1-5 血の誓い

  将来は暴力こそ社会紐帯の重要な形態になるに違いない。

     J・G・バラード  『ハイ-ライズ』




「では血判状を」


 みさおが取り出した色紙は複製不能な特別のもので、流派への入門や縁組み等のごく限られた時にのみ用いられる。

 今がその時だ。


 卓の中央に置かれた正方形の紙へ真っ先に手を伸ばしたのは直正だった。

「我が祖霊にかけて!」


 紙に触れた長い指先からあたかも血が吸い取られるかのようにシュッと赤色の筋が伸びて、平面の中央に渦を巻く。かつては手に傷をつくるなどして実際に血を混ぜあわせたものだが、今では様々な理由からこのような形式になった。


が母に」

 みさおの小さく、やわらかな手が直正の隣に置かれる。形を見れば大人と子供ほども違うように思えるが、誓いの厳粛なることは甲乙つけがたく、装束と威儀の分だけみさおの方が上回っているかのようであった。


「良き取引に」

 千尋が契約の作法にならい静かに指をのせる。

 全ては取引だと、この主計かずえは言った。価値ある全てのものは交換可能であると、市場マーケットがより良き状態をもたらすのだという自由主義者の信念をその一言に見た。この帝国と都市の、巨大な政府に満ちた社会で。


「私の剣に」

 剣士たるもの、剣にかけて言った言葉に二言のあろうはずもない。長道はいつになく熱のこもった目で、どこか我々には定かで無い所を睨んでいる。それが何であるのかは既に薄々わかってはいるが、今はそっとしておこう。


「ボクの銃に!」

 こやつボクっ娘か。

 短刀でも突き刺すかのように腕を振り下ろし、誓紙が掌によって打ち鳴らされる。狩人は犬、足、鉄砲が大事というが、興奮して荒くなった牧の息はどことなく犬を思わせるものがあった。


 僕の番だ。

「諸物質にかけて」

〔じゃあ私も。私の主に誓って〕


 む。通常六人の名が円形に記されるはずの連判状が、僕の脇に絵美理が入ったことによって少し変則的になってしまった。

〔いいじゃない。ねえ?〕


 いい、ということにする。


 神聖な瞬間だ。

 どのような技術テクノロジーに支えられていようとも、我々は自らの心から誓いを立て、ここに契りを結ぶとあかししたのだから。



 六人それぞれの遺伝情報と量子符丁と固有核体が相互に認証され、さらに海上都市機構への登録をもって血盟内の戦術連接リンクが確立された。


 これにより血盟内での秘話回線が成立するとともに、個々人の感覚器センサーを統合した系である感覚域センソリウムの共有が開始される。


 戦術連接こそは同じ力を持つ迷宮の化生どもに対して人類が編み出した不破の技。その有用性は個人のいかなる単独能力をも凌駕すると言われている。あるいは七海さんの真影流ですら、僕たちによって打ち破ることができるだろうが、七海さんたちと僕たちの血盟の趨勢が果たしていずれに傾くか、確たることは今はまだ何もわからない。


 僕等の皮膚細胞表面には、蛋白質によって構成された量子光通信機が無数に形成されている。これによって僕たちは、見通し線内であれば何千キロメートル離れていても会話することができる。これが光話こうわだ。特に血盟の団員同士は先の結成の際を始めとして定期的に大量の量子かぎを交換しあっているため、迷宮の内部でも充分に安全セキュアな通信を確立している。


 勿論迷宮にそんな長い直線は大抵の場合存在しないから、曲がりくねったところでは中継機が必要だし、それもなければ電波による無線通信という不確実な手段に頼らなければならない。


 それだけではなく、この潤沢な帯域幅を利用して我々は戦闘時に知覚や思考や戦術管制系を統合し、内経を通じて技と術式の勁力エネルギーまでも共有する。日常の生活では我々は個別の六人だが、戦いにおいて我々は一頭の獣、神経系を同じくする一体の戦闘機械となったのだ。


 このようなものには当然綿密な調整が必要であり、我々が血盟を結んだからとて即座に十全の効率を発揮し得るわけではない。だから迷宮探索の前には目標に関する討議ディスカッションの他に、暖機を兼ねた仮想戦闘を必ず行うべきなのだ。


