第43話 信心深き者達

「陛下。お考えをお聞かせ下さい。異端討伐軍に対して、私達はどう対処すべきか」


 王国歴三百八十六年八月、謁見の間は異様な熱気に包まれていた。エリザベート・クラネッタ辺境伯への異端宣告がなされ、討伐軍が出立したとの報がライネガルド王宮に届けられたためである。国王フィリップによって諸侯に招集がかけられ、王国貴族の殆どが顔を揃えていた。しかし、当事者であるエリザベート、その父であるクラネッタ公爵は招かれていない。


「卿らは、どのように考えておる」

「言うまでもございません。我らはパスティア教を信仰し、その加護に守られし者。教皇庁には助力を惜しみません」


 王が質問を返すと、貴族の一人が討伐軍へ味方する事を宣言する。その周囲にいた者達も賛同の声をあげた。


「クラネッタ卿は先の反乱を未然に防いだ功労者である」

「陛下。いかに功臣といえど、守らねばならぬ分がございます。教えを蔑ろにするばかりでなく、王国の臣でありながら帝国へと近づき、誓約を結ぶなど……」

「陛下の厚遇に慢心しているのです」


 異端宣告を受けた事で軽く見たのか、一部の貴族らは口をそろえてエリザベートを非難する。彼らは子爵以下の小領主が占めていた。それも、特定の貴族の寄子が多い。その裏にいる寄親を頭に浮かべ、フィリップはその意図を察した。


――ひとつになっては困る、という訳か。


 裏で糸を引く寄親達は、年頃の娘を擁する家が主体だった。未婚である王太子レオンとも年齢が釣り合う。うまく正室に収まれば、外戚として権勢を振るう事が出来る家々だ。

 しかしそんな算段をしていた彼らの前に、彗星のごとく現れたのがエリザベートだった。

 微笑みかけられると誰もが赤面する程の美しい少女。加えてその聡明さは先の審問会で王国中に知られている。

 自身に仕掛けられた策謀を打ち破り、遂には女の身でありながら辺境伯の地位も得ている。実績あっての事とはいえ、嫡男が家を継ぐことが一般的なライネガルド王国において衝撃的な出来事であった。

 その異例な叙爵は大貴族らに危機感を抱かせる結果となる。王家はクラネッタの娘を王太子妃に仕立て上げるつもりではないかと。

 もし婚姻によって現在の直轄領、エリザベートの生家であるクラネッタ公爵領、そして彼女の辺境領が合わされば、王国内で並び立つものはいなくなる。他の大貴族にとっては非常に不愉快な未来図だ。とはいえ、かの令嬢が王太子になびいたとは聞かないため、彼らの勝手な思い込みともいえた。

 しかしながらそうとは知らぬ貴族達の不満を放置しては、信仰を楯にし辺境領へ攻め入る危険性すらあった。


――故に、ここに呼び寄せたのだからな。


 王は側に控えて沈黙を保っていた宰相ロジェへと目を向ける。彼は軽く頷くと貴族らの前に進み出た。


「諸兄らがここまで信心深いとは。このロジェ、長く王国に仕えておったが初めて知りましたぞ」


 口調こそ穏やかなものだったが、その声は周囲を圧する響きを持っていた。ロジェは動揺する彼らに睨みを利かせながら、再び口を開く。


「だが、受けた恩義をお忘れとは嘆かわしい事じゃ」

「っ宰相閣下。失礼ながら恩義が何を指すのかお教え下さい」

「あの未曾有の飢饉を忘れた者はおるまい。あの時、そなたらの窮乏する民を救った作物は、誰から譲り受けたものか。殆どの貴族が自らの民をも見捨て、食料を独占する中、手をさしのべたのは誰だったか」


