第48話 天を震わす雷 下

 トローアに向かう街道を、幽鬼の如き足取りで進む一団がある。兵数の半減した傭兵団の姿であった。火事騒ぎの後に進軍を再開した彼らであったが、兵糧の配給が滞った為に脱走兵が相次ぎ、万を超えた大軍勢も今や六千程度の規模にまで落ち込んでいた。

 飢えに苛まれて足取りも重く、体力が尽きて道に座り込む者も少なくない。それでも彼らは前に進み続けるしかなかった。すでに辺境領奥深くにまで入り込んでいる為、ここで撤退を行えば、未だ姿を見せぬ辺境伯軍に後背を突かれかねない。また一戦も交えずに撤退しては、兵の士気にも深刻な悪影響を与える恐れがあった。

 途中、切り倒されたとおぼしき倒木の除去などに手間取り、兵達の疲労は否応なく蓄積していった。部隊を率いる指揮官らが声を励まし、辛うじて軍を瓦解させずに進軍を続ける。だが、困難を乗り越え遂に目的の都市を目に捉えたとき、傭兵達の口から漏れたのは歓喜の雄叫びではなく、絶望の吐息だった。


「……やってくれたな」


 バルトロの唇が、忌々しげに歪められる。城壁に囲まれたトローアの前面に、今まで姿を隠し続けていた辺境伯軍が展開していた。

 傭兵団よりも多勢だ。八千はいるであろうか。それらに騎兵の姿は見当たらない。しかし都市を背にしている為、後詰として控えている可能性も捨てきれなかった。


「大将。どうする」

「まず降伏を勧告しろ。討伐軍の名で奴の兵を動揺させた後に攻撃する」

「分かった。ではまず軍使を……」


 連隊長が行動に移そうとしたその時、辺境伯軍から二騎の騎馬が抜け出てきた。その一騎、華奢な甲冑を身に纏い、くすみひとつ無い白馬にまたがった少女の姿を見て、バルトロは目を見張る。討伐軍の目標である異端の少女が、その黄金色の髪を靡かせながら両軍の中間地点に立った。そして手をこちらに向け何かをしゃべり出す。

 すると、側に控えていたもう一騎に乗る黒髪の娘が大きく息を吸い、遠く離れたバルトロら傭兵団に響き渡るほどの朗朗たる声で主の言葉を伝え始めた。


「敬虔なる神のしもべ、辺境伯エリザベート・クラネッタ様のお言葉を伝える! 討伐軍より離反し、我が領内に押入った野盗共、痩せ犬の如き哀れな者共よ。武器を捨て、大人しく降伏せよ! いま地に伏せ、許しを乞うのならば、命ばかりは助けてやろう。それ以外に、汝らが救われる道は無いと心得よ!」


 その宣言がなされると、辺境伯軍全体が各々の武器を掲げ、雄叫びを上げた。所領の規模からすれば決して多くは無い兵数だが、その気力が充実していることをありありと感じさせる連携であった。


「くそが」


 小細工が通用しないどころか、傭兵団の士気を挫く先手を打たれた事に、バルトロは小さく悪態を吐き、自らも騎馬を陣頭に進めた。そして、先ほどの宣言に負けぬほどの大声を上げ始める。


「見ろ! あれこそが我ら討伐軍の敵、異端者エリザベートだ。兵達よ。我ら神の軍が放つ威光に照らされ、たまらず鼠が巣穴から這い出してきた。最早奴らには後が無い! かの者達を粉砕すれば、都市の門も開く。汝らがその全てを手にするのだ! 飢えを満たす時が来た!」


 バルトロの煽動によって、傭兵達の瞳に欲望の火が再び灯る。絶え間なく襲う飢えも、彼らの凶暴性を高める事に一役買った。傭兵団からも獣の如き叫びが上がる。

 辺境伯の勧告を撥ね除けたバルトロが本陣に戻ると、連隊長らが敵陣への突撃を進言してきた。各連隊が擁する軽騎兵と、バルトロ直属の重装騎兵は健在である。敵に騎兵がいない以上、その機動力、衝撃力を生かして一気に仕留めるべきだという論は間違いではなかった。しかし、歴戦の傭兵隊長は首を振る。


「まだだ。奴らの陣立を見てみろ」


 バルトロが敵陣を指さし、その強固さを指摘する。背後には城壁、側面は強固な馬防柵が設けられ、騎馬の起動を活かした撹乱が行い難い。兵数に劣る傭兵団が下手に包囲を行おうとすれば、要らぬ被害を出す恐れがあった。