 だというのに直正はオッシ! と一声気合を入れて布に包れた槍を壁からひったくるや、手元の空間に収納し、今にも部室を出ていこうとする構えだ。


「どこへ行く」

 長道が問うと、

「記念すべき初探索におもむく前に、ちとあたしの野暮用に付き合ってくれ」

 などと直正は背中で答えるばかりだった。


「何よ?」

 千尋が訝しむ。

「なに、すぐに済む」

 戸を開け放ち、大股で廊下へ出て行ってしまうので我々は一秒足らずで武装を整え後を追った。



「柳生七海! 貴様に決闘を申し込む!!」

 直正の行き先は、なんと隣の七海さんたちの部室であった。

 そして決定的な事態は既に起こってしまっていた。


 しきみをはさんで対峙する我々にするどく向けられた十二の瞳。僕らの血盟と彼女の血盟が、入学初日にして衝突しようとしていた。


「柳生は挑むものを拒まぬと聞く! よもや無理無体などと理屈をこねて逃れようとはすまいな?」


 直正の挑発を受けた七海さんは一歩をゆるりと進み出て、艶然とほほ笑んだ。まるで愛を告げられたかのように。


「お受けしましょう」


 七海さんの奥ゆかしく凛然たる答え。そして言葉のやり取りでは隠すことの出来ぬ明白な殺意。


「ええ、もちろん。来るものをどうして拒みましょう」

「場所と日時は!」


「ただ今より、この場にて」


 挑戦を受けたものが場所、日時、使用武器その他を提示する。古より変わらない学生決闘の礼法だ。

 しかしこの場、と聞いて我々とあちらの双方の気配がざわめいた。こんなせまい所で殺し合いを始められては、とばっちりを受けて堪ったものではない。とくに向こう側には窓の外以外に逃げ場がない。

 それを察したものか、七海さんが言い直した。


「いえ、ここは狭いですね。表へ出るとしましょう」


 七海さんの命令コマンドにより部屋の窓が叩きつけられるように自動で開き、彼女が後転しながら軽やかに飛び降りる。直正が突進する勢いで部室に踏み込み、一息で七海さんの影を追う。

 じろり、と無言で糾弾する彼らの視線が通過し、順繰りに表へ出て行くあちらの五人。その後から降りる我々五人。


 桜吹雪舞い散る部活棟脇の開けた大地で、今や一瞬たりとも互いから目を離さず戦いの間合いを取る直正と七海さんの二人。少々作法からは外れるが、この一刹那の不意打ちで決着を見ることもあり得るのだ。


「得物は」


 これが重要だ。ありあり、つまり全武装術式あり、殺害あり規定の場合には実戦さながらの凄惨な殺し合いが発生することになる。学生は保険によって月一回まで無料で復活が可能とはいえ、よほど因縁浅からぬ場合でもなければこのような決闘はめったにあるものではない。


 一般的にはありなし、即ち武器と術式は使うが都市機構が採点する寸止め形式が最も広く行われている。寸止めは決闘者自身ではなく都市機構が両者に供給する防壁が致命的損傷を被った場合、そこで決着とする方式であり、両者は殺しあうつもりでやるため概して実力通りの勝負がつくのだが、さて……。


「このめでたき日に斬り合いで血を流すのは無粋……。徒手にて相対するのはいかが?」


 む、とつぶやいた直正はおそらく得意の槍を用いるつもりだったのであろうが、しかしそれもまた一興と思ったのか、にっと笑いながら長道に向けて振り返ることもなく自らの槍を放り渡した。


 かなりの重量がある大身槍をこともなく受け止める長道を背にばつん、と右拳を左手に叩きつけ一種の拳礼をとる直正の背筋が、目に見えるほどうねり、盛り上がり、平素とはさらに異なる相貌の肉体へ変わってゆくかと思えば、次の瞬間にはすっと力を抜き、立ち姿でありながら身心脱落の位にあった。


