第53話 それぞれの策略
公開審問の場で、サジェッサは想定と異なる状況にかすかな焦りを感じていた。
「異端討伐軍に攻撃を加えた事は、明らかなる教皇庁への叛意。この事実だけでも辺境伯が異端であるとの証となりましょう」
「異議を申し立てます。私は教皇庁と敵対する意思は一切ございませんでした。事実、討伐軍を名乗る賊達が辺境領に押し入る前にお送りした書状が証拠です」
教皇庁関係者、そして
異端宣告を受けた者達が示す通常の反応は、理不尽な仕打ちに対する戸惑いや怒り、あるいは自身の不幸への嘆きである。そして怒りを露わにしていた者も、苦痛を伴う『審問』を受けるうちにやがて後者となり、最後には赦しを懇願する。そうなってしまえば、後は審問官の意のままに言葉を紡がせる事すら容易だった。
今回は教皇も同席する裁判形式ということもあり、口頭での審問となってはいたが、辺境伯にとって危機的状況には変わらない。そうでありながら、彼女はまるで殉教する聖者の如き静けさで自らの潔白を主張し続けていた。
祭壇の前に立つその姿は戦死者を弔う黒の喪服に包まれ、首元には過日に教皇から下賜された祈りの
その最中にも、サジェッサは彼女からどこか探るような視線を向けられた。憎悪でも、媚びでもない、およそ意図の分からぬその眼差しは彼を僅かにたじろがせる程だった。
「その書状は、そちらにいらっしゃる聖騎士団長殿がお持ちです。教皇聖下。列席の皆様にもお伝え出来るよう、団長殿に読み上げて頂いてもよろしいでしょうか」
中央の祭壇に腰掛ける教皇イノセント一世の頷きに礼を言うと、エリザベートはジュストに頭を下げた。聖騎士団長が席を立ち、書状を広げて読み始める。傍聴の席にいた市民は、そこで初めてエリザベートという人物を知ることとなった。自らの身をもって討伐軍を止めようとした献身を知り、それでいながら侵攻は決して許さぬという領主としての気概も示した彼女に対して、好ましく思う者が現れ始めたのだ。興味本位で傍聴に来ていた者達がほとんどであったが、一部の目は真剣さを帯び、背筋を正す者すら出始めた。
「書状の内容に、偽りはございませんでした。暴走した傭兵達を打ち倒した後、辺境伯殿は掛けられた嫌疑を晴らすため、自らの意志で我ら聖騎士団に身を預けたのです」
教皇庁側のジュストの補足により、市民にどよめきが起こる。公正さでも名高い聖騎士団長がエリザベートの潔白を証言したことで、彼女の無実の信憑性が大きく上がった為だった。
「サジェッサ枢機卿。聖騎士団長はこう申しておる。彼女の嫌疑は晴れたのではないか?」「いいえ、教皇聖下。まだ改めなければならない事が多々ございます」
「サジェッサ殿の仰る通りです。聖下。それに疑いは十分な審問を受けてこそ晴れるものですから」
ジュストの証言を聞き、教皇がサジェッサに問いかけるも、彼は審問の継続を主張した。そこに赤髭の枢機卿らが賛同したことで審問は再開されたが、夜の祈りの時間になるまで決着が付くことはなく、三日後に持ち越される事となった。
◆
再審を翌日に控えた夜。宿所にジュスト殿が訪れた。
「夜分に失礼致します。辺境伯殿」
「お気になさらずに、聖騎士団長殿……どこかに出立されるご様子ですね」
「申し訳ございません。枢機卿にしてやられました」
そうしてジュスト殿は悔しげに理由を話す。聖都より離れた地域にて大規模な略奪が起きたとの報告があり、急遽聖騎士団に全軍での出動が命じられたとの事だった。
「傭兵を使った陽動である事は目に見えています。しかし実際に民が被害を受けている為、座視するわけには参りません」
「ええ、私のことはお構いなく。先日の証言だけでも、十分なお力添えを頂きました」
「誓約を持ち出し、かろうじて警護の者を残すことは出来ました。どうか、教皇聖下へ無実を主張し続け、我々が戻るまで時間を稼がれて下さい。聖騎士が戻れば、貴女への処分を押し通す事は困難になります」
「ご助言、感謝致します」
「あなたに主神のご加護があらんことを」
「団長殿もお気を付けて」
挨拶を交わし、扉を閉めたあと、少しして小走りとなった足音が耳に届く。逼迫した状況でありながらもこちらを気遣って下さったジュスト殿の無事を、俺は心から祈った。
そして迎えた再審の日。早朝から同じく大聖堂で始まった公開審問は前回とは決定的に異なる点があった。祭壇に教皇聖下の姿はなく、サジェッサがその座を占めていたのである。
◆
「サジェッサ枢機卿。ご説明頂きたい。教皇聖下のお姿を見受けられないのは、いかなる理由でありましょうか」
「聖下は、昨日よりお身体の調子を崩されていらっしゃる。寝台から起き上がる事もままならぬ為、僭越ながらこの度の審問は、この私が取り仕切る事となった」
その言葉を聞き、俺はいよいよ終局が近づいた事を悟った。それでも、僅かな望みを掛けて抗弁を行う。
「それは承知いたしかねます。私がこの公開審問に同意したのも、教皇聖下の公正なるお裁きを受けられるが為にございます」
宣告を行った異端審問所が判決をも握るのでは、公正さに欠ける。そう暗に批判を行うも、相手の余裕は揺らがなかった。
「ご参加頂ける状態であればそうであろう。だがそれは叶わぬ事。辺境伯、そなたは聖下に無理を強いる積もりか」
「いいえ。その様な事は申しません。ただ聖下が復調なされるまで、審問の延期を要求いたします。その間、私は聖都に留まる事をお約束致します」
「それは出来かねる。異端の疑いを持つ者を長らく放置しては、他の信徒に不安を与える事となる。潔白であると主張するのであれば、審問を拒む必要はなかろう……それとも、我ら教皇庁に含む所があるとでも?」
「……ございません」
「よろしい。では審問を再開する」
そこから先は、一方的な展開となった。他の枢機卿らの買収が完了したのか、罪ありきでの審問が行われ、こちらの反論は一切聞き入れられなくなった。
そして最後には、同じく異端宣告を受けたルチアを引き渡さずに自領に留めた事が、異端の明確な証明であると締めくくられ、サジェッサの口から判決が下された。
「異端者エリザベート。汝は人々を惑わせ、あまつさえ多くの神の子を命を奪った。その所行は決して許されるものではない。ここに宣告する! あがないがたき罪を清めるため、明朝、エリザベート・クラネッタを火刑に処す!」
「……残念です。サジェッサ枢機卿」
その宣告によって、俺の取り得る手段は一つとなった。
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