第50話 和睦

「お初にお目にかかります、ジュスト聖騎士団長殿。ライネガルド王国辺境伯、エリザベートにございます。わざわざのお出迎え、かたじけなく存じます」

「こちらこそ、ご足労頂き感謝の念に堪えません。クラネッタ辺境伯殿」


 陣の門前まで出迎えに来たジュストに対し、俺は馬から下りて頭を下げ、対する彼も又、祈りを捧げる様な跪拝きはいを返してきた。


「どうか、お立ち下さい。私達は同じ神を奉ずる信徒同士、いわば友です。私は友人をひざまづかせる事を好みません。さあ」

「ですが……いえ、ありがとうございます」


 ジュストを立ち上がらせると、その長身を見上げる形となった。地に膝をついていたのは、自らの姿によって威圧感を与えまいとする気遣いでもあったのだろう。その証拠に、今度は無骨な顔に笑顔を浮かべようと頬を引きつらせている。

 強面の彼がそうすると、余計おっかなく見えてしまうのだが、その厚意を無下にするまいと俺も笑顔を向け、本題を切り出した。


「ここに参ったのは他でもございません。私が聖庁より受けた嫌疑を晴らすためでございます。本来であれば直ぐさま馳せ参じるべき所でしたが、我が領内に賊が入り込み、その処置に追われて遅れたこと、お詫び申し上げます」

「賊、でございますか」

「ええ。聖騎士団とは関わりの無い賊にございます。教皇庁の兵は全て、ここに留まって下さったのですから」


 ジュストの表情に驚きが走り、こちらの意図を理解したのか深々と礼を返してきた。


「……感謝を。どうぞ、陣中へおいで下さい。ささやかではございますが、歓迎の席を設けさせて頂きます」

「ええ、喜んで」



 宴の後、ジュストは和平交渉を行うため自身の天幕にエリザベートを招いていた。先ほどは教皇庁の顔を立てた物言いをしてくれた彼女であったが、傭兵団が侵略を行ったのは厳然たる事実である。提示される条件は厳しいものになると覚悟していた。しかしながら、その内容は彼の予測と大いに異なるものだった。


「辺境伯殿。まことにこの条件でよろしいのですか?」

「ええ、これ以上の事は望みません」


 机に広げられた交渉の資料を見て、ジュストが聞き返すのも無理はなかった。彼女が聖騎士団に示した条件は、戦が始まる前のものとさほど変わらなかった為である。

 賊(傭兵団)から逃亡してきた者がいた場合の引き渡しと、此度の戦火による被害の賠償として、死亡したバルトロを筆頭とする傭兵隊長らの財産の接収が付け加えられただけであった。教皇庁に対しては撤兵と再侵攻の禁止。そしてエリザを審問する際は、教皇を裁判長とする公開の裁判として行うことを要求するのみだった。


「先も申し上げた通り、我等は同じ神に仕える身。誤解を解こうとする相手に、過大な要求など出来ましょうか」

「そのお志はご立派です。なれど、貴女様自身がレムリアに来られるのですか? しかも、兵も伴われずに……」


 ジュストが気遣うように訊ねる。エリザの裁判を主導するのは、異端審問所のサジェッサ達である。時には拷問すら伴う彼らのやり口を、ジュストは教会の暗部として忌まわしく思っていた。

 彼女は高貴な立場であるため、最終的な判決が下されるまでは手荒な真似はされないだろう。だとしても蝶が自ら蜘蛛の巣に飛び込むような自殺行為である。

 心配を感じ取ったのか、エリザは軽く頭を下げた後に微笑んだ。その笑みは、感謝を表すと同時に、ある種の覚悟を感じさせるものだった。


「私は行かねばなりません。この度の戦で亡くなった者達の為に。そして、今も懸命に生きる我が民の為に」

「御身を、危険にさらされてもですか」

「はい。それが私の目指す領主の姿ですから」


 ジュストは目を見開き、口元を真一文字に結んだ。しばしの間、じっ、と両者は見つめ合う。彼の鋭い眼光を持ってしても黄金色の瞳は揺らがず、根負けしたようにジュストが再び口を開いた。


「お考えは、変わらぬようですな」

「お気遣いを無にし、申し訳ございません」

「いえ。感服致します。その高潔さは、我等教皇庁が失って久しいものです」


 老いた教皇の後継者となるべく、権力闘争に明け暮れる枢機卿らの事を思い出し、ジュストは嘆息する。自らの利や害となろうものなら、彼らはこの乙女すら犠牲にする事を厭わないだろう。

 そのことを思うと、彼はもう一度思いとどまるよう説得せずにはいられなかった。席から身を乗り出し、深く頭を下げて頼み込む。


「エリザベート様。貴女は失われてはならぬお方だ。慕う民達の為にも、自ら火に身を投じるような行いをしてはなりません」

「ジュスト殿、重ね重ねのお心遣い痛みいります。ですが、貴殿はひとつ思い違いをされていらっしゃる」

「……思い違い、ですと」

「はい。私は祭壇に捧げられる生贄の羊ではございません。私は自らの信仰の証明と、愛する者達を守るために――」


 顔を上げたジュストは、目の前の少女の気迫が、自らを飲み込むかの如く広がって行くのを感じた。


「戦いに、行くのです」



 エリザベートを連れた聖騎士団が聖都に近づきつつあるとの報を受け、サジェッサは亡き師に祈りを捧げた。


「師よ……もうすぐです。貴方が無念の死を遂げた、かの地の忌まわしき一族に報復する時がやって参りました」


 そう口にすると、師を失った時の怒りが彼の心中で激しく沸き立った。どの嫌疑でエリザを陥れ、処刑するべきか思案していた所に、冷や水を浴びせるような知らせが続けてもたらされた。


「傭兵団が、全滅した……? では聖騎士団が辛くも勝利して奴を捕らえたのか?」

「いえ。辺境伯軍と戦わずに和睦を結んだ模様です。エリザベートは聖騎士団の庇護を受けながらこちらに向かっているとの事」

「ジュストめ! あの騎士きどりが!」


 エリザが罪人ではなく、賓客として扱われている事にサジェッサは憤慨した。彼にとってのクラネッタ一族は、自らの権益の為に師を追放した者達と同様、落魄の師を冷遇し、客死に追いやった仇に他ならない。そして何より、ジュストが裏切ったのではないかという疑念が、サジェッサの不安をかき立てていた。


「聖騎士団が到着しても、聖都に入れてはならぬ! 罪人達と聖騎士団長のみ通すのだ。また、出入りの検査を厳重なものとせよ! 弩弓や剣を決して持ち込ませるなっ」


 辺境伯軍が健在である以上、密かに兵を送り込まれる危険性があった。その対策は適切なものであったが、既に聖都には検問の兵が武器とは認識できなかった品物が、分散して入り込んでいた。

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