 寄子の一人が怯えながら反駁するも、続けられた言葉に何も言い返すことは出来なかった。しかし黙り込む彼らの背後から一人、砂色の髪をした男が進み出、ロジェと対峙する。


「宰相閣下の仰る事、ごもっともです。この私も寄子が受けた恩は忘れておりません」

「アランブール公爵」

「ご機嫌うるわしゅう陛下、宰相閣下。私からも愚見を申し上げることをお許し下さい」


 アランブールは王とロジェに見事な所作で礼をする。中年でありながらも無駄のない体つきをしたこの男は、先ほどまで騒ぎ立てていた貴族らの寄親であった。オーギュスタン・アランブール。王国中部の良質な鉱山地帯を領有し、周辺の貴族らをとりまとめる大領主である。クラネッタ家と同様、王国建国時より続く名家でもあった。


「エリザベート様の功績は、近年稀にみるものといえましょう。先の内乱を未然に防いだ働きは言うまでもございません。加えてエリザベート様が考案され、クラネッタ公爵領の収穫を倍増させた農業改革があればこそ、王国はあの飢饉を乗り越えられたのですから」


 公爵はエリザを賞賛するも、最後にですが、と付け加えた。


「先ほど他の者が申し上げた通り、帝国との誓約は行き過ぎた行いだと考えております。かのご令嬢が拝領した辺境領は帝国と隣接する土地。両者が近づけば辺境伯にはあらぬ疑いが掛けられ、帝国にもよこしまな考えを抱く者が現れましょう。ご存じですか。辺境伯が帝都に向かったとき、帝都の臣民は臣従に来たのだと騒ぐ者もいたとか」

「帝国との誓約に関しても、儂を介して事前に陛下の承認を得ておる。大まかな誓約の内容も含めてな。貴公は陛下の御聖断に異を唱えるおつもりか」


 彼女を心配する風を装いながら、エリザが辺境伯には不適格であるかの様に印象付けようとするアランブールに、すかさずロジェが反論する。発せられた言葉には周囲の貴族らをおののかせる程の威が含まれていたが、公爵はいけしゃあしゃあと発言を続けた。


「それが王国の為になると考えたのならば申し上げます。それに帝国とは長らく戦のない状態ですぞ。そこまでする必要がございますか?」

「辺境領が戦になれば、それに乗じた帝国の侵攻が考えられないとでも? エドモンの騒動で、何者があれほど莫大な援助をしていたのか。想像がつかぬ貴公でもあるまい」

「閣下。それは邪推というものです。かの国が関与していた証拠を貴方はお持ちなのですか?」

「双方、そこまでにせよ。我が国の方針を伝える」


 王の仲裁で鋭い舌鋒を交わしていた両者は矛を収め、王に向かって跪いた。他の貴族らもそれに倣う。


「異端宣告を受けている辺境伯に、援軍は送らぬ」


 アランブールは表情を変えなかったが、彼の寄子には喜色を隠しきれぬ者もいた。だが、王の命はそれだけに留まらなかった。


「されど、討伐軍への参与も許さぬ」

「恐れながら、従軍をお許しにならない理由をお聞かせ願えますでしょうか」


 相反する命に、アランブールが顔を上げて質問する。


「国内における大乱、それに乗じた帝国の介入を防ぐためである。もし卿らが討伐軍に参加した場合、国を二つに割る戦となろう。クラネッタ公爵家も座視はすまい。そして最も兵である民を失う恐れがあるのは、かの辺境伯から恨みを買った忘恩の徒である事は明白だ。これは、王国を、そして汝らを思ってこその命である」

「……お心遣い。感謝いたします」

「よろしい。命を下す!」


 アランブールが形は丁重な礼をして引き下がる。それを見届けた国王フィリップは玉座より立ち上がり、普段の温和さに似合わぬ激しい声で宣言した。


「クラネッタ両家を除くすべての貴族に命ず。以後異端討伐軍、辺境領に対する一切の干渉を禁ずる! これは、国家の安定を保つ為に下される。逆らいし者は、重き裁きを受けると心得よ!」

「ご下命。謹んでお受けいたします」


 ロジェの言葉を皮切りに、居並ぶ貴族達は王の命に服した。


――横槍は防いだ。後はそなたにかかっているぞ。エリザベート嬢。


 王と共にこの場を演出した宰相ロジェは、顔を伏せながら若き盟友の勝利を祈った。同じ頃、討伐軍とは異なる一団が東部国境付近まで近づいていた。

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