「まずは矢戦を行う。兵数はあちらが上だが、こちらには多くの弩弓がある。相手の応射が弱まった後、軽騎兵が中央の馬防柵を破壊する」

「なぜ中央を?」

「俺達が敗走した場合の追撃を考えているのだろう。中央の馬防柵は側面に比べて薄い。それらを引き倒した後に、俺が重装騎兵を率いて突撃をかける。辺境伯の首を取れればそれでよし。もし都市内部に逃げたらそのまま雪崩れ込めば良い」


 辺境伯を捕らえるなどという建前は、既にバルトロの頭から消え去っていた。戦に出た者を殺したとて、誰がそれを責めようか……


「放て!」


 弩弓の有効射程内まで進軍した傭兵団は、バルトロの号令以下一斉に矢を放つ。辺境領からも応射があったが、彼が予想した通り、装備の整った傭兵団の数を上回りはしなかった。しかし大楯によって矢は防がれ、決定打を与えるには至っていない。重量のある大楯を持つ者は、進軍してきた傭兵団には少なかった為、兵の損耗は彼らが上回っていた。

 それでも弩弓兵に代わる代わる射撃させることで、守りに手一杯となった辺境領軍の応射が目に見えて少なくなった。


「今だ! 行けっ!」


 その変化を見逃さず、バルトロは軽騎兵を急行させる。それぞれ馬防柵を引き倒す為の縄や、火攻の油壺を手にした騎馬達が、辺境伯軍中央部に殺到した。応射も間に合わず、騎馬隊による破壊は成功するかに見えた。


爆箭隊ばくせんたい、放て!」


 先ほどの宣言を行った娘の声が再び響き、中央に肉薄しようとした騎馬隊の前に弩弓から矢が放たれる。それらの矢は騎馬ではなくその手前の地面に突き刺さり。次の瞬間、轟音と閃光を周囲にまき散らした。間近で爆発を受けた馬は打ち倒され、その他の騎馬も狂奔を始める。多くの兵がその背から振り落とされ、運の悪い者は馬の蹄に身体を踏み砕かれた。


「あれは! まさかあれが火薬だというのか!」


 一気に半減した軽騎兵の惨状に、重装騎兵を率いて突撃を掛けようとしていたバルトロは、噂に聞いていた火薬の存在を思い出す。彼はすぐさま突撃を中止し、辺境伯軍の射程外まで退いた。その退き際は見事なもので、辺境伯軍の追撃を許さなかった。


「火薬の対策を行わねばなるまい」


 その言葉に連隊長らは頷くも、未知の兵器への対抗策を考えついた者はいなかった。バルトロは帰還した軽騎兵を呼び、火薬の感想を聞き出す。


「いきなり光と音がして、それに驚いた馬が暴れ出しました」

「それ以外は何があった」

「白い煙に包まれた以外は特に何も、ただ、それで仲間と衝突した者もいました」

「分かった。下がれ」


 騎兵の様子を聞いたバルトロは、しばし考え込んだ後、ある指示を連隊長らに命じた。



 少し時間をおいた後、傭兵団が進軍し、雨の如き矢を振らせる。そして残った軽騎兵が中央部に吶喊を掛けた。

 だが再び火薬付き太矢が発射され、軽騎兵は逃散する。先ほどと同じ展開かと辺境伯軍の兵らが考え始めたとき、白煙が立ち上る前方から重々しい蹄の音が轟き始めた。煙を突き抜け、甲冑に身を包んだ重装騎兵がすかさず第二波を仕掛けてきたのだ。

 再び矢が放たれるが、火薬をもってしてもその奔流を留める事は出来なかった。馬たちの目元に簡易の目隠しが装着されていたのである。辺境伯軍は知るよしも無かったが、その耳には布などで耳栓もされていた。

 戦場の観察眼に優れるバルトロは、火薬自体の威力が直撃でもしない限り脅威ではない事を見抜いていた。ただ敏感な馬には音や光が効果を発揮するため、それらを遮る仕掛けを行ったのだ。

 騎馬への有効打を失った軍に、最強と謳われる重装騎兵が殺到する。辺境伯軍の備えが火薬だけだったならば、為す術も無く蹂躙されていたであろう。しかし、かの令嬢が率いる軍は、さらなる奥の手を隠し持っていた。


