第49話 てのひらの温度

 傭兵団との戦いから数日後、逃散した傭兵達の追撃を行っていた騎士達がトローアに戻ってきた。辺境領の臨時行政府となっていた代官の屋敷にベルナールが姿を現す。


「辺境伯様。ただ今帰還いたしました」

「お疲れ様。残党は掃討できた?」

「はい。ご命令通りに処置いたしました」


 復命する表情が幾分か固い。戦の趨勢が決した後、俺が発した命令は激烈なものだった。降伏を勧告してその場で従った者のみを助命し、それ以外は討てと命じたのだ。大多数は武器を捨て投降したが、後方の部隊にいた者などは周辺の森に逃げだした。その追討に当たったのが彼である。

 バルトロを討つ際に、自身の判断の甘さで大きな被害を出してしまった。その過ちを繰り返さない為に下した命令だった。ベルナールは驚きの表情を浮かべたものの、抗弁はせずに命を受けた。


「追討隊の被害は」

「抵抗を受け、何名か怪我人は出ております。なれど重傷のものはおりません」

「よかった……ありがとう。よくやってくれた」


 その報告によって、俺はようやく肩の力を抜くことが出来た。追討隊から決して死者を出すなという困難な注文を、彼は見事に果たしてくれた。しかし当の本人はなおも懸念する表情を浮かべながら、幾人か領外に逃がしてしまいました、と俺に詫びる。


「他領に無断で兵を入れる訳にも行かず……申し訳ございません」

「いや、それでいいんだ。よくとどまってくれた。それに領外に関しては心配はいらない。宰相閣下と王太子殿下が網を張られているから」

「そうでしたな。あのご両名ならば後々面倒な事にはならないでしょう。すると後は――」

「聖騎士団との和睦交渉だ。だが、その前にやらなければならない事がある。君もついてきてくれ」


 屋敷を出、馬車に乗って郊外の共同墓地に向かう。そこには葬儀の支度を進めている司祭らと、身を清められ、棺に入れられた辺境伯軍の戦没者が俺達を待っていた。


「命をかけて私達を救った貴方に、天の門が開かれんことを」


 一人一人に祈りの言葉を口にし、胸元で重ねられた両手にキアーヴェを持たせていく。天の門を開き、そこへ迎え入れられるように……最後の手向けを受け取った彼らの手は、氷を思わせる冷え切ったものだった。そしてその冷たさが、俺が転生する前、穂積 あきらであった頃の記憶を想起させた。霊安室の台車に横たわる祖父の遺体。その手を握った時の冷たさと悲しさを。


「……四十名だ。私の迷いが、甘さが、彼らを死なせた」


 葬儀を終えて馬車に乗り込んだ後、俺はベルナールにだけ聞こえる声量で自らの心中を吐露した。初陣に望む際、味方からも死者が出ることは覚悟していたつもりだった。しかし、実際に視察などで見知った者達の亡骸に触れた時、その覚悟が不十分であった事を思い知らされた。


「まだ若い者がいた。妻や子供を持つ者も、老いていながら戦場に立ってくれた者もいた」

「辺境伯様……」

「情けない話だ。私は戦を本当に理解してはいなかった。彼らに、なんと詫びればいいのか……」


 ベルナールは悔悟の言葉を聞き、しばらく何も言わなかった。どう言葉を返すか、決めかねているようでもあった。しかし覚悟を決めたのか大きく深呼吸をした後に表情を引き締め、俺に向かって静かに語り始めた。


「確かに、兵の死は作戦を決定する将の責任です。辺境伯様の采配によって、彼らは命を落としました」


 将としての厳格な言葉が、濁さずに伝えられる。突きつけられた事実に心臓が縮むような気がして、俺は喪服の胸元を握りしめていた。本当は耳を塞ぎたい程に辛い。だが、ここで向き合わなければ、それこそ彼らに対する裏切りだ。