「腕に自信ありと見える」

 長道がつぶやく。


 今回の決闘は素手喧嘩ステゴロと決まった。

 ほとんどの学級クラスにとって、徒手格闘は迷宮での戦闘とは別個の技術が必要だ。

 七海さんはもちろんその種の真影流に含まれる静殺傷術を修めているはずだが、直正の方も修羅の里に伝わる格闘術に熟達しているものと思われた。なにしろあの体だ。女とはいえ、恵まれた骨格と強靭な筋肉、天性の覇気。およそ力を奉ずる戦士であれば羨望の眼差しを送らずにはいられぬであろう美しい肉体だ。


 だが……七海さんの鋭さに、活殺自在と畏怖された真影流が千年を越えて練り上げた無刀の技にどこまで迫れるものか。見せてもらおうではないか。



 七海さんも血盟の一員であろう傍らの少年に大小の二刀を預け、さらに馬手めて差しの短刀や手裏剣峨嵋刺がびしその他の暗器を仕込んだ水兵セーラー服の上下を脱ぎ捨てて、すらりと直正の前に立った。


 全裸ではない。忍装束。膚衣スキンスーツだ。


 さらに七海さんがしゅるりと長手袋を両の手から外し、白魚のようにたおやかな手をあらわにする。

 身体の分泌液を媒介としてあらゆる素肌を武器とするくノ一にとって、これは剣士の抜刀に等しい行いである。


「こちらの立会人はアーリャにお願いします」


 磨き上げられたように見事な栗毛の――、いや、女の子の馬人が慇懃に目礼し、口上を述べる。


「ハイラル近藤左衛門尉さえもんのじょうアレクサンドラだ。この闘いが両者の合意に基づく正当なものであると認める」


 一見なごやかに進められる決闘前の手続きであるが、両者の間には先刻から極めて剣呑な殺気が充満していた。常に間合いをはかり、立ち位置をにじるように微妙に変え、敵手から眼を離さない。決闘が宣言された以上、どの瞬間に死合が始まってもおかしくはないのだ。


 後ろ姿の直正が手のひらで招き、僕を指名する。僕も軽くお辞儀をし、自己紹介せねばならない。


「泉兼定です。この決闘が木村直正、柳生七海両名の合意に基づきかつ市法と慣例に則した正当なものであると認めます」


 両決闘者と双方の血盟の比較的まじめなものたちが、頷きをもって同意する。異議はない。ここに決闘の正当性は法的にも保証された。これでどちらかが重傷を負っても犯罪にはならないし、怪我の治療費や万一の時の蘇生費用も保険が効く。


 僕は気が気じゃない。主に直正が心配だ。この十一人の中で一番七海さんに詳しいであろうものは僕だ。七海さんは素敵な人だけど酷い加虐趣味者サディストだし、挑戦してきたものに容赦はしない。


 僕の心配をよそに、決闘は始まってしまった。最早、白黒つけずには済まないのだ。



 直正の構えは思いのほか小さい、左半身を前にした独特のものだった。


「修羅の徒手格闘術である権現ごんげん式は南印度インド戦舞カラリパヤットと空手が融合したような武術であると聞く」

 長道はこう見えて諸流派のことに詳しい。

「己がプラーナを巡らせ、対手の末魔マルマンと称する経穴を断尽せしめ、全身の打撃力でもって敵を討つ。向こうの武術カラリは飛んだり跳ねたりという修練が目を引くが、実践的にはむしろ肉体の精錬にこそ真髄があるものと思う」

 しかし術士の僕としては、格闘のことは今ひとつよくわからない。


 対する七海さんは、無刀の位。極まった真影流に構えなどないのだと聞いたことがあるが、これは刀術における無形むぎょうの位に相当するものなのだろう。僕からすると脱力して歩み寄っているだけに見える。


 双方、拍子ステップを踏んだりはしていない。両者の踏み込みの速度は僅かな滞空時間をも捉えて撃墜し得る域に達していた。


 ほぼ移動していない直正へ無造作に近づく七海さんの間合いがついに僕には見えない直正の臨界を超え、素晴らしい速さの踏み込みとともに繰り出された左鉄槌打ちが七海さんの中段を襲った。

 当然のように躱す七海さんの顔面、いや顎か喉か鎖骨の辺を狙った容赦無い右の突きが空を叩き、瞬時に腰で右拳を引き戻す動きに七海さんの黒髪と頭部全体が影のように溶けてぬるりとまとわりつき追随する。人体にはあり得ぬはずの動き。まさしく真影流の身体操作、みずかね

 七海さんの入神の域に達したかと思える軽功は指二本で直正の僧帽筋上に倒立してみせることを可能とする。

 直正の視界からは七海さんの上体が消え去っているはずだが、流石は歴戦の修羅と言うべきか、自分の右肩にいかにしてか七海さんの全身が乗り上がろうとしているなどといった定石破りの展開をも察知したものと見えた。

 振り払うべく直正の左へ身を捻っての裏拳、もまた空を切り、直正の後退と七海さんの跳躍が交差して両者は再び間合いを取った。


 だが七海さんの右手が、ひたりと直正の首筋を一瞬撫でていたことに観衆全員が気づいたであろう。


 ゆるやかに貫手の構えを見せて右掌を直正に見せ、薄く微笑む七海さん。


 先のように真半身ではなく、少し正面を見せた半身に構える直正は、警戒しつつも思わずうなじに手を這わせた。


「何をした!?」


「真影流、濡れ桜。効き目はその身でとくとご覧いただきましょう」


「毒か!」


 音に聞く七海さんの接触性術式、濡れ桜。柳生の房術の中ではまだ穏やかな部類に入るというが、果たしていかほどのものか。

 がぜん興味深くなってきた流れに胸が高鳴ると同時に、少し安堵する自分もまた存在した。昔の七海さんは立ち会いで臓物を掻き出させたり脳脊髄液をだだ流しにするなどままある事、斬首や四肢切断も日常茶飯事という有り様だったような気がするが、なんと穏和になられたのであろう。感慨に堪えない。


〔毒なんて卑怯じゃない!〕

 少々世情にうといのであろう千尋が憤懣やる方ないといった風にふくれて吐き捨てる。


〔卑怯ではない〕

 長道が断言する。素手といったが、毒手や血法、爪術といった身体に含まれる技は一般に徒手の範囲内と見なされる。

 直正の方だって筋力強化や心肺制御、知覚速度の向上といった各種の術を使っているのだから、一概に不利というわけではないのだが。


 しかしその後の直正の戦いぶりは明らかに精彩を欠き、なりふり構わず打ちかかるも七海さんに良い打撃が当たることはなく、七海さんの下段蹴りや凄まじい手刀の連打に翻弄され続けた。


 追い詰められた直正は、最後の一瞬、おそらくは戦闘態の全力を引き出そうかとためらった。

 しかし僕が秘話回線で、

〔やめておけ〕

 と言ったものだからかどうかは今となっては分からないが、自分の振る舞いを潔しとせずその勁力を再び内へおさめた。


 その隙を逃すこと無く放たれた七海さんの諸手掌打が直正の下腹をとらえ、身も世もない声を上げて巨体が倒れ伏し、勝敗は決した。


 七海さんの勝利だ。



 気絶しているとてつもない体重の直正を、長道と僕が二人がかりで引き起こす。こいつは多分僕二人分より重いんじゃないか。


 向こうの血盟クランの黄色髪で金瞳の、やたらと装身具を着けた背の高い野郎が去り際に一言残していった。


「その薄らでかい馬鹿に二度と来るなっっとけ」


「お騒がせして全く申し訳ない……」

 代表して謝る。血盟の不祥事はなんでも僕が解決しなければ。


「よいのです泉くん!」

 謎なほど上機嫌な七海さんの、ありがたいお言葉。


「決闘はいいですね。決闘は学生の華です」


 深く頷き、七海さんの尻尾が揺れる。背後のアレクサンドラが眉根を寄せ、尻尾を垂らす。


「泉くんも、先のお約束のことは気にせずいつでも来てよいのですよ」


 少し目じりがつり上がっている七海さんの大きな瞳が、僕の眼鏡を覗き込む。七海さんの虹彩は興奮した時にちょっと赤くなるのだということを今思い出した。それは七海さんに流れる、柳生の血の色だ。


「日をあらためてうかがいたく存じます」


 そう型通りに答えた僕の手を取り、あたかも柔らかな菊花のつぼみであるかのように優しく包み込む。

 素手で。

 びくり、と痙攣しそうになる手前でなんとか抑えこんだ僕の指がかすかに震え、七海さんの手、七海さんの技がどのようなものであったかあらためて思い起こさせた。

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