第45話 辺境伯からの手紙

 曇りがかった秋空に肌寒い夜風が吹き始めている。野営に設けられた篝火が、風にあおられて火花を散らした。

 王国歴三八六年九月。異端討伐軍はライネガルド王国内に進軍。いくつかの他領を通過し、いよいよ辺境領へと近づいていた。

 野営地にはおびただしい数の天幕が張られている。兵だけでも軽く万を越えた軍勢であり、更には輜重隊を兼ねた従軍商人らがそれに随行していた為、総勢数万という大軍勢が俄に出来上がっていた。

 野営の支度が終わると商人や娼婦が呼び込みをかけ始め、夜にもかかわらず町のような賑わいを見せている。そんな中、ある陣だけは秩序だった沈黙を保っていた。

 聖騎士団の陣である。騎士修道会の修道士達が中核となるこの集団は、その頭領の気質に影響され、精強かつ厳格な組織を構成していた。

 その中心、教皇庁の旗が入り口に立てかけられた天幕で、甲冑に身を包んだ金髪の男が軍務を行っていた。

 男、聖騎士団長ジュストはその青々とした目を報告書に落としていたが、急に騒がしくなった周囲の音につられ、天幕の入り口へと視線を移した。すると挨拶もなしに入り口の布が開かれ、茶髪を油で総髪にした大男が天幕に入ってきた。


「おい、団長さんよ。辺境領はそろそろだと思うが、いつ軍を進める」

「明日の朝に出立して、半日足らずといった所です。バルトロ殿」

「ようやくか……退屈で仕方がねぇ。さっさと仕事を始めたいもんだ」


 ジュストの天幕に我が物顔で入ってきたバルトロは、手に持っていた革袋をあおりながら愚痴を溢した。酒精の強い酒だったが、彼は水のごとく一息に飲み干す。


「辺境領も間近。そろそろ酒はお控えなされ」

「景気づけだ。それにこの程度では酔いもせん」


 うそぶくバルトロの体格は、確かにそう思わせるほど大柄なものだった。上背は他の兵よりも頭一つ高く、身体の厚みも尋常ではない。万の兵を束ねる傭兵隊長という、本来ならば後方で指揮する立場でありながら、その体つきは卓越した戦士そのものだった。

 ジュストも騎士にふさわしい立派な体格だが、彼と比べると細身に見えてしまうほどだ。


「軍の範たれと申しているのです」

「説教は教会でやりな」

「貴方は異端討伐軍としてここに来ているのですよ」

「どんな軍だろうが、俺のやることは変わらねぇ。殺し、奪い、犯す。これでも我慢してやっているんだぜ?」


 忠告を鼻で笑ったバルトロは、二つ目の革袋に口を付けた。普段は進軍経路での略奪をいとわぬ傭兵集団であったが、今回ばかりはそれを契約で禁じられていた。略奪を受けた他の領主とエリザベートを結託させない為である。その代償として、事前に相応の報酬が支払われ、なおかつ辺境領内での行為は黙認するという契約が交わされていた。


「まあ、あんたはあんたで好きにやるが良いさ。指揮権はそれぞれにあるんだ」


 口を真一文字に結び、険しい顔を崩さないジュストの様子に、バルトロは淡褐色ヘーゼルの瞳をあざ笑うかの様に細め、自陣へと戻っていった。


 翌朝。出立を目前にした異端討伐軍は、予期せぬ足止めを食らっていた。


「こんなものはただの時間稼ぎか罠だ。それが分からねぇのか!」

「約定を違えれば、領主としての名声は地に落ちよう。私は、真実の言葉だと考えている」


 バルトロとジュストが言い争っているのである。性格の相違こそあれ、目的を同じくしていた両者を対立させたのは、つい先ほど届けられた一通の手紙だった。



「私は、敬虔なる神のしもべである辺境伯エリザベート・クラネッタの軍使にございますっ。異端討伐軍指揮官、聖騎士団長ジュスト殿にお目通りを願う!」


 白の軍使旗を掲げながら、一騎の騎士が異端討伐軍へと馬を走らせてくる。陣の前までたどり着くと彼は馬から飛び降り、高く旗を掲げながら名乗りを上げた。


「私がジュストです。こちらは傭兵隊長のバルトロ殿。それで、辺境伯のご使者と伺ったが、どのようなご用件でしょうか」

「申し上げます。私は和睦の使者として参りました」


 討伐軍の両名に対して、本陣に招き入れられた軍使はエリザベートの意向を告げた。その内容をジュストは驚きの表情を交えながら聞き、バルトロは苛立ちを見せ始める。


「軍使殿。それではクラネッタ辺境伯は、我らが兵を引けば御身自らがレムリアに釈明にいらっしゃるというのですか?」

「はい。こちらの親書にございます条件を守って頂ければ、主神パスティアにかけてお約束いたします」


 他領を含むライネガルド国内での略奪、恐喝、暴行など乱暴狼藉の禁止を受け入れ、撤兵後に再侵攻を行わないならば、すぐさま教皇庁に馳せ参じるとの誓約であった。


「話にならんっ! 奴が来るはずもない。俺達が背を向けた途端、襲ってくる腹づもりだろうがっ」


 バルトロがジュストと軍使の間に割って入り、机に置かれていた親書を地面に叩きつけた。


「バルトロ殿! 軍使殿に対して無礼であろう!」

偽降ぎこうの使者に礼などいるものか。軍使。俺の返答を教えてやろう」

「やめよ!」


 剣に手を掛けたバルトロを、ジュストは目を怒らせながらその腕を押さえ込んだ。両者の睨み合いがしばし続き、バルトロが舌打ちをして手を剣の柄から離す。


「軍使殿、失礼つかまつった。この者の説得を行った後に、返答の使者をお返しします」

「よろしくお願い申し上げます。ですが三日以内にご返答を。もし辺境領に兵を入れるか、期日を過ぎてもなお隣接する所領から離れぬ場合、その者どもは異端討伐軍ではなく、全て賊徒と見なします。敬虔なる信徒の申し出を踏みにじる者を、我等は決して生かして返さぬでしょう」

「お役目、ご苦労でございました。軍使殿をお送りせよ!」


 再び殺気を放ち始めるバルトロを危惧したジュストは、すかさず手勢の聖騎士に守らせながら軍使を送り返した。こうして異端討伐軍の両指揮官は、進軍か撤退かで譲らぬ言い争いを始めたのであった。



「もう、ここまでだな。俺は軍を進める。貴様は小娘の口先に乗せられて、パスティアに戻ると良い。聖騎士団長の席が残っていれば良いがな」


 バルトロがそう吐き捨て、自陣へと戻っていく。総指揮権を持たぬジュストはそれを留める事は出来ず、天に向かって長いため息をついた。


――これで、討伐軍の信義は失われた。


 エリザベートが提示してきた条件は、異端討伐軍の目的をほぼ達成させるものであった。

 そも彼女を拘束すべく兵を出しているのだ。あくまで武力は抵抗を受けた場合の備えという名分であり、その身柄を素直に預けられると、剣を振りかざす必要はなくなる。

 だが、討伐先での略奪を主目的とするバルトロにとっては、とうてい受け入れがたい条件であったのだ。親書に書かれた条件に元使節団長ルチアの引き渡しがないことを挙げ、それを理由に軍を動かし始めた。


――あの者を含めなかったのは何故だろうか。


 エリザベートとルチアの約束を知らぬジュストにはその理由を知る由もなかった。それでも民を守るために単身敵地に向かうことを申し出た彼女に、彼は畏敬の念を抱き始める。


「我々はこの地より退き、進軍の意思がないことを表明する。軍使を送ることも忘れるな!」


 隣接する所領からの退却の指示を出しながら、ジュストは表現しがたい違和感を抱いていた。異端宣告の影響により、辺境伯の兵は乏しいはずである。

 その兵力差を鑑み、一見降伏にも見える親書を送ってきたかと思いきや、進軍してきた場合の苛烈なる攻撃予告もその中には含まれていた。それをただの虚勢と捉えるには、不可解な点が多いとジュストは考え始める。


――見極めねばならぬ。例え我が進退がこの戦で決まろうとも。私も又、聖騎士達を預かる身なのだから。


 それぞれの指示に従い、二つの軍は背を向けて動き出した。ジュストは辺境領へ向かう兵達の背に、暗い影が射した様に見えた。



「お前ら! いよいよ仕事の始まりだ! 異端者共を斬り殺す準備は出来たかっ」


 辺境領の境まで来たバルトロは、剣をかざして号令を掛ける。その声に、周囲を固める傭兵達は、がなり立てるように呼応した。その声はみるみるうちに周囲に拡散していき、一万を越える兵達が一斉に叫びを上げる。略奪を今まで禁じられてきた鬱憤が、傭兵達の士気を限界まで高めていた。


――良いときに消えてくれた。


 兵達の様子にバルトロはほくそ笑む。ジュスト率いる聖騎士団と行動を共にしていたら、こうはならなかったであろう。いくら教皇庁の許可が出ているとはいえ、あの堅物が略奪に何も口出ししないとはとうてい考えられず、妨害すらありえた。それを案じたバルトロは、あえて激しく口論をする事で別行動へと繋げたのだった。

 故なく兵を分ける事は兵法としては愚策である。無論バルトロもそれは承知していた。だが、仮に聖騎士団がいなくとも十分に勝利する事が出来るという自負、そしてそう考えられる程の実力がこの男には備わっていた。


「いいかっ。辺境領に入ったら全てが許される! 俺達は神の軍だ! 異端を殺せ! 全てを奪え! ゆくぞぉ!」


 喚声を上げて、傭兵達は辺境領になだれ込む。しかしその威勢も長くは続かなかった。


「なんだと……」


 報告にバルトロは唖然とする。近隣の村々に攻め入った傭兵達が目にしたのは、既に作物が刈り取られた畑と、奪う物は何一つ残されていない無人の農村だけであった。

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