめにちゃんと入ってるでしょ! よく見て!〕

〔そうだな〕

〔もっと!〕



「時に、そろそろ昼だな」

 そう言えば長道は飯の時間に細かい方だったか。


「では採取依頼を受けつつ、昼食後に沸立森に向かおう。六十分後に校門で集合、道すがら仮想戦闘を行いつつ迷宮西口から入ろうと思うが」


〔異議なし!〕「うん」「分かったわ」


「解散する」


 思ったより時間がかかった。迷宮内で昼飯にする可能性も考えていたのだが、最初はむしろこれでよかったか。

〔迷宮内の食事はどうしても危険性リスクを零には出来ないからねえ〕

 絵美理の、まっとうな意見アドバイス。これから行くような沸森などは生物相も地上のそれに近く、遺伝暗号コドンの単位で我々と異なるほど異質な訳でもないが、常に新種の病毒ウイルスをはじめとする病原体がにぎやかにひしめいており、今日の医療水準からいえば致命的とは言わないまでも弁当を広げたい環境か? と問われると少し考える必要がある場所だ。


「兼定はどうする?」

「弁当を作ってきた。屋上へ上がって花見と行こう」


 長道は売店で何か買ってくるようで、一旦別れることになった。


 二階からさらに二つ登って、屋上へ挙がる。学校の敷地内は実は地面も全て自在物質で構成されているため、どんなに駄目な態勢で落ちても四階分くらいの高さなら安全だ。従って柵も無く、ほぼ全周にわたって春の景色が楽しめる屋上は食事時にはさぞ人気の場所なのだろうなと思っていたが、驚くべきことに人が見当たらない。


 なんと、表示によると、どうやら迷宮に働いているものと同じ余次元技術による時空分割多重がほんのひとときの休憩所でしか無いこの屋上でも作動しているのだそうだ。僕は今、四次元的座標的には同じ所に居るかもしれない誰かと高次元的なプランク単位のふるいで分離されており、結果としてお互いがお互いから隠蔽されてクーロン爆発とかを起こすこともなく握り飯にありつくことができる。よくわからないほどの無駄遣いだ。


 諸般の目的のために、校内の時空は極端に歪められている部分があると聞いてはいたが、これはかなり大がかりな暴張子機構インフラトンシステムを必要とするものだ。迷宮高校という名前は伊達ではない。


 ところでこの多重制御は任意の相手に対して、了解が取れれば時空を融合させることもできるわけだが、いつの間にか僕の前には当然のように七海さんが立っていた。


「泉くんもここでお昼になさるのですか?」

 七海さんの、野の花のようにきらめくかんばせ


「はい」

 あっ、長道のことはどうする?


 無表情で僕の後ろに現れた長道が、六種十二切れの挟みサンドイッチと珈琲を手に無言で座る。

 次いで大量の唐揚げ――というか三羽分くらいの鶏の半身揚げを引っさげた直正が出現し、僕と七海さんの隣にどかりと腰を下ろした。

 狩衣姿にちょっと似合わぬ麺麭パンの袋を抱えたみさおと、肉団子とじゃが芋という故国スヴェーリエの伝統的な料理を調達してきた牧。小さな弁当箱を手に提げた千尋。七海さんが雀柄の小風呂敷を解くと、中からは大きめの曲げわっぱが顔をのぞかせた。


「あなた、血盟の連中はどうしたのよ」

 箸に手を付けつつ、千尋がやや険のある声で七海さんに問いかける。


「居ますよ」

 そこに。と言わんばかりの表情。時空分割によって我々からは見えないのか!


「このたぐいの仕組みはどうもケツが落ち着かねえなあ」

 あぐらをかいて座る直正のほとんど漆黒というまでに濃い大柄な手指に取られた鶏の素揚げが外を指し、次の瞬間修羅の強靭な顎によってがばぎりという凄まじい音とともに骨もろともかじり取られ、噛み砕かれる。香ばしく調理された骨肉を咀嚼する直正の姿は少し間違えばほとんど獣のそれである。


 直正はどうも、わざと粗野に振舞っているようなところがあるようにも思えてくる。時空拡張技術は我々の収納式や、直正の槍の伸縮機構にも使用されているものであるし、その物理の基礎部分は高校生ならば誰でもある程度まで理解しているはずだ。

 勿論直感的には、自分が混断シュレッディングされ続けているような状態に困惑させられるなという方が難しいかもしれないが。


「どこに座るかで学生間の揉め事が絶えなかったのだと聞くぞ」

 みさおの、自身はとことん無関心でありながらしかし同胞たちの記憶のために事情通であるという態度は、訳を知っていれば当然のことではあるのだがやはり傍から見ていると実に奇妙だ。


 人参の酢の物ラペと焼き乾酪チーズ燻製鮭スモークサーモンを一つづつ片付けた長道は蒔蘿ディルで香りづけられた玉子に取りかかろうとしていた。

「先ほどの淫術は見ものだったな。流石は陰の流れを汲む真影流の面目躍如といったところか」


「おう、そうだぞ七海。あたしとて耐毒の心得くらいあるというのに、こうもむざむざと抜かれるとはなあ」


「ふふ、見物などと。あのような技、戦では児戯にも等しいと申せましょう」


 七海さんの慇懃ではあるが辛辣な嘲弄を、気にも留めぬ直正の度量はやはり一般的な修羅の気構えとは随分違うものであるように思われた。


「ではこの次は、私が試させてもらうこともあるだろう」


 売り言葉に買い言葉。これは七海さんの術だ、長道。

 しかし剣士というものは、強者を前に挑戦せずには居られない性質を持っているようだ。全て心得てなお怯むことのない長道の決意の強靭なることもまた、修羅の強情さに引けをとらないらしい。


「喜んで」

 七海さんが目を伏せ、つつましく微笑む。


 生火腿ハムをたっぷりと使った挟みサンドイッチを音もなく食い千切る長道の目は、憎悪とすら表現し得るものの炎で燃えていた。

 一体千尋といい長道といい、七海さんとの間に何があったというのだ。


「食べろ」

 六種挟みサンドを有無を言わさず僕に渡してきた長道は、僕の握り飯を半分略奪した。


「あたしにも寄越せ」

 さらに一つの握り飯が直正の手によって鶏の半身に化けた。もう僕の手元には米の飯が無い。


 つぶらな瞳で、じっと僕の手元を見る牧。なんてことだ。家の炊飯器の中に余っていたのだからもっと作ってくればよかったんだ。

 しかし牧のわかりやすい表情を瞬時に察知した長道の手によって牧の手元の皿の赤茄子たれトマトソースが広がる脇におにぎりが一つ――確か焼鮭のやつが――配置され、事なきを得た。


 仲良き事は美しき哉、と今にも言いそうな七海さんの笑み。


 能面の如き表情で六つ目の花生醤ピーナッツバターをしたためるみさおと我々の間に、白の、薄紅の、かすかな緑の分割された桜花が舞い、冒険の予感を、嵐の先触れを僕の眼鏡に感じさせた。

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