――なんだ? あれは。


 短い呼吸をする間にも近づく敵の馬防柵に、奇妙な武器を持った兵が現れる。その獲物は長槍でも、弩弓でも無い。長い筒の様なものを持った彼らが、その先端をこちらに向けた。そうされた瞬間、今まで生き延びてきた戦の経験が割れんばかりの警鐘をならし、バルトロは自身の馬を部下の後ろに下げた。

 その影に隠れたと同時に、前方から雷の如き轟音が鳴り渡る。音が耳に届いた途端、彼は左腕に焼け付く様な痛みを感じた。


「なんだと!?」


 腕を守る甲冑に、小さな穴が開いている。それでいながら矢は刺さっておらず、彼程の戦士であっても自分の身に起こったことをすぐには理解できなかった。しかし前方にいた騎士が馬ごと地面に倒れ込み、バルトロが騎乗する軍馬がいななきを上げながらのけぞった事で、彼は馬を御すると共に、周囲を見渡す時間を得た。


「――馬鹿な!」


 そこで見たのは、最強を誇った騎馬隊の変わり果てた姿だった。最前線にいた数百騎が一気に打ち倒され、その身体から血を流している。彼らが盾となったおかげで傷を負っていなかった後続の騎馬も、倒れた騎馬に躓いて転倒する者や、状況を理解出来ずに立ちすくむ者ばかりだった。いくら歴戦の古参兵といえど、未だ経験したことの無い状況に動揺しない者はいなかった。

 そうこうしている内に、再び天を震わす様な音が響き、更に落馬する者が現れる。重装騎兵はその過半を、ほんの僅かな時で失っていた。


「うろたえるな! 今こそが勝機だ!」


 逃げ腰になり始めていた騎兵をバルトロは一喝し、辺境伯軍を指差した。もうもうと白煙が立ち上り、敵の姿は見えない。


「奴らからも俺達は見えていない! 煙が晴れるまでに乱戦に持ち込むぞ! 続けぇ!」


 古参兵らは我に返って素早く集結し、バルトロを追う。その突撃は鋭い鏃のような形となり、辺境伯軍の本陣へと迫っていた。



「鉄砲隊を下がらせろ! 長槍隊、構えっ! 決して突破させるな!」

「ダメだっ、抑えきれない!」

「く、くる! ぐあっ!」


 怒号と断末魔の狂想曲が、自軍の中で奏でられている。俺は、自身の判断の甘さを呪った。

 敵主力に対する鉄砲の斉射。八〇〇丁のライフルドマスケットが一斉に火を噴き、確かに敵重装騎兵を半壊させた。だが、戦意を喪失するかに思われた騎馬隊は、傭兵隊長バルトロの指揮で息を吹き返し、発砲後の白煙に紛れて中央部に吶喊してきたのだ。既に前衛は突破され、俺のいる本陣からも遠くない位置で戦闘が行われていた。

 必要以上の殺戮を忌避し、勧告を行おうと二度目の斉射の後に時間を置いた事が失策となったのだ。


「エミリー。乱戦になっては被害が増すばかりだ。敵を集中させる必要がある。例の作戦でいくぞ」

「辺境伯様……承知致しました」


 エミリーは諫めようとしたようだったが、俺の顔に浮かぶ後悔の表情を見て、そのまま命令に服した。


「卑しき賊徒共! 辺境伯はここにいるぞ!」


 剣戟の音をもかき消すほどの大声に、敵味方問わず注目する。そして、声の方角に俺が一人馬上にあるのを見ると、傭兵達は武器をかざして殺到した。その先頭には腕から血を流しつつも、ますます戦意を高めているバルトロの姿がある。


「貴様をっ、殺せば、仕舞いだぁ!」


 長槍を手に、悪鬼の表情を浮かべた傭兵隊長が迫り来る。たとえ伏勢があったとしても、大将を仕留めれば敵軍は瓦解する。それを奴は理解しているのだ。あと数秒で、その槍が俺の胸を貫く距離まで近づいた時、密かに退いていた周囲の辺境伯軍と傭兵団の間に空間が出来上がった。


「奇遇だな……私もそう思っていた」


 天にかざしていた片手を振り下ろし、まっすぐに憎き敵を指し示す。すると、背後の城壁に潜んでいた後詰の鉄砲隊が、ひとかたまりとなっていた傭兵団に死の雨を降らせた。

 白煙が城壁の上を雲の如くたなびく。それが風に吹かれて消え去った時、一つの時代の終わりを告げる光景が眼下に広がっていた。

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