「……続けてくれ」

「はい。兵を死なせた将は彼らの事を決して忘れず、二度と同じ過ちを繰り返してはなりません。それが、今の辺境伯様が亡くなった彼らに出来る、唯一の弔いです」

「……分かった。心しよう。彼らの遺族にもできる限りの見舞いを行う」


 それがよろしいでしょうとベルナールは頷き、今度は表情を和らげて気遣いの言葉を口にした。


「辺境伯様。気になさるな、とは申しません。ですが、彼らの気持ちも汲んで差し上げて下さい。彼らは、貴女様の為に戦ったのです」

「私の、為に……?」

「ええ。そうでなければ、偽りとはいえ異端の宣告を受けた者を助けようとはしないでしょう。貴女様は平時においては民の暮らしの為に心を砕かれ、此度の戦においてもあらゆる手を打ち、多くの民や兵の命をお救いになった。死んでいった彼らは無念でしょうが、その力になれたことを誇りにも思っているでしょう」

「そうだろうか……?」

「はい。私にその時がきたとしても、同じ様に思いましょう。それに、私からもお詫びしなければならない事があります」

「お詫び、だと」

「ええ。姫様」


 かつての呼び名を口にし、ベルナールは深々と頭を下げた。


「貴女様が辺境伯になられて間もない、たった一五才の少女であるという当たり前の事実を失念しておりました。いくら才に恵まれ、輝かしい功績を残されていたとしても、側に仕える我々だけはその煌めきに盲信せず、お支えしなければならなかったのに」


 ベルナールの背中が震えている。顔は見えずとも、彼が自らを責めていることはありありと分かった。


「我等が不明をお許し下さい。そして願わくば、これからも我等の主でいて下さいますよう。全霊をもってお仕えするのは、民と心を共にする貴女様以外考えられません」


 労りと忠義が込められた言葉に胸が熱くなる。俺は潤み始めた目元を急いで袖で拭った後、彼の身を起こさせた。


「頭を上げよ。我が騎士ベルナール。忠言に感謝する。そなたの言葉で、私はなすべき事を思い出すことが出来た。彼らの事は決して忘れない。それでも、立ち止まる事はしない。私はそなた達の主人、懸命に生きる民を守ると誓った領主なのだから」


 その言葉にベルナールは身を震わせ、腰に佩いた剣を両手で捧げ持った。


「我が剣と忠節は、貴女様の為に」

「ありがとう。頼りにしている」


 祈るように捧げられたベルナールの両手に手を添える。血の通った温かさがじんわりと伝わってきた。この温もりがどれほど貴重なものだったのか。それを心に刻みながら、俺はこの戦の終局に向けて、自らなすべき事への覚悟を決めていた。



 王国南部、クラネッタ領から領地を二つまたいだ貴族の所領に聖騎士団は駐屯していた。長期に渡りながら規律正しく陣を構えていた彼らであったが、今日だけは微かな動揺が団内に走っていた。


「傭兵団が、全滅したと……? 撤退ではなくか」

「はっ。あらたに来た商人らがそう申しております」


 部下からの報告にジュストは訝しむ表情を浮かべた。クラネッタ領に入った傭兵団の動向を、彼は途中までは把握していた。軍を分けてからしばらくして、あちらに従軍していた商人らが大挙して戻ってきた為である。彼らは辺境領での騒ぎを伝え、傭兵団の補給が絶たれた事を知らせたのだった。

 エリザベートが採った焦土戦術に驚きつつも、傭兵達の撤退が現実的なものとなったことをジュストは喜ばしく思っていた。自分の打った手は、些か時間が掛かるものであったからだ。

 彼は軍が分裂した際、伝騎に教皇聖下への直訴を届けるよう命じていた。エリザベートの殊勝な態度を伝え、教皇の名において傭兵団を撤兵させる為のものである。彼は教皇へ直接意見を具申できる、数少ない有力者の一人であった。それは迅速な対応ではあったが、いかんせん両国の距離は大きく離れていた。使者が往復するまで、エリザベートには耐えて貰うはずだった。

 唾棄すべき人物ではあるが、バルトロは一流の傭兵隊長である。その彼がこの短期間でどのようにして敗北したのか。ジュストがその商人から詳細を聞こうとした時、突然周囲が騒がしくなり、部下の一人が慌てふためいた様子で天幕に現れる。


「ジュスト様! 辺境領より使者が参りましたっ!」

「……傭兵団が負けたという話は本当のようだな。だが、何をそんなに慌てている」

「それが……」

「どうした。落ち着いて申せ」

「使者として来たのは、辺境伯本人ですっ!」


 剛胆さで知られるジュストであったが、その時ばかりは面食らった表情を浮かべていたという。

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