第47話 天を震わす雷 中

 傭兵団は抵抗を受けることなく辺境領を進んでいた。当然の事であった。辺境伯の軍どころか、そこに住む人々の姿さえないのだから。


「大将! ダメだっ、ここも人がいない! 作物もみな刈り取られている!」


 辺境領に入って三日も経つが、上げられる報告に変わりはない。いくつもの村を襲撃させたが、住民の影すらなく、物資も全て持ち去られていた。

 大将と呼ばれたバルトロは舌打ちをし、再度部下たちに偵察を命じる。しかし再び送った兵達も何も得ることなく戻り、傭兵団は悄然と野営の支度を始めたのだった。

 支度が終わると、バルトロは本陣に連隊長らを集め攻撃目標を協議し始めた。机に広げられているのは、辺境領の地図である。一般的に流通している地図より正確なもので、ルチア以外の使節団団員が密かに送ってきていた情報が書き加えられていた。


「大将。このままだとまずい。稼ぎが無い事で兵の不満が高まってきている。昨日も喧嘩騒ぎで死人が出た」

「分かっている。今夜は酒と肉を出してなだめすかせろ。だが、それでも暴れる者は斬れ」

「了解だ。払いはそちら持ちでいいな」

「辺境領の軍とぶつかるとき、最前線に立つなら出してやる」

「分かったよ……自分で用意する」


 連隊長達はバルトロの言葉に肩をすくめ、部下に指示を出した。戦慣れしていない辺境伯軍への侮りをこの場にいる誰もが持っていたが、最前線に立つとなれば少なからぬ被害は免れない。『痛みは他者に、儲けは自らの懐に』が、生まれも育ちも異なる彼らに唯一共通する信条であった。


「攻めるとするならば、ここだ」


 協議の末、バルトロの太い指が地図の一点を指し示す。その先には簡易な都市の図が描かれていた。


「辺境領西部随一の都市トローア。ここならば住民全てを逃がす事は出来まい」

「なるほどな。だが大将。ここは城壁もある都市だぞ。攻め落とすのは苦労しないか」

「まずは開門を通告する。それに従わなければ、鬱憤の溜まった兵共をけしかければ良い。この都市には跳ね橋はない。破城槌でも十分に押し破れるだろう」

「出来ればささやかなりと意地を見せて貰いたいものだ」


 連隊長達の口元に下卑た笑みが浮かぶ。抵抗されれば略奪の正当な理由となるためだ。もっとも、素直に降伏しても厳しい徴発を免れることは出来ないのだが。


「ここからは五日は掛かるだろう。各自迅速な出立の準備を――」


 怠るな、とバルトロが指示しようとした時、奇妙な音が本陣の天幕に届いた。何かを叩きつけたような重く、鈍い音が連続して響き、続いて馬のいななきや人の怒号が聞こえてくる。本陣を飛び出したバルトロ達が見たのは、陣の中を狂奔する軍馬の群れと、それを捉えようと追いすがる兵達の姿だった。


「敵襲か!」

「騒ぐな。周囲に偵察は出している。大軍ではないだろう。まず明かりを絶やさせるな」


 浮き足出す連隊長らを黙らせ、バルトロは伝令に状況を調べさせた。


「敵兵、見当たりません! しかし馬が逃げ回り、陣に混乱が生じております! 当直の兵らが収拾に当たっておりますが……」

「……しまった! 兵糧に兵を回せ! これは陽動だ!」


 報告を聞いたバルトロが急ぎ兵を回したが、時既に遅く、手薄になっていた兵糧集積所は消しきれぬほどの大火に包まれていた。


「気の緩みを突かれたか……」


 数日間一度も交戦する事なく進軍したことにより、辺境伯軍恐るるに足らずと、兵に驕りと乱れが生じていた。そこに付け込まれたのだ。バルトロは気を引き締めるかの様に両手で頬を叩くと、延焼を防ぐべく指示を出しはじめた。

 被害は深刻なものだった。消火作業が完了した後に行った調査の結果、分散して配置していたにも関わらずその九割が焼失するという惨状を呈していた。

 同時に火が付けられた事から内部での手引きを行った者がいるのは明白であり、まもなく商人の一部が姿をくらましていた事が分かった。膨大な輜重を維持させる為に招いた従軍商人らに、工作員が紛れ込んでいたのだ。

 商人らが扱う兵糧も被害を受けたが、幸いそちらはある程度残っていた。なんとか進軍出来ると胸をなで下ろす傭兵達であったが、その残った兵糧が、新たな問題を起こす火種となった。


「ふざけるなっ。なんだその値段は!」

「こちらも商売だ。文句があるなら他の奴に売る。さ、帰った帰った」

「……舐めやがって!」


 翌朝。傭兵達が兵糧を商人から買おうとすると、それらの売値は信じられぬほど値上がりをしていた。傭兵団が元から用意していた兵糧が激減したとみるや、すぐさま値札を付け替えたのだ。

 彼ら自身の物資も少なからず焼失したため、その損害を取り戻そうとするのは当然であった。しかし、朝の食事にも事欠く状態であった兵達は激高し、遂には一部の兵が商人を散々に殴り倒し、その兵糧を奪ってしまった。


「馬鹿がっ!」


 その顛末を聴いたバルトロが強奪を行った兵を捕らえ、兵糧を返還させようとした。だが、殴られた箇所が悪かったのか既に商人は事切れ、それを見た従軍商人らの間に大きな動揺が広がっていた。彼はすぐさま捕らえた兵を処刑し、それらを全軍に示したが、それでも沈静化は出来ず、多くの商人が傭兵団から離れていった。ただでさえ心許ない食料補充が見込めなくなり、彼らの戦略は大いに狭まる事になった。



 辺境領の南端。傭兵団が数日前に通過した地点に、王国の商人が集まっていた。彼らは討伐軍の需要を見込んで他領から来た者達であったが、傭兵団が略奪を行えずに進軍を続けた事で、未だ遭遇出来ずにいた。

 更に進軍した事がわかり、その道筋を追わんとしたところに、その行き先から商人らしき者達が現れたのだ。みな荷も持たず、傷を負っている者もいた。

 商人達に迎えられた彼らは、聞き捨てならない情報をもたらした。


「あんたら、すぐにここを離れた方が良い。荷どころか、命すら奪われかねんぞ」

「どうしたというんだ。私らは討伐軍相手に商売をしに来ただけなのだが……」

「討伐軍? 聞いて呆れるよ。あれはただのごろつき共だ。奴ら、俺達の仲間を殺して荷を奪いやがった」


 兵糧の焼失と、その後の混乱を知った商人達は、ここまで来た手間と危険を天秤に掛け、大多数が道を引き返した。それに同行する逃げてきた商人――兵糧に火を付けたクラネッタの『耳』達は自らの主、エリザベートの抜け目なさに驚かされる。


――兵糧を失わせても、補充をされては意味がない。商人の動きも抑える必要がある。


 それ故に、従軍商人の持つ兵糧はあえて全て燃やさせなかったのだ。傭兵達と商人の間で問題を起こさせ、新たな商人が参入を躊躇うように……


「ほう、アランブール公爵領から」

「ええ。とんだ無駄足になりましたが。討伐軍の物資が不足しているとの情報がありましたから来たのですが」

「それは……残念でしたな」


 『耳』達は雑談を装いながら、新たな情報を集め始める。彼らを焚き付けた、辺境伯の敵を見極めるために。

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