第3話 忍び寄る影

 エリザが帰郷した頃。ライネガルド王国東部にあるユンク伯爵領、その伯爵邸の応接間において、当主であるエドモン・ユンクが一人の男を不機嫌そうに迎えていた。


「本日はお目通りをお許し頂き、まことにありがとう御座います。このオスビー、感激に……」


 エドモンは椅子に腰掛けながらうるさげに手を振り、男の言葉を遮った。


「世辞は要らん。今日は何用だ。俺は至急対策を立てなければならないことがあるのだ」

「お忙しいところを申し訳御座いません。本日は伯爵様のお悩みを解決に伺いました」


 エドモンは太い眉を跳ね上がらせ、知ったような口を利くオスビーを睨み付けた。地味な茶髪、細い茶色の目にぱっとしない顔つきと、そこいらの農民のようなひどく薄い印象を抱かせるこの男は、ユンク家に出入りする商人である。

 常のエドモンなら既に打擲ちょうちゃくしていてもおかしくない程の彼の態度であったが、この商人兼支援者の代えがいない事が、彼を何とか踏みとどまらせた。


「以前よりお願いしておりますクラネッタの件で、新たな動きがあったようで……」

「耳が早いな」

「商人ですゆえ」

「密偵が白々しいことを……」

「いえいえ、あなたから国を買いに来た商人ですよ」


 眉をひそめるエドモンにオスビーが薄く笑う。彼には商人の他にもうひとつの顔があった。


「俺をお前などと一緒にするな。帝国のいぬが。俺は腐りきった王国を見限っただけだ。君主が正しくないならば臣は離れる。それは当然のことだ」


 ライネガルドの東に位置する大国、カールス帝国。ユンク領の存在する王国東部で隣接するこの帝国から入り込んだ密偵と、エドモンは密かに通じていた。


「失礼いたしました。確かに先々代の比類なき大功、そして東部を纏め上げてきたお父上や貴方様の献身を忘れ去るようなライネガルド王家は、腐っているといえますね」

「それよ。国王フィリップは宰相の傀儡。多少見所があると思っていた王太子ですらあれとは……われわれに報いぬ王家に忠義を尽くす必要など無い」


 オスビーの世辞に気を良くしたのか、エドモンは侮蔑もあらわに王家に対する批判を口にする。それはユンク領を筆頭とする東部騎士領の成り立ちを知るものにとっては、それこそ恩知らずの言であった。


 そもそも王国東部の貴族たちは、七十年前に起こったライネガルドとカールスの戦争が切っ掛けで興った者が殆どだった。戦争はライネガルドの勝利で終わり、係争地であった両国が通じる土地、現在の東部騎士領が正式に王国に編入される事となったのである。


 王国は領土奪還を狙うカールスへの備えとして、特に戦功のあった騎士達を叙爵し、東部の運営を任せた。帝国へ睨みを利かせ、有事の際には応戦する為の配置がなされた。これが東部騎士領と呼ばれる由縁で、彼らのまとめ役として伯爵位を与えられたのが、戦功第一であったエドモンの祖父であった。


 しかし所領を持った経験のない騎士達の運営能力は低く、次第に困窮していく。元は男爵位であり、唐突に広大な所領を任されたユンク伯爵家も同様であった。先代が亡くなり、エドモンが当主を継いだ頃には、戦功で得た財は底を突きかけていた。

 軍人の家系の例に漏れず、エドモンも又軍人としてはともかく、領主として優秀とは言い難かった。彼は自身の膂力りょりょくと、戦争、肉感的な女にしか興味の持てない男であった。


 代を重ねる程に存在感の薄れる家名を盛り起こそうと焦ったエドモンは、戦争さえあればかつての栄光を取り戻せると、盛んにカールスへの侵攻を主張した。しかし休戦状態であり、表面上は平穏を保っている両国間の関係から、それは当然受け入れられず、彼の不満は高まっていく。そのような時、出入りの商人、オスビーから彼は隣国の伸張を知ったのであった。


 かつての敵国カールスは失った国力を取り戻し、周辺の小国を併呑し始めていた。軍人が幅を利かす隣国の現状を羨みながら聞くユンク伯の様子を、密偵であったオスビーは見逃さなかった。暫く後、オスビーはエドモンにカールスからの密書を手渡した。

 その手紙は、カールスへの寝返りを誘う密書だった。ユンク伯爵家の戦での働きぶりを大げさに称えて自尊心をくすぐった後、現在も戦争を行っている自国へと招き入れたいと破格の条件を提示した。本領安堵や新たな領地の約束、昇爵、支度金の前払いといった大盤振る舞いである。生活の困窮や出兵の拒否から、王家への逆恨みを募らせていたエドモンは、自らの行いを正当化しながらその話に飛びついた。自国への侵攻を主張していた人物が、全てが終わった後、どのような扱いを受けるか考えもせずに。


「騎士達も多くがこちら側に付いている。決起もすぐに行える。それだというのにあの忌々しいクラネッタめ!」


 エドモンは支度金以外に提供された資金を利用して、東部騎士たちの切り崩しを行っていた。彼には一つだけ才能があった。自分に似た性質の相手や、弱体化している者を嗅ぎ分ける鼻の良さである。

 その為、借金をしている騎士達をオスビーの協力の下調べ上げると、王国への忠誠心の薄い騎士たちを見極め、借金の肩代わりの話を持ち掛た。その際に見返りとして密かに寝返りを勧めたのだった。

 密謀は明るみに出る事はなく騎士領にじわじわと染み渡っていった。東部騎士の三分の二がユンク閥となり、もし戦争となってもカールスの援助があるエドモンらが有利となるまでになった。


 しかしながら彼らには一つ懸念が残されていた。クラネッタ領の存在である。

 ユンク伯爵領の北西部に位置するクラネッタ領は兵力の動員数だけでもユンク閥に比肩する。さらに穀倉地帯を握っている為、敵対行動をとった場合に食糧の輸入は途絶えてしまう。カールスからの援助があるうちに決着がつけば問題はないが、万が一補給が滞った場合、兵糧の乏しい騎士領はなす術もなく圧殺される事だろう。まさしくクラネッタは王国の藩屏はんぺいであった。オスビーを介してなされる指示にも、クラネッタ領を弱体化させない限り軍を起こす事は出来ないと内部からの工作を求められていた。


「舞踏会の件で対立するかと思えば、王太子の甘さでうやむやになった! 頬を張られて侮辱を受けたというのに! 罰すべき時に罰せぬ者に国など預けられぬわっ」

「王太子もその短気なクラネッタの姫君とやらも、とんだうつけで御座いますな。ですが、これは好機やも知れません」

「どういう事だ?」


 今回のエリザの件でもクラネッタの弱体化がなせなかったと考えていたエドモンは、オスビーの言葉に耳をそばだてる。


「先程伯爵様がおっしゃられたとおり、王族に、それも嫡子に手を挙げるなど本来許されることではありません。いくら王太子が許したとはいえ、付け入る隙は十分に御座います」

「どのようにすればよいのだ」

「公爵家に謀反の疑いがあると訴え出るのです。先日の王室への不敬と、今から行う仕込を裏づけとした」


 エドモンは大きく首を振った。


「そのような事をしてはこちらの首が飛ぶ。訴えが正当であるならば奴等の力を削げようが、不当であった場合はこちらが罰を受けるのだぞ!」

「その為の仕込みです。お耳を拝借……」


 オスビーがエドモンに耳打ちすると、彼の表情が残虐な喜色を含むものへと変わった。そしてその数日後、クラネッタ領に農夫や商人といった、様々な風体をした者達が密かに忍び入った。

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