第44話 招かれざる客
辺境領東端。小さな緩衝地帯を隔てて帝国と接するその地には、隣国への出入りを検める関所があった。
両国の商人が最も往来する山間の道に設けられたもので、幅五十メートル、高さ十五メートルにも及ぶ。多くの兵を収容できるほど奥行きもあり、城塞に近い建造物である。
過剰にも思える規模だが、同様の関所が帝国側にも設けられており、ここが両国の最前線であることを知らしめていた。
緊張感に満ちた場所ではあるが、日中には緩衝地帯においてしばしば市が立つ。どちらの国にも属さないこの狭い土地の中でなら、通行料を払うだけで商売が出来るためだ。売り上げの一部を税に納める必要もない。客の多くは非番の守備兵達なので、この地を狙う盗賊のたぐいは皆無だった。
常ならば賑わうその緩衝地帯だが、この日に限っては誰一人として商いをする者はいなかった。
「開門願う。私は帝国軍元帥ヴァルター・フォン・シャルンホルスト。皇帝陛下のご命令により、エリザベート・クラネッタ辺境伯の援軍に馳せ参じた」
王国側の閉ざされた門の前で、騎乗した白鬚の老将が名乗りを上げた。その背後には、関所から距離をおいてはいたが完全武装の騎馬や長槍兵が整然と並んでいる。その列は緩衝地帯に収まらず、帝国側の門を抜けた先にも続いていた。
呼びかけに門が中程まで開き、灰色の髪をした巌の如き男が騎乗して現れる。互いに護衛を付けぬまま両者は近づき、馬上にて礼を交わした。
「クラネッタ公爵家騎士団長マルセルと申します。元帥閣下。現在は臨時にこの関をとりまとめております」
「おお、貴殿がかの御仁であったか。怪物をも打ち倒したクラネッタ騎士団を育て上げた名将の噂は、帝国にも届いております」
「不敗の大将軍と称えられし閣下のご高名にはとうてい及びませぬ。して、援軍と伺いましたが、後ろに控えた兵を辺境領に入れるお積もりですか」
「さよう。皇帝陛下は辺境伯が帝都まで赴き、かの悪辣な枢機卿の企みを知らせてくれた義心にいたく感じ入られましてな。我らを辺境伯の軍に加勢するよう遣わされたのです」
マルセルが乗る馬の手綱が僅かに強く握られた。この出兵の裏にある企みを見抜いた為である。事実、彼らは援軍として働くだろう。元帥自らが率いる精兵の力を借りれば、異端討伐軍といえど迂闊に動けなくなる。戦わずして兵を引かせる事すら可能だ。
――だが、それを受け入れれば姫様のお立場は危うくなる。
王国内に仮想敵の軍を引き入れたと、他の王国貴族達が騒ぎ出すことは目に見えている。一時の平穏を得ることは出来ても、良好な関係を保っている王家や宰相家とも隔意を生じさせかねない悪手であった。
「辺境領と帝国は誓約を結んだはずです。異端宣告を受けた際、互いに兵を送らぬと」
「無論、我々は辺境伯殿と敵対するつもりは毛頭ございませぬ。これは、先ほども申した通り援軍です」
「だとしても、お通しするわけには参りません。辺境伯様よりいかなる軍勢であれ、決して通してはならないと厳命されております。援軍であったとしても帝国の兵が領内に現れては、無用な混乱が生じかねません。それ故、例え皇帝陛下御自らのご出馬であっても丁重にお帰り頂く様にと」
「なれど兵が集まらぬのではないでしょうか。辺境伯に味方する者は異端と見做す、との宣告も枢機卿からなされたと伺っております」
「ええ、既にその宣告は辺境領にも届いております。ですが、ご心配には及びません」
マルセルが片手をあげる。すると城壁の上に公爵領の獅子と
「なるほど。辺境伯様は民心を掴んでいらっしゃるようだ。ご無礼、平にご容赦願おう」
「いえ。こちらこそ不躾な振る舞いを致しました。お許し下さい」
「辺境伯殿のご迷惑になるのは我等の望む所ではない。撤退いたすとしよう」
「ありがとうございます。皇帝陛下にはご厚意に感謝致しますとお伝え願います」
「承った。辺境伯様にも、もし必要とあらばすぐに軍を率いて参りますとお伝え下さい」
再び礼を交わしたヴァルターは、年を感じさせない颯爽とした馬捌きで自軍へと戻っていった。それに帝国軍も隊伍を乱すことなく従う。軍が完全に帝国側に戻ったことを確認したのち、マルセルも馬首を返した。
◇
ヴァルター率いる帝国軍は関所を離れ、最寄りの都市であるザールに向かっていた。軍の中央にいたヴァルターに、小柄な騎士が馬を寄せる。
「元帥閣下。ハイデマリー。偵察より帰還致しました」
「報告せよ」
「はっ。王国側は関の周囲にも兵が配され、厳戒態勢にございました」
「兵の数は」
「数人単位で均等に、現在確認出来た人数だけでも百人はおります」
「かの伯爵の認識を改めねばならんな」
「ええ。油断ならぬ相手といえましょう」
ハイデマリーが難しい顔をする。余人の目がある時は生真面目な態度を崩さない彼女であったが、ここまで深刻な顔を見せるのも珍しかった。
「諜報部が異端宣告に関する工作も行ったと伺いましたが、あまり効果が出なかった様ですね」
ハイデマリーが口にしたのは、関の門前でヴァルターとマルセルが話していた宣告の事である。辺境伯に味方する者は異端と見做すという宣告を、商人らに扮した工作員が辺境領内にすかさず広めていたのだ。にも関わらず、想定以上の民が集まっていた。
「それだけ撫民に努めていたのだろう。辺境領における政策の調査書に目を通しておくと良い」
「かしこまりました。それにしても一年足らずでここまで民に慕われるとは……」
「だが、戦の巧さに関してはまだ断定できぬ。兵を集めれば勝てる訳ではない。お主もいつでも動けるようにしておけ」
「かしこまりました」
持ち場に戻ったハイデマリーは、得体が知れぬ辺境伯に関して思いを巡らせていた。想像の辺境伯は美人ではあったものの、見る者を不安にさせる邪悪な笑みを浮かべている。多数の兵を率いて帝国に攻め寄せてくる想像に、ハイデマリーはぶるりと身震いをした。
――ええい、皇帝陛下の言葉を思い出せ。常に最悪を想定せよ、されど臆するな、だ!
ハイデマリーは自らの頬をたたいて活を入れる。そして気持ちを切り替えようと彼女は別の事を考え始め、ふとある人物を思い出した。
――あの子は、どうしているのだろう。
先ほどの想像とは似ても似つかぬ、愛らしい少女を思い起こす。帝都のカフェで出会ったエリーという少女は、女帝の真の価値を知る得がたい友人であった。
――いつかまた会えますように。
馬を進めながら、ハイデマリーは友人との再会を心から願